経営の視点から考える「知財発想法」
これからのビジネスパーソンに求められる「知財発想法」について考える
 



 24日の日経夕刊に建築家の安藤忠雄氏へのインタビュー記事が掲載されていました。そこで語られていたのが美しさや本物を見抜く‘審美眼’で、独創的な建築物を創り出すのはこれが不可欠だそうです。この‘審美眼’は本物を見ることによって養われるけれども、本物を見分けるためには知識も必要。安藤氏も最初は古代ローマのパンテオンのよさがわからず、古典を読んで勉強したとのことです。
 確かに、奈良の大仏をただ見れば「でかい」と思うだけかもしれないけれど、そこにどういう物語があったかを理解していれば「よくこれだけのものを作れたものだ」と深く感動し、「美しさ」を感じることができる、そういうものなのだと思います。

 これは実は最近あれこれ思っていたことに通じるものがあって、‘審ビジネス眼’とでもいうか、仕事の中で目にするもの、耳にするものの表面だけをみて判断して、その本当の意味や価値を見落としてしまっていることはないだろうか。VCにいたときに投資を担当したあるベンチャー企業での話ですが、社長と投資家との月例ミーティングで、投資家側から「女性スタッフの数が多すぎるから減らすべし」との要求がありました。これに対する社長の答えは、「あの女性が見ているからあの営業マンが頑張っているとか、会社の中ではいろいろあるんです。そのバランスをちゃんと見ながら判断しているので、私に任せて欲しい」というものでした(実は頑張っているのは社長だったりして・・・)。ちなみにその会社、その後もしっかり業績を伸ばしていきました。
 知財の仕事では、たとえばこんな話。時々パネルディスカッションのモデレータやパネリストを務めることがあるのですが、専門家の立場でお声掛けをいただくと、他にパネリストとして登壇いただく経営者などのゲストの決定や当日のディスカッションの流れなど、事前に企画的な部分も担当することが少なくありません。そして無事本番が終了した後に、「なかなかよいパネルだった、ご苦労さん」と言ってくださる参加者の方もいれば、「ゲストの話はよかったけどモデレータは大したことなかった」という評判が漏れ聞こえてきたりもします。表面だけを見て判断するか、その裏側にまで眼が届いているか。とか言っている自分も、先日ある雑誌の記事を見て「なんでこの人が出てるの」みたいな感想を述べていたところ、実はその記事はその人が温めていた企画を出版社に持ち込んだものでした。まさに‘審ビジネス眼’の欠如そのものと反省せねば。
 これはたぶん日常業務の中でも大切なことで、ビジネスも人間がやっていることなのだから、表面に出てくるものの裏側で、誰がどのような思いでそのことに取り組んでいるのか、そこにまで眼が届くか、想像できるかどうか。ビジネスがわかる知財パーソンたるためには、SWOT分析とか4Pとかを知っているかどうかより、まずは‘審ビジネス眼’を養うことが大事なのでは、なんて思う次第です。

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 鳴戸会に入って稀勢の里を応援する者としては、何とも気になる記事を見つけました。伸び悩む稀勢の里について、鳴戸親方の苦言。
工夫や研究心があまりにも足りない。いつも同じようにヤラれるというのは、その相撲が相手に研究されて、もはや通用しないってこと。これまで自分はどうやってはい上がってきたか、最大の武器は何か、もう一度、よく考え、相撲を思いきって変えないと。いまのままではいつまでたっても結果は同じだ」
 なんだか自分に言われているみたいで、ズキッときてしまいました。確かに、鶴竜は立会いのタイミングや角度なんか随分試行錯誤しているらしくて、それが明らかに今場所なんかは結果に表れてきた。あたりまえですが、工夫しないといつまでたっても結果は同じ。こういう苦言って、年をとるほど周りから言ってもらえなくなるものなので、自分で気付き、心していかないとヤバい。

 さて、iptops.comには一昨日から‘944’の数が並んでいて、この不況期に大変だといった論調が目につきます。が、自分は当事者であって評論家ではない。たとえば、稀勢の里が「昔と違って外国人力士が多いんで大変だ」なんて言ったところで、それが何になるのか(勿論、稀勢の里は直向で真面目な力士なのでそんなことは言いません)。鳴戸親方の仰るように、自分の強みをよく考え、もっと工夫・研究し、思い切って変えていかなければならない、という自分の問題です。
 そして、評論家ではなく当事者である以上、‘研究’で終わらずそれを具体的な‘工夫’にまで持っていかないと、結果にはつながらない。苦言を呈してくれる親方はいなくても、この業界にも、よりよい明細書を作るために顧客のオフィスに常駐するとか、非定型の特許業務をソフトウェアで効率化するとか、随分早い時期に会社を作って代理人業務の前工程や顧客の組織体制作りに取り組んでいるとか、顧客を中小・ベンチャーにフォーカスして独自のセミナーや情報提供を続けているとか、小手先ではなく腰の据わった‘工夫’を実践している方々がおられるわけで、彼らのように工夫し、行動していかなければ、なんて思う次第です。

