無題・休題−ハバネロ風味−

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

斎場見学

2015-04-26 16:45:26 | 建築・都市・港

酒田市役所の職員の方々と現地待ち合わせで、名取市斎場と仙台市斎場を見学する。私達は朝5時半に出発したが、彼らは前日に仙台入りし、針生作品の宮城スタジアムを見学したらしい。

名取市斎場は名取川河口の広浦の傍にあり、津波で被害を受けた。建設当時、この玉砂利の部分は池があった。復旧後「水が恐い。」と言う市民の多い中、池は玉砂利に変えられた。

あの日は友引の土曜日で、動物の火葬が1件あり、終った後職員は待機していた。そこに地震と津波が襲った。敷地にある築山で海を見ていた3人の職員は、津波が襲ってくるのを見て、築山から伸びていたコンクリートの列柱の塀によじ登り、梁の上を伝って屋根に逃れ、事なきを得た。

この建物を計画中に、洪水のような事があったらしく、浸水した状態をみた針生先生は急遽、炉の電源を2階に変更した。その為、震災後2週間で火葬場は再稼働出来たのである。名取市でも5000人近い人々が亡くなられ、今でも行方不明の方々がおられるそうだが、遺体を土葬にせずに済んだのは、この2週間と言う再建の速さだろう。今回はその2階の機械室をも見せて頂いた。

この石のモニュメントは、津波で向かいの大きな硝子のFixを突き破り、ホールを抜けて玄関から駐車場へと流されていたそうだ。RC造の躯体は残ったが、開口部や硝子は跡形も無いほど破れ、丸太や信じられない程の大きな漂流物が建物内に刺さっていたそうだ。

斎場と駐車場の間に3-4本のタブノキが植えられていた。随分と傷だらけな木だなと思いながら茶色の甲虫を追いかけていたが、この木は津波から勝ち残った木だったのだ。

この建物を見た職員の方々の感想は、斎場と言うよりも美術館のようだ。日中は照明を付けなくても充分に明るいのに驚いたそうだ。

午後には、仙台市斎場に向かう。炉の数が20基で、友引のこの日も稼働し、多くの人がいた。仙台市の風習では火葬した後に葬式を行うのが普通だそうだ。

葛岡にある仙台市斎場は2階建で、名取市斎場とは比較にならないほど大きい。敷地も山全体が他用途の建物の建設は行えないそうで、丸々斎場の敷地に当てられている。火葬は受付から全て自動で行われ、告別式から収骨まで、館内放送で呼ばれるまま番号で仕分けされていた。随分とクールである。待合室は2階にあり、レストランまで併設されていた。建物が大きい分、中廊下など採光が取れないようで照明器具がふんだんに着いていた。我々は電気料を心配したが、近くにあるゴミ焼却場の熱源で発電された電気が使える為、斎場での支払いはないそうだ。ちなみに、運営は法人資格の指定管理者が行っている。

仙台市斎場は直接には震災の被害は受けなかったが、燃料であるガスの供給がストップし、灯油に変更するべく動いたが、思った通りの稼働は難しかったらしい。

帰りは、高速道路の東北道から山形道、中央道と走り東根で降りた。積雪の心配がある時には、このルートは比較的安全である。東根ICからは山形空港を迂回して国道13号線に合流する。その路はやっぱり果樹園で囲まれている。東根はサクランボの佐藤錦の発祥地である。

国道47号線の最上川岸を走る頃には、空気がガスがかってきた。残雪はあるものの、新緑の美しい季節である。

 

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羽黒山と斎場プロポーザル

2015-04-11 13:18:28 | 建築・都市・港

4月最初の日曜日、急遽羽黒山に向かう。

事の始めはこうだ。今年に入って酒田市から酒田市斎場改築事業の公募型プロポーザルの公告が出た。内容を読んで頭をよぎったのは、宮城県の名取市の斎場と針生さんだった。お知らせをしなければと思った矢先に、当の本人から電話が入った。「一緒にやってみるかい。」との有り難い話で、齋藤優晴設計事務所をも巻き込んで企業体を組織し、指名参加の書類を作った。

