ドラマ 「リーガル・ハイ」が大っ好きです。
おもしろすぎるー。 どうしよー。 演技してる人達も楽しそうー。 いいなーいいなー。
生まれて初めてのドラマDVD購入を今から真剣に悩んでおりますが、
これって絶対初回に見る時が1番おもしろいんだよね。
できる限り心と身体に吸い込む為に、真っさらな気持ちで毎週テレビに向かうことを、
心底味わって楽しませて頂いております。
大好きなミュージシャンのライブと同じよね。
こんな気持ちは毎回1回きりだー。 どうしよー 幸せすぎるー いつかは終わる事も寂しいー。
じゅわっと味わってこの感覚を大切にします。
さて、
「一人の休日」の記事にコメントを頂いた、まちさんにお返事をしていたら
なかなかノッてきて本文級の長さになってしまったので、いっそのことお返事を本文にするなんていう斬新な日ってどう?
いいじゃんいいじゃーん、やっちゃえーい。
ということで、好きな方への若干フランクなお喋りが止まらなくなった感満載の私が垣間見えちゃってますがすみません。
(↑ 古美門先生ばりの早口で)
きっかけはまちさん宛だけど、結局読んで下さってる皆さんへのお手紙みたいになっちゃいました。
長いでーす。 あ、覚悟済みか。
てことでお返事の巻。 ゴー。
そうそう! そうなんですよー。
一見ダサイようなことも、そのやり方や、やる人によっては
逆にそれが味になってめちゃくちゃかっこいいことだってありますよね?
私ね、世間一般で安易に言われる 『ダサイ』 や 『イタい』 の評価って、
その事自体ではなくて、それをやる人自体に大いに依存してると思うんですよ。
だって例えば、世間一般でいう女子ウケしない感じの、
いかにもヲタクで社交的じゃない人(あくまでイメージ的な例えです)が、
休日は家で引きこもってゲームしかしないなんていうのは
きっとその子からしたら『イタい奴』だったりするのかもしれないけど
じゃあ嵐の二宮くんはどうなの? っていうと、たぶんそれは違うんですよね。
だって嵐だもん(笑)。 何やっててもかっこいいっしょ(笑)、みたいな。
こういう発想の矛盾も、意識はされてないけど結構一般的じゃないですか。
今の時代ならあり得ない、ネルシャツをケミカルウォッシュジーンズにインするファッションも
きっと突然それでパリコレを歩かれれば『カッコイイ』になるわけだし。
で、このブログ見てるだけで私のキャラや姿形を知らない人なら
『一人花見なんてイタすぎ。 つーかこいつ全体的に何語っちゃってんの。 イタすぎ(笑)。』
って思う人だって当然いると思うんですけど、そんなのは思う人は思うし、思わない人は思わない、
たったそれだけの話だと思うんですよねー。
私も自分の文章見て、よく自分イタいなーって思うこともありますけど
でも万人から見てイタくない人になりたいなんて私は思わないし、それこそただの 『無』 ですよね。
自分話す為にブログやってんのに、無を望むなら作る意味すらないわけだし。
そこ勝手に恥じて、コソコソ当たり障りのない無を演じるくらいなら、
そんなもの出さない方がましだと私は思っていて。
こないだ紹介した、私が今大好きで読んでる「
バター!!!」って漫画のセリフで、凄く好きなセリフがまだ他にもあって。
『 もっとさー 「おれはスゲー」「おれはカッコイー」って開き直れよ 自分に酔うの 見苦しんだよ 照れたりさ
自分のことスキでもキライでもない半端なやつの踊りってー (シーン続く)』
ていうとこ読んだりすると、
「そう! そう! そう!!」
って本当に興奮したり。 そうなんすよ! って。
「つまんない! そんなやつの踊りなんて1番つまんない!」
って声を大にして言いたくなる。
こういうのね、こういう感覚的な、概念みたいな発想を言葉にして
それをまた登場人物のセリフとして、人間性としてサラッと出してこれちゃう辺りがもうたまんない! って思うんですけど。
