羽黒蛇、大相撲について語るブログ

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大達羽左ェ門@OdateUzaemon、大相撲きょうの記事、大正

2016年09月15日 | 大達羽左ェ門@OdateUzaemon
大達、今日の記事、大正

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正元年8月18日
先帝陛下の大葬において、東京大角力協会では取締役、役員、幕内力士が路傍奉迎せんと宮内庁に出願した。 #sumo


@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正2年2月19日
京阪合併相撲は明日初日、一昨日上京の大阪力士一同は今日東京方と手打式。新橋着の大阪力士はまず国技館に寄ったが、さすがに相生の放駒は道中も顔を隠し、国技館にも来なかった。小屋掛時代の元東京力士は国技館に感慨深げ。大木戸等は対東京で怪気炎。 #sumo

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正2年2月24日
京阪合併相撲で本所区小泉町旅館に宿泊中の大阪力士百五十余名が、賭博最中と聞知した相生署永谷刑事、踏み込み花札数枚を押収したが大阪力士が本物の刑事か怪しいと疑念を起こして興奮不穏の気勢、刑事は怖気に震え手帳と帽子を置放し立ち去る。
翌日署長が巡査刑事十数名と稽古場に赴き力士四十余名を召喚、取調。各力士は賭博を否定、結局説諭を加え情状酌量に。本件につき永谷刑事は力士に胸倉を取られ押収の花札を取られたと語るが、旅館主人は刑事が番頭を殴ったと語り証言で食い違い。 #sumo

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正2年4月17日
友綱門下の若島が死去。久しく腎臓病で療養中だった。同人は前名足立山、小常陸梅の花と共に少年力士として有望視されていたが、病気のため中途挫折し現在は三段目であった。 #sumo

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正2年4月29日
新入幕の宇都宮が雷電襲名へ。谷風小野川と三つの内、谷風は駒ヶ嶽が襲名する噂があり小野川は久留米の出でなければ継げないので雷電を検討した所、震右衛門遺族からしこ名が協会預りであることが判明したため決定。但し夏場所番付には印刷が間に合わず。 #sumo

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正2年5月1日
国技館は相撲以外は演芸会や菊花陳列位にしか利用されていないが、根岸理事春日野部長らが考えた結果、十間の舞台を建設し演劇演芸興行で組立てる事に。歌舞伎座帝劇にも劣らぬ大舞台で、天下の名優を引き抜くかもしれぬと松竹田村は既に警戒している。 #sumo

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正2年8月15日
両国劇場前経営者青山幸一郎らと建築主たる東京大相撲協会との粉紜は、三宅碩夫氏調停により前経営者は敷地全てを明け渡し関係を絶つ事になり解決。根岸が新たな経営者となる。 #sumo


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大正3年1月26日
友綱が、従来本場所での純益は年寄のみで分配したが、今後は力士の給金は力士自身に給付しようと提案。賛成多数での可決が予想されるが、協会と力士の関わりが一層希薄になるとの懸念もあり、常陸山が取締となる前に力士の人望を得たい友綱の策との声も。 #sumo

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正3年4月13日
大関駒ヶ嶽が死去。巡業後に荷馬車でサイダーを飲んだ所次第に異常を呈し、石岡の武石醤油醸造所に担ぎ込まれ医師を呼び療養したが効なく午後11時頃絶命。死因は脳充血。昨日遺体は着京し、明日仮葬、場所後本葬の予定。 #sumo
@OdateUzaemon: 今更だけどきょうの記事の補足。駒ヶ嶽が最期飲んでいたのは、サイダーではなくどぶろく。どぶろく飲んだ後、荷台で仰向けに寝て直接腹が日光に晒されたから、腹の中で発酵したなんて言われてる。サイダーと記事で書いたのは、おそらくある種の気遣いでしょう。

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正3年5月5日
西方に太刀山梅ヶ谷の両横綱を持ち大関に鳳伊勢濱の二人があるのに、東方に一人の横綱も無いのでは均衡が取れぬとあって、西の海は今場所負越さぬ限り成績に関係なく一月場所には横綱になる事が協会のある側では決定しているとの事である。 #sumo

