はげまるの横浜銭湯散策

横浜市の昭和レトロ銭湯完全紹介

市外銭湯     「亀の湯」  汐入  横須賀 

2016-08-04 | 金沢区
久しぶりの銭湯記事であります
この記事は「はげまるのぶら~り日記」
で書いたものをそのまま載せました





汐入のガード下にある平林コーヒー店で
のんびりとした時間を過ごし、
そこから近い距離にある
昭和銭湯に向かって歩いて行った

初めての銭湯に行く時は、毎回毎回
楽しくなってしまう
鼻歌なんぞも出てくる

あ〜 どこかに煙突はないかいな〜
あ〜 どこかに煙突はないかいな〜

なんてね、



わーー
あったあったぞ〜




ありましたありましたありましたよん

それにしてもここんとこ、
銭湯の散策をしてなかったせいか
昭和銭湯の見本みたいな外観に
わくわく感で胸が踊ってしまうではないか〜



「亀の湯」さん

暖簾(ノレン)といい
上あたりの小窓といい
満点の入り口である




ひゃ〜〜 たまらない昭和銭湯の入り口だ




入り口の天井あたりの小窓の造形も素晴らしい





はげまるが生まれる前からあった感じの
下駄箱、
そう言えば下駄を履いてる人なんか
ここんところ見た事ねぇなぁ〜

はげまるが子供の時代は下駄を履いている
人達が沢山いた記憶がある
はげまるだって、夏は下駄が定番だったし、
夏祭りなんかはもちろん浴衣に下駄、
冬場になると、福助の足袋に下駄だった記憶がある

もう下駄箱と言う言葉も
死語となってしまったみたいだ


それでは中に入ってみる事にするか〜

ガラガラガラ(ドアを開ける音)

入ると左手に低めの番台があり、
はげまる世代と思われる女店主さんが
優しい顔で
いらっしゃい〜

中をちらりと見てみると
脱衣所にひとり
湯殿の洗い場にひとりの計ふたりの
先客がいた、

番台で入浴料と石鹸代の500円を払い、
タオルを貸してもらって、
「あのー 中の写真を撮りたいのですが
いいでしょうか?」
と聞いてみたら
「ど〜ぞ ど〜ぞ、人は撮らないでね〜」

わ〜い、よかったよかった




テナ事で、風呂場に入る前に少し写真を撮る
人が少し写り込んでいるが、
まぁ~  このくらいだったら許容範囲かなぁ
(勝手に決めてるな)



