なめ猫

kyouiku&entame

反フェミ掲示板の暗部

2005年02月01日 | Weblog
 ちょうどブログを書き始めて2ヶ月になる。ネットをやるようになって6年以上になる。
最初はいろんな情報を収拾する便利な道具というくらいでしかなかったが、今ではすっかり生活の一部となってしまった。

とくに掲示板とのお付き合いは密接だ。運動をやっている関係で保守系というかそういうジャンルのところにお邪魔することが多い。とくに男女共同参画の是正運動になってから関連するいくつかの掲示板に参加してきた。

その一つが「フェミナチを監視する掲示板」である。フェミナチ板は『正論』でも紹介された掲示板でいろんな立場の方が各地の条例の動きやフェミニストの主張などについて盛んに議論されている。随分とこちらにはお世話になってきた。自分の知らなかった考え方に触れることができるなど有益なことも多いし、そこで知り合うことができた人もいる。

ところが、昨年夏ごろからいろいろなトラブルに巻き込まれるようになった。その一つが「統一教会の工作員」という誹謗だった。自らは正体も明かさずよくそんなこと書けたものだと思う。何者がやったかわからないがデタラメぶりもいいとこだ。

ご存知のように統一教会は韓国を発祥とし、文鮮明を頂点に世界各国に大勢の信者がいるカルト宗教だ。そして霊感商法や原理運動などで社会的に糾弾を受けてきている。

一方で、勝共連合を通じて反共主義を掲げてきたということもあって、保守系文化人や政治家のなかにもその影響力が浸透している。

これが非常に問題なのだが、身近な地元のいくつかの団体などにも彼らの影が見られる。

どうしてどう考えたって日本のことを考えているとは思えないカルト教団の工作員よわばりされるのか、怒りがこみ上げてきた。さすがにあのときはしばらく食事も喉を通らないほどだった。

公に報道されたことなので書くが、私の地元では昨年、男女共同参画の条例案に同性愛者をふくむ性的少数者の人権擁護を盛り込まれそうになって、私は仲間と市民運動でそれを潰したということがあった。このときの反対運動で彼らの系列の「世界日報」が取材にやってきて記事をかいている。

その前に私はある雑誌に投稿という形で参画について書いていた。これが同性愛差別だとする同性愛者団体などから相当な反発を買っていたのである。事実、現在もその投稿は性的少数者関係のサイトからリンクされており、こういうバックラッシュの動きがあるというネタにされている。

私自身は同性愛の嗜好はないが、同性愛に対して否定的でもない。日本ではキリスト教世界と違い同性愛に対して寛容な社会であった。とくに江戸時代などは男色は女性との関係よりも高貴なものとされてきた。男性が男性を、女性が女性を好きになることはあっても不思議なことではないように思う。ていうか性についてタブー視するのは儒教的な発想だ。古事記や源氏物語、万葉集などわが国の古典はエロスの世界で満ちている。インモラルな世界だ。もちろん、嗜みは必要だが、そういう欲求を否定するのは不自然なことだと思う。

そんなふうに考えているので、性的少数者を差別するなど考えもしなかった。たしかに条例の中にそれをどう盛るかについて審議会や行政の方針に反対した。

それは条例案をまとめたある審議委員は国連や廃案となった人権擁護法案の流れからそれを先取りする狙いで取り入れたと明言しており、スウェーデンで男女の関係も同性同士の関係も対等な扱いを受け、家族のあり方が相対的なものになった結果、いろいろな問題が噴出したことを考えるとその轍を踏むことにもなりかねない動きは認めるわけにはいかなかったのだ。(その後、アメリカでは一部で同性婚が認められるようになった)

だから宗教的信条から反対している統一教会の人たちとは同じ反対でもその考えに隔たりがあった。
さらに書くと純潔を強調してマトモな人間になるかという疑問もある。フェミニストが要求しているリプロ・ダクティブ・ヘルス・ライツ(性と生殖の自己決定権)などは絶対おかしいが…

掲示板ではそういう微妙な部分が置き去りにされがちだ。観念的に道徳を持ち出して、フェミニストを批判する傾向が強い。私の考えとこうしたイデオロギー的な考え方とは違っている。
それでいてみんな仲良しみたいに馴れ合う。管理人さんは皆さんWELCOMEという姿勢だが、果たしてそれでよいのか疑問だ。

だから、もうフェミナチ板と関わるのはやめた。
他にも理由があるのだが、それについてはいずれ書こうと思う。

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