羽黒蛇、大相撲について語るブログ

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平成27年・2015年7月場所前(真石博之)

2015年06月30日 | 相撲評論、真石博之
7月場所の資料をお送りいたします

―“薫風の墨田を渡る触太鼓”―  一年6場所の中で群を抜いて爽やかなのが夏場所です。その夏場所で、歴史が大きく動きました。「白鵬一強時代」が幕を降ろしたのです。まずは初日、逸ノ城に小手に振られ、あっさり両手をつく1.9秒のまさかの黒星。白鵬が序盤の5日間に負けることは殆どなく、26回に1回の割合です。横綱47場所、序盤の235番で9回目の負けでした。


 5日目の安美錦戦では、楽に勝負を決められる好機を再三逃がしての大苦戦。しかし、その後は立ち直って、11日目の強敵・照ノ富士も難なく降しました。ところが12日目、豪栄道のこれしかない首投げに一瞬早く右肘が土俵につきました。ショックなのか、物言いを催促したのか、土俵上での礼をせず、土俵を下りても茫然と立ったままで控えになかなか座りませんでした。


 それでも、いつも通りに、星一つをリードして7連覇をたぐり寄せていた14日目、稀勢の里の突き落としを喰いました。豪栄道戦同様に、廻しを取らずに出ていった失敗でした。そして、翌千秋楽、横綱対決で日馬富士の逆襲に遭って万事休す。逸ノ城戦の負けは交通事故としても、安美錦戦でのもたつき、それに終盤4日間での3敗。前廻しを取って出る得意のカタは影をひそめ、バタバタとした相撲が目立ち、斜陽の白鵬を感じました。「目が濁った」という絵師の指摘が気になります。



○初優勝の照ノ富士は、力では完全にNo.2になったと感じます。「三役2場所での大関昇進は時期尚早」との四角四面の論もありますが、3場所で33勝、準優勝の次に優勝、もっと強くなることは誰の目にも明らかなのですから、私は昇進に賛成です。191cm、178kgと身体に恵まれ、ふところが深く、膝が柔らかいのも強みです。劣勢を挽回する時に際立った怪力が、攻めにも出るようになりました。左上手を引いて右のカイナを返しての寄りは誰も残せないでしょう。



 超一流になるには、どの競技にも共通する身体能力の高さが必要ですが、クラッシュという格闘技でいきなり世界3位になったといいますから、本物でしょう。白鵬の父の勧めでモンゴルで相撲をはじめ、鳥取城北高校に入ったのも白鵬親子の骨折りとのこと。ここで、名門高をインタハイで初優勝に導き、すぐに間垣部屋に入門。ところが、親方(二代若乃花)が病身で稽古指導はなく、経済的にも苦しく食事も不十分だったとか。その部屋が閉鎖され、伊勢ケ濱部屋に移ってから急成長します。恰好の稽古相手に恵まれ、安美錦という優れた助言者を得たのです。「好きではないけど稽古はやるもの」と決めている本人は、春巡業でも一番の稽古量だったと尾車巡業部長が言います。幕内で3番目に若い23歳。天狗になる心配は、部屋にいる横綱親方と現役横綱が重しになるでしょう。



○その日馬富士の佐田の海への金星の提供は、取り直し後の横綱の負けで、まずは聞いたことがない話です。そして、玉鷲の突き落としに続いて、臥牙丸に簡単に押し出されて大喜びされてしまいました。2場所続けての金星3つの配給はいただけません。千秋楽に白鵬を降して辛うじて横綱の面目を保ったでしょうか。



○稀勢の里は場所前の二所ノ関一門の連合稽古で琴奨菊、逸ノ城を寄せつけない強さを見せたそうですが、4日目、栃ノ心に左を差して攻めたものの、足が出ずに突き落とされ、翌5日目には、妙義龍に思い通りの相撲をとられ、成す術もなく連敗しました。照ノ富士にも、日馬富士にも完敗を喫し、ミスター・ガッカリ as usual。白鵬を降して、久し振りに優勝戦線を面白くしたのだけが、せめてもの救いですか。



○琴奨菊、豪栄道も稀勢の里と同様に5日までに2敗。日本人大関の弱さを早々と見せつけられる展開は、毎度毎度、まことに身体によろしくありません。照ノ富士に完敗した琴奨菊を北の富士が「力関係は逆転した」と評しましたが、全く同感。大関22場所目にして5度目の角番です。一方の豪栄道は、白鵬を破った相撲で肩を亀裂骨折し、骨折休場は三度目。大関在位5場所で37勝37敗1休です。



