まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

花しょうぶ メール一つを 受け取って

2017年06月04日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は14.6度から24.3度、湿度は84%から44%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の5日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 朝方、孫のはやて君が試合に行くので送って行って・・・というので、競技場まで送っていって、あと、夕方まで時間が空いたので、さぬき市鶴羽(つるわ)という所にある、2010年に閉校した鶴羽小学校にやってきた。現在、さぬき市の埋蔵文化財の9割がここに集められているそうだ。

 

 実は、おへんろつかさの会長の渡邊さんは、文化財保護協会とか古墳研究会とかにも加入していて、この日のバスツアーの参加者が少ないので、応援してくれないか・・・ということで、いつもの中島先生と二人で人数合わせに参加したのだった。

 

 まずは、古墳の基礎知識をお勉強してから、バスツアーになったのだが、40人乗りのバスが超満員。私らはマイカーで、「富田茶臼山古墳」に向かった。

 

 さぬき市大川町にある「富田茶臼山古墳」はみろく自然公園から北方を見下ろす位置にあり、全長139メートルの四国最大の規模を誇る。築造年代は、埴輪の特徴から5世紀前半と考えられており、大和朝廷との強い結びつきを物語る大型前方後円墳に共通した盾形の周濠と周堤帯が巡る特徴をもっており、この富田茶臼山古墳は、貴重な文化遺産として国指定文化財となっている。中学生の頃は、この県道を朝夕に通ったものだった。

 

 当然、私もガイドはできるが、今日は「まるで初めて・・・」のように、「へぇ~」とか言いながら聞いている。少しお話が長いぞ、このガイドさん。

 

 ここから見れば、その大きさがわかるだろう。手前が「前方部」で、左手奥が「後円部」で、三段の段丘も実感できる筈。この段丘に、円筒埴輪が並べられていた。

 

 後円部の頂上から西を遠望する。ここから見える領域が、このお墓の主の領地であったというのだから広範囲を治めていた人らしい。ま、古墳時代前期に四国を治めていた人物だとも考えられているそうな。

 

 驚くのは、女性の数が多く、若い娘さんや小学生もいた。私にすれば、日常、目にする風景なのだが、歴女たちや古墳マニアにとってはすごいお墓らしい。

 

 ガイドさんは、「周堤帯」とか「陪塚(ばいちょう)」とかと専門用語や業界用語を連発しているが、ご法話でも同じ事だが、一般の方にわかる言葉で話さないといいプレゼンにはならない。自分たちの目線ではなくて、一般の方の目線に合わせることが大事。聴衆によって言葉を選ぶべきだなぁと思った。

 

 お昼はどうしようかと迷ったが、鶴羽の「古墳まつり」の会場に戻るのも面倒だから、さぬき市長尾の「ショウブまつり」の会場をのぞいてきた。ここも、ものすごい人出で、駐車するにも一苦労。「おにぎり2個」で200円と、「おうどん」300円の計500円のお昼。食券の代わりにバナナ1本を渡される。これを持って隣のテントに行くと、おうどんが出てくる。

 

 これで300円とは・・と思うが、バナナ込みのお値段かも。ま、おなかが空いていればなんでもおいしい。

 

 まぁ、阿波踊りからよさこい踊りから、子供たちのダンスから太鼓の演奏からと出し物も目白押し。こうした模擬店もあれやこれやとにぎやか。

 

 肝心の花しょうぶを鑑賞もせずにお土産を両手にいっぱい提げて帰るご婦人たちも多い。

 

  今日の掲示板はこれ。「努力した人ほど運が良かったと言い、努力が足りなかった人ほど運が悪かったという」というもの。誰の言葉かはわからないが、あちらこちらで見かける言葉である。努力と運とが関係するのかどうかもわからないが、要は自分の気持ち次第だと言うてるのだと思う。若い頃には「運がいいとか悪いとか人は時々口にするけど、そういうことって確かにあるとあなたを見ててそう思う・・・」という歌が好きだった。今は、運だ、天だと考えることもなくなった。加齢なんだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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