明日は敬老の日なので、勤め先は社員に有給休暇を消化することを奨励している。奨励だから、従わなくてもいいのだが、みんな一緒に休みたいので、「みんな有休を取るようだから、一緒に取りませんか?』などというメールを何度も送ってきた。
というわけで、3連休なのだが、台風の影響で天気が芳しくないのが残念である。
敬老の日というと、まだ比較的新しい祝日で、制定されたのは1966年だそうだ。老人とは何歳からか、などと聞く人がいるが、今の社会通念では65歳以上といっていいのではないだろうか。
しかし、老人という言葉から抱くイメージは、腰が曲がっていて、顔は皺だらけで、入れ歯をカチカチさせながら話す年寄りの姿が浮かぶ。
どこの街でも多分、この日には市長や県知事が、長老の家庭に出向き、花や賞状や記念品を
恭しく手渡すシーンをニュースで流すが、昔からあれが私には理解できなかった。
どっちが老人?
学生時代に酒の席でよく歌った軍歌の中に、菊の御紋のついたたばこを吸って、明日は死ぬぞ・・・という歌詞の歌があった。確か、『空の勇士』というタイトルだった。
♪恩賜の煙草を いただきて
あすは死ぬぞと 決めた夜は
広野の風も 腥(なまぐさ)く
ぐっと睨んだ 敵空に
星が瞬(またた)く 二つ三つ (以下略)
恩賜のたばことは、つまり天皇陛下が臣下の者に与えるたばこのことで、他にも、恩賜の銀時計とか金時計、軍刀などがあり、そういうのを戴くということは、大変名誉なことだったようだ。
まさか、この真似をしたがるのではなかろうが、市長や知事ごときが、老人宅にまで出向いて、記念品を手渡し、写真を撮らせて、広報に掲載したりするのは、胡散臭くて見飽きた。というか、見たくもない。
これを考えると、」私も120歳位まで長生きして、市長か県知事がお祝いに来たいと言ってきた時、「そんなもん、いらん!」と、一蹴するのも気分爽快だろう。
しかし、私はあるとき、それまで医者の言い成りになって飲み続けていた、血圧降下剤や血流を良くするらしい薬など、一切の服用を止めて、もう何ヶ月も近くの町医者への通院や、見ると蕁麻疹が出そうになる薬剤師などと会話することも無くなった。
もしかすると、明日倒れてポックリ死ぬかもしれないし、命は助かっても病院に収容されて死を待つことになるかもしれない。
祖父は案外困らせずに他界したが、父の晩年は例えそれを本人が希望したにせよ、施設や病院を行ったり来たり、次第にやせ細っていき、息を引き取った時も腕にいくつかのチューブが刺さったままだった。
延命治療の実態
私は、手元に万一私が倒れて延命治療をすべきかどうかの判断を要する時は、絶対しそれを拒否するよう、家族宛に署名入り文書で残してあり、口頭でも伝えてある。
もし、家族に裏切られたら、病院で実力行使に出る覚悟もある。
長寿は悪いことだとは思わないが、自然の成り行きを医者が勝手に変える行為には、絶対に賛同しかねる。
「いつか死ぬまで生きりゃいい。」
それまでは、やりたい事をやり、食べたいものを食べ、飲みたいものを飲んで暮らそうと、心に決めた。
というわけで、3連休なのだが、台風の影響で天気が芳しくないのが残念である。
敬老の日というと、まだ比較的新しい祝日で、制定されたのは1966年だそうだ。老人とは何歳からか、などと聞く人がいるが、今の社会通念では65歳以上といっていいのではないだろうか。
しかし、老人という言葉から抱くイメージは、腰が曲がっていて、顔は皺だらけで、入れ歯をカチカチさせながら話す年寄りの姿が浮かぶ。
どこの街でも多分、この日には市長や県知事が、長老の家庭に出向き、花や賞状や記念品を
恭しく手渡すシーンをニュースで流すが、昔からあれが私には理解できなかった。
どっちが老人?
学生時代に酒の席でよく歌った軍歌の中に、菊の御紋のついたたばこを吸って、明日は死ぬぞ・・・という歌詞の歌があった。確か、『空の勇士』というタイトルだった。
♪恩賜の煙草を いただきて
あすは死ぬぞと 決めた夜は
広野の風も 腥(なまぐさ)く
ぐっと睨んだ 敵空に
星が瞬(またた)く 二つ三つ (以下略)
恩賜のたばことは、つまり天皇陛下が臣下の者に与えるたばこのことで、他にも、恩賜の銀時計とか金時計、軍刀などがあり、そういうのを戴くということは、大変名誉なことだったようだ。
まさか、この真似をしたがるのではなかろうが、市長や知事ごときが、老人宅にまで出向いて、記念品を手渡し、写真を撮らせて、広報に掲載したりするのは、胡散臭くて見飽きた。というか、見たくもない。
これを考えると、」私も120歳位まで長生きして、市長か県知事がお祝いに来たいと言ってきた時、「そんなもん、いらん!」と、一蹴するのも気分爽快だろう。
しかし、私はあるとき、それまで医者の言い成りになって飲み続けていた、血圧降下剤や血流を良くするらしい薬など、一切の服用を止めて、もう何ヶ月も近くの町医者への通院や、見ると蕁麻疹が出そうになる薬剤師などと会話することも無くなった。
もしかすると、明日倒れてポックリ死ぬかもしれないし、命は助かっても病院に収容されて死を待つことになるかもしれない。
祖父は案外困らせずに他界したが、父の晩年は例えそれを本人が希望したにせよ、施設や病院を行ったり来たり、次第にやせ細っていき、息を引き取った時も腕にいくつかのチューブが刺さったままだった。
延命治療の実態
私は、手元に万一私が倒れて延命治療をすべきかどうかの判断を要する時は、絶対しそれを拒否するよう、家族宛に署名入り文書で残してあり、口頭でも伝えてある。
もし、家族に裏切られたら、病院で実力行使に出る覚悟もある。
長寿は悪いことだとは思わないが、自然の成り行きを医者が勝手に変える行為には、絶対に賛同しかねる。
「いつか死ぬまで生きりゃいい。」
それまでは、やりたい事をやり、食べたいものを食べ、飲みたいものを飲んで暮らそうと、心に決めた。