最近の鳥海山の姿が美しくて、デスクトップの背景に貼り付けた。これで年中「種蒔き爺さん」が見られると喜んでいる。
種蒔き爺さんは、この写真の中央に、逆くの字に腰をかがめた姿が見えるだろう。春になり、爺さんが見え始めた頃から、庄内地方では農作業にかかる。昨今は温室などもあって、若干昔とは動き出す時期は早いかと思う。そして私も動き出した。
先日、ホームセンターで、ナスとピーマンとバジルの苗を買ってきた。茄子とピーマンはそのままで、バジルは10本ほど芽が出ていたのを小分けして植えた。バジルは一番安くて1ポット108円だった。植えた翌日には80円分が消え、さらにその翌日には108円分全てが消えた。私の頭はガンとなった。くやしいので残骸を引っこ抜き、バジルとコリアンダーとイタリアンパセリの種を買ってきて蒔いた。3種類の種は3列に蒔いて、一番右側がバジルだった所までは覚えている。さて、どれが最初に芽を出すか。「れでぃ、ご~~!」
生きることは戦いなのである。
そうだ、戦いで思い出した。桜の花が散って、ヒヨドリの数も少なくなった。何を食べて生きているのかなと思っていたら、事務所の窓から見えるグミの木で、花の蜜どころか、咲いたグミの花を食べている。あらら。するってぇ~と、私のブルーベリーにへばりついているヒヨドリも、花の蜜では無く花その物を食べている可能性があると、見に降りたら案の定に花が喰われていた。悪いやっちゃな。実が成らない可能性も出てきた。
爺さん登場の時期はGWや酒田まつり有り、農事も本格化して酒田の街中ウキウキそわそわする時期ですよね。
さて今から数十年前の事、小学校の授業だったか?先生ののヨタ話だったか?鳥海山の「種蒔き爺さん」の話を聞いた当時のチビッ子達
さっそく山を見て確認したのですが、爺さんの履いているボトムズがどう見ても裾の広がった衣装にしか見えませんでした。
この年になって考えれば昔話に出てくるようなお爺さんの衣装と言えば袴の類なんでしょうが、当時のチビッ子達にはそんな知識など無く
当時流行っていた「パンタロン」(裾の広がったボトムズ、今でいう「ベルボトム」?)を履いたお爺さんだ!という解釈になり
当時のチビッ子達には「パンタロン爺さん」と呼ばれていました。(酒田全域ではなく栄町辺りの小学校のチビッ子達限定)
そして、パンタロン爺さんが登場すると・・・
cakeサンは山菜取りで忙しくなるのが通例の様ですね。
まずはガーデニング程度から土に慣れた後、本格的に山中に挑むのでしょうか?
今年の戦利品のupも楽しみにしております。
苗代に入るんでしたら、こんな袴のような衣装は着けませんよね。尻っ端折りで脚絆ぐらいは着けていたでしょうけど、パンタロンでも邪魔で仕事になりませんよね。
GWに山菜採りに行けば良かったのですが、妙な時間に用事があって、くじけてしまいました。14日の日曜日には女子会で出かける予定です。最近の山は、林道が途中で崩れていたりして、思うように行きませんが、それでも楽しみにしています。
実は鳥海山の種蒔き爺さんは2人いるようで(?)、この写真の右側に「馬」がおりまして、その左側にスゲカサを被った爺さんのような形のそれが、種蒔き爺さんだという説も存在してますね。
今年は雪はそれなりに降ってたんでしたけど、どうも種蒔き爺さんの姿が上手く出ない年のようでして「う〜む、微妙だなぁ〜」って思っていた所でした。
この写真の丁度切れてる左側に「婆さん」も居るんですけどね……
やはりナウでヤングなパンタロン爺さんが、種蒔き爺さんのネーミングまで獲得してしまったのでしょうか?笑)
パンタロン爺さんの右の馬も、見る角度や年によってはアリクイや獏にしか見えない時があります。
パンタロン爺さん世代のチビッ子達はパンタロン爺さんのすぐ左の白い残雪の方を「婆さん」と呼んでおりました。
男性らしく力強い黒い色の爺さんと、女性らしい綺麗な白を対比して・・・
写真ではチビッ子達の婆さんはまだ姿を現していませんが、まさかもっと左側にも婆さんが居たとは・・・
パンタロン爺さん・・・モテモテだったんですね⁉
大きな写真を貼ってみましたが、もっと右の千畳ガ原の下のに、馬らしき形が見えます。これかしら?
溶けた雪の形って、いろんな物に見えますね。この写真は5月2日に撮りましたが、最近だと随分と行きが溶けて、殆ど爺さんの形が判らなくなりました。種蒔きをするのが遅い時期なのでしょうね。