まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

老眼鏡 掛けて外して 梅雨の午後

2015年06月22日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で雲が広がっていた。夕方からは雨の降る所がある見込みなのだとか。気温は19度から24度、湿度は86%から72%。風は2mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の23日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、明け方まで雨の降る所があるけれど、昼前からは晴れてくるらしい。

 

 昨夜は山登りで疲れたのか、夕方の7時過ぎから寝てしまった。で、朝は6時前まで寝ていた。こんなに寝たのは久しぶりだが、なんだか一日中眠たいまんまだった・・・。

 
 今日は「夏至」らしい。確かに、一昨日は17時に夕食の宴会を始めたが、まだまだ明るすぎて雰囲気が出なかった。かと云って、雨戸を閉めてまで酒を飲む雰囲気でもなかったのだ。昨夜は曇っていたし、今日も曇っているから「夏至」らしい雰囲気は全くない。

 

 朝から昼から・・・景色はこのまんま。晴れもせず雨にもならず・・・。はっきりとしないところが「梅雨時」の風景なんだろうと思ったりして・・・。

 

 何がどうしたという訳でもないのに、なぜか眠たくて、けだるくて、物憂い気分。昼寝をしてみたけれど状況は良くならない。疲れが溜まるようなお仕事もお役目もない毎日なのだけれど。わが家のメダカは相変わらず元気。

 

 午前中のお仕事はこれだけ。25年度の興正学会で発表した「二十四輩さん」の関連資料と、27年度の興正学会で発表した「法然上人」の関連資料をそれぞれに製本して片付けた。なんでもかんでも手元に積み上げて置くわけにもいかないのだ。用事の終わった資料はライブラリーに保管しておく。

 

 今、こういう本を読んでいる。曹洞宗のお坊さんである、「酒井大岳」先生の「心があったまる仏教」という本である。単に活字が大きいのと、空白が多いので読みやすいかなぁと選んだ本である。ま、仏教をダシにした随想集である。

 

 こういうお坊さんである。そのお話の中に「梅の一生」というお話があった。このお話の中には、「語り文句」として、「梅の一生」という文章が登場する。

二月・三月花ざかり。うぐいす鳴いた春の日に、たのしい時もゆめのうち。五月・六月実がなれば、枝からふるい落とされて、きんじよの町へ持出され、何升何合はかり売り。もとよりすっぱいこのからだ、しおに漬かって辛くなり、しそに染まって赤くなり、七月・八月あついころ、三日三晩の土用ぼし。思えばつらいことばかり、それも世のため、人のため。しわはよっても若い気で、小さい君らのなかま入り、海や山にもついてゆく、運動会にもついて行く。ましていくさのその時は、なくてはならぬこのわたし。

 こういう文章があったんだ・・・と驚いた。

 一方、こちらは童謡である。 

 【作詞】不詳(補作詞 翔裕園)
  【作曲】宮川 博之

二月・三月花ざかり
咲いた咲いたよ 梅の花
うぐいす鳴いた春の日に
たのしい時もゆめのうち

五月・六月実がなれば
枝からふるい落とされて
きんじよの町へ持出され
何升何合はかり売り。
もとよりすっぱいこのからだ
しおに漬かって辛くなり
しそに染まって赤くなり

七月・八月あついころ
三日三晩の土用ぼし
思えばつらいことばかり
それも世のため、人のため
しわはよっても若い気で
小さい君らのなかま入り、
海や山にもついてゆく
運動会にもついて行く
ましていくさのその時は、
なくてはならぬこのわたし

九月・十月秋の日々
山はもみじやかえでが色づいて
里の庭々 秋の声
ふたたび 仲間は
おにぎりやシソに
巻かれて 旅に出る
わたしはさびしく樽の中

十一月・十二この月に
山には雪がちらちらと
里には木枯らし吹き荒れて
庭ではペッタンペッタン餅をつき
樽の中では ブルブルと
私はふるえて 年を越し

正月元旦年明けて
書き初め 羽根つき  コマまわし
家で家族が笑顔で雑煮たべ
梅の姿がふくらんで
花の香りを待ちながら
私は樽の中より おめでとう


『尋常小学読本巻五』所収の古い曲であるが、2003年頃に改めて手直しされ脚光を浴びた曲である。つまりは全く同じものである。ところが、この酒井先生は、この歌の方はご存じない。戦前から歌われていたのに、地方性もあるのだろうか。

 

 今日、迷犬ごんの散歩の時に、久しぶりにかたつむりを見た。普段から歩き回っているのだろうが、こちらが車で走ってしまうから目にしないだけなんだろうと思う。それだけ自然に遠くなってしまったんだなぁと思った事である。

 

 こういうバッタやキリギリスなども葉っぱの裏で暮らすようになった。まだ、虫の声は聞こえないが、確かに虫たちは活動を始めている。いつの間にかホタルは姿を消して、夏の虫、秋の虫の競演が始まるってことだ。

 

 私は今日は、のほほぉぉんと暮らしてしまったのだけれど。

 

 こうしたビワも、子供の頃には競って食べたものだが、最近はとんと見かけなくなった。このあたりにだって、ビワの木や葉っぱは見かけるのだけれど、こうした黄色い実が実っているのは見かけない。おそらく、実る前から、野猿が食べてしまうに違いない。役所からは「餌付けをしないでください」というお触れが回って来るのだけれど、別に意識して「餌付け」をしている訳ではないのである。

 

 わが家の睡蓮である。ようやくに肥やしが効いてきたのか花が開くようになってきた。ま、植えたら植えっぱなしで、育てているというようなものではない。

 

 今日の掲示板はこれ。「根無し草に花は咲かない。信念がなければ人生に華は咲かない」という松下幸之助さんの言葉からである。どんなに立派な茎を持った草であっても、根がなければ水や養分を吸い込むことができない。だから花を咲かせることはない。人間に置き換えると、どんなに立派な地位につき、どんなに裕福な状態であっても、心がなければ、心が腐っていたら、成功とは言えない。今は見かけ上成功しているように見えたとしても、いずれ朽ち果ててしまうだろう。人生に花を咲かせるには、たとえ見かけは小さな体であっても、自分自身の価値を見出し、価値を信じる力が必要である。それが信念というものに結晶化され、志という確固としたものに昇華する。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。



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