ゆううつ気まぐれふさぎ猫

物書き志望の葉月の悪戦苦闘の日々

それは観察から始まる

2012-05-29 11:23:23 | 執筆
調べごと。

十三参りと石窯パンについて。
完成まで日々の記録をつけようと決意。挫けないためにも。

推敲完了の原稿を紙に印刷してみたら、あら不思議。
文章表現削ったはずなのに、一枚増えていました。
たぶん、今までぶつ切りで自分のイメージ優先の場面展開をしていたのを長回し表現に変えたためだと思う。読み手が登場人物といっしょに物語世界を思う存分駆け回れるように。
ぱらぱらめくっていくつか冗長表現を見つけたが、今はやりすごして新しい物語の世界に出かけます。

ゆうべ眠りに落ちる寸前に、冒頭の文章が浮かんだ。

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肝心なのは、とりあえず設定することだ

2012-05-27 20:36:19 | 執筆
予定よりも一日遅れで第一章の書き直し完了。
強烈な眼精疲労からくる体調不良のため丸一日使い物にならなかったのがその要因かと。
私の頭は少々でかい。というか、耳の上で角になりかけの骨でも埋まっているのかと思うような歪な形をしている。
だから、美麗な恰好の頭蓋骨に憧れる。もし理系に生まれていたら夢は鑑識、骨専門の。
「おお、これこそ完璧な頭蓋骨。舐めたいくらい」
記憶をたどって最初の体調不良は保育園の年長さんの時。
クリスマス会の出し物で天使の役をやることになった。
その頃からぼんやり者の私は、みんなが帰った後も天使役の子三人だけ残されて踊りの練習なんかしてもたいして不満に感じず、うまくやれるかどうか心配することもなく(むしろ母親の方が舞い上がっていた記憶がある)日々に流されていた。
それなのに、突然保育園の窓から吐き戻した。
「先生、気分が悪い」とひとこと断りを入れるという段階も踏まず、口から果てしなく流れ出る吐瀉物に私はただ呆然と目を当てていた。
幼いながらもなんらかのストレス、プレッシャーを感じていたのだろうな、と想像する。我慢してたんだな、六歳の私。
で、この話はどこにつながるのかというと、結局その日は早引けして、私は天使の輪っかの採寸もせずに本番を迎えたのだ。
もう皆さまにはその場面が目に浮かびますね。
舞台の上で私の輪っかだけが外れ落ちたのです。そう、まるで堕天使。
その時から、まったく自覚していないのにストレス(らしきもの)が一定量を越えるとその状況に出くわす。
先週の火曜日がまさにそれでした。

それでもいつかは書き上がる。

途中、自分の文章が気持ち悪い、という感覚を初めて味わいました。
視点とは、距離である。
その距離感が歪んでいる。焦点がうまく結べない。自分はどうしてこんなまずい文章を書いていたのか、恥ずかしい。

それに気付く機会を与えてくれた編集氏に改めて感謝した次第。
というか、本当にこんな私を見捨てもせずに待っていてくれたことをありがたく思う。
それに見合うだけの力があるかどうか。まあ、やっていくしかないわけです。ここまで来れば。
ビギナーズラックは使い果たしたけれど、編集氏と出会えたこと、僥倖としてのちに語れるような場所に行ってみたいものです。

で、タイトルの言葉の続き。
「ただ、何千枚になるかわからないとかいった超大作構想は慎んだほうがいい。超大作構想などというものは、たいてい妄想の産物だ。妄想はフィクションのなかに限定しよう。妄想と構想をごっちゃに混同するのでは何かの達成は難しい」

然り。

明日は一日休んで、その翌日から短編(予定では八十枚くらい)に取り掛かります。
締め切りは十日後。


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キャラは一人では立たない

2012-05-22 11:40:46 | 執筆
パスワードを打ち込む手が思わず止まりそうになりました。

書いています。
たぶん今週中にはなんとか形になるでしょう。
編集氏との約束の第一章の書き直しを終えたら、短編に取り掛かります。
これは要するに「仮免試験」。受かるといいのですが。