○横綱と対戦する幕内上位の健闘が目立ちました。5場所連続して上位に座る宝富士と2場所目の佐田の海が、力をつけたことを実感させる相撲をとりました。また、連続4場所休場して幕下55枚目まで落ちた栃ノ心が西筆頭まで戻っての9勝。東筆頭に据え置いたのは酷な話で、小結を3人にすべきと思います。



○話変って、音羽山(貴ノ浪)。大病をしたことは聞いていましたが、まさかの訃報でした。技術面での鋭い指摘を人柄そのままにソフトに語る解説は魅力的でした。一門を越えて惜しむ声が上ったのは人望の証しです。昔、お相撲さんは短命の代表でしたが、今や様変わりで、別紙「年寄の退職」にある通り、平成に入って退職した年寄86人の中で、死亡退職は12人だけ。その中で、43歳と一番若いのが音羽山です。



○さて、日本相撲協会に所属する「相撲人」の数を部屋別にしたのが、別紙『部屋・一門別在籍人数』です。3月場所現在の数字ですが、この時期が一年間でもっとも人数が多く、年末に向けて減少していきます。総員921人のうち、力士が661人、力士以外が260人です。ちなみに、力士の人数が史上もっとも多かったのは、若貴人気の平成3年5月場所で、今より300人近く多い943人でした。



部屋数、関取数、力士数、年寄数、総人数のどれをとっても、出羽海一門が他の一門を大きく上回っており、二所ノ関一門、伊勢ケ濱一門が、それに続きます。独立して6年目の貴乃花一門が最小の規模です。

まずは力士以外。人数が一番多いのは年寄の98人(空席9)です。一年おきの理事選挙は、年寄の数によって一門間で争われますが、人数が多い部屋は、出羽海一門の春日野(栃乃和歌)の7人、出羽海(小城ノ花)と藤島(武双山)の5人、続いて二所ノ関一門の、佐渡ケ嶽(琴の若)と二所ノ関(若嶋津) の5人です。


行司、呼出し、床山の3つの専門職は全体で50人前後ずつです。行司あるいは呼出しが3人以上もいる部屋が7つありますが、その多くは、必要だからではなく、他の部屋を吸収合併したからです。一日も欠かせないのが床山で、鏡山を除くすべての部屋にいます。若者頭と世話人は協会と部屋の雑務をこなし、給与は協会から支給されます。これがいない部屋では、自費でマネジャーを抱えることが多いようです。


さて、力士のうち、一年間に最低でも1500万円が支給される十両以上の関取は70人。一方、年間に100万円未満しか支給されない幕下以下が約600人です。いわば、スターと大部屋俳優の関係です。ただし、衣食住が保証されている分だけ、大部屋俳優よりは恵まれているでしょう。



 横綱から入門したての新序までの力士全体の人数がもっとも多い部屋は、佐渡ケ嶽と木瀬(肥後ノ海)の36人、それに次ぐのが28人の玉ノ井(栃東)、伊勢ケ濱(旭富士)、八角(北勝海)、27人の春日野です。

20人以上の力士がいるのは、43部屋のうち9部屋にしかすぎません。(前回のお便りで『44ある相撲部屋』と書きましたが、43の誤りでした。訂正いたします)。

一方、力士が10人未満の部屋が8部屋もあります。開設まもない浅香山(魁皇)、武蔵川(武蔵丸)は致し方ないとして、鏡山(多賀竜)の所属力士が2人、井筒(逆鉾)が4人、片男波(玉春日)が6人、伊勢ノ海(北勝鬨)と鳴戸改め田子ノ浦(隆の鶴)が9人など、由緒ある部屋が、ここに名を連ねるのは寂しい限りです。



大相撲の世界でも、一般社会と同様に、学年の変り目にあたる、この3月場所での入門者が圧倒的に多いのですが、それが別紙の「新序」の欄です。今年3月場所での入門者は42人で、25の部屋に万遍なく分散しています。ただ、貴乃花一門の4つの部屋には一人も入っておらず、気になるところです。

  最後に、幕内力士が一番多い部屋は、伊勢ケ濱と境川(両国)の5人です。十両以上の関取の数となると、6人の木瀬が最多で、関取に一番近い幕下の数でも13人で断然トップです。学生相撲出身の力士が多い木瀬部屋のもう一つの特徴は、徳勝龍、常幸龍、徳真鵬、希善龍と、戒名のような四股名が多いことです。

四股名なのに、出身地など本人の特性を表さず、音(おん)を聞いても字がまったく想像できず、もっともらしい漢字を三つ並べただけの無粋です。こういう四股名は、「徳勝龍居士!」「常幸龍居士!」と呼び上げたらどうでしょうか。                  平成27年6月29日   真石 博之

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