猟銃自殺した俳優・田宮二郎、その2人の息子達…

2014-02-17 21:00:00 | 日記風

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 田宮 二郎というと私の世代では、猟銃自殺をした俳優という記憶しかない。享年43歳。

 本人の代表作「白い巨頭」のドラマ版の最終回の前に死去してしまい、最終回がえらい視聴率になったということくらいしか知らない。

 生い立ちは生後4日で住友財閥の大番頭だった父を失い、戦後間もなく母も失う。

 本人は京都の親戚で育てられる。俳優の南川直は父方のいとこのようだから、芸能一家の1人と考えてもいいだろう。

 スポーツニッポン主催の「ミスターニッポンコンテスト」で優勝し、大映演技研究所10期生ととなる。

 のちに勝新太郎の「悪名」(田中徳三監督、今東光原作)でモ―トルの貞で人気が出る。

 昭和のクールガイと呼ばれ、人気を博するが、ポスターの名前の序列(これは今でも意外と揉めることはあると思う)で、大映から出ざるを得なくなる。

 この頃、既に女優の藤由紀子と

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 結婚し、2人の男児がいたため、テレビ界に進出をする。


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 歌手の経験もあるが、1960年から始まった「タイムショック」の初代司会を担当し、今までとは違う優しい雰囲気で人気を博す。
 テレビドラマにも出るようになり、再び人気を取り戻したが、「日本のハワード・ヒューズ」になるといいだした頃から、ビジネスに進出し、ゴルフ場、マンション経営に乗り出すが失敗に終わる。
 昭和の時代に有名だった「M資金」にも関わっていたといわれるが、長男が否定している。

 日英合作映画「イエロー・ドッグ」(松竹)の製作・主演も行ったが不入りに終わり、多額の借金を抱えてしまい、この頃から彼の悩みが始まる。

 精神科医の斎藤茂太氏から躁鬱病と診断されるが、本人がそれを認めず、治療もしなかった。
 
 1977年に本人の願いだった山崎豊子原作の「白い巨頭」がドラマ化されることになる。
 財前五郎(田宮の本名は柴田五郎)だったこともあり、異常な情熱をこの作品に燃やしていた。


 
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 元々、凝る俳優だったらしく、オぺシーンのために大量の豚肉などを買い込み、メスの入れ方1つでも研究するほどだった。

 しかし撮影が始まると、病気のせいか、情熱が突然失せ、トンガへ石油発掘権を得たと言って旅立ったり、ロンドンへ行ってしまったり、スタッフを心配させることが起きた。
 借金も莫大となり、妻とも偽装離婚をして財産を守るなど、並大抵でない苦労があったようだ。

 そして、撮影が佳境に入り、財前が癌で死んでいくので、3日間絶食して雰囲気を作ったり、自ら死したあとのストレッチャーに白い布をかぶせられ乗っていくシーンも演じている。

 撮影が終了すると、もう何をやっていいのか判らない虚脱状態だった。


 その後、世間でも有名となる猟銃自殺を行ってしまう。足の指で散弾銃の引き金を引き胸を撃ちぬくといういうやり方だっため、一方を聞いた作家の山崎豊子氏が自身の「華麗なる一族」のシーンを連想したという。
 田宮は、この作品には出てない。出たかったが叶わなかった。そのとき僕ならこうすると見本を見せたことがあったためだという。

 家族は自殺と、残された遺児を守るため、妻の藤由紀子が必死に守ったという。

 兄の芸名:柴田光太郎「本名:柴田 英光(しばた ひでみつ)は、

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 卒業した学習院大学で講師をしていたが、フランスへマスコミの勉強中に、キャスター就任の話が持ち込まれ、帰国し、29歳からしばらくキャスターをしていた。
 本人にも俳優をしたい気持ちがあったが、父の死後のマスコミ攻勢、父の息子なのに下手だ…と思われることを気にして踏み出せなかった。

 のちに俳優デビューもしている。
 現在は俳優業より、高校教師に重きを置き、妻子(子ども3人、名前などは非公開)がある。

 正直、兄の方が、何がしたいのかというと、判らない。俳優を諦めているのか、家族を優先しているのか、マスコミ攻勢にどこか嫌気があるのか?
 読めない人だと思う。

 弟の芸名:田宮五郎「(本名:柴田 英晃(しばた ひであき)」

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 は父の名前の五郎を意識してつけられた芸名だと言われる。
 元々俳優を志していたが、父が早くに俳優になってしまい実社会の経験がないから、色々な経験をしてからなれとという教えを守って30代を過ぎてからのデビューをする。

 数本のドラマに出たが、2012年に40代半ばにしてくも膜下出血を発症する。
 それと同時に女優の浅野ゆう子


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 との交際が発覚する。

 今も浅野は五郎を助け、リハビリを手伝っている。将来は姉さん女房になる可能性が高いと言われている。 

 
 兄弟2人とも1月13日生まれで年子である。

 私は、兄の光太郎には偶然駅で遭遇したことがあるが、遠くからでも目立つ長身、顔立ちをしている。
 弟も写真や映像で見る限り、父譲りの2枚目だが、両方とも共通して濃いと言える。
 整った顔立ちだが、それが今の風潮に合っているかと言うと…。

 ちょっと残念だ。


 まだ田宮二郎の名前が世間に通じる頃、デビューしていれば、嫌な思いはしたろうが、芽は出た可能性はある。

 忘れ去られた後に出てきているから…2世だが、2世と呼ぶには世間が知らない。

 お父様が若くして俳優として成功したことと、亡くなり方が特殊だったことで、息子さん方のデビューに影響ができたように思うが、役者と言うのは、旬があるので、これも若い内に始めた方がよかったのでは…と思う。

 それだけ、田宮二郎の死去の仕方が衝撃的だったと言えるかもしれないが…。


 田宮五郎が浅野ゆう子の助けも得て病気を克服し、どこまで伸びるかが、これから注目されるかもしれない。


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