第1次の書類審査では締め切りの最終日に提出、第2次に残るとプレゼンテーションを行うことになった。このプロポーザルは非公開で、何社で誰が参加しているのか、まったく判らない。プレゼンテーションの当日も、控え室と会場は別の建物で移動時間さえ厳守、他社との擦れ違いさえ出来なかった。プレゼンテーション前の昼食では、縁起を担いでトンカツを食べ、終了後は富重で酒田の肴を食べながら小宴会を行った。「最終に残れば良いね。」と話し合いながらも、審査員の質問からも手応えはあったと感じていた。数日後、選定の通知書が届いた。

選定結果が出る前の間、私はやはり無意識の内に、羽黒山に神頼みをしていた。決定したなら、お礼に伺わねばと思っていた。まごまごしている内に、羽黒山に出かけている夢をみた。これが散々だった。なぜか神社に直接お参りするのではなく、建物の中を通って移動しなければならず、人混みの中で履いている靴が無くなった。ウロウロ探していると今度はバックの中から財布や通帳、携帯が抜き取られていた。ああ、何てことだ。貧乏なのにどうしよう。それより家に帰れないと嘆いていた。警察を呼んで欲しいと騒いでいる所で目が覚めた。心臓が高鳴っていたが、夢で良かったと心底安堵した。

羽黒山の参道は、雪が溶けていた。今年は雪が多かったらしい。三神合神殿には積雪の為に行けず、参集殿から階段と廊下を渡って神殿へと行くようになっていた。下駄箱に靴を入れようとして、「履き間違いに気をつけて下さい。」の張り紙をみてビクッとなった。そもそも直接に神殿に入れないのは夢と同じだった。

神殿の中では、個別にお祓いをして貰う先客がいたので、私はその後ろで参拝をしたが、気を遣ったせいか、お礼をすると言うよりいつもの通り、頭の中が真っ新の参拝となった。神殿を出てお礼をしていない事に気がつき、外から、もう一度来ますからと頭を下げた。その2-3日後に萬谷さんから羽黒山へのお誘いがあった。不思議と偶然はついて回るようだ。

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建築士定期講習会

2015-03-19 10:02:44 | 建築・都市・港

平成26年度、最後の建築士定期講習会に参加した。朝の9時から夕方の5時まで、講習と考査を受ける。

建築設計事務所に勤務する建築士だけに課せられた講習会であり、これを受けないと業務が出来ない。建築業者や学校の先生、行政の中にも建築士はいるが、この定期講習会は設計事務所だけと厳しい。これも姉歯事件の余波である。この法的義務の講習会が出来て、丁度今年度が3年毎の書き換えの時期となる。その為、聴講者が異常に多く、年に4回開かれた講習会の3回目に私ははじかれた。最後の4回目も人が一杯だった。

講習内容は、2冊のテキストを、どんどん端折って進んで行く。主に改正法規と、建築士の社会的立場と業務、最近の建築の動向だが、特別に新しい話はなかった。ただ、業務の内容で罰則とか処分だとか、脅される内容が多かった。確かに処分を受けた建築士は多い。それが公表される仕組みになっている。

最近の話題で、東洋ゴムの偽装問題が上がった。建物の揺れを止めるには、免震構造と制震構造がある。それを下部で行うのが免震で、壁で行うのが制震である。偽装はこの免震の積層ゴムで行われた。このゴムが弱いと、建物は揺れて地下の横壁にぶつかり、建物の破壊が起こる。

東洋ゴムの偽装は、実はこれが初めてではない。一個人の思いつきで偽装が行われたのか、会社ぐるみなのかは定かではない。どちらにしても、すでに沢山の建物に使用されており、特に公共建築物や共同住宅に多い。これは非常に大きな社会問題になるであろう。ちょっと見当がつかない。