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 連日のWBCネタです。報道ステーションで言っていた話ですが、国際大会ではNPBより広いストライクゾーンにどう対応するかが課題になる中で、イチローは「ストライクゾーンを広げる」、横浜の内川は「ストライクゾーンをずらす」という発想で、ボール気味の球への強さを身につけているとのこと。その中で、イチロー自らが語っていた、「なぜボール球に手を出すか」という理由が大変興味深いものでした。
 低迷が続くマリナーズでは、毎年のように早い時期からポストシーズン進出の可能性がなくなってしまう。そうすると、そんなチームの消化試合は審判も早く終わらせてしまいたいから、どんどんストライクをとってしまう。だから、ボール球にも対応できる技術を身につけて手を出していかないと、確実に成績が悪くなってしまう。「周りから見ると、『何であんなボール球を?』って見えるだろうけど、そういうこと。」だそうです。なるほど、強打者であったはずのベルトレとかセクソンの成績がマリナーズに移籍してからガクンと落ちたのも、それが一因なのかもしれません。
 つまり、一見したところセオリーに反するように見える行動にも、実は現実に対応するための深い理由があったりする、ということです。こういう場面は、知財の仕事でもよく生じるものです。実務をやる上ではいろんなセオリーがありますが(クレームを上位概念化するとか、他人の商標権に抵触するおそれのある商標は使用してはいけないとか)、一見それに反しているように見える仕事にも、人間の心理や現実との兼ね合いから、深い意味があったりすることがある(単にセオリーを知らないだけのこともあるでしょうが・・・)。まぁ、それが成果に結びついてこないと、考えている意味はないわけですが。でも、たぶんその部分が‘ビジネスセンス’ということになってくるのだと思います。

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 WBC日本代表の合宿は大盛況だったようですが、イチローに対する注目と期待は、ちょっと半端なものではなってきてしまったようです。元々は、‘スキル’の違いが際立つプレイヤーだったのが、近年はそれが‘格’の違いに昇華してきているように感じます。では、
 ‘スキル’の違い
 ‘格’の違い
とはどこが違い、どうやって「スキルの違い」が「格の違い」に昇華していくのか。
 思うに、「スキルの違い」というのは、文字通り技術が違うということ。これに対して「格の違い」とは、周囲に対する影響力や説得力の違いであり、それは人を集める力や物事を動かす力に結び付くものなのだと思います。だとすると、知財の仕事を技術として的確に処理するだけでなく、その仕事が事業を動かし、企業活動に影響を与えるものにしていきたいと思うなら、「スキルを高める」だけでなく「格を高める」努力も求められることになってきます。前回のエントリで書いた「自らを活かすポジションを作ることも才能のうち」というのも、おそらく同じことなのでしょう。
 「格の違い」を生み出す上では、「スキルが優れていること」とそのスキルに伴う実績は、‘格’を押し上げるための一要素であり、それ以外にも、深い洞察力、言葉の力、キーパーソンとの人間関係など、ヒューマンな要素が関係してくるのだと思います。企業経営に貢献する‘知財人材’たるためには、スキルでは測れないそういう要素も重要なのでは。

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 日経ビジネスに「1000店をデザインした男」と題して、店舗デザイナーの神谷利徳氏が紹介されています。これまでに1000店以上のデザインを手がけ、地元の名古屋では「神谷に頼めば繁盛店ができる」という神話めいた空気まで存在するそうですが、一体その違いはどこから生まれるのか。そこに何か「知財は○○に頼めば会社が繁栄する」と言われるためのヒントはないか。
 で、ここかなぁ、と感じたのは次の2点です。
 1つめは、神谷氏がデザインを本格的に学ぶようになった頃(といっても普通の学び方ではなくある家具職人の工房に無給で通って修行したらしいですが)の話で、「その頃から、物事の背景にある本質や意味を考えるようになった」とのこと。ここを考えるかどうかの違いは大きいのだと思います。
 もう1つは、「デザインで大切なのは、優しさや思いやりこんなことまでやるのかといった、お節介がどこまでできるかだと思う。自分らしさとかアイデンティティーといった、デザイナーの独り善がりは捨て去っていい」と語っているところです。確かに自分がプロフェッショナルという意識をもっていると、自分のスタイルに拘ってしまう部分があるかもしれません。でも、自分が前面に出て戦うのならともかく、知財サービスのような後方支援でそういう独り善がりは不要なのかもしれない。これって、サービス業の本質なのかもしれません。
 それにしてもこういう一流のプロって、いろんな意味で格好いいですね。

