まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

御衣黄も この時期だけの ほめ言葉

2017年04月18日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていたが、昼過ぎからは晴れてきた。気温は14.0度から21.9度、湿度は86%から64%、風は5mから6mの西の風が一時は強かった。明日の19日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日は火曜日ということで、恒例の「前山地区活性化センター」に出勤した。いつもは9時からなので8時45分くらいに来るのだが、今日は準備してきた展示物を展示するので8時10分にここに来た。

 

 で、準備したものを展示ケースに並べてみた。まだ、「仮置き」である。

 

 置いてみて、この「かぶと」が誰の物かわからない。「愛宕山」はどこの「愛宕山」なのかわからない。愛宕権現(あたごごんげん)は愛宕山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神号であり、イザナミを垂迹神として地蔵菩薩を本地仏とする。神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、山城国(現京都府)愛宕山白雲寺から勧請されて全国の愛宕社で祀られた。

 

 このかぶとは、仙台藩の重臣、「片倉小十郎」のもので、代々、「片倉小十郎」を名乗って、このかぶとを着用した。伊達政宗の病の目をくりぬいたのも、この「片倉景綱」であった。愛宕山白雲寺は勝軍地蔵(将軍地蔵)を本尊としたため、戦国時代にかけて愛宕権現は勝軍地蔵が垂迹した軍神として武士から信仰を集めたという。

 

 今度の宿題はこれである。「長日護摩供之トク 本願 成就院」という護符で、誰かが「高野山」と朱書きしてある。で、この袋の中に、

 

 という「神符」が入っていた。これはどこのものなのか・・・。

 

 で、こういう本で調べてみた。この「金峯山寺」の境内に「成就院」という建物はあった。

 【成就院】 成就院は「吉野山絵巻」(桜本坊所蔵)ならびに『大塔宮之吉野城』によると、葦駄天山の南にあった。寺僧方。 「吉野惣山寺領配当目録」(文禄四年)で五石を配当されている。では、祇園社は・・・。

 

 【牛頭天王社】牛頭天王社は高算堂の南方にあった。創建不詳。「大和国国軸山金峯山寺由緒略記」(慶応四年七月、東三箱五号)に「牛頭天王社去子守社南二町余、在躑躅岡。素蓋雄尊ヲ祭~。御鎮座ノ時代分明ナラス」とある。

 

  慶応四年(一八六八) 五月廿四日、神仏分離にともない吉野山の三社の社号を改める願書を弁事伝達役所に提出したが、その中で牛頭天王社を躑躅岡神社と改称する案が出された (集成三部三八四号)。しかし、「牛頭宮は子守の八王子神社と岩倉の牛頭神社と辰之尾の雨師明神社へ分割合祀された」(宮坂徴和前掲書)。と、あった。

 

 私と中島先生は次の展示の準備。

 

 ほかの皆さんは、今週の土曜日に行われる年度総会の準備に大わらわ。

 

 お昼から大窪寺の「御衣黄(ぎょいこう)桜」を見てきたが、ようやくに花を開きかけたところ。今年は何もかもが少しばかり遅い。

 

 今日の掲示板はこれ。「険しい道ではつまずかないが 平らな道でつまずく」という荒了寛さんのカレンダーから。危険な場所や困難な仕事には慎重に慎重に行動して、結局何もなく終わることがあったりするもの。逆に、『なんでこんなことで?』とか『そんなことも出来んのか』といわれる仕事なんかで、思わぬ失敗をしたりするもの。慢心や油断がそういうことを起こしてしまうのだろう。初心を忘れず、丁寧な仕事や行動を心掛 けたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。



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