高校生のみなさん、(^◇^)ノ お~ぃ~ゲンキか!
みなさん、今回は「ひきこもり」に関する最近の図書を紹介しておきます。
著書:ひきこもりの〈ゴール〉
-「就労」でもなく「対人関係」でもなくー
著者:石川良子
価格:定価1,600円+税
発行:2007年09月 ISBN978-4-7872-3276-2
出版:青弓社ライブラリー
この図書の紹介記事には次のように書かれています。
≪「働け」「仲間を作れ」。的はずれを含めた多くの批判にさらされ、「回復」へと駆り立てられるひきこもりの〈当事者〉たち。彼/彼女たちが抱く不安や焦燥を聞き取り調査から描き、必要なのは回復をめざさせるのではなく彼/彼女らを理解することと主張する。≫
目次
・はじめに
第1章 問題意識――フィールドでの経験から
第2章 「ひきこもり」の社会的文脈
第3章 自己防衛戦略としての「ひきこもり」
第4章 自己を語るための語彙の喪失としての「ひきこもり」
第5章 人生における危機/転機としての「ひきこもり」
第6章 問うという営みとしての「ひきこもり」
第7章 生きていくことを覚悟する
第8章 「ひきこもり」再考
・あとがき
副題に、ー「就労」でもなく「対人関係」でもなくーと記載されています。
即ち、従来のひきこもりの解消は、「就労」あるいは「対人関係」におかれていたということですね。
著者は、第2章「ひきこもり」の社会的文脈で、
1 一九八〇年代――「無気力化した若者」
2 一九九〇年代――不登校からの分化
3 二〇〇〇年代前半――「ひきこもり」の社会問題化
4 二〇〇四年以降――「ニート」の登場
5 「ひきこもり」からの〈回復〉イメージの変転
ひきこもりがマスコミを賑わしたのが1990年代。1980年代は「無気力化した若者」として考えられていたのが、1990年代に入り、不登校生徒を考えるなかで「ひきこもり」という用語が作られ、注目されるように・・・・。
この時期から「ひきこもり」に形を与え、見守るだけではなく積極的に介入し、治療をすべきとの現象が起こり、ひきこもり当人にも大きな変化が現れてきた。しかし、この時期の「ゴール」は、対人関係の回復におかれていたようです。
2000年に入り、「ひきこもり」と言われた人が起こした犯罪があって、「ひきこもり」についての報道が急増し、一方で、自助コミュニティが活性化するなどして、議論が深まっていったようです。
そして、2004年、「ニート」という言葉が登場し、「ひきこもり」はニートの一類型となり、報道の焦点からは退くものの、この時期のゴールは「就労」にこそあると考えられるようになる。
こうした流れの中で、ひきこもりからの「回復」の基準が、ひきこもった当人の「葛藤の緩和・解消」や「充実感の獲得」といった内面的なところから、「対人関係の獲得」や「就労の達成」といった外面的なところに変化していった。
著者は、この「社会参加路線」が限界があるので、いつまでたっても「ひきこもり」から抜け出せないような感さえあると・・・・・・。
著者は、グループにおける活動・ヒアリングを踏まえて、時代の中で落としてきた「内面」を見直すことに、限界を克服する手立てを見ようとしています。
即ち、ひきこもりを「状態」としてではなく「プロセス」と見直すという考え方は重要だと。
HageOyajiも、ひきこもっている当事者の心の内側の作業について「全面的に個々の当事者にまかされるべきもの」と明言されていることが、他者による支援は受けるにせよ基本的な主権?は守られているようで嬉しかったですね(p.229)。
「なぜ働くのか?」
「なぜコミュニケーションしなければいけないのか?」
このような実存的な疑問を持ってしまった当人に、「とりあえず外に出ろ」「とりあえず働け」という声をかけるのは間違っていることが分かります。
みなさんも「ひきこもり」「ニート」の問題を考える時、ぜひ読んで欲しい本ですね。
「自分を探し」をしているヒトにも是非読んで貰いたいと思います。