たまらないくらいの昭和銭湯の解放感が
ぶぁ〜〜っと広がってくる



天井あたりの形や太い一本の木が素晴らしい

後で聞いた話であるが
ここ亀の湯さんは戦前も戦前
大戦前の大正時代に作られたそうで
天井あたりは昔からそのままである事を
聞いて、びっくらした

店主さんが
「だからねぇ、この天井の写真を撮りにくる人が
何人も来るのよ〜」

さらに、関東大震災でも壊れなかったのを
聞いて、さらにびっくらした

天井さん
「横須賀のこの辺りは地盤が強いのよ〜
だから昔からのトンネルだって沢山あるでしょう〜」
なんて楽しい話を沢山聞いた




はげまるは少し写真を撮り
さて、そろそろ一風呂浴びるかいな〜、
なんて服を脱ぎ始めた







風呂は少しピリピリとくる熱さではあるが
これがまたいい
先ほどまでの汗が体の中から
すーっと抜けていくみたいだ




このあたりの写真は、風呂場から出て
カメラを持ち込んで撮ったモノ
もちろん、ふるちんだ

全裸でカメラを持って逮捕されないのは
銭湯だけだな〜
あははは




高い天井の窓から淡い光が入り込んでくる、
これこそ昭和銭湯の醍醐味である




お見事な富士山が描かれている銭湯絵
またまた
たまりまへんへんあたまへん




この亀の湯さんの脱衣場には
ロッカーなんて代物(しろもの)は無い
あるのはザルのみである




はい、はげまるのザル写真



銭湯によくある扇風機が首を振りながら
が〜が〜が〜
と音を立てて回っている

あーー 生ぬるい夏特有の少し涼しい風が
心地よい




トイレ横にある灰皿




服を着て湯殿の方を見てみたら
はげまるが入って来た時と同じおじさんが
まだ体を洗っていた

きっと昼間の光の中でのんびりと体を洗って
いるんだろうなぁ



はげまるが見た中で一番低い番台である
きっと大正時代あたりの銭湯の番台は
こんなふうに低かったのかもしれない

女主人さんに、
「今日はすごく気持ちよかったですよ
ありがとう
また近々来ます」

とお礼を行って外に出た



帰り際に、また下駄箱を撮った

さて、そろそろ横須賀のアホ音楽仲間と
飲む前に、外人さん御用達の立ち飲み屋
ヒデヨシでいっぺい(一杯)飲むとするか。


続く。








市外銭湯    「大黒湯」     汐入  横須賀

2012-09-12 | 横浜市外銭湯



前回の汐入散策の続編であります

ど~んとありましたよ 完璧な昭和の銭湯「大黒湯」さんが





こんな渋い銭湯を見つけると もぅ散策みよりに尽きるではないかいね





ドアの窓にはカーテンが架かっているが
ノレンがかかっているから営業しているみたいである

中に入ると 女主人さんがいて
「いらっしゃ~い」
と声をかけたくれた
はげまるはおもむろにカメラを持ったまま
「あの~~  しゃ・しゃ・・ 写真撮らせてもらいませんか」

女主人 一瞬後ろに下がりながらたじろいだ

そりゃ~そうである 一番目の客がカメラ片手の変人
はげじぃなのであるから
女主人

「いゃ~ 困りますよ~  こんな汚い銭湯を撮られたら~」

はげまる 全然動じず

「いゃ~  あのですね 近頃このような昭和の銭湯がどんどん消えていくのですよ」
「私は横浜の古い昭和の銭湯を全部廻って写真を撮っているんですよ」
「このような昔ながらの銭湯は記録に残さないとダメですよ」

なにしろ横浜の銭湯散策でかなり危ない目に遭遇しているので
このあたりの押しはかなり強いのである

女主人

「あ~  そうですか・・・」

はげまるは入浴料450円を払い 石鹸を買おうとしたら
女主人「これ使っていいですよと」 石鹸箱を渡してくれた
優しいではないか  いいぞいいぞ






撮影の許可がおりたので デカイ顔してまずは一枚 パチリ





ズボンを履いたまま湯場に足を踏み入れ パチリ

 




さらに足を踏み入れ パチリ





え~~ぃ おまけだ 天窓付近を パチリ





もひとつおまけだ  はいチーズ
 
撮りたい放題である


「大黒湯」さんの脱衣場には小さいロッカーはあるが
基本は昔ながらのザルである
はげまるは着ているモノを脱ぎザルに入れ

さてと一番風呂に入るとするか







体を石鹸で頭から洗い流し
(このあたり ハゲは楽であるなぁ)
一番風呂にでも入るとするか~
えいえいお~~

この一番風呂がかなり熱い  水をどんどん浴槽に入れるがそれでもかなり熱い

10分位して  そろそろこわごわとなんとか浴槽に入る
「うぅぅぅ~  熱い 」
体の毛穴一本一本に熱さが染み込んでくる
ぐっと我慢であるがこれがいい 気持ちのよい熱さ気持ちの良い痛さ
お願い~もっと痛くしてぇ~ん


そんな我慢の浴槽の中から撮った写真である
(カメラは普通のコンデジであります)

 