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 昨日のエントリに関連して。
 話は飛びますが、正月番組の‘イチ流’で、イチローがまたまた興味深い話をしていました。バッティングに関する技術論なのですが、スイングの前にできるだけグリップの位置を後に残すことを意識して、手元でのボールの変化に対応しているとのこと。そうすると、バットの出が遅くなり、バットの芯に当たらず「詰まる」ことが多くなってしまうわけですが、バッティング理論の常識では「詰まる」のは避けなければならないこと。しかしながら、イチローは「詰まる」ことを頭から否定せず、手元の変化に対応できることを「可能性が広がる」と表現して、「詰まる」ことは許容できるもの(詰まってもファールしたり狙ったところにポテンヒットを落としたりすればよい)と捉えています。要は、必要なことは点をとるためにヒットを打ったりランナーを進めたりすることであって、「詰まらないこと」ではない。これまでの常識に囚われていては、本来の目的を達成するのに有効な可能性を殺してしまうことがある、ということです。
 この話を聞きながら考えていたのが、例えば、これはセミナーなんかでよく問題提起しているのですが、「回避されれば負け」というのが特許の世界の常識であるとして、事業を有利に進めるための環境を作るという本来の目的に立ち返ってみると、「回避可能な特許」であっても相手方に「回避するための負担」をかけられれば事業環境にプラスに働くこともある、ということ。外国での模倣品対策、特に権利行使にかかるコストを中小企業がどう吸収していくかという問題に対して、先日ある社長が仰っていた、「そんなの自分でできるわけないから、早く現地での有力なパートナーを見つけてパートナーにやってもらえばいいじゃないですか。パートナーと組むために必要なコア特許だけはしっかり押さえておいて(注;模倣品対策に悩むくらいの有力な製品なら販売パートナーを見つけることは可能なはずという前提です)。」という発想。知財活動は、まだまだその「可能性を広げる」ことができるのではないかと思います。

※ 今回の写真(薬師寺の東塔ですが)も本文とは関係ありません。

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 報道ステーションの松岡修造のスポーツ特集のコーナーで、JRAの三浦皇成騎手がとりあげられていました。武豊の新人騎手最多勝記録を21年ぶりに更新した天才騎手とのことですが、松岡修造が興味深いコメントをしていました。
 競馬は、馬:騎手の貢献が8:2と言われているらしいのですが(なんか、知的財産と知的財産権の関係みたいでちょっと反応してしまいましたが)、三浦皇成騎手の優れているところは「割り切り」にあるとのこと。100%自己責任のテニスと違い、競馬の場合は騎手の努力の効果には限りがある。うまくいかないときには、普通であれば‘8’の部分のせいにして愚痴りたいところを、自分の力が及ばない部分はそういうものだとしっかり割り切って与えられた‘2’の部分で最大限の効果を発揮できるように努力をしている。
 これって、知財の仕事にも通じる部分があるように思います。プロの仕事には割り切りが肝心か。

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 今年の200本目はちょっとシケたヒットでしたが、イチローが最後の部分で、「うわっ、それ、言うか」って感じのコメントをしています。

「できるだけ早くクラブハウスから出ることを心がけた。マイナスの空気は皮膚から入る。それで、悪い方に流れることだけはしないという信念を持っている」

今日は某所で前向き&頭が整理されるいい議論ができたのですが、逆に、プラスの空気だって皮膚から入る。誰が得している誰が損してるといった足の引っ張り合いとか、当事者意識のない形ばかりの議論とか、皮膚から入ってしまわないように要注意、って改めて思い直します。 -->

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 一気に盛り上がりを見せてきた北京オリンピックですが、あれだけの真剣勝負を見るといろいろ考えさせられてしまいます。例えば、

