無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

行く夏を惜しむ

2010-08-22 12:21:07 | 動物・自然


網戸の内側から撮ったアブラゼミ。ジージーと今日も元気だ。
早く涼しくなってくれ~~!





爆発まで、秒読み段階に入ったガマの穂。
少しづつ、ピリピリとひび割れて、一部膨らんできた。
そして、突然ドッカーンと破裂するのだが。
こうご期待。




生け花用に買ったパイナップル。
南国で育つので、暑さには滅法強く、元気に葉を伸ばしている。
「茎が腐ったら、実を2/3程切り捨てて、土に植えると育つよ。」と、花屋のお兄ちゃんが教えてくれた。
一向に腐る様子がない。
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郷土の先人達

2010-08-22 10:25:34 | 社会
本間郡兵衛さんの記事の時にも、「荘内日報の郷土の先人・先覚」を載せたが、これは1988年頃から新聞に連載されたものである。実は、私の祖父も曾祖父もこの記事に載っていて、実際の新聞のコピーは、後生大事に取っておいてある。インターネットの時代が始まって、これがアーカイブで荘内日報社のホームページに現れた頃、いつになったら私の先祖に辿り着くかなと、心待ちにしていたのだ。曾祖父の方は、少し前に載っていた。

萬谷さんに呼ばれて長谷川先生にお会いしたのも、本間郡兵衛さんの歴史を追って祖父の記事に辿り着いたのも、古くさい言葉だが、巡り合わせかなと思っている。ちょうどその日が祖父の誕生日だったからだ。もう一つお目出度い事に、家族が一人増えた。予定日を通り越して心配していたら、祖父と同じ誕生日に生まれてきた子がいる。この日を待っていたんだろうと思う。もうみんなデレデレと可愛くて仕方がない。

曾祖父も祖父も、田村寛三さんが取材に来て書いてくれた。あれだけ短い文章であっても、取材や資料は多かったと記憶している。曾祖父の写真は、本家には残っていなかった。これも色々と事情がある。曾祖父と祖父とは仲が良かったようだ。親の言いつけで養子になり、漆塗りの職人になった次男坊を、気に掛けていたのだろう。その孫(私の父)を「職人の子は職人になれ。」と、これまた大工にしたのも、曾祖父だ。偉い先祖がいたのだと気が付くのは、大人になってからだった。

酒田に住んでいれば、本間家とは何らかの関わりを持つ人が多いのだろう。祖父も漆塗りでは本間家への出入りの職人だった。それが切っ掛けで本間家の乳母だった祖母と一緒になる。祖母の写真の中に、見知らぬ人達との物がある。本間家の人達だった。本間万紀子さんの先代先々代の方々との写真だ。祖母は40代で亡くなり、伝え聞く話と写真だけになったが、祖父は101歳(数えで)まで生き、大往生を遂げた。
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