酒田の萬谷さんで行われた「春のつどい趣向の茶事」に参加した。同時開催の清閑寺窯四代目杉田祥平氏の講演と作品展も兼ねての茶会である。
清閑寺窯は、古清水焼や仁清の流れを汲む京焼なのだそうだ。私にはお茶の世界も茶碗の良さも判らない。目の前に並べられている茶碗は綺麗な絵付けがされており、着いているお値段は、普段見ている茶碗に較べて、「0」が二つも三つも余計に着いていて、出るのはため息ばかりだった。
集まった方々は、それぞれに茶の世界に詳しいのだろう。講演では茶のさわりと焼き物の歴史を話された。絵付け茶碗の彩色の出し方の難しい所は、色によって焼の温度が違う事、何色も使う場合には何度も色に合わせて焼を繰り返す事、焼を繰り返す事によって茶碗の強度が弱まる事など、素人の私には面白い内容だった。名人と言われても、なかなか自分の思い通りの出来上がりにならない事もあるのだろう。そんな想いで眺めれば、お茶碗の値段も・・・いやいや私には買える代物ではない。
そんな高価なお茶碗も、扱い方一つで二度と使用出来なくなる話は興味深かった。お茶に詳しい方なら当たり前の事なのだろうが、箱から出して使用する前には、たっぷりの水に浸けておくのだそうだ。使用した後にも同じ事を行い、十二分に日をおいて乾かした後に箱に入れる必要がある。もし洗い立てで箱に収納し、カビが生えるとどんな処置をしても臭いが取れずに、お茶を入れられなくなるのだそうだ。
焼き物については、萬谷の女将さんの話が特に印象深かった。添釜と講演の間に点心が出たが、その点心を盛りつけた皿が伊万里の皿で、萬谷さんの防空壕の中に仕舞っておいた物が、ようやくこの場で日の目を見た皿なのだそうだ。第二次世界大戦中、酒田に疎開してきた人達に、皿の供給をしなければならなかったが、安い高いの価値は関係なく、皿の寸法を基準に人々に配ったそうだ。その伊万里の皿は、江戸後期か明治の始めの物で、北前船が活躍していた当時に酒田に着いた大事な物だったらしい。全てを配る事はあまりに忍びないので、少しばかり防空壕に運んだ物なのだそうだ。そんな大事な皿を家族数に併せて受け取った人達は、どんな気持ちで食事をしたのだろう。きっと何も知らず「古い絵柄の皿だね。」程度だったのだろう。
安土桃山時代の話から、江戸明治昭和の時代を経て、現在に至る歴史を感じる茶会だった。
生け花はクマガイソウ。時間と共にうなだれて・・