老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

蓮は未だ 睡蓮は盛り の公園

2016-05-31 11:50:17 | 俳句

   🐘   初夏の手押しポンプの水甘し



先日、公園を散歩しているとこん話声が耳に入ってきた。
「あれ、睡蓮はまだ咲いていないわ」  奥様
「ほんとだ、未だだ。でも、案内板には今咲いていると書いてたよね」 旦那さま。

石橋を渡ろうとすると、声高に言っている。
私くらいの年齢のご夫婦だ。

石橋の上から、蓮畑を見ながら言っている。
見かねて声をかける。
「それは、蓮ですよ。まだ蓮は咲いていないですね」
「こっちを見て下さい。こっちの花が睡蓮ですよ」
と、橋の反対側にある池を案内する。
「あら、睡蓮と、蓮 は違う花なんですか」
[モネの睡蓮はこれなんですか」
「有り難う。睡蓮と蓮は違うんだ」 ご夫婦は、ニコニコとしてその場を離れて行った。

私は、たまたま俳句なぞをやっているから、睡蓮と蓮の区別はついた。
しかし、経験の浅い、知識に乏しい私なんか、世の中知らぬことばかり。
東京に行くと、大阪に行くと、借りてきた猫のように、びくびくと歩き、夫に手を繋いでもらわなくては、一歩も歩けない。
見る物、聞くこと、別の惑星に、、、
そんなことを考えると、このご夫婦と五十歩百歩。
先だっては、桜の実とさくらんぼの区別がつかない娘さんがいた。
自分の生活や趣味に関係ないと、知らないことばかり。
これこそ、現実なんだ。
狭い世界に住んで、お日さま西に平穏無事の私の毎日。
いいんだか、悪いんだか。



    🌛   田に映る火の見櫓や遠蛙

    🌛   赤い雲流れる夕べ飛燕鳴く

    🌛   夏の茱萸大き一枝を手折りくれ

田舎で棲んでいるから作れた句。
日常の一駒。
コメント
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