我慢の写真 その2




我慢の写真 その3





わぁ~~ お湯をかき回すヘラのデカイのがあるぞ






天窓方面を見て 雲の露出に合わせて撮る





風呂から上がった頃には お客さんが二人ほど中に入っていた






入り口の男湯と女湯の真ん中にある番台が
静かに外からの光を浴びている

懐かしい子供の頃の記憶がふ~っと甦ってくる






「大黒湯」の 優しい女主人さんに石鹸箱を返して
撮影のお礼と石鹸のお礼を言って外に出た

さてと 横須賀の外人バーで 500円のジョニ赤でも飲むことにするか。


市外銭湯   「日の出湯」    安浦   横須賀

2012-09-03 | 横浜市外銭湯
横浜の昭和銭湯を撮り終えてから3年半ぶりの更新です

はげまるの 「ぶら~り日記」の散策を続けていて入った銭湯を
これからもたまに更新しますので
ヨロシクお願いします^^

尚 
今回の銭湯散策の前後を読みたい人は 「ぶら~り日記」のほうを
見たくださいね








さてさてみなさん  
安浦遊郭跡散策も佳境に入ってきた

その前に偶然見つけた昭和銭湯「日の出湯」さんにでも入って
汗と油でも流す事にする





3~4年前までは日曜日ごとに横浜の昭和銭湯を散策していたので
初めて入る銭湯には毎度わくわくするなぁ

どんな番台なのか  どんな店主が番台に座っているのか
どんな銭湯絵が書いてあるのか
湯加減はどうか まさか鉱泉を沸かしていたりしたらうれしいなぁ
(横浜には鉱泉銭湯が3軒あります)






番台は無く 最近の銭湯によくみられる入り口で
50代の半ばぐらいの女店主さんから(想像です)
 450円の入浴料 せっけん30円を買った
当然ながら その女店主さんに得意のインタビュー

話を聞いたら 「日の出湯」さん
戦前どころか昭和初期あたりから続いていて
この女店主さんが三代目だそうである 
安浦遊郭の事を聞いてみたら 昔からの遊郭の建物は全部
壊されたり普通の民家に改装されているみたいである

「わたしが子供の頃は まだこのあたり夜にでもなれば
ネオンネオン 人人人・・・」で凄かったそうである


う~~ん  隠れて細々と・・・
やっぱり無いのかなぁ

☆☆☆さんに連絡でもして
「お~~ぃ  話が違うぞ~~  もう隠れて細々と・・
は無いみたいだよ~  え~んえ~ん(泣いている)」
と言いたかった


後になって☆☆☆さんから連絡があったので
それを少し紹介する事にする


<営業しているのは6~7軒。無くなるのは時間の問題か。1発5000円。(1999年)>

う~~ん 3発だったら割引で安くなるのかなぁ (あほ)

  
こんな記事もあった
<新聞記事によると、2010年から2011年にかけて壊滅作戦が展開されたようで
最後と思われる、ちょんの間の経営者は2011年12月に摘発されていました>


がくっ  そうなのである少し前に安浦遊郭は完全に消えたのです
男はあきらめが肝心である
潔く 銭湯の湯にで浸かりながら
「あ~~ 隠れて 細々~  あ~~ 隠れて 細々~」なんて
節でも付けて唄う事にするか 







「日の出湯」さん

脱衣場は昔ながらの昭和銭湯だ  いいな~
客はふたりいた
銭湯絵ではなく タイルはめ込み絵であったのが少し残念である

絵がハゲかかった(ぎくっ)富士山の銭湯絵だったら満点だったのになぁ







今は廃業して駐車場化している 鎌倉の「滝の湯」さんの はげ富士
(詳しく見たい人は横浜銭湯散策でどうぞ)

この写真は そこそこ浴場に人が居るのに 
全裸でカメラのみ持って普通のコンデジで撮った
(みなさん褒めてください)





さて本題の「日の出湯」さん

はげまるが写り込んでいる
着ていたTシャツは汗でびっしょりである







ロッカーは無い  脱衣場のザルに着ている衣服を脱ぎ入れ
のんびりと湯殿に向かった

体の汗と油をせっけんで洗い流し そっと湯に入った
少し熱めの湯である
湯の中でゆっくり肩のあたりをさすりながら
「あ~~~~~」
と声にならない声がかすかに出る
真夏の渾身徘徊散策疲れが 少しずつ和らいでくる

 
  自然と鼻歌がでてくるなぁ









風呂からあがって 寝そべって下から撮る

(ほんと 落ち着きないね)






