孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

異文化は時には理解しがたい。

2015年03月22日 | 日記
フィリピンには、勤務で9年弱駐在したが、フィリピン料理はとうとう好きにはなれなかった。日本から来た方を民族料理を看板に掲げたレストランに何度かお連れしたことがあるが、そこは小さな舞台があって、民族舞踊などを楽しめる所として便利なところだったので行っただけであって、おいしい料理を堪能するためではなかった。

テーブルに着く前に店内にある手洗い場で手をよく洗うのは、出された料理を地元の人と同じように、手で食べるからであった。もちろん、希望すればフォークでも箸でも持って来て貰えるから、手で食べることは強制ではない。

私も初めてそのレストランに行ったときは、出された料理を手で食べたが、途中からはスプーンとフォークを頼んだ。特にパサパサのタイ米を右手の三本指でつまんで、口に入れるとき、指の間や口元からポロポロ落ちて、ほんの数粒しか口に残らないというのでは、とても食べた気になれなかったからだ。

勤め先で毎年あった従業員によるクリスマスパーティーでも、必ずフィリピン料理が並んでいたが、見ても食べたいと思わせるような料理はなく、食材が何かも分からなかったので、敬遠した方だった。ただパンシット・カントンとかいう焼きそばは食べた。しかしこれは名前で分かるように、支那料理だろう。

あるとき幹部の一人が「日本人は犬の肉を食べますか?」と聞いてきたことがあった。日本でもかつては赤犬を食べる習慣があった、と聞いたことがあったので、「私は食べないが・・・」と前置きした上で、そのように返事をすると、今度一度食べてみないかと誘われた。あまり、気乗りはしなかったが、社交辞令として、機会があれば誘ってくれ、と言った。

そんなことがあってからすぐだった。「次の週末にジャンの家でちょっとした飲み会があるから、来ませんか?ジャンが犬を料理するんです。」と誘われた。ジャンとは、機械の保全を担当している体幹部の一人で、John と書くのでジョンかと思いきや、彼らの発音はなぜかジャンだった。彼らの飲み会は食べて飲んで喋って、飲んで・・・酔いつぶれるまで続く。

犬の料理はどうでもよかったが、言われた時間にジャンの家に行ってみると、みんな集まっていたが肝心のジャンの姿がない。尋ねると、彼は奥の台所で料理を作っているという。「犬か?」と言うと、ニコニコして「もちろん!」との返事だった。

庭というか、テラスのような場所があったので、そこに出てタバコを一服吸っていたら、地面に点々とシミがあるのが気になった。これはもしかして・・・と思って聞いたら、思い通り血痕だった。料理する犬の血痕だった。急に食欲がなくなって、家に帰りたくなったが、もう後戻りはできないと腹をくくった。

暫く待つと、料理が出来上がり、粗末なテーブルに並べられたが、何種類もあって、一体どれが犬の肉料理なのかは判別できなかった。パーティーは始まり各自紙の皿を手に、料理とご飯を盛り始めた。彼らはいつも飲む前にしっかりと腹ごしらえすることは分かっていたので、私も続いた。

親切に、これが犬の料理ですよと教えてくれる者がいた。ミンチした肉を何かの野菜と煮込んだような黒っぽい料理で、言われなければおいしく食べられたかもしれなかった。

私は物心ついた頃から家にはいつも犬と猫がいて、犬の餌やりと散歩は子供の私が担当していた。大の犬好きだっった。その犬を食べることなど・・・。しかし、大柄のジャンがニコニコしながら私を見ていたので、勇気を出してスプーン一杯だけ皿の隅の方に載せた。立食形式で和気藹々というより、みんな黙々と腹ごしらえしている感じだった。

私は、犬の肉料理をスプーンの先端に少しだけ載せて食べてみた。ご飯と混ぜて食べたせいか、味など分からなかった。二度ほど噛んで飲み込んだので食べたとは言えないかもしれないが、それ以上は無理だった。日本の実家にいる愛犬シロの顔が脳裏に浮かんでくるのだった。

やはり、私にとっては犬は家族の一員であって、殺して食べる食材の対象ではなかった。

先日、韓国人によるテロの被害に遭った在韓アメリカ大使の入院先に犬の肉を持参してお見舞いに行った韓国人がいた、というニュース記事を読んで、忘れかけていた犬の肉料理にまつわる私の思い出が蘇ったのだった。

それにしても、愛犬家だという件のアメリカ大使は、犬の肉をもらって、どう感じたのだろう?異文化を理解するということはつらいものだ。


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