まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

睡蓮は 今も昔も 知らぬまま

2017年06月19日 | 日常・・ありのまま。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は20.3度から30.1度と今季初の真夏日となった。湿度は88%から54%、風は1mから3mの西北西の風が少しばかり。明日の20日は高気圧に覆われて晴れるけれど、夕方からは梅雨前線の接近で次第に雲が広がり、夜は雨の降る所がある見込みらしい。

 

 今月11日の朝食で前歯が1本折れてしまって、翌12日の朝イチで仮修理と治療をしてもらった。

 

 でも前歯の欠けたまんまで、17日の講師をつとめ、18日の法務をつとめ、本日、差し歯ということで修理をしてもらった。

 

 で、またまた、こういう試供品とかを頂いた。このシュミテクトとかカムテクトというのはあれば便利な物。

 

 で、先日に借りていた本の一冊。砂糖の神様、向山周慶の次は、ハマチ養殖の父とも言われた「野網和三郎」さんのお勉強。

 

 それまでの「獲る漁業」から「育てる漁業」への転換を目指した男の物語である。

 

 東かがわ市には、こんなカルタまで作られている。

 

  引田漁業協同組合における魚類養殖の歴史は、昭和3年(1928)に野網和三郎(ワーサン:和三郎の愛称)が 安戸池(東かがわ市引田)でハマチ養殖に成功したときから始まった。地元引田の網元の3男であった和三郎は、当時の漁師の厳しい生活とその将来について、強い危機感を持っていた。

 

 翌昭和27年の漁業法の改正により、引田漁業協同組合に事業が引き継がれ、安戸池の養殖事業は観光化し、その盛況ぶりは全国の注目を集めた。その後、昭和30年代になって、小資本・少人数での経営が可能な、小割生簀が普及すると、 急激に養殖が盛んになり、香川県を含めた西日本各地で養殖が広く行われるようになった。

 

 私が小学生の頃は、こういう状況で大賑わいをみせていた。

 

 しかし、いつしか、その賑わいも消えて、立ち並んでいた活き魚割烹旅館も撤退し、こうした杭を残すのみとなってしまった。

 

 この銅像が寂しそうに安戸池を見つめるばかりだったのだが、

 

 近年は、こうしたブランドで、「オリーブハマチ」や「引田鰤(ブリ)」の名前で盛んに販売されるようになっている。そういうことのお勉強を始めようと思った日である。

 

 今日の掲示板はこれ。「仏教の言葉は時代をこえてひびき 科学のことばは時代とともにかわる」という世界的なウィルス学者・東昇先生の言葉から。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。近年、「生きているものの寿命は延びたが、死んだものの寿命は短くなった」と言われている。「あの人だったら、こんなとき、どう考えるだろう」。たしかに、そんなふうに、故人を思い出すことが少なくなったように思う。「社会の変化が速くて、昔の人の経験は役に立たないからだ」と思われるかもしれないけれど、社会は変わっても、仏法は変わらない。故人を思い出すことが少なくなったのは、「仏法に生きた、あの人だったら、こんなとき、どう考えるだろう」と、そんなふうに思い出される「仏法者」が少なくなったということではないだろうか。かつて、曽我量深先生は、「仏教の近代化・現代化の要請」に対して、「仏教には近代も現代もありません。仏教は永遠です」とお応えになっていた。また、東昇(ひがし・のぼる)先生は、「宗教のことばは時代をこえてひびき、科学のことばは時代とともにかわる」とおっしゃっていた。私たちは、お念仏の教えにご縁を頂いている。お念仏は、ただ称えるだけである。称えて救われるかどうかは、知らない。お念仏は、ただ称えるだけ。嬉しいときも、お念仏。悲しいときも、お念仏。ただ、それだけである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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