昭和銭湯の香り満点である






もちろんクーラーなんて無いので 扇風機の
が~~が~~が~ぁ という音を聞きながら風を前身で受けとめていると
旅の気分がどんどんと増してくるのがわかる







遊郭風窓 

これも芸が細かいではないか  うれしくなる





脱衣場の椅子に腰掛けて 少し湯上りの体を落ち着かせる

さてと 残りの安浦遊郭跡散策に行くとするか




はげまるのホームページのお知らせ

2009-06-18 | Weblog
はげまるの ホームページが出来ました

http://homepage3.nifty.com/hagemaru/
ここに造りましたので 宜しくお願いいたします

カメラふら~り日記が中心です  まだ記事はありませんが
急ぎ報告しました


 はげまるの写真アルバムができました

http://webryalbum.biglobe.ne.jp/myalbum/302215800d13cf8e84731bf1642ffab118c63f430/59670117207732921/

お知らせ

2009-06-12 | カメラ

カメラ  ぶら~り日記  12 横浜の記憶

2009-06-09 | カメラ
横浜の銭湯散策が終了してからは 市外銭湯とか カメラ関係とか
いろいろやっていますが
 
う~ん   そろそろ「はげまるの横浜銭湯散策」の名前を変えないとな~
と考え 「ホームページでも作るか」 と相成りました
今 構想を ハゲ頭で練っておる次第です


銭湯あり 立ち飲みあり 古いビルあり  バーあり  おね~さんあり(わらい)
もう 横浜なんでもありの楽しいの作る予定でおりますので
よろぴくぴくお願いします

今回は 20年ぐらい前の横浜の 銀塩ポジ写真をみせますね 









ニューグランドホテル
関東大震災後 グランドホテルから ニユーグランドホテルに名前が変わったそうだ

この頃はまだ 床屋(バーバーと英語の看板と 例のぐるぐる赤い線が回るネオンもあった)
さんが 表に面していた頃である








同じく ニユーグランドホテル

記憶では深夜2時ごろ 家から三脚とカメラを持ち出し撮影した
今思えば  う~ん 偉いな~  若いな~ 根性あるな~
と 人ごとに思える

今だったら 家でコタツはいって 「う~  寒! こんな日は深夜 外にカメラ持って行くやつは
 アホだな~」 となっている 







横浜開港150周年を迎えて  マリンタワーも新しく模様替えした
 確か20年ぐらい前に タワーの総塗り替えしたのだが
この写真は その総塗り替え前の写真だ

白と赤の模様であった
夏の入道雲がいい  横浜の港は夏が なんか似合う
 マリンタワーと入道雲なのだ  それでいいのだ







現在では ミナト未来地区(MM地区)であり ホテルやら美術館やら遊園地やら
目障りなアベックやら (ひねている)ごちゃごちゃしている

写真が小さいので よく分らないと思うが
出来たての インターコンチネンタル ホテル  と観覧車がみえる
(観覧車は この写真位置から大移動したのですよ もちろん一度解体>再構築である)








朝の 本牧埠頭







開通前の 横浜ベイブリッジ

平成元年  酔っ払い撮影である
何故かと言うと  酔っ払い状態で朝4時半ごろ 帰宅したら
真っ黒な夜の雲が  じわじわふつふつと赤みを帯びてきたのだ

「ヤバいな~  今日は飲み過ぎたかな~  空が赤く見えるな~」なんてね

  はげまるは  素早く よれよれ状態で車に カメラ三脚を積んで
イザ 飲酒運転出陣だ~  (もう時効だな こりゃ~)

この写真は 横浜市が開通を記念しておこなった 横浜ベイブリッジフォトコンテストで
 最優秀作品10点の中に入り(4000点ぐらい応募があった)
賞金やら 表彰状やらを  その当時の市長から手渡された思いがある

カメラ  ぶら~り日記  11 伝説のジャズ喫茶「ちぐさ」 野毛

2009-06-03 | カメラ
横浜は 野毛にあった老舗のジャズ喫茶 「ちぐさ」

マスターというか 主人というか とにかく横浜の戦前戦後からのジャズを
ささえ続けた 凄い人なのである
なにしろ神奈川新聞に毎週「横浜のジャズの話」をえんえんと連載していて
本にもなった歴史的に見ても すごい記録本であり  はげまるもマスターのサイン入りを持っている
店まで行って サインしてもらった思い出がある



