(承前)
以前、釧路の野外彫刻(24)で
「まさか、このシリーズ、さらに続くとは…。」
と書いたのだが、しばらく終わる気配がない。
6月19日に何点か撮影してきたものを、順次紹介していく。ただし、一部は室内に設置されている。
相当に高い台座の上の部分を拡大すると、こんな感じ。
いわゆる人体彫刻ではなく、抽象的な形態の中に、人間像を思わせるかたちが追求されているとでも言えようか。
頭部と腕のない、トルソーのようにも見える。
この作品は、旧阿寒町役場の正面に設置されている。
釧路市との2005年の合併後、この建物は、阿寒地区の行政センターとなっている。
背後の銘板には、次のようにある。
米坂さんは1934年、釧路生まれ。
釧路管内に設置されている野外彫刻が多いのは、生まれた地域だからという理由もあるだろう。
東京藝大を卒業し、若くして自由美術協会会員となり、最高裁のレリーフを手がけるなど、道内を代表する彫刻家のひとりと目される。
90年代以降の代表作は、フルオーケストラを表現した「頌韻」だろうか。
当時は、空知管内栗山町にアトリエを構えていたが、近年は釧路・白糠を拠点に活動を続けている。
関連する記事
「凍原」 釧路の野外彫刻(28)
米坂ヒデノリ「少女の頭像」 釧路の野外彫刻(25)
彫刻家・米坂ヒデノリさんが釧路管内白糠町庶路にアトリエ(2011年8月)
米坂ヒデノリ「送り火」 釧路の野外彫刻 (18)
米坂ヒデノリ「防雪林」 釧路の野外彫刻(17)
米坂ヒデノリ「母と子」 釧路の野外彫刻(16)
大滝と洞爺湖畔へ(続き)=三松正夫像
■米坂ヒデノリ個展(2006年)
■米坂ヒデノリ個展(2000年)=12月13日の項
・阿寒バスで「阿寒線」「阿寒本町線」に乗り「阿寒町」降車
以前、釧路の野外彫刻(24)で
「まさか、このシリーズ、さらに続くとは…。」
と書いたのだが、しばらく終わる気配がない。
6月19日に何点か撮影してきたものを、順次紹介していく。ただし、一部は室内に設置されている。
相当に高い台座の上の部分を拡大すると、こんな感じ。
いわゆる人体彫刻ではなく、抽象的な形態の中に、人間像を思わせるかたちが追求されているとでも言えようか。
頭部と腕のない、トルソーのようにも見える。
この作品は、旧阿寒町役場の正面に設置されている。
釧路市との2005年の合併後、この建物は、阿寒地区の行政センターとなっている。
背後の銘板には、次のようにある。
私達は郷土に輝かしい発展をもたらすため、若ものの意欲と創造力を結集し、あらたな阿寒町の建設に努力することを誓い、ここに繁栄と平和を象徴した「青年の像」を建立する。
昭和48年9月23日 青年の像建立実行委員会
制作・米坂ヒデノリ
米坂さんは1934年、釧路生まれ。
釧路管内に設置されている野外彫刻が多いのは、生まれた地域だからという理由もあるだろう。
東京藝大を卒業し、若くして自由美術協会会員となり、最高裁のレリーフを手がけるなど、道内を代表する彫刻家のひとりと目される。
90年代以降の代表作は、フルオーケストラを表現した「頌韻」だろうか。
当時は、空知管内栗山町にアトリエを構えていたが、近年は釧路・白糠を拠点に活動を続けている。
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彫刻家・米坂ヒデノリさんが釧路管内白糠町庶路にアトリエ(2011年8月)
米坂ヒデノリ「送り火」 釧路の野外彫刻 (18)
米坂ヒデノリ「防雪林」 釧路の野外彫刻(17)
米坂ヒデノリ「母と子」 釧路の野外彫刻(16)
大滝と洞爺湖畔へ(続き)=三松正夫像
■米坂ヒデノリ個展(2006年)
■米坂ヒデノリ個展(2000年)=12月13日の項
・阿寒バスで「阿寒線」「阿寒本町線」に乗り「阿寒町」降車
(この項続く)