 勝負強さ、とは何なのか。
 敗者はどうやってその事実を受け止めているのか。
 どうしても人によって差がある「華」は、どこから生まれるのか。

 この中でもプロフェッショナルの端くれにいる者としてやはり気になるのが、「勝負強さ」とは何かということです。そこに「根性」の一言で済まさない法則を見出さないことには、それを吸収することはできません。
 そこで女子バレー初戦のアメリカ戦ですが、いい試合をしていたのですが、セット最後の5点くらいをいつもあっという間に相手に取られてしまっていました。最後の場面では、一番調子のよかった選手、一番プレッシャーに強そうな選手、チームのエースの順にトスを回したけれど、どれもブロックでシャットアウトか大きくふかしてしまう。アタッカーが決めるには、ブロックのないところに打つか、ブロックに当ててコート外に出すか、どちらもだめならリバウンドを拾いやすいようにブロックに当てるしかなく、そのどれかを冷静に選択していかなければいけないわけで、20点くらいまでは日本チームもそうやって点を重ねてきたものの、最後の詰めのアタックはただ打っているだけのように見えてしまいました。要するに、勝負強さを決める要因は、勝敗を決する場面で思考を放棄せずにやるべきことを貫けるか、というところにあるのではないでしょうか。
 そんなことを考えながら北島康介のインタビューを聞いていると、後半の見事な泳ぎの場面では「自分の泳ぎ、自分の泳ぎ」とだけ考えていたそうです。やはり、厳しい場面でもやるべきことをやりつづけこと、それが勝負強さを分けるポイントのようです。

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 今年もイチローのMLBオールスター出場が決まりましたが、記者会見ではこんなコメントがあったみたいです。
 「客観的に見て、グラウンドにそのメンバーが立っている時にさまになっているかどうかという問題は大きい、成績以外にね。だから、(自分は)そうありたいと思う。今回のメンバーを見れば僕はそう。控えめに言ってもそう」
 まぁ、ファンでない方にとってみればただの傲慢な発言にしか聞こえないかもしれませんが、これってやっぱり事実なので何も言えません。これくらい公の場で言えるくらい、実績を重ねたいものですね。
 「客観的に見て、ビジネスにそのメンバーが絡んでいる時にさまになっているかどうかという問題は大きい、肩書以外にね。だから、(自分は)そうありたいと思う。今回のメンバーを見れば僕はそう。控えめに言ってもそう

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研ぐ  


 日経ビジネスの今週号に鵤工舎舎主の宮大工、小川三夫氏の談話が掲載されています。
 「すべての基本は研ぐこと
 その意味するところは、宮大工にとって研ぎはすべての基本であり、自分で研いだよく切れる刃物があれば、それを使っていい仕事をしたいと思うようになる、ということだそうです。さらに、「研いで研いでいくと、だんだん嘘がつけなくなってきます」とのこと。
 知財人としても、自分の使う道具を‘研ぐ’ことがすべての基本になるのでしょう。その道具は‘知的財産権’となるのですが、ここで難しいのは‘研ぐ’というのがどういう行為かがなかなかわかりにくいということ。何が‘研ぐ’という行為なのかは、同じ知財人でも自分の立とうとしているポジションによって違ってくるのだと思います。そして、研いでいくと嘘がつけなくなる。その意味を自分の頭で理解せずに、「知財が重要だ」、「これからは価値評価だ」とか、嘘とまではいいませんが、軽々には言えなくなってくるんです。たぶん。

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 この週末は世界フィギュアに釘付けでしたが、いろいろ考えさせられることも多くて、大変興味深い大会でした。
 かつての世界フィギュア銅メダリスト・佐野稔が「我々の頃とは違う競技だ」と言っていたように、4回転、トリプルアクセルなど‘累積進歩’する技術は凄まじいものがあります。一方で、今大会で勝負を決めたのは、その技術以上にいつの時代も不変の‘心得’みたいなものであったところが、とても興味深いです。
 女子では、Qちゃんに代わって「あきらめなければ夢は叶う」を体現した真央ちゃんですが、フリーではパーソナルベストからトリプルアクセルの減点(8.5点)分を引いたのとほぼ同じくらいの点数を出していて、最初の失敗の後は全てのエレメンツをほぼ漏れなくこなしたことがよくわかります。準備の大切さ(∵加点される要素をできるだけ多く準備していたからこそ勝てた)、そして諦めてはいけない、という不変の心得を改めて思い知らされます。
 男子はさらにドラマチックで面白かったですが、最後の場面のジュベールとバトルは、現代版「ウサギとカメ」を見る思いでした。バトルのことなど眼中になく、ミスを連発した強敵3人に4回転1回で勝てると踏んだジュベールは、全力を尽くすことなく策に溺れ、競技中にガッツポーズを出した後には不要なミスまでやってしまった。一方、大技(4回転)のないバトルは、最後まで丁寧に持つ力を振り絞り、手を抜いたジュベールを上回った。技術云々の前に大事な心得を改めて思い知らされます。

