JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

ちょっと真面目にアトミック

2016年03月10日 | a-c

一昨日は暑いくらいだったのが、昨日は雪まじりの雨、まったくもって極端すぎますって、ねぇ(笑)

さても、今日の話は、じつを言うと明日、3.11にお話ししようかと思っていた事です。

昨日、大津地裁で高浜原発差し止めの仮処分が決定されました。
「福島第一原発の事故原因が解明されていない中、地震・津波への対策や避難計画に疑問が残り、住民の人格権が侵害されるおそれが高い」との判断で、山本裁判長が決定されたようですが

その新聞記事を見ながら
「○○、原発止める事は、おらぁは賛成だけど、誰が訴えてなんで止める事になったんだ?」
と、母
「あのなあ、今動いている、動かそうしている原発も、立地都道府県と市町村の同意が無ければ動かせないわけよ。だけど、今回訴えたのは立地県である福井の住民じゃ無くて、隣県の滋賀の住民なわけ、つまりは福島第一原発で言えばだ、茨城県や宮城県の住民が訴えたって事だわな。これがけっこう大きな判断だと思うよ。」
「?????」

母にはよく分からなかったようですけど
もちろん、現在、いやあの時以降、福島県内で原発(第二原発がまだ残っています。)の再稼働を県民はけして許す事は無いでしょうが、実際の事故により、隣県にも大きな影響を与える事が明白になったわけです。
まして、原因究明はもとより、事故責任も不明、収束も計画はあってもほころびだらけ、たまり続ける放射性廃棄物、事故後に生まれた住民同士の確執・・・・何をとっても良い事なんかありゃしない。
いかに国が、電力会社が、原子力規制委員会が「安全」と言ったところで、安全であったはずの福島第一原発を見なさいよ、ひとたび想定外だかなんだかが起これば、このありさま
そんなものは誰も責任とらないんですよ。

今、宮城県の県内放射性廃棄物(福島第一原発の事故で飛散した)の処理が大きな問題になっています。処分地候補とされた地域の方々はこぞって反対、中には「福島で出したゴミをなんで宮城で処理せにゃならん」との声もあるとか。
福島県民である私ですらそう言われるのは当然だと思います。
いやいや、言わせてもらえば、もともと東京(関東)で使用するための電気を作っていた原発ですよ。そのゴミは電気を使っていた地域の方に押しつけましょうか?
って、まぁまぁ「それを言っちゃあおしめいよ」

つまりは、それほど根の深い問題になるという事ですよ。

確執は県境ばかりじゃありません。とある方がこんな事をおっしゃってました。
「岩手や宮城は津波被害の現状をよく報道しているけど、福島となると原発ばかり、福島だって原発事故以外の津波被害があるんじゃよ、そこも知ってもらわなくちゃ」

原発事故被害者(その中に津波被災者の方ももちろんいらっしゃいますよ)と、津波被災者の確執もけして無くなっていません、というか、むしろ溝が深まっているような気さえします。
知って下さい、仮設生活を余儀なくされている方々は、福島でも原発被害者ばかりでは無いのです。

しかし、これ全て、起因はあの3.11の震災では無く、原発事故である歯がゆさは、共通の認識だと思います。

漁港が再建されても放射能汚染に苦しむ漁師、福島産だというだけで買いたたかれる農作物を育てる農家、いかに検査をし安全だと訴え続けても、あの日起きたメルトダウンが世界に広めた負の福島ブランドが消える事は無いのです。

あの日から明日で5年、長かったような短かったような、津波の傷はいずれ癒えていくかもしれません、復興も進むのでしょう
だけど、
「廃炉まで30年から40年?その補償はあるんかい?いや、負のブランドをいつまで背負わなけりゃイカンのでしょ?誰か責任持って答えてちょ」
再稼働だけは早いのに、その質問には誰も答えてくれませんわ。

いやいや、語ってしまいましたねぇ。
遅ればせながら『料理当番、本日の一品』です。

鰺の南蛮漬けではないんですが、揚げた鰺に甘酢の野菜だれをかけました。何故か母が大喜び(笑)

こちらはかにかまサラダ、この日はヘルシーでしょ?

お弁当はあいかわらず、しいて「これ!」というなら、中央左に座した身欠きニシンの煮魚です。

さて、今日の一枚は、今日の話題からすると、どうにもイラつくジャケかもしれませんがあえてこれにしました、ベイシー楽団の通称『アトミック・ベイシー』です。

1957年あたりは、まさにアトミック(原子力)は夢のエネルギー、兵器として開発された神の力を人間の英知が制御できると誰もが信じていた時代です。
それにしてもこのジャケ写真は、広島・長崎を想うと不謹慎きわまりない物であります。再発するなら爆発した福島第一原発の写真にでも・・・・・オイオイ

1957年というと、ベイシー楽団がキャピトルの傘下ルーレットに移籍し、レスター・ヤングなんかのスタープレーヤーを配した第一期黄金時代(1930年代ね)に次ぐ黄金期、アトミック・バンド時代の始まりです。
そして、そのネーミングの素、出発点とも言うべきアルバムがこれです。(「原子力楽団」って、これも今となっちゃふざけておりますが)

内容的には、トランペッターでアレンジャーであるニール・ヘフティと、「ちとモダンにしてみよか」というベイシーの意向がマッチしたアルバムです。

とまぁ、知ったかぶりをしておりますが、ボーカル同様ビッグ・バンドも大得意分野の私としては、「いかにもベイシーっぽい一枚だよぉ」くらいしか言えないんですけどね。(笑)

BASIE / COUNT BASIE & HIS ORCHESTRA
1957年10月21,22録音
COUNT BASIE(p) Count Basie Orchestra

1.THE KID FROM RED BANK
2.DUET
3.AFTER SUPPER
4.FLIGHT OF THE FOO BIRDS
5.TEDDY THE TOAD
6.WHIRLY BIRD
7.SPLANKY
8.FANTAIL
9.LIL' DARLIN



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