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大正3年5月7日
太刀山一行の夏場所後のハワイ渡航が決定。来る13日から先乗りとして熊ヶ谷が行司大蔵を伴いハワイに赴く。東京相撲の国外巡業は太刀山一行の上海を最初とし、二度目の今度も同一行となった。 #sumo

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正3年5月28日
協会幹部会議で優勝旗と番付に関して協議が行われた。国技館会館以来優勝旗を取った方が翌場所東となって来たが、梅ヶ谷太刀山方の二横綱に対し常陸山方は常陸の引退で横綱が不在になるから、梅方を暫く東に据え置こうとの議論である。 #sumo

@OdateUzaemon: 大正三年五月の幕下にいる濡髪長五郎、同じ幕下に四ッ車もいるのに随分思い切った四股名だと笑ってたら、この名が前後の場所に見つからない。誰かの一場所限り改名だろうが、これは探すの面倒そうだ。ちなみにこの場所逆鉾白岩の後年幕内二人に負けている。 #sumo

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正3年6月10日
太刀山梅ヶ谷が、対する方に横綱のない事から、優勝旗に関係なく自分達を東とするよう主張した問題で、秀の山不知火が西で横綱を張った例を知った梅は撤回したが、太刀は頑として譲らず。司家に横綱を預けるとまで主張したが、結局梅の説得で折れる。 #sumo

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大正3年6月11日
鳳が友綱を訪問し、自今太刀山とは共に巡業しないと宣言する。弟子を巡る争いのため。友綱は板垣伯に仲裁を依頼、伯は太刀山を呼んで諭し、問題の弟子瀧見山は鳳のものとする事として、態度を硬化させている鳳に取計ろうとしている。 #sumo

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大正3年6月13日
常陸山引退披露相撲が初日。国技館には人が押し寄せ本場所十日が一度に来たような騒ぎ、国技館になってからは珍しく幟や積樽も。見物客の半ばは新橋柳橋赤坂などの綺麗所が占めた。常陸山会幹事三宅氏の挨拶、常陸山の土俵入などが行われた。 #sumo

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大正3年6月16日
常陸山引退相撲では梅ヶ谷露払、太刀山太刀持の前代未聞の土俵入が人気を呼ぶ。雷のような拍手の中入場した三力士、常陸が土俵中央に進むとマグネシウムの光焔にその偉観は吸い込まれていった。最後の土俵入を終え、常陸「残り惜しくて仕方がない」 #sumo

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大正3年6月30日
きょう太刀山鳳一行六十人が海外巡業という稀有の旅に出発。太刀山鳳の他に黒瀬川金の花らは横浜を出帆しハワイへ向かう。 #sumo

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大正3年8月19日
太刀山鳳ら一行がホノルルから帰国。古風な庄之助までが洋服姿に花鎖を掛け、出迎いの人に握手、片言の英語でハイカラぶりを発揮している。友綱曰く、ハワイ巡業は興行上は成功だが、雨の多さや小舟の移動の船酔いの為皆体が弱ってしまったという。 #sumo


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大正4年1月26日
前日協会役員会議で鳳の横綱推挙を決定。雷曰く、従来議論は無かったが偶々役員会議で鳳の成績優秀が話題となり、突如可決したとの事。鳳も贔屓の招きで外出しようとするところで報せを聞き、夢のような気がしたとか。尤も吉田司家との手続きはこれから。 #sumo

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正4年2月2日
鳳横綱推挙に関し、司家の役員会では時期尚早との意見が多く、翌場所成績如何で決するべきと協会に通知を出すことに。一方の友綱は、鳳の強味は協会が議論する事、司家は協会の申請に対し許可を与えさえすれば良いのだと強硬姿勢。 #sumo

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正4年3月3日
横綱梅ヶ谷が引退を決意、25年の力士生活に幕。この頃は朝稽古の時も着物を脱ぐ時も寒さを感じる、髪を切るのは誠に惜しいと本人談。雷襲名となると、現雷の辞任が必要となるが彼は留任を期待されており、梅は一時玉椿の襲名すべき白玉を継ぐだろう。 #sumo

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正4年4月23日
梅ヶ谷鳳一行帰京の列車での一幕。愚直な緑島を終始撫る両国、緑の我が儘に従い背中を掻く。尾車は富士川で大水に遭い急死に一生を得た武勇伝を語る。緑が近年米国で酒を飲まず露国で禁酒令が出たと言えば、又おっさんの政治論が始まったと皆どっと笑う。 #sumo

