一句鑑賞

一句鑑賞と折々のこと・・・。

紙雛(かみひいな)

2012年03月27日 | 一句鑑賞
 一句鑑賞

催眠術かかりし貌の雛納む 山本千代子

 お雛様の顔は、人にあって人にあらずというような、高貴な中にも穏やかで、眠そうで、大人になりきれてなくて、子どもでもなくて・・・、ひと言では言えない雰囲気がある。
 その特徴の一つを言い当てたのが、この俳句であろう。発見があり、新鮮さがある。雛の句は、本当に多くの方が詠んでいるわけで、新鮮さというものが大切なことであると思う。
 また、この句は、しばらく飾っておいた雛を納めるときに、改めてはっと気付いたことを詠んだものだ。作者もこの句を得て、なるほどと思ったことだろう。比喩では、直喩である。

 画像は、孫の作った紙雛。

家中の人を見てゐる紙雛 じゅん
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2012年01月09日 | 一句鑑賞

いくたびも雪の深さを尋ねけり 正岡子規

 病床にいる子規が、見えない外の雪の気配を感じ取っている。雪には、きっと雪だけが持つ、人との特別な関係があるのだろう。子規にとっての雪は、はかなくも美しく、穢れを浄めるものであろうか。雪国に住む私には、見え慣れた生活感覚になっている雪。しかし、そこには子規とは違った雪の本性を見ることができるかもしれない。

 でも、むずかしい。

ばりばりと雪晴の道踏み歩く じゅん
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年歩む

2011年12月29日 | 一句鑑賞
年歩む石牟礼道子全集と 黒田杏子

 季語の「年歩む」は、「年の暮」「年末」と同じ季語であり、十二月も押し詰まって、すべてが慌しく、活気を帯びてくる。
 石牟礼道子さんは、熊本にお住まいし、水俣病と闘っている作家である。浄土真宗との関わりも深く、その生き方には惹かれるものがある。

 黒田杏子さんは、そういう石牟礼道子さんのことをよく知っており、その全集を通して、その生き方に共鳴しておられるのだろう。「年歩む」には、石牟礼道子全集と共に歩む、年末から新年へ歩むというような意志が表れている。
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林檎(りんご)

2011年10月09日 | 一句鑑賞
 りんごは、もちろん秋の季語です。
 先日、尾花沢市のイベントで林檎や柿を売っていましたが、うっかり買うのを忘れてしまいました。

 空は太初の青さ妻より林檎うく 中村草田男
 林檎もぎ空にさざなみ立たせけり 村上喜代子
 良寛の本より林檎食べる音 村上雅子

 「空は太初の青さ」とは、人類の誕生よりも前の青さでしょうか。壮大な句です。
 「空にさざなみ立たせけり」は、林檎をもぐ時の枝の揺れなどが、まるで虚空に「さざなみ」を立たせたようだという句。これもスケールが大きい。
 「本より林檎食べる音」は、リアルな文体に共鳴している自分がいる。

 いずれも佳句中の佳句。このような句が作れたのは、なみなみならぬ日頃の観察力と感性を磨いてるからでしょう。
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立秋

2011年09月30日 | 一句鑑賞
立秋の句。

和三盆口にほどけて今朝の秋 三島富久恵
摩天楼の頂に秋来てゐたり 長谷川櫂

 和三盆は和菓子を作るときに用いる上質の砂糖で、徳島に行ったときに買ってきたことがある。口にほどける感じはよく記憶している。今朝の秋は立秋のことで、和三盆の口にほどける感じに爽やかさと共に少しの寂しさを覚えるのかもしれない。
 摩天楼の頂という下界から離れ、寒さも感じる場所で、いち早く秋の訪れを感じている。秋の気配がたちまちに下界に広がっていくであろうことも。
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薩摩薯 甘藷

2011年09月28日 | 一句鑑賞
甘藷を掘る一家の端にわれも掘る 西東三鬼
ふかし甘藷供へてありし島の墓 山本砂風楼

 ふかし甘藷は「ふかしいも」と読むのだろうか。漢字を見れば「甘藷」なので「いも」と読んでもなんの藷か分かる。
 西東三鬼の「われも掘る」は、日頃家族と共に畑の仕事をしたことのない日常が出ていて、遠慮しがちなところが面白い。
 山本砂風楼の「ふかし甘藷」は、島の風景と暮らしぶりが見えてよい。その島の人の姿が見える。
 同じ甘藷を詠むにしても、人々の生活や土地の背景が違う。私自身の甘藷を詠めればいいが。


じゅんの俳句

薩摩薯掘りて大方子の家に
薩摩薯洗濯物と並び干す
さつまいも洗えば皮の剥げやすき
狼藉のごとく甘藷を堀しあと
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通草(あけび)