以下、国交省が発表した事柄。

東洋ゴム工業(株)が製造した免震材料の大臣認定不適合等について

東洋ゴム工業(株)が製造した免震材料の大臣認定不適合 に係る建築物(庁舎、病院、複合施設)について

まだ共同住宅の分は発表されていない。

お昼にビッグウィングの向かいの肉そば大将で食べた醤油ラーメン。同じ醤油ラーメンでも、酒田のラーメンとは随分と違う。

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祝・北陸新幹線開通

2015-03-14 12:29:12 | 建築・都市・港

3月14日、北陸新幹線が開通した。一足先に、Sさんから開通祝いの加賀棒茶を頂く。

この新幹線の開通で、東京−金沢間が2時間半になったそうだ。ところで、山形からは便利になったのだろうか。どうも変わりはないようだ。特に酒田からだと、特急白鳥も、寝台列車日本海も廃止になり、金沢は遠い存在になる。今年の建築士会の全国大会は会場が金沢市なので、どんな交通手段で出かけるのかと思ったら、バスになりそうなのである。日本は東京を中心に動いている。

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米沢に酒田港がやって来る

2015-03-14 11:01:31 | 建築・都市・港

3月13日、米沢市の伝国の杜で酒田港女みなと会議の主催によるシンポジウム「米沢に酒田みなとがやって来る」が開催された。

海に縁が無い米沢での開催だったので、果たして観客は来てくれるのだろうかと心配した。テレビクルーも入っている。男性達の発表では動かなかったカメラマン達が、Sさんの番になると、一斉に移動してきて面白かった。やはり美しい対象を撮りたいと思うのだろう。

ステージには酒田の孫獅子と傘福を飾り、2階のホールには子獅子を飾った。子獅子は大層重く、大きくてエレベータに入らず、男性達の手で持ち上げ、階段を登った。会場には大漁旗やパネルなどを飾り華やかに飾った。準備でバタバタしていたので、その辺りの写真がない。

代議士や議員の方々から送られた電報と、最大のイベントの抽選会で特賞となる傘福の内裏びな。実は顧問のTさんから贈られた物だが、数万円だそうだ。おおっ!

米沢で会場の準備を引き受けて下さったFさんから差し入れで、商品開発に携わった賞品でまだ試作段階の為発売はされていないアイス最中。幾つか種類があって、ウコギ、米、桃だったかながあった。甘さは控えめで、塩味が感じられる物があり、美味しかった。

お昼は、来賓やパネラーと共に、伝国の杜近くの吉亭に入る。

米沢の今年の積雪は、例年になく多かったそうだ。

この建物は明治の頃の物で、もともと米織りの建物と住宅を料亭に変えたそうだ。米沢牛を頂く。

 

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スマートエネルギーEXPO

2015-02-27 10:21:49 | 建築・都市・港

羽田からリムジンバスでビッグサイトに向かう。これが一番楽な方法なのだが、高速道路を走った割りには、結構時間はかかったと思う。ラッシュ時にはもっと掛かるそうだ。

25-27日迄3日間開催されているエコハウス&エコビルディングEXPOに、東北電力さんからのお誘いで、往復の航空券を頂き、NさんとAさんと私と3人で出かけた。受付を済ませる間に、東北電力のSさんは次のお客さんの誘導で分かれることになる。

午前中は記念講演で3名の講師の話を聴講する。内閣官房からは次世代の動向、トヨタホームからはスマートハウス、三井不動産からは千葉県柏市に2005年から開発されているスマートシティの概要を聴く。会場は写真が不可だった。レジメ以外の話も出るのでとのことだったが、トヨタホームの秘密の話は、だれでもとっくに知っている代物だった。

ビッグサイトは広い。外に出ずに昼食を摂る。ヒラカツカレー(本当はヒレカツなのだが、あまりに薄くてヒラヒラしていた。)

