まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

雲間から 窮屈そうに ほととぎず

2010年06月12日 | 自然
今日は午前中は晴れて気持ちのいい朝だったが、午後からは蒸し暑い薄曇りの梅雨空みたいになった・・・。

 今日は所属寺院の春の永代経の法要の日だ。いまさら・・春の・・という時期ではないのだけれど、お寺の都合で・・今日になった。

 

 こういう・・行事もだ・・。土・日がいいのか、平日がいいのかに二分する・・。足の悪いご婦人たちは・・送迎する子や孫の都合にもよるだろうし、出勤する法中(ほっちゅう:お坊さんたち)は・・土日は忙しいしね・・。なかなかに・・「後生の一大事」というものが理解できずに、目の前の出来事に追われる毎日・・・。

 

 こういう時代だから・・・なかなかに信仰ということになると難しい・・。しかしのかかし、いつかは枯れていかねばならない私たちだもの、生きる意味、死んでいく意味を考える時期にあるんじゃないのかなぁ・・。「死」は」待ったなしやからね・・・。その、準備はできてるんじゃろうか・・、」みんな・・。

 

 今日の法要は・・「仏説阿弥陀経」のおつとめ・・。私と先輩僧侶の三好さんは受付係。「地場懇志」という・・おつつみを受け取って、お供えの品々を渡す・・いわゆる「受付」だし、その前には・・いろんな準備・・。お供えやら・・・なんやらなにやら・・。
 
 

 

 ま、いつもと同じ法中さんたちのご出勤で、春の永代経のおつとめが行われて終わると、ご法話・・ということで、少しばかりのお話がある・・。「お聴聞:おちょうもん」というもので、ほとけさまのお話を聞きながら・・自分の人生の有り様を考える時間・・。ま、いわゆる・・お説教を聞きながら・・自分のこころの有り様を振り返ってみる時間・・。

 

 高松市西植田町の称名寺さんが、人生をどう過ごすか、どのように生き抜くのか・・・みたいなお話をされた・・・。仏教というものは死んだ人のためにあるのではない。生きている私たちのためにあるもの。どのように生きて、どのように死んで行くのかを考える教え・・・みたいなお話だった・・。

 


 さて、今日は「日記の日」なのだそうだ・・。1942(昭和17)年のこの日、ユダヤ人の少女アンネ・フランクによって「アンネの日記」が書き始められた。

 

 アンネの家族は、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害を逃れて、アムステルダムの隠れ家に身を隠した。日記は隠れ家に入る少し前の13歳の誕生日に父から贈られたものだった。1944(昭和19)年8月1日、アンネらは隠れ家から連れ出されて、ポーランドのアウシュビッツに送られたため、日記はこの日で終わっている。そして、1945(昭和20)年3月31日にドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所で病死したそうだ。

 私も若い頃には・・日記は何度となく書いたけれど・・、それこそ・・三日坊主みたいなもので、長続きはしなかった・・・。本当に・・・日記は何度となく書いたけれど・・。

 

 だから・・このブログがここまで続くとは想像だにしなかったし、今でもどうしてなんだろう・・と考えるときがある・・。1800日あまり・・。五年二ヶ月以上にもわたって書きつづらてきたこの日記・・・。まさに・・不思議な出来事ではあるなぁと思ったりする・・。

 いよいよ・・明日あたりから・・梅雨らしくなるんだろうか・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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