日曜日のその後。
どーーうしても歌が歌いたくなって、でもカラオケやスタジオの狭い部屋に行く気分ではなく
だけどどーーしても、どーーしても歌いたくて
ふと電車からの景色を見て思い立った、そこから近い河原に向かいました。
不安な気持ちの時に安心できるものや、どうしても欲しいものが手に入りそうで手に入れたくてたまらない時に
異様にドキドキする感じ、わかります?
私はいつも、大好きなミュージシャンのライブに行く時や、実際にお会いできた時にいつも感じる異様な緊張と興奮なんですが。
自分のライブの時は、そこまで気持ちを浮かせてしまうとまず駄目なので、冷静な興奮といった感じなんだけど。
ともかくそんな風に、いてもたってもいられない気持ちで向かいました。
こんなに一心に、泣きそうなくらいどうしても、と思うことが、私には他にいくつあるだろう、と思いながら。
で、河原の斜面にさりげなく腰を下ろして
(実際にはその斜面に座るのは容易ではないので、それを知っている人からするとそこにいるのは全然さりげなくないんだけど)
家で歌うよりももっと自由に、2時間ずっと歌い続けていました。
本当は弾く弾かないに関わらず、傍にギターでもあるともっと全然カメレオン的になれたんだけど
でもやっぱり、思ったより全然大丈夫なもんだな、って思ったよ。
こういう変人エピソードを書くにはやはり若干の勇気を必要とするため3日悩んだんだけど(笑)、
今回はそこがポイントなのではなくて
少し離れた場所に、おとうさんとキャッチボールをしている、小学校低学年の超元気な男の子がいてね。
その親子がもう本当におもしろくて素敵で、もう本当に本当に、歌いながら見てるだけで凄く幸せな気持ちになって。
例えば二人でなぜか本気野球をしてるんだけど、めっちゃいいボールを打ち返したかと思ったら
次のボールでは男の子の手からバットがすぽっと抜けて、あり得ないくらい凄い距離バットが飛んでいったり(笑)。
打ったらちゃんと架空ベースに沿って走るんだけど、途中必ずランナーにボールをぶつけるタイミングがお互い来るんだけど
全力で当てにかかって、外したらまたそのボールを全力で取りに行ったり。
少年は楽しすぎるのか途中意味もなく、いきなり側転したり(笑)。
それを何度も何度も、思い付いた瞬間に。
全力で走って全力で遊んで、興奮がマックスに達したら側転して飛び跳ねてそれを全身で表現して。
なんかもうそれ見てたら本当にこっちまで楽しすぎて、自由で、うれしくて、幸せで
河原にいる人は私をどう見てるだろうとか、後ろの土手を走ったり歩くランナーにどう思われるかとか、
そんなこと本当にどうでもよくなるくらいで。
すっごい楽しく歌っていました。
まぁ所詮トランペットや楽器と違って、そんな迷惑になるような音圧は出ないですからね。
そんなに広い場所で一人で、気になるのは純粋に人からどう思われるかだけ。
でも、どうだっていいよねぇ〜そんなこと本当に(笑)。
じゃああの子があの側転を、この側転は人からどう思われるか、なんて思ってやっているはずもなくて。
自意識過剰にどんどん自ら窮屈になる必要ないじゃん、と、自分をかばうもの脱ぎ捨てたら
楽しくて幸せで、もうどうしようもなかったよ。
ああこれでまたイタい奴、ヤバイ奴だと思われてしまうのでしょうか。
くっだらねー(笑)。
私ね、自分自身はわりかし繊細で心配性な方なので、人よりそこそこできることに関しても
やっぱりその都度純粋に心配になるんです。
私にできるんだろうか、とか、できなかったらどうしよう、とか。
でもだいたい大抵のことは満点に近かったり及第点には余裕をもってできたりして、その都度結果に安心するというか。
それと同じで、こういう自分も
『あなたもこうなれば変わるわよ』
って周りの人達が口を揃えて言うように、本当に私も変わっちゃうのかな、いつかはなくなるのかな、
私もこういう状況になれば、皆が仕方ないっていうこの行動をしてしまうのかな、って