Aさんはロコモコ。

午後は展示会場に突入する。

東のAB会場は99%がソーラーだった。数百のメーカーが並んでいる。こんなに数が多いとは思わなかった。ソーラー発電の売価が頭打ちから下がり始めているのも頷ける。

我々は会場を回り、カタログとエコバックを集めて歩いた。

モーターショー並みの綺麗なおねいさんが、そこかしこにいる。

トヨタハウスの秘密は、HONDAのブースで現物を見ることが出来る。

いわゆるスマートシティの模型

これは便利と思ったのが、キャンプに持って行けるソーラー。リュックや帽子にも着いていた。これは中国の会社のようだ。

日本に限らず各国からも参加している。

除草機、まさお君と言うらしい。何故と聞いたら、草刈正雄からの命名なんだそうだ。

風力の風車を見てちょっと安堵する。

屋根材そのものにソーラーを組み込んだ物も展示されていた。

 

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親水空間づくりシンポジウム

2015-02-23 10:41:55 | 建築・都市・港

2月21日、酒田市の新井田川の傍にあるグリーンベイで、「酒田の港と水路がおりなす親水空間シンポジウム」が開催された。主催は元気王国である。

日テレのダッシュ村でお馴染みの木村さんの講演も含めて、各団体の事例発表やリレートークが繰り広げられた。

酒田の町には、酒田本港から新井田川→幸福川→豊川を抜けて酒田北港へと注ぐ水路がある。酒田の旧市内をぐるっと一回り出来るコースだ。元気王国では、この水路を使って昨年の8月にシーカヤックで一回りしてみようの催しが行われた。全長25kmあるそうで、途中から入れるビジターコースもあったようだ。様々な団体の支援を受けながら、暑すぎるほどの絶好の天気に恵まれて、楽しく終了した。ちょっと練習すると、誰でも漕げるようになるそうで、朝の6時から7時までの朝活を続けて当日に望んだらしい。

今回のシンポジウムはメモもせずに望んだが、みなと総合研究財団の管家氏の発表で、浜辺のゴミ処理で「ゴミを持っていくと駐車料金がただになる。ゴミを持っていくとコンサートなどのチケットが貰える。ゴミ処理に参加し2000円を払うことで、浜での海産物取り放題」と言う事例があった。正確ではないかも知れないが、良心に訴えるゴミ処理と、楽しみながら利益をも産むゴミ処理の方法があることも知る。

 

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米沢に酒田港がやって来る

2015-02-21 10:01:40 | 建築・都市・港

平成27年3月13日(金)、米沢市の伝国の杜で酒田港女みなと会議主催の「米沢に酒田港がやってくる」が開催される。

山形県内で唯一の重要港湾である酒田港は、山形県民の特に内陸の人達には馴染みがない。十数年前に発足した当時の女みなと会議で最初に取り組んだのが、県都で酒田港をPRすることだった。旧県庁の文祥館で「山形に酒田みなとがやってくる」を開催した。基調講演、シンポジウム、子供達の港の絵の展覧会、美味しい酒田の海の幸市場が同時に行われた。

この取り組みは長い間休止されていた。新体制になって昨年から再開されたが、米沢で開催するのは初めての経験である。どんな楽しい催しにしようかと、様々に案を練っている。

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靖国神社の月

2015-02-02 12:40:39 | 建築・都市・港

いつもは、会議が終わると、近くの美術館に走り大急ぎで作品を観た後でアメ横に行く。この時期は運悪く、国立西洋美術館は常設展しか行っていないし、時間が無いので遠くまでも行けない。2月1日まで建築展を開催している国立近現代建築資料館は、旧岩崎邸庭園の隣にあったが、閉館時間が午後4時半と、到底間に合いそうもない。ならばと、靖国神社へ向かう。地下鉄の市ヶ谷が良いのか、九段下が便利なのかと迷いながら、市ヶ谷から一直線に靖国神社の南門へ向かう。実は東門から入った事がないのである。

