赤い彷徨 part II
★★★★★★
永田充不安クラブ♡
 



前回からのつづき)

大手三の門をくぐると左手に百人番所という、ご覧のとおり全長50メートルくらいはあるとても長い建物があります。ここでは1日24時間ずっと、甲賀組をはじめとした4グループが輪番で警護をしていたところだそうで、文字通り各グループ100人配置されていたとのこと。



そして右手には中之門跡がありますが、ご覧のとおりこちらの石垣は江戸城の中でも最大級の石が使用されています。しかもその巨石が加工されて隙間なく積まれています。




この積み方「切込みはぎ」と呼ばれる技法だそうです。そしてここで使われている石は瀬戸内海沿岸から運ばれた白い花崗岩だということで、西国の諸大名から献上されたのではないかと考えられているのだとか。外国人観光客の方と比べてもご覧の規模感です。



その中乃門跡をくぐると右手にあるのが大番所。こちらでは百人番所、同心番所と比べて一番位の高い与力や同心が警備にあたっていたようで、本丸への道では最後の番所ということで警備上の重要性は高かったと考えられているようです。建物自体は明治期に再建されたもののようではありますが。



その大番所の横にあった松の木と、その背後の石垣の内側の階段と思われるものです。



大番所を後にし、本丸へと続く大きくカーブした道を進みます。



そこには中雀門跡(ちゅうじゃくもん)があります。写真だとわかりにくいかもしれませんが奥の左側の石垣の損傷がかなり激しく、これは先述の明暦の大火で焼けた旧天守台の石垣を利用したのではないかと言われているようなのです。



中雀門跡のところで振り返ったところの石垣です。どうやらかつてこちらには書院二重櫓とよばれたものがあったようですね。



中雀門跡をくぐるとかつて大きな御殿があった本丸が広がるのですが、そちらは我慢してその前に左に旋回、木々を掻い潜るように歩を進めた先に富士見櫓があります。江戸城にあった櫓のうち現存する3つの櫓のうちのひとつです。明暦の大火で焼けたもののその後再建され、再建されなかった天守の代わりとしての機能も果たしたようで、将軍が両国の花火や品川の海を眺めたりしたのだとか。



(つづく)

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