老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

 黄昏期

2017-01-10 12:58:00 | 俳句
       


昨日は散々だった。
パソコンの このブログのページだけが開かない。
操作は教えられたことしかできぬ。
簡単なことでも原因を調べたり修理をすることはとても出来ない。
パソコンの操作、諸々にゆきづまるといつも電器屋さんや、お隣の若い奥さんに教えられてここまでブログをかくことが出来た。
自分で感心をしているけれど、ブログを開くまでは独りで挑戦をした。
写真の取り込みはお隣の奥さんの力を借りた。
しかし、仏の顔も三度まで!
相手はそんなことは、これっぽちも思わず、助けてくれていると思うけれど、こちらとしては、やはり遠慮がある。いつもいつも助けて。助けてでは。
お隣の奥さんは TEL をすると飛んで来てくれる。
しかし、昨日は祝日。
優しい旦那さまと、くつろぎの日。

さあ困った。
スマホ もこのページが開かない。

諦めた。といおうか、少しパソコンから距離をはなそうと思った。
いつかこのブログも終わりがあるだろうし、、、、、
それが早かったと思うことにしよう。
二、三日前から調子は悪かった。
パソコンの新しいのを買ったらと夫は言ってくれるが、年金生活で旅行もままにならぬのに、甘えてばかりはいられない。このパソコンだって、買ってまだ三年もたっていない。

夜、11時頃スマホに TELがあった。電話が済んで覗いてみると、ブログが見えるではないか。
急いでパソコンを開くと、パソコンでもブログが見えるように回復をしていた。
ああ良かった、一件落着。


我が家から見える、黄昏時の志度寺と、かすかに小豆島。
私はこの景色のようにもう 黄昏期 なのだ。

      ☆    黄昏の象きて冬の壁となる    富沢赤黄男

そろそろ、あきらめが肝心とこの句を思い出しながら、窓辺に立っていた夕べ。
でも良かった。
> この句うまいな~。人生の終焉の壁の前に立って開きなおっている作者が見える。
何もこわくないぞ、さあこいと人生を達観している象のような作者がいる。。

黄昏を承知したうえで人生の盛りは過ぎた、終わり近いなどと、後ろ向きにならないで、今日を楽しもう、、、、と。

      💌    寒夕焼どこかに泣く人笑ふ人

      💌    黄昏のビギンかすかに冬の雨

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