時さん、お返事ありがとうございました。
蝶々や鳥さんたちは、神様のお使いをされることが多いようですね。
蝶々さんは、“お使い”のみならず、神様自身の化身である場合もあるようです。
昨年の夏に、FIさんと電話で、『神様の化身である黒い蝶々さん』の話を伺っていたら、うちの庭に黒い蝶々さんがヒラヒラと飛んできて、ちょっと驚いたことがあります。
話は変わりますが『時』とは不思議なものですね。
『過ぎ去った時』というものは一体どこに行くのでしょう?
三次元に生きる私たちは、ただ単純になんの疑問も持たずに『過ぎ去った時』は『消え去るのみ』と思っていますが、『時』が観念ではなく、なんらかのエネルギーならば、『エネルギーの滓』や『なんらかの形に変換されたエネルギー』が残るはずです。
また、『過ぎ去った過去』は、三次元だから感じられないのであって、四次元の世界ならば、『過ぎ去った過去』をなんらかの形や現象で認知できるのかもしれません。
蝶々や鳥さんたちは、神様のお使いをされることが多いようですね。
蝶々さんは、“お使い”のみならず、神様自身の化身である場合もあるようです。
昨年の夏に、FIさんと電話で、『神様の化身である黒い蝶々さん』の話を伺っていたら、うちの庭に黒い蝶々さんがヒラヒラと飛んできて、ちょっと驚いたことがあります。
話は変わりますが『時』とは不思議なものですね。
『過ぎ去った時』というものは一体どこに行くのでしょう?
三次元に生きる私たちは、ただ単純になんの疑問も持たずに『過ぎ去った時』は『消え去るのみ』と思っていますが、『時』が観念ではなく、なんらかのエネルギーならば、『エネルギーの滓』や『なんらかの形に変換されたエネルギー』が残るはずです。
また、『過ぎ去った過去』は、三次元だから感じられないのであって、四次元の世界ならば、『過ぎ去った過去』をなんらかの形や現象で認知できるのかもしれません。