吉田 衛 さん  もう何年も前に他界している
はげまるがマダ そんなにハゲていない時代から よく通ったものだ
そう35年ぐらい前からである

今では店も無くなり ビルになって跡形もなにもないのが残念である







看板に 1933年とある
もちろん戦後焼け野原から また一から再建したのであるが
今見ても 渋いな~ と感じる





左側に 「ちぐさ」の看板が見える







元気な頃の 吉田さんが 後ろ姿でレコードを探している
たぶん20年以上前の写真である

そう はげまるがリクエストしたのである (無断撮影)
席に着くと マスターが無表情と言うか ぶっきらぼうに水を持って来て
「なに? コヒー? リクエストは?」とまとめて聞くのである
リクエストを聞くと 少しうなずいて さっさと立ち去る
この間5秒ぐらいであるが  そんな短い一瞬にも なんかいい伝わり方が伝わってくる
スタン ゲッツ が好きみたいで よくレコードジャケットが飾ってあった
はげまるも好きなので リクエストすると ぶっきらぼうな口が少しほほ笑む
あとは いっさい口は聞かない







壁のレコードジャケット

スタン ゲッツ    ビル エバンス  はげまるも大好きである
日野テルマサ  さんのレコードも見える
なにしろ 日本で伝説のジャズ音楽家 秋吉敏子 とか日野さんとか
 戦後まだレコードが無い時代に毎日集まったそうだ

はげまるの素晴らしい記憶の一ページであったな~  ほんと

<カメラ情報>
すべてポジ コダクロームがメインであった頃である
キャノンNewF1 28ミリ   50ミリ



カメラ  ぶら~り日記  Ⅹ  大船「映画館」

2009-06-02 | カメラ
二階へ上がっていく 「映画館」の入口である
さて 中に入るか







夏の夕方の日は長い  客は はげまるひとり
マスターがぼんやり外を見ている  もったりしたジャズが流れる空間は
時間が止まっている感もある












壁の絵である  ジャズの名盤のレコードジャケットを 描いたモノである
ウエス・モンゴメリー   セロニアス・モンク   上の足の絵は
ソニー・クラークの名盤だ







つげ義春の「ねじ式」のマンガも書いてある
マスター 「暇だからね~ 絵ばかり壁に描いているよ」
とさりげなく言う

なんと素晴らしく 贅沢な空間なのだろう といつも思うはげまるである

今は日曜休みなので あまり行っていないのが とても残念だな~

<カメラ情報>
一枚目  SD14
二枚目三枚目  リコーGX100
四枚目  フジ200GXR

カメラ  ぶら~り日記  Ⅸ 大船散策

2009-05-31 | カメラ
前々回に散策した鎌倉の廃館銭湯「滝の湯」さんの最後に
はげまるの お気に入り空間 「映画館」の事を少し書いた

その「映画館」はもう鎌倉には存在しないのが残念ではあるが
大船に移転した その「映画館」の事も少し書きたい

大船
鎌倉から横須賀線で横浜方面に戻ること 駅二つ目である
鎌倉>北鎌倉>大船 となるのだ

鎌倉は 小京都と呼ばれるだけあり もう観光客が わんさかわんさか
特に鶴岡八幡がある メイン通りは特に 若いカップルが多い
当然 気取った店も多々あり はげまるみたいな ジジィは 当然 
およびでない  
こりゃまた 失礼しました~  と 植木等になるのである

へ~んだ  どうせ俺なんか だだのハゲじじぃだ  なめんなよこの~っ
となる

北鎌倉は 北鎌倉で 清楚高潔 地のお金持ち 文豪などが わんさかわんさか
当然 はげまるは 横須賀線の電車の窓から 横目で眺めながら見るだけだ
下車しない
眺めながら 「なめんなよ~  この~」 と通り過ぎるのである