2011年09月24日 | 一句鑑賞
 アケビは、通草とも木通、燕覆子とも書く。「通う」は、蔓がよく伸びるから言うのだろうか。「燕覆子」は、葉の形がツバメに似ていて、葉が生い茂って実を隠すからなのだろうか。面白い名前を付けるものだ。

通草の句

通草貰ひて楽しと思ひ憂しと思ふ 石田波郷
通草の実ぶつきらぼうに熟れてゐる 早川志津子
熊除の鈴のかがやく通草山 福田甲子雄

 この句の中で、波郷の句は、彼の生き様と重ねるからだろうか、奥が深い。
 「ぶっきらぼうに熟れている」も面白い。
 「熊除の鈴」の通草山は、そこに人が現れているので、これも佳句だと思う。

 きょうは、彼岸の9月24日、彼岸礼に伺ったところで、アケビの煮付けをご馳走になった。挽肉とかの具がなくても、シンプルでおいしかった。秋の味覚は、山里ならば、ただの煮付けでよい。料理人は、その素材を使って手の込んだ料理をつくるだろうが。


じゅんの俳句

オリオンの頭上にありぬ芋の露
里山に三日月の出し夜汽車かな
パレットに色を加えて夜汽車立つ
みみづくのひと声聞いて早立ちす
飯ごうの潰れてありし通草山
通草蔓引いて下界を見下しぬ
若きらはみな村を捨つけらつつき
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台風

2011年09月24日 | 一句鑑賞
台風をみんなで待っている感じ 中田美子

台風が近づくと、大雨注意報が出たり、山越えの道が交通止めになったりする。
みんなは、台風のニュースのことを言い合い、それぞれの胸の中で災害が起こらないように、無事に通り抜けてくれるようにと、祈るような気持ちで暗雲立ち込める空を見上げている。
台風が来るときは、いつもそういうふうになる。
それが、あたかもみんなで台風を待っているような感じだ、というのである。うまく言い当てたものだ。
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南瓜

2011年09月23日 | 一句鑑賞
 今年、ミニ南瓜の苗3本を買って植えたところ、10個ほどのミニ南瓜が収穫できた。
 少し傷んだところのあるものは、早めに食べて、よいものを残しておいたが、きょう見ると、三つほどが傷んで食えない状態になっていた。南瓜は外見は硬そうで、実際に硬いが、中身はそれほどでもないから、じめじめした天気が続くと傷むのかもしれない。
 収穫したらなるべく早く食べる方がいいということだろう。南瓜は、採ってから一週間くらい置いた方が甘みが増すという。

南瓜の句

書屋いま収穫の南瓜おきならべ 山口青邨
またしても鍋の南瓜を焦がしけり 内堀正恵
煮くずれの南瓜長生き出来さうか 飯島晴子

 2回ほど南瓜を煮てみたが、我流である。皮は包丁で少しそぎ落とし、最初に酒を加えて茹でる。意外と早く竹串が通る。それから味付けをするが、強火のままだと煮崩れがするので、弱火で慎重に煮詰めていく。鍋から離れなければ、焦がすことはなさそうだ。

 「煮くずれの南瓜」と「長生き出来さうか」の間には、切れがあるのではないだろうか。「長生き」は南瓜のことではなく、自分のことであろう。「煮くずれの南瓜」にふと「生の崩れ」即ち「死」を暗示させるものを感じる、ということか。

 「鍋の南瓜を焦がしけり」は、分かりやすい。「またしても」が俳諧。

じゅんの俳句

スケッチの終わらぬ南瓜傷みけり じゅん
空き箱の中を転がる南瓜かな じゅん
南瓜割る山刀まず研ぎにけり じゅん
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2011年09月21日 | 一句鑑賞
梨剥くと皮垂れ届く妻の膝 田川飛旅子
梨喰うて口さむざむと日本海 森 澄雄

 梨は秋の季語。
 先日、一回目に貰った梨は、しばらく仏壇の前に供えておいたら、芯の方から腐敗があっという間に広がっていた。ほかの梨もみずみずしさがなく、しなびたようになっていた。それ以来、頂いたり買ってきた梨は、すぐ食べるようにしている。洋梨、ラ・フランスは置いて熟させるが、普通の梨はすぐ食べるものだと分かった。

梨剥くと皮垂れ届く妻の膝 田川飛旅子

 微笑ましい夫婦の息遣いが見える。好きな句である。私の師匠でもあった先生。

梨喰うて口さむざむと日本海 森 澄雄

 本日も梨を食べたが、確かに「口さむざむと」は実感できる。リアルな実感と「日本海」という豪快な取り合せ。「太平洋」ではこうはいかない。

じゅんの俳句

梨食ふや三日続けり雨の音 じゅん

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