今年は「きのとひつじ」である。今まで自分たちが想像もしていなかった出来事が起こる年だそうだ。お参りを終え、御札を求めてから、少しだけ境内を歩く。

正門の隣に、能舞台があった。

これが戦争の資料を集めた遊就館である。和洋折衷の建物である。

これが入り口。もう閉館時間に迫っていた。

日本酒を奉納した各地の酒蔵。山形県は内陸だけだった。

正門の右上に、月が輝いていた。

私が門をくぐる頃には、扉は半分閉まって「もうじき、閉門です。お急ぎ下さい。」と警備員が声を掛けていた。閉門は5時だそうだ。中に入ったまま、扉を閉められた人達は、どうなるのだろう。係員の通る小さな扉でもあるのだろうか。そこから帰るのも面白そうだ。

 

 

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全国みちづくり女性団体交流会議2014

2015-02-02 11:22:03 | 建築・都市・港

上京の目的は、「全国みちづくり女性団体交流会議2014」に出席する為である。会場は昨年と同じ日暮里の駅近くのホテルだった。

実は、この交流会議には全国65団体が加入している。今年の参加者は15団体だったが、昨年よりは少しだけ多かった。始めた当初の頃の参加人数はこの4倍で、1団体当たりの持ち時間は非常に少なかった。あの頃は公共事業が削られ、道路の計画は軒並みストップし、物流にも生活道路にも事欠く中で立ち上げられた。それから十数年が経つと、各地の高速道路は完成していく。完成した地域の団体は、参加しなくなる。残っているのは未完成の地域なのである。

今年はそれが少し様変わりした。道路は出来ればそれで済む問題ではない。高速道路が出来てから、素通りされずにどうやって街中に人を呼び込めるか、地域と産業、そして人づくりが最も重要だとの視点から、完成した地域ではどのような使い方を始めたかの発表も聴くことになる。

参加人数が少なければ、おのずと顔見知りになり会話も弾む。年を追うごとに発表の仕方も面白いものになる。

まずは腹ごしらえである。「このお弁当なら、酒田で1500円もしないよね。ひそひそ」 お刺身もマグロの赤身2切れとイカ刺しで、締めて2500円なのである。

お土産も頂く。酒田からは何もない。(^^;

「必ず、説明を読んでね。」と言われた「一里玉」。昔懐かしい味だった。飴を1粒頬張ると、1里を歩く時間の目安になったと言われている。ただし、現在よりも昔の一里玉の方が粒が大きかったそうだ。

さて、本会議が始まった。今年から事務局と会長さんが、九州から四国の徳島へと代わった。若い会長さんだし、メンバーも多いので一安心だ。

国土交通省道路局長さんの挨拶。「仕事柄、女性は苦手だが、おばちゃんは好き。」とセクハラぎりぎりの発言で、会場が大いに盛り上がる。どの団体も10年以上の活動経歴を持つ。昔は誰でも若かったのだ。

各団体の発表が始まる。持ち時間3分で容赦なく打ちきりとなる。

以前から、パフォーマンスが上手いアメノウズメノミコトのような女性が大勢いて、場を盛り上げていたのだが、最終兵器は青森県下北の女性達だろう。去年は白波五人男だったが、今年は相撲甚句に挑戦した。この化粧回しも手作りだそうだ。

事務局を担ってくれる徳島の女性達。中には「私、若く見られるけど歳なのよ。南海トラフの地震の時の津波を覚えているわ」と、自称80歳のびっくり仰天の女性も、この中に写っている。津波の被害を受けたとすると、1946年の昭和南海地震か。徳島の太平洋側は、海から切り立った崖までの距離も短く、その間に道路はあるが、高波や津波ですぐに通行止めになる道路だと言う。四国の瀬戸内海側は道路などの整備は順調だが、特に徳島の太平洋側は迂回ルートも少なく、町から一番近い空港まで2時間を要すると言う。病院に行くにも生活の上でも不便を強いられているそうだ。