大船
うんうん そう  庶民的 大衆的 生活感 躍動感 ど~にでもなれ感
とにかく 夕方の線路の裏通りなんか 安い総菜屋さんやら 食い物屋さんやらが
これでもか これでもか と軒を連ねる  人もわんさかである
当然 昭和感あふれる店構えも多々ある









ここ「観音食堂」は駅の階段を下りてすぐの所にある
この 食堂 と言う響きがいい  割烹とか 地中海レストランとか カフェなんかが似合わない
それが大船であえる
大船に降りると はげまるの 「なめるなよ~ この~」感は見事に雲散霧消
るんるんと歩くのである  







 観音食堂
 若いカップル 気取った鎌倉人には お呼びでない人だらけである
刺身定食 煮魚定食 焼き魚定食 フライ定食 他 単品モノが多々あり
お呼びでない人達が 慰め相ながら わんさかいるのである
 






ナスの一本漬け  とこぶし  かわはぎ (かわハゲではない) 
肝付きである  
甘くて 海の香りぷんぷんくんくん のこの肝
もう たまりまへんな
当然 日本酒だ ここで ジンライムなんて無いのである(あたりまえか)
日本酒常温  手酌   おまけにハゲ いいですね 自画自賛







大船 「映画館」はビルの二階にある
この看板を見ながら 階段を楽しみながら登って行く 又マスターの
「いや~ いらっしやい」との笑顔が浮かんでくる

カメラ  ぶら~り日記 Ⅷ 千葉の記憶

2009-05-28 | カメラ
はげまるがこの店に初めて行ったのは たぶん15年前ぐらいである

京急「日の出町」から大岡川を渡ってすぐの路地にあった
カゥンターだけの小さい店  そう10人入ると満員であり
1000円で一杯 好きな飲み物 お通し3点が出てくる
お通しが無くなると どんどん追加で出てくる これでもかと出てくる

おにぎり 魚 スープ 他どんどんでてくるが  すべて1000円内である
2杯飲むと 1500円  
はげまるは スコッチの水割りが定番であるが  凄く濃い水割りであり
ダブル以上である  そうウィスキー2/3 水1/3の割合であるから
もう一杯でかなり酔える

今はもう存在しない  店の名前は 「道」









この写真は 15年ぐらい前のモノ
何故かモノクロで撮りたくなって撮った
マスターの笑顔  そして 松坂慶子のメルシャンワインのポスター
う~ん いい女だ
なんのカメラで撮ったかは記憶に残っていない






二軒隣の中華屋さんのマスターが写っている
店の時計は深夜3時過ぎだ  ここは朝までやっていたのだ











「道」は元旦以外は無休であったが  マスターが夏の2週間ぐらいは休んで
実家の千葉に帰る 誰も住んでいない家に 年に一度帰る

田舎を持たないはげまるは ここの田舎空間がおおいに気に入って 毎年お邪魔したものだ
行くと3~4泊はした
 無料で 飲み放題 食べ放題であり
暇で金の無い変人(はげまるも)が こぞって行った
もう凄い時で 中年独身男8~9人が 合宿状態
酔っ払い状態で 昼寝すると 夏の柔らかい風が顔をなぜながら過ぎ去る

楽しかったな~
ポジフィルムで撮る







ぽったん便所
これは コンタックスG1にビオゴン21ミリで撮る ネガフィルム
ビオゴンは高価なレンズで 10万ぐらいであった
ビオゴンで ぽったん便所を撮るなんて おかしいかな なんて思うが
まあ大きなお世話であるのだ
病気なのだ











夏の夕方 風呂から出て カメラを持って外に出る
これから夜の大宴会 男だけの大宴会が始まるのだ  と思うと
なんか わくわくしながらシャッターを切った思い出がある(フジ ベルビァ)
おね~さんが一切なしのわくわく感は 子供の頃の修学旅行 林間学校気分であり
 気楽で格別である

今でも タケノコの時期  夏の時期  柿と柚子の時期
年3回は行っている

ここから先の写真は2年前位のモノ
デジ一眼SD14である






千葉の家






裏の風景






田舎って  いいですね