感動しきりです。
調整でも何でもなく、単にビビって加減された表現なんて、おもしろくもくそもないわけですよね。
「表現」と「矢面」はイコールなんだから、それ恐がってこそこそするくらいなら、
それこそ自分の心の中だけに止めておけばいいだけの話で。
でも出しちゃった以上は、責任もって開き直るしかないわけですよ。
どんなものでも見せちゃった以上はお目汚しだと私は思っているので。
それ恥ずかしがる、大丈夫って安心させてほしい、って、どんだけ甘えてんだよ、って私だったら自分に言いたくなるし。
それって人付き合いでも同じですよね。
出す言葉も態度も、出した以上は責任が発生するって私は思ってるので。
それが相手にとって気にならないものかどうかは、自分が出す時から既に当てにすべきものではないと思っているし。
その責任を取る気がないからなのかはわからないけど、自分隠して同調し合ってるふりする関係もありだとは思うけど
それって何が楽しいんだろうって私は思ってしまう方です。
できる限り、そういう関係は最低限にしていたいんですよね。
その時間がもったいないし、それに付き合わせてる相手にも敬意も何もないように感じてしまうから。
でもこういうのも、じゃあ人間として思いやりのかけらもなく協調性の無い、反社会的な対応しか取れない人を擁護するのか
と、極端に取られてしまうこともあるのかもしれないけど
でも私からしたら恐がって何もしていないのに、そういうちょっと出力レベルの強い人を指差して
「あいつらはないわー。」
って笑い合ってる自分達は、口だけわかったふりでイタいなー
とかは思ったりはしないんだ、って不思議になるというか。
自分は違う、絶対にイタくないってどうして言い切ることができるんだろう、って思っちゃうんですよね。
「ううん、あなたは大丈夫。 私も大丈夫だよね?! そうだよね?! よかったぁーー。」
みたいな協定を組んでる人の中だけでの独特な価値基準だなって思ってしまうというか。
それってその輪から遠く離れた人達から見ると、十分イタく見えるんだから、じゃあもうイタいイタい言い合う意味ないよ
って思わないのかなー、不思議だなー、って私は思って見ています(笑)。
その子は普通にいい子だし、悪気があって言ってるわけじゃないから
あんまりいたずらにつついちゃいけないなと思って、私の思考を押し付けたりしないようにそっとしてましたけど。
でもおもしろいトピックもらったな、って、対その子を内包する概念の一つ としてはいろいろ考えましたねー。
面白かったな。
でね、
「ああこの普段は私に従順でおとなしいこの子に、つーかハコザキまじイタいわ、って思われてたら萌えるー! きゃーーっっ、アガルーーー!!」
って一人で想像萌えして興奮してました(笑)。
で、本人にそれは伝えたら、ちょっとついてけないって顔して引かれてました(笑)。 あははっ
これって何だろう、あんまり理解してもらえないんだけど私だけのマニアポイントなのかな?
この残念さも意外と好きなんだと思いますが(笑)。
話はちょっと長くなり過ぎてますが、いい機会なのであと少し。
最近ね、 『一緒』 って何だろうってよく思うんですよ。
『性別が一緒』 とか 『この時期に○○したから一緒』 とかで、
『これだけ一緒なんだから話が合うはず』 とか言われることが多いことが、ちょっと意味がわからなくて。
特に性別って、本当にその75%くらいを、考えるまでもなく無条件にクリアしてると思われてる
ということに唖然とするというか。
例えば、考え方や発想や言葉の使い方や好きな物が 「一緒」 な男子よりも
「女子」 ってだけで、絶対こっちの方が話が合う 「はず」 って思い込んでたり、言い切っちゃう人が理解できなくて
日常でよく頭を抱えることがあったりします。
これって何でしょう。 文化なのかな?