言われる度にいつも真面目に考えたりしていて。
で、それを私をよく知る友人達に言うと
「いやいやあなたはそんな風にはならないでしょ(笑)。」
とか
「いやいやあなたはその状況が不当で嫌だと思えば、自分の意思でそこからきっぱり遠ざかりますよ(笑)。」
と、驚くくらい一様に、皆不思議なほどの潔さで、鼻で笑い飛ばすんだけど。
で、実際そういう状況になってしばらくした時にそのことを思い出して、
でも自分がやっぱり変わらず自分のままであることを確認して
「なんだぁ〜(笑)。」
って安心することの繰返しで。
意外と私は私を覚えて私らしい行動をしている、というわけではなくて
やっぱり私の自然な発想や行為が私というものの本質なのかな(笑) って、
少しほっとしながら思ったりしています。
それをいちいち疑って心配しているのも、また私らしいなぁと(笑)。
「これしちゃったらこうなるものだよ。」
って簡単に言ってしまえる人の気持ちはわからないけど、それを自分の意志で、納得してやってるんだったら
そんな言い方になるのかな、ってたまに思うことがあります。
うーーん。
「好きになったらしてあげたくなっちゃうものだよ。」
は、アリだな。 そうではなく。 うーーん。。
なるべくわかりやすい例えで言うと
「彼氏できたら、もう男友達とは友達でいられなくなるものだよ。」
とか。
「大人になったら、河原で歌なんて歌えなくなるものだよ。」
とか(笑)。
「テレビに出るくらいにまで知名度が上がったミュージシャンと、まともに話なんてしてもらえないよ。」
とか?
それって本当にそうなのかな?
だって自分でそうじゃない方を選ぶことだってできるじゃない。
もしくは、そんなのただの、そう言って都合よく諦めたり納得したいだけの勝手な思い込みかもしれない。
実際に最後の例なんて、私は全然そうじゃなかったし。
路上のガードレールに座って2時間お喋りできても、楽しくて夢中で、いつまでだって話せる気がした。
そのくらい、ちゃんと、話の通じる優しくて温かい、同じ人間だった。
誰かの言うように、私がもしそうなったとしたら
それは私が自分でそれを選ばなかったってだけの話じゃないのかな、って私はいつも思っていて。
もしくはそれを実現する為の努力を、単に怠っただけだったり。
で、私はそれを選ばなかったけど、同じ状況のまた別の人は、そうじゃない道を選ぶかもしれないし、
選んだとしても何の不思議もない。
たったそれだけのことをどうしてこんなに一様に、まるで決定事項のような物言いで
「だから仕方ないのよ」
なんて簡単に言ってしまえるんだろう。
そんな人達を、世界を、いつも不思議な気持ちで眺めています。
本当にわからなくて。
嫌ならそこから動けばいいのにな。
自分の決めたこととして納得してそこに居続けるのなら、そんな言い方じゃなく、誇りを持って言えばいい。
もっと愉しそうにしたらいい。
世の中が正しいことばかりではなかったり、人としてあるべき姿や理想ばかりでいられないのは十分わかるし
別に正しさだけが全てじゃないし、無理にそうある意味も必要も私はないと思っているけれど
だけどこういうものは、考えもせずに諦めた時点で、もう手に入れる可能性すら持てないものなんだな、って
大人になった今、よく実感しています。
こういうの、今考えないでいつ考えるんだろう。
今動かないで、いつ動くの?
私は私が守るもの、行うこと、世間の常識や慣習のせいにするんじゃなくて、私らしさだと言いたい。
それが他人のそれと同じでも、違っても、私がそれを選んだのなら、それだけが真実だし、それだけでいい。
そんなに痛くもないことを、いちいち痛がるなんて馬鹿みたい。
自分をもっと知りたいし、好きなものをもっと、もっと愛したいです。
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