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正4年4月26日
大隈伯が新横綱鳳を自邸に招き、黄金造り菊一文字の名刀を彼に贈って激励。大隈伯は諸代議士の居並ぶ大広間で、自身は野見宿禰の子孫、相撲道と自分は因縁浅からずと壮語する。 #sumo

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正4年5月27日
千年川が永年連れ添った妻女お千代さんを離別。彼女は千年が巡業中金を送らぬ間内職で留守を繋いだり、千年が無銭飲食したとの某紙の記事の訂正に奔走する等貞女で知られ、昨年はお千代さんを出すなら弟子も一緒に部屋を出ると同盟し離別を防いでいた。 #sumo

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正4年6月20日
梅ヶ谷の引退角力が国技館で催され盛況を極める。時事新報社から引退記念写真額面が除幕され、永久に同館内に伝えられる事に。師匠の雷「梅ヶ谷は少なくとも42歳まで土俵の人として働き得る事と思っていたが不幸宿痾の為引退に至ったのは誠に残念だ」 #sumo
@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正4年6月22日
梅ヶ谷引退相撲千秋楽、梅ヶ谷最後の土俵入は太刀山鳳が太刀持露払を務めたが、四本柱の検査役が二人しかいなかった。これは梅ヶ谷らを侮辱するものであると協会に厳談。協会役員が梅ヶ谷を訪問し謝罪したが、梅は年寄が責任を果たしていないと憤然の体。 #sumo


@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正5年5月26日
(前日)無敵太刀山、遂に栃木山に敗れる。栃木は万歳の声の渦巻く中、人波に押し返されて足も洗わず支度部屋の窓から部屋へと逃げていったが、そうとは知らぬ人々は尚も支度部屋に殺到し叫び狂う。この日の栃木はお客廻りで五千円の祝儀を得たとか。 #sumo

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正5年6月4日
玉椿引退相撲で国技館は未曾有の盛況。正午には既に二万の満員、四階には本所区各小学生4200名や市内中学、専門学校の総見もあった。弓取りは玉椿が最後の思い出にと自らこれを勤めた。 #sumo

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正5年7月5日
養老金紛失問題で入間川、振分、幕内柏戸、二段目山の川が東京地裁検事局に召喚された。新橋倶楽部以来の隠退に際する養老金が、前幹事入間川振分から現幹事柏戸らに引継がれた際金額が不足し、二年間そのままになっていた。なお山の川は入間川の書記役。 #sumo


@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正6年5月4日
白木家呉服店では今場所から優勝旗手に化粧廻を贈る事になり、これを機に5日から12日まで角力展覧会を催す。相撲錦絵や安永9年からの番附、先代雷や陣幕の化粧廻、谷風の麻裃、更に炊出しの鍋釜など相撲に関係したもの一切を集めた感がある。 #sumo


@OdateUzaemon: 大正七年武侠世界、元梅ヶ谷の大雷の回想で、「若島がどこかの大関力士に勝った時に喜ぶあまり妻に相撲の技をかけて骨を折ってしまった」なんて書いてるけど、これ勝った相手は勿論本人。そこを言わずになかなかの心意気なんて褒めてるのがまた面白い。苦笑しながら語ったんだろうな。 #sumo

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正7年4月11日
十日、春雨の中国技館再建の起工式が行われた。焼跡には祭壇と法壇が設けられ、回向院住職の読経や加茂靖国神社宮司らによる地鎮祭の後、最後に葛西工学博士が一鍬土を掘り目出度く終了、百五十名の来賓の饗応に移る。来年夏場所までの開館を目指す。 #sumo

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正7年5月6日
元玉椿白玉の新道場がいよいよ目白台に落成、その式を上げた。土俵祭、栃木山鳳による横綱土俵入、黒岩周六氏らの挨拶、九州山らによる稽古の後、園遊会での酒宴が行われた。道場は会員組織で、誰でも大いに歓迎するという。 #sumo