 知財の専門家にとっても、制度はどんどん複雑になるし、守備範囲を広げることも求められるし、‘累積進歩’するテクニカルな要素を追いかけていくことは大事な課題です。しかしながら、それに溺れて重要な‘心得’を見失ってしまっては、肝心の本番で力を活かすことができない。やはりトップアスリートの戦いからは、学ぶことが多いです。

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 NHK土曜ドラマ‘フルスイング’(あの熱さ、毎回涙なしには見れません・・・)の影響で、「甲子園への遺言」を読みました。高畠コーチの名前はよく目にした記憶はありますが、こんな凄い人だとは知りませんでした・・・
 高畠氏は30年のコーチ生活で多くの名打者を育てていますが、その打撃理論は素人にもわかるシンプルなもの(構えたトップの位置からバットを最短距離で打点まで持っていく。そして、その打点からは、できるだけスイングを大きくする。)だそうです。そして、それをマスターさせるために、理想のフォームを強制するのではなく、選手の個性を生かしながらどうやったらその理論を実践できるか選手と一緒にその方法を探していくそうです。そのため、練習方法も選手によって様々になり、いろんな道具を使ってみるたいへんなアイデアマンだったそうです。練習では選手の短所を矯正するのではなく、長所を伸ばす中で自然に短所も修正されていく、そんな教え方をしていたそうです。
 知財経営・知財戦略のことを難しい言葉であれこれ言う人達もいますが(難しい言葉を使うほど、却ってほんとにわかってんのかいなと思ってしまいますが)、本当はもっとシンプルなものでよいんだと思います。基本形はシンプルでいい、というか、基本はシンプルでなきゃいかん、そうでなきゃ使いこなせんのです。企業の強みとなる要素(差別化要因)を見極め、そこを守れるツール(知的財産権)でしっかり守る。そして、それを実現するために、それぞれの企業の状況(ステージ、人材、資金力、雰囲気etc.)によく目を配りながら、できそうなところから形を作っていく。そのときに、研究部門等に対して知財部が「知財教育」をするという‘上から目線’では状況は良くならず、理想に近づくために「一緒に方法を探す」というスタンスが求められるのだと思います。
 この本の中で、どうしても力が足りずに2割5分しか打てそうもないある打者に対して、高畠コーチが「相手に嫌がられる2割5分になろう」といって、徹底的にファール打ちを練習させる(∵球数を投げさせられるので嫌がられる)という話が印象的でした。よくわかる気がします。「これはちょっとなぁ」という発明に出会ったときのことを考えると。

甲子園への遺言―伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯
門田 隆将
講談社

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 昨日の「プロフェッショナル 仕事の流儀」の「イチロー・トークスペシャル」はご覧になられた方も多いのではないかと思いますが、「自分流」を貫く条件が参考になりました。「自分に対する評価が厳しい」「自分のやり方をしっかりと言葉で説明できる」という自分流を貫くための条件は、確かに周囲を見渡してみても何人か思い当たる人がいます。適当に周りに合わせておけば楽だけれども、

 自分流を貫かないと自分の可能性を殺してしまう

ということ。
 では、自分流とは何ぞや、ということを考えたときに思い出したのが、正月に見たテレビ番組でやっていたパティシエの辻口氏の話です。辻口氏は以前に他の番組でも「自分のルーツに目を向ける」ことの重要性を語っていましたが、正月の番組ではそのことに気付かされた逸話を紹介していました。パティシエの修行時代にフランス文化に憧れ、地元に帰った際に高校時代の恩師(考古学の先生)にフランスの話をしていたら、「自国の文化もわからない人間が、他国の文化を分かったように語るな」と一喝されたとのこと。自分のしっかりした価値軸を持たないと、周囲に新しく表れたものの良し悪しを正しく見分けることなどできるはずがないということでしょう。それをきっかけに、和の素材やテイストをとりいれた「自分流」の世界を作り上げていったとのことです。つまり、