自分で勝手に決めた締め切りは、十日間。その期間で書き上げることを目標にして。
いつかやって来る修羅場を想定。気分だけでも人気作家です。

それではまた。



書き上げても、地獄の推敲が待っている。


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書きながら考える

2012-05-09 11:00:42 | 執筆
縛りが多くて不自由な方がいいものに仕上がるんですよ、と編集氏は言った。
いくつか書き上げているうちに、そのことは直感的に察していた。
「視点」の縛りがきつい。ばっさり場面を切り捨てる。それがお気に入りだったりするから断腸の思いとはまさにこれ。
という嘆きも甘いもの舐めれば薄れてしまう不思議。
とにかく書くしかない。
そしてタイトルの言葉のつづき。

「書きながら考えるとは、必ずしも作者のあなたが考えるのではない。(中略)この「考える」とは、正確にいえば、その作品が内から自ら考えるということだ。作品から湧いてくるものが次の一行を決め、つづく場面を生み出していく。(中略)
 書くうちに作品世界が次第に作者をしばってくることがある。作品を書くとは、その作品世界に流れる主要な色調を探りだし、言葉に変換していくことだ。その工程は、ある部分では、作者の手を離れているところがある。作者は作品世界にとって、たかだか媒介者にすぎないこともしばしばだ。作品が生き物だとすれば、それは勝手に生きているのかもしれない。
 ペットのように愛玩して、弄くりまわすのは考えもの」
(野崎六助著「ミステリを書く!10のステップ」より)

物語を信じていれば、必ず次の場面が浮かぶという確信めいたもの。
今は、たんなる思い込みにすぎないかもしれないそれを支えに書き上げるしかない。
そして実際、書きあぐねていてもその夜寝床の中でふっと浮かんだりするんだな、これが。しめしめ。いけるぞこれで。明日も書けるという喜びをじんわり噛みしめる。



十月までは生き延びられる。
だからそれまでなんとか食い繋いでいかなければならない。

こんな感じの近況報告。



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ある視点を選ぶとは、他の視点を断念することだ

2012-05-04 11:05:52 | 執筆
昨日から書き直しに着手しました。
編集部訪問から帰って取り組んでいた打ち壊し作業、今回は徹底的に分析してみました(と、本人は自覚しているが、まだまだという編集氏の含み笑いの声が聞こえる。幻聴であってほしい)。
場面ごとに番号を振って視点に沿って並べ替えまでしてしまったわけで。

これを読んでみて下さい、と直接渡された「ミステリを書く!10のステップ」(野崎六助著)が私の目から鱗を落とす落とす。小高い山になるほどに。

タイトルは本著から戴いた。
まさにそれを理解していなかったんだ、自分は、と浅はかさと情けなさに身悶えした。
そしてこう続く。

「作者はすべてを知っている。すべてを知っているから、知っていることをそのまま語っても不都合はないと思ってしまいがちだ」

申し訳ありませんでした、と思わず土下座してしまいそうでした。
書きやすい場面ばかり書いていても実力はつかないのだと身に滲みて思う。
だから、どんなに手間取っても、まずくても、気に入らなくても、最初の場面から書き始めようと思う。自戒を込めて。

同時並行に進めている短編執筆にもこの本を大いに参考にさせてもらっている。
というよりも、この書き方じゃないと仕上げられないな、とも予感している。

まずはタイトルを決めよう。
そして人物の名前。
彼らが動きやすいように構成を作る。
そして、最初の場面に手をつける。

そんな感じで書いてみようと思っている。

「視点とは距離の測定だ」

このことばを肝に銘じて、いざ進まん。
五月中には書き直し作業をなんとか終えたいものです。


注)紹介した本は、ある程度創作に手を染めた方にお勧めです。いちおう小説(らしきもの)を書き上げたが、いまひとつだな、という納まりの悪さを感じていたら、その原因を探るのに最適だと思います。
御一読を。
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