絶対的にそうじゃないと言ってるわけじゃなくて、もちろんそういう場合もあるとは思うんですけど
あまりに盲目的に、それを信じて疑わないことが常識、みたいな空気がよくわからなくてー。
思想も、形も、生い立ちも、状況も、全てが完全に一致する人間なんてこの世のどこにも存在しなくて
人が人を構成する上では、想像を遥かに絶する数の特徴や、色調や空気感や、個々を形どる要因があるのに
そのたった目に見えるいくつかの要因が 「一緒」 なだけで
「私と似てる」
とか
「君たちはここが一緒だからきっと気が合うよ」
って容易く信じられている人を見る度に、いいとか悪いとかじゃなく、ただその発想に理解ができなくて、
その度に少しの孤独をそこで私は感じているんですよね。
共通の言語がまたわからない瞬間、というか。
それが別に寂しいとかいうわけでもないんですけど、ただ、事実として。
それって 『一緒』 が安心する世界の人は盲目に信じられている、安心を得る魔法の言葉みたいなもので
私は 『一緒』 が特に安心には繋がらないから、その信じ方がわからないのかな、って最近は思っているんですけど。
そして、孤独を恐がっている人は、きっと 『一緒』 に安心を感じやすいのかな、とも。
そういう人ほど、なぜか反して
「でも自分はちょっと変わってる。 みんなと一緒、『普通』になんてされたくない。」
って言いたがってる気がするんですけど、どうなんですかねー。
じゃあ 『一緒』 から自分で離れたらいいのに(笑)、って、イヤイヤ期のお子さんを見てるような気持ちです。
ちょっとかわいい。
つまりは結局、孤独を恐がっている人は、『変わってる』人にはなり得ないってことですよね。
真の意味で『変わってる』人って、孤独を味わってしまうものだから。
それって将棋を本気でやる気もないのに、棋士のタイトルだけ欲しがるみたいなものですよね。
で、本気でタイトル目指して将棋をやっている人は
タイトル取って凄いと思われようが、将棋を知らない人から凄いかどうかわかんないって思われようが
そんなのおそらくどうだっていいっていうことです。
なぜ今将棋が突然出たかと言いますと、そうですね、「3月のライオン」の新刊が出て読んだばかりだからですね(笑)。
音楽やってる人だって、絵描いてる人だってそう。
自分の表現物にずっと満足しきりで続けてる人なんていない。
むしろやればやるほど足りなくて愕然とするから、次を求めてしまう。
それが外から見て凄いと言われようが言われまいが、そんなのは副産物でしかないんだよね。
見つめてるものは自分しかなくて、その中で出会えるものは、真っ暗な闇でしかないんだもの。
その孤独を一度でも味わったら、人から見て変わってるかどうかなんて、どうでもいいことに思える気がするけどな。
ちょっと長くなり過ぎましたが、とりあえず思ったことを書いてみましたー。
てかもう後半からまちさん宛の返事ではなく、いつもの私の文章に(笑)。
でもこういうのをめんどくさがらずに書かないと、
ブログってすぐ置き去りになっちゃうんだなって気付いたよ(笑)。
おかげで携帯の中は書きかけのゴミでいっぱいです。
Sちゃんズ、待っててくれてありがとー!
ていうかこのセリフ何様ー?(笑) 恐縮ですー! むしろごめんなさいー!(笑)
一人一人が孤独や、「一人であること」を受け入れた上での関係が、私は好きです。
自分の甘えを相手に押し付けるのではなくて、自分の孤独を受け入れた上で誰かと寄り添うから
本当に相手を思いやれる余裕ができるのではないかな、と私は思うな。
ギブ&テイクを脅し合って強制し合うような関係は、もうめんどくさくて無理だなー。
向き合う人にはいつでも敬意を持っていたいから。
それを持てない相手と、嘘をついて向き合ってるふりはしたくないのです。
私なりの精一杯の誠意です。
以上、皆様へ。 愛を込めて。
こんな私ですが、これからもどうぞよろしくお願いします。
ってほんと何様ー?(笑) 復帰コンサートのつもりー?(笑)
おもろいです。 ありがとうございます。