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■酒井広司写真展「Sight Seeing」

2009年12月11日 22時09分25秒 | 展覧会の紹介-写真
 札幌の写真家、酒井広司さんの個展。
 正方形の銀塩モノクロ写真が100点余り、展示されている。
 すべておなじ大きさ。道内の風景をとらえたものだ。
 このシリーズは以前から取り組んでいるもので、筆者も何度か見た。それぞれに、一般的な題がつけられていない代わりに、撮った年月日・時間と緯度・経度からなる21けたの数字が附されており、それを見ると、1994年から今年に至るまで撮影が続けられていることがわかる。
 100点もあるのに、絵はがき的な、名所にレンズを向けたものは全くない。また、数点に送電線の鉄塔や有刺鉄線などが写り込んでいるのを除けば人間が関与した痕跡もきれいに画面から排除されている。人間の姿も、まったくない。動物では、乳牛が写っているのが1枚あったきりだ。

 曇天。波。冬の林。山…。それらは、わたしたちが道内を移動中にいやというほど目にするものであり、どこがどこなのかほとんど見分けがたい風景である。ただ「たぶん北海道なんだろう」と推量できるというだけなのだ。
 だから、人は、酒井さんの写真を見て「無名の風景」という形容を口にせざるを得ないのだ。

 会場の入り口に這ってあった酒井さんのテキスト。 
 

Sigut seeing 光を見に行く


風景は何も変わらず、動くこともない。その場所がその場所でなくなることはありえない。しかし刻々とその場所は変わっている。

北海道というこの土地で風景を探し巡ってきた。遅い春、残雪の山中で方向を見失わせるような沈黙の空間に出会ったことがある。目の前のものが瞬間、隔離されて停止してしまったようだった。だが、実際にはなにも起こっていない。周辺の状況は穏やかで目に見える変化