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悪天候

2015-02-02 10:36:57 | 建築・都市・港

庄内空港から2便で東京へ向かう。庄内空港には無事に時間前に着いたが、今何時?時計の針がない。雪交じりの水溜まりを避けながら、空港ビルへ急ぐ。

朝は良い天気だったのだが、この日は仙台沖に低気圧があり、冬型の気圧配置と共に、日本海側に強風波浪警報が出ていた。お陰で、行きは良い良い帰りは恐いだった。最終便を待つ羽田空港では、日本海側のフライトが軒並み「着陸できない場合は羽田に引き返します。羽田到着時には電車などの交通機関は終わっておりますので、後は自己責任で・・・。」と迄は言わないが、アナウンスが流れる。引き戻った時には、ANAは面倒は見てくれない。財布の中身を見てみると、お土産の買い過ぎで残りが少なかった。JRで帰る羽目になると交通費しかない、空港のベンチで夜明けを待つのか状態で、ビクビクだった。

結果は、腕の良い機長の操縦で、庄内空港に無事に着陸はしたのだが、着陸態勢に入ってからの揺れは酷かった。滑走路に降りてからも、飛行機はザーッと強風で何度も横に引っ張られ、その都度体勢を整える。雷付きの大嵐の最中だったのだ。

空港からの車の運転でも、横風に揺れながらだったから、飛行機なら尚更だろう。少々恐かったが、家に帰れて有り難かった。

 

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IKEA仙台

2015-01-25 09:39:15 | 建築・都市・港

仙台のIKEAに行く。古い方のIKEAには入った事があったが、新しくなっては始めてだった。

目的は仕事で使う製品の打ち合わせだったのだが・・。

あまりに店舗が大きく迷路のようで、目的の売り場に行くのに一苦労だった。所要時間は1時間半ほどで急いで切り上げたが、一日のんびりと見て歩ければ、どんなに楽しいだろうと思う。

昼食は国分町で牛タン定食を頂く。右側はテールスープだった。

仙台の街中は、勿論雪はない。

少し風は冷たかったが、お天気は良かった。

今回はお客さんに乗せて頂いて、高速道路を走る。ここは途中の月山自動車道路である。3台の除雪車が、雪崩防止の為の除雪をしていた。除雪車は街中を走る物と違い、サイズが大きい。

道路の脇の雪は、はるかに高い。

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雪道

2015-01-21 13:07:41 | 建築・都市・港

今年になって初めての山形行きだった。オンボロタイヤで月山道路を走るのは辛いので、国道で行くと決めではいたのだが、案の定高速道路で交通事故による通行止めのニュースが入り、「やっぱりね。」と自分の判断に自信を持った。この日はなかなか気温が0度から上がらず、家の前の道路は轍のついたまま凍っていた。

行きがけにガソリンスタンドに寄る。軽油が100円台になっていたのでほくそ笑む。まるで民主党時代のようだ。ここで、バックの中に免許証が入っていないのに気がついた。K氏の御父上の葬儀の時のバックの中に入ったままだ。急いで戻ったが、見事に時間をロスした。このまま無事に時間までに着くのか心配だ。

再度、事務所を出発すると、青信号が続く。大きな道路の表面は凍ってはおらず、スピードは落ちていない。最上川縁から新庄での分岐点でも、青信号のままに進む。おかげで豪雪地帯の雪嵩を撮すことが出来なかった。尾花沢でも同じである。確かに清々しい程の雪の量ではあるが、記録的な豪雪と呼べるまでには至らなかった。尾花沢を通り抜け土生田の坂道を下ると、途端に雪の量が減ってくる。これから村山市に近ずくにつれ、益々雪嵩は低くなってくる。いつも気の毒だなと思う場所である。この土生田の交差点でやっと赤信号になった。

村山市の道の駅で休憩をとる。施設の職員さんだろうか、長い棒で雪崩の危険箇所の雪払いを行っていた。

さすがに冬ともなると、道路工事で停められることはない。除雪の為にちょっとの待ち時間はあったが、殊の外スムーズに走る事が出来た。ここは東根の辺りかと思われる。

予定よりも40分も早く県庁に着いた。昼食の時間を削った為でもある。

県庁の駐車場はきちんと除雪がされていてが、街中は酒田よりも雪は多かった。

県庁ロビーのパネル展。おやおや、酒田の夢ネットのパネルがない。

飾られてい啓翁桜。大きな盛り花だった。大寒も過ぎて、あとは春を待つばかりである。

 

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UIAゴールデンキューブ賞

2014-12-22 09:51:09 | 建築・都市・港

UIA(国際建築家連合)のゴールデンキューブ賞(子どもを対象とした建築や都市環境の教育活動)の最優秀賞に、「子どもたちが応援する歴史的建造物の震災復興〜地域・小学校等との協働プロジェクト〜」(建築と子供たちネットワーク仙台)が選ばれた。

発表する細田さんと渋谷さん

彼女たちの活動は25年前から始まった。初期の頃、私もプログラムに参加させて頂いた事がある。長い間、よく続けて来られたと感心し、最優秀賞を獲得したのも頷ける。本当におめでとう!

今年のUIA大会は、南アフリカのダーパンで開催された。お二人は家を出てから三十数時間かけて会場にたどり着いたそうである。長い・・・。

取り組みは2つ。1つは東日本大震災で破壊された登り窯の修復をこども達と行ったこと。もう一つは同じく東日本大震災で壊れた旧丸木商店の土蔵の修復に、こども達がデザインした紋の格子を飾ったこと。

その紋が素晴らしい。

アフリカらしいトロフィー。

勿論、大会でのスピーチは英語だったそうで、二重の意味で偉いなと思う。

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こどもの村東北 開村式2

2014-12-21 17:09:00 | 建築・都市・港

こどもの村東北が、そんなに重要な意味を持つ建物だとは知らずに、こどもの城(遊びと教育)の延長くらいに考えていた私は、開村式で始めて知る事になる。

仙台は雪だった。バスを乗り継いで茂庭台に着いた私は、公民館で行われたセレモニーには間に合わず、直接こどもの村東北の建物の前での除幕式から参加する。皆で除幕式の綱を引っ張るのだが、幕に雪が載っていて、引っ張っても幕が上がらなかった。笑いと響めきの明るい除幕式になった。

入り口の前にはテントが張られて、全体の写真が撮れなかった。一番綺麗な所は針生先生の写真を載せさせて頂いた。

ここは事務所や家族室から広場が眺められる。

その広場には住宅が3棟建っていた。ここは里親と一緒に暮らす住宅である。

まだ敷地は残っており、予算が付けば別の住宅を建てるそうだ。

エントランス。右に講堂がある。

講堂の中

中央に3.6mのホール(廊下)があり、そこから様々な部屋に入る。また開口部を開けることによって、大きな部屋として使う事もできる。

ホールからエントランスを見た様子。

講堂でのセレモニーが始まった。来賓の挨拶はオーストリア政府の全権大使だった。「SOSこどもの村」は1949年にオーストリアのイムストに、当時医学生のヘルマン・グマイナーによって設立された。

ロバート・キャンベル氏

この女性は、イケアの社長。家具など多大な寄付をされた。顔ぶれがあまりにナニなので、同じ場所にいることにびびってしまう。

講堂の外壁

村長さんとスタッフさんの住まい。

外壁は木の板。内側はカンナ仕上げだが、外側は荒削りのままに塗装されている。

可愛い犬のオブジェと思ったら。

れっきとした美術品で、価格が3000万円だそうだ。こども達はきっと触りたがるだろう。

道路を挟んで向こうが公園と、環境は良い。

この山が太白山だそうだ。

 

 

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