赤い彷徨 part II
★★★★☆★☆★★☆
こんにちは、アジア王者です。↑お星さまが増えました。
 



前回からのつづき)

そしていよいよ(というほどでもないか)天守台が近づいてきました。1657年明暦の大火(俗に言う「振袖火事」)で消失してしまい、再建の計画もあったようですが復興優先ということで見送られ、現在に至るまで天守台のみが残っています。以後は先述の富士見櫓が天守的な役割を果たしたということのようです。



浜離宮あたりもそうですが、遠くに大都会のビル群を望むコントラストは見事ですね。この江戸城跡をはじめ武家屋敷の庭園が数多あり、さらに新たに開発される地区でも積極的に木々が植えられたりしているのだから東京に緑が少ないはずがありませんね。



この江戸城天守台は天守台の高さ13m、上面(天守1階)は35mx40mほどあったというのですから日本の城の天守台としては最大規模だったのではないでしょうか(まあ当然と言えば当然か)。



天守台の奥に見えるのは桃華楽堂(とうかがくどう)、1966(昭和41)年2月に昭和天皇の皇后であり今上陛下の実母である香淳皇后(こうじゅんこうごう)の還暦記念に建設された音楽堂とのことです。音楽がお好きだったようですね。



3度築かれたという江戸城本丸天守のうち最大だった寛永度(1638年)は45mもの高さがあり、天守台の13mと足すと地上58mということになりますから、江戸時代としては相当大きく高い建物だったのでしょうね。



天守台を登る途中であらためて振り返ってみた丸の内のビル群ですが、手前に広がる本丸御殿跡の広さも何となくうかがえる構図になっていますね。



天守台の上の本丸広場との反対方向(北側)には北詰橋門を窺がうことができます。こちらも門からも皇居東御苑に出入りすることはできるようです。最寄駅は地下鉄竹橋駅になるようです。



整然と積まれた石垣にはあらためて惚れ惚れします。現存するのは明暦の大火後に再建された4代目の天守台で、加賀藩4代藩主・前田綱紀の手によるものです。



(つづく)

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