 貫くべき「自分流」は「自分のルーツ」に根ざしたものでなければならない

ということなのではないかと思います。私個人としては、6年半のベンチャーファイナンスの経験で多くのベンチャー企業に接し、どのような企業が成長するのか、どのようにすれば成長するのかを考え続けてきたことが職業人としてのルーツであり、その経験を知財のフィールドでどのようにアレンジし、具体化していけるかというところに「自分流」があると考えています。研究者から知財の分野に来られた方、長く実務経験を積んできた方、それぞれのルーツを顧客(企業内であれば事業部門や研究部門)ニーズにあわせたサービスにアレンジしていく先に、きっと「自分流」の知財サービスが存在しているのでしょう。

 フランスかぶれになっていないか。
 自分を厳しく評価しているか。
 しっかりと自分の言葉で説明できるか。

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 茂木健一郎氏の「『脳』整理法」によると、人の脳は、知識として得た情報をそのまま記憶するのではなく、その情報を整理して得られた「知」を記憶するそうです。そのようにして獲得される「知」には、身の回りに生じた体験を整理して得られる「生活知」と自然法則のように世界の法則から得られる「世界知」の2種類があるとのことです。
 この年末年始に、質の高い仕事、自ら納得できる仕事をするためにはどうしたらよいのか、ということをあれこれ考えていたのですが、「こういう種類のこういう仕事」ということを外側から規定しようとするのではなく、自らが「良い状態」で仕事を続けることに気を配ったほうがよいのではないか、と思うようになってきました。「良い状態」で仕事ができると、思考も深まるし、物事の本質も見えやすくなるし、よいアイデアも浮かびやすくなります。それが結果として、納得できる成果を生んでいくのではないかと。そのためには、どのような手段によると「良い状態」を維持していけるのか、いろいろ工夫が必要になってくると思います(個人的には、毎朝のオフィスの掃除、液晶クリーナーでPCの画面を磨くことから始めてみましたが)。
 「良い状態」で納得できる仕事をこなせると、それは「経験知=生活知」として自らの脳に記憶されていきます。仕事をするためには、もちろん前提としてある程度の「世界知(形式的なルールや知識)」も必要になってくるわけですが、現場での判断として重要になってくるのは、実は「生活知」であると思います。なぜならば、人間のやることなので全ては理屈どおりにいかず、環境・人間関係・感情など法則化できない様々な要因に左右されることが通常であり、そのときに役に立ってくるのが「生活知」だからです。知財戦略の理論は「世界知」で語れるでしょうが、それを現場で落とし込んでいくのに「世界知」は役に立たず、そこで必要になるのが「生活知」です。脳の中には、「世界知」と「生活知」がバランスよく獲得されていくことが理想ですが、現場の人間としてより重要なのは「生活知」であり、そのためには「良い状態」で「良質な経験」を積むこと(いくら経験を積んでも状態が悪いと思考が深まらず、まともな生活知は獲得されません)が不可欠になってくると思います。
 さて、そんなことを考えていたときに、長くお世話になっているカイロプラクティックの先生から、ピンとくるお話を伺うことができました。物事を判断するときには、「正しいか、正しくないか」「損か、得か」という価値軸ではなく、
自然か、不自然か
という基準で判断すべきではないか。これは、まさに「生活知」の重要性をいっているのではないでしょうか。どの世界でも「仕事のできる人」というのは、何かをたくさん知っているかどうかではなく、ほとんど例外なく「感覚の優れた人」であり、そういう人は「生活知」を豊富に獲得している人であると思います。だから、頭(世界知)で考える以前に、ごく「自然に」、感覚的に適切な判断ができてしまう。そういう人はさらに多様な経験に恵まれ、良質な「生活知」を蓄積していくから、ますます進化していく。その逆が、「世界知」を振り回し、「世界知」に溺れるデフレスパイラルです。ただ「世界知」を振り回して「知的財産権はじゅうよーですよ!」と唱える姿は事業の現場サイドからはなにか「不自然」であり、その先にあるのはたぶんデフレスパイラルです。知財コンサル、知財ファイナンスなどのニュー知財系の仕事も、「世界知」から入っていては、現場サイドからは「何か不自然やなぁ」と感じられて話が進まず、デフレスパイラルの懸念大です。ニュー知財が可能であるとするならば、「良い状態」を維持して良質な「生活知」を蓄積し、その「生活知」を生かして提供を続けたサービスが結果的に今までと少し違う形態になっていた、そんな感じが極めて「自然」であるように思います。
 急がば回れ。まずは朝の掃除から。

(尚、「脳」整理法 は読み始めたところなので、「生活知」の「世界知」の理解は正確ではないかもしれません。)

「脳」整理法 (ちくま新書)
茂木 健一郎
筑摩書房

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