@OdateUzaemon: 大相撲きょうの紙面
大正8年1月27日
前日午後二時から両国小泉町自宅で太刀山の断髪式。ハサミを入れたのは順に板垣退助、西郷従志、そして師匠友綱の三人。 #sumo
@OdateUzaemon: @hashikawa_kei 断髪式の方は興行ではなく、あくまで神聖な儀式だったようですね。引退相撲興行よりだいぶ後に行っています。ちなみに常陸山の場合は、八代海軍大臣一人で断髪を行ったようです。

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正8年2月3日
建設以来経営困難の名古屋国技館を、協会が買収するとの説がある。友綱取締曰く、東京の国技館も無い今名古屋を買い取るどころではないが、名古屋の維持の為興行を打つのだ、しかし全国に相撲常設館を建設する計画は大正12、3年頃には実現したいとか。 #sumo

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正8年4月21日
再建築中の国技館の鉄骨が旋風のため倒壊、作業中の鍛冶工人夫に即死一名重傷十名を出す。友綱は東洋第一の大建築を大胆に建てるのだからこれ位覚悟していたが、前回の工事で三人の人夫を殺したから今回は一人の死者も出さない決心だったのに残念と語る。 #sumo
@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正8年4月22日
国技館鉄骨倒壊は葛西博士実地検分の結果、東北方向から鉄骨を引っ張っていたワイヤーロープを前夜に取り外していたためと分かり、竹林工作所の責任であると通告。工事遅延の過怠金は免除とし、装飾は後回しにした上で、来年一月からの開館を目指す。 #sumo

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正8年5月2日
五月場所の初日十日は東京市の三大祝典の一なる奠都祭と被る可能性があるから、延期が取り沙汰されたが、九段興行は天候に左右される事から、順延は避ける事とした。 #sumo

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正8年5月30日
元太刀山東関が検査役に落選し、角界引退を仄めかす。友綱はもしそれなら自身も角界を退く決意、「東関を出したい許りに熊ヶ谷と伊勢ヶ濱を引退させただけに遺憾に堪えない」と語る。昨夜友綱は協会に辞表を提出した。 #sumo
@OdateUzaemon: @OdateUzaemon 伊勢ヶ濱と熊ヶ谷(元敷島)は共に友綱一門。皮肉にも両者共に役員当選している。

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正8年6月2日
東関の検査役落選問題で岡警視総監が仲裁に乗り出す。東関は当面役員待遇として、来年五月場所後の選挙で検査役とするとのもので、出羽海友綱は同意。東関は会見で、既に弟子に告別式も行ったから関係者にも相談して明朝に回答すると発言。 #sumo
@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正8年6月4日
東関が廃業を決意。岡総監の調停もあったが、本人の決心が固く、板垣伯もこれに同意した。友綱の辞職は取消に。 #sumo

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大正8年8月11日
満鮮巡業を終えて目下横須賀に興行中の栃木山大錦一行は国技館の上棟式の為帰京した。今後静岡巡業の後、一行で富士登山を試みる計画中である。土俵に強い幕内連もこの登山には体が重い、股が擦れるであろう。 #sumo


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大正10年3月23日
高砂ら15名が出羽海友綱両取締や協会理事を背任横領で告訴した事件は、取調の結果横領の事実無く不起訴となった。その為15名は責任上協会を去るか幹部の寛容を求めるかしか無くなったが、最も強く反抗した高砂は太刀山との関係もあり廃業するとか。 #sumo


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大正11年4月5日
徳川家達公は英国皇太子殿下御来京の折、同邸に招待申上げる事になっているが、その節の御饗応として同公の好きな相撲をご覧に入れる事に。栃木山大錦の横綱土俵入や取組をお目にかける予定で、既に出羽海が公邸に伺い打合せをしている。 #sumo

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大正11年4月9日
紅葉川が立田山を訴える。紅葉川は大正7年立田山の株を七千円で買受ける約束をしたが、立田山は近来株の値段が暴騰したのでこれを他に売り利益を得ようと画策、株名義書き換えの約束を履行しなかったため。 #sumo

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大正11年4月16日
来日中の英エドワード殿下が徳川公爵と共に相撲を台覧。出羽海の紹介の後、幕内力士の土俵入や稽古相撲を御覧になる。途中、大錦の真似をしたり、激しい相撲には身を乗り出したりして、最後には力士の目方を質問するなど満足の様子であった。 #sumo

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大正11年4月28日
摂政宮の誕生日に霞ヶ関で台覧相撲が催される事になった。お好みにより関東関西国分けの勝負十七組が行われる予定である。 #sumo

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大正11年6月21日
出羽海の解剖が行われる。外体が大きいのに伴い内臓も大きく、心臓肝臓など常人の一倍半はある。一方脂肪分は常人に大差なく、各器官が全て健全な発達を遂げているのは驚きである。 #sumo


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大正12年2月14日
先日の紛擾の後、本場所も打ち上げ横浜の興行も終えたのに協会から力士会に何の挨拶もなく、鼻であしらう始末。前々日福柳芦田川鶴ヶ濱大戸岩は矢筈山宅で協議、力士会講演者宅に土俵を作り稽古すると決めたので、慌てた協会は警視庁に赴き陳情。 #sumo
@OdateUzaemon: @OdateUzaemon 注:大戸岩は大門岩の誤植と思われる。

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大正12年2月17日
場所後再燃の力士会と協会の対立で、力士会は東京駅ホテルで後援者と密議。警視庁も信用するに足らず、万一改革が成功せぬなら百姓になる外なしとの決心を見せる。なお、力士会欠席の約十名はおそらく脱会するという。 #sumo

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大正12年3月6日
火災後の、国技館再建に要した借金の内返済したのは僅か三四万、現に五十万円の借金が協会にはある。この程力士会が駄々をこねる間に巡業中止などで出来た借金は更に十三万、これで力士の給金養老金を増やすのは無理である。 #sumo

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大正12年3月23日
呉で興行中の宮城山一行は二十日夜遊廓で地元侠客連の招待で酒宴、上州山が泥酔の末娼妓にふざけた所同席の侠客香川が生意気と短刀で横腹を突いた。上州山は助かる見込無し。香川は逮捕され激昂の力士は大阪に打電、74名の侠客は呉に集まり殺気立つ。 #sumo

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大正12年5月28日
出羽海組が同組から検査役4名理事1名部長7名を即時選任するよう協会に要求。現在同組は横綱大関始め全力士の4割を擁するにも関わらず役員が不在であり、先場所好成績の常の花の横綱昇進が無視された事などに協会への不満が出ていた。 #sumo
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大正12年5月30日
一門から役員を出すよう出羽海が要求した問題で、協会側はこれを無視。出羽海はもしこの問題が解決されないならば、一月場所には出羽海組の力士は出場出来ぬと最後通牒を出す。 #sumo

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大正12年6月28日
出羽ヶ嶽の徴兵検査。6尺6寸5分の身長に皆が笑うが文ちゃんは当り前との顔。体重39貫500とは案外軽いと検査官が冷やかせば、「へー夏やせです」。徴兵を免除す第二国民兵に編入すと書かれた紙片を受取り未来の大横綱はスタコラと帰って行った。 #sumo


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大正13年4月13日
震災で逃げ出した東京相撲も国技館修繕が月末までに出来上がるので夏場所は東京で打ち、初日は16日。国技館修繕は東京駅設計者の笠井博士が担当、約三十万円で仕上げる。以前からの変更は、天井に空気抜きが出来、また窓の木材が鉄材となった点。 #sumo


@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正14年5月30日
先達の摂政殿下御誕生祝日台覧相撲を行った際御下賜金を得たので、協会ではこれを有意義にしたいと協議の結果宮内省の諒解を得て大カップを作り優勝力士に一場所間保持者たる名誉を担わせる事に内定、翌春場所から実行する。 #sumo

@OdateUzaemon: 大正初頭の新聞記事を見てて思ったのは、戎洋の注目度がもの凄く高いということ。同時期幕下へと駆け上がってきた栃木山大錦なんかよりずっと期待されてる。何時の時代も大兵力士はロマンを感じさせるもの、オマケに戎は稀代の怪力だからなあ #sumo


@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
大正15年7月11日
角力上りの大賊を逮捕。大風呂敷を背負った大男を刑事が発見、彼が風呂敷を投げつけ逃げ江戸川に飛び込んだので四刑事で川中で三十分格闘、漸く捕えた。元陸奥部屋力士小金錦之助前科五犯で、巡業旅費を盗み捕まったのを始め多くの窃盗を働いてきた。 #sumo
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