みなさん、今回は「ひきこもり」に関する最近の図書を紹介しておきます。
著書:ひきこもりの〈ゴール〉
-「就労」でもなく「対人関係」でもなくー
著者:石川良子
価格:定価1,600円+税
発行:2007年09月 ISBN978-4-7872-3276-2
出版:青弓社ライブラリー
この図書の紹介記事には次のように書かれています。
≪「働け」「仲間を作れ」。的はずれを含めた多くの批判にさらされ、「回復」へと駆り立てられるひきこもりの〈当事者〉たち。彼/彼女たちが抱く不安や焦燥を聞き取り調査から描き、必要なのは回復をめざさせるのではなく彼/彼女らを理解することと主張する。≫
目次
・はじめに
第1章 問題意識――フィールドでの経験から
第2章 「ひきこもり」の社会的文脈
第3章 自己防衛戦略としての「ひきこもり」
第4章 自己を語るための語彙の喪失としての「ひきこもり」
第5章 人生における危機/転機としての「ひきこもり」
第6章 問うという営みとしての「ひきこもり」
第7章 生きていくことを覚悟する
第8章 「ひきこもり」再考
・あとがき
副題に、ー「就労」でもなく「対人関係」でもなくーと記載されています。
即ち、従来のひきこもりの解消は、「就労」あるいは「対人関係」におかれていたということですね。
著者は、第2章「ひきこもり」の社会的文脈で、
1 一九八〇年代――「無気力化した若者」
2 一九九〇年代――不登校からの分化
3 二〇〇〇年代前半――「ひきこもり」の社会問題化
4 二〇〇四年以降――「ニート」の登場
5 「ひきこもり」からの〈回復〉イメージの変転
ひきこもりがマスコミを賑わしたのが1990年代。1980年代は「無気力化した若者」として考えられていたのが、1990年代に入り、不登校生徒を考えるなかで「ひきこもり」という用語が作られ、注目されるように・・・・。
この時期から「ひきこもり」に形を与え、見守るだけではなく積極的に介入し、治療をすべきとの現象が起こり、ひきこもり当人にも大きな変化が現れてきた。しかし、この時期の「ゴール」は、対人関係の回復におかれていたようです。
2000年に入り、「ひきこもり」と言われた人が起こした犯罪があって、「ひきこもり」についての報道が急増し、一方で、自助コミュニティが活性化するなどして、議論が深まっていったようです。
そして、2004年、「ニート」という言葉が登場し、「ひきこもり」はニートの一類型となり、報道の焦点からは退くものの、この時期のゴールは「就労」にこそあると考えられるようになる。
こうした流れの中で、ひきこもりからの「回復」の基準が、ひきこもった当人の「葛藤の緩和・解消」や「充実感の獲得」といった内面的なところから、「対人関係の獲得」や「就労の達成」といった外面的なところに変化していった。
著者は、この「社会参加路線」が限界があるので、いつまでたっても「ひきこもり」から抜け出せないような感さえあると・・・・・・。
著者は、グループにおける活動・ヒアリングを踏まえて、時代の中で落としてきた「内面」を見直すことに、限界を克服する手立てを見ようとしています。
即ち、ひきこもりを「状態」としてではなく「プロセス」と見直すという考え方は重要だと。
HageOyajiも、ひきこもっている当事者の心の内側の作業について「全面的に個々の当事者にまかされるべきもの」と明言されていることが、他者による支援は受けるにせよ基本的な主権?は守られているようで嬉しかったですね(p.229)。
「なぜ働くのか?」
「なぜコミュニケーションしなければいけないのか?」
このような実存的な疑問を持ってしまった当人に、「とりあえず外に出ろ」「とりあえず働け」という声をかけるのは間違っていることが分かります。
みなさんも「ひきこもり」「ニート」の問題を考える時、ぜひ読んで欲しい本ですね。
「自分を探し」をしているヒトにも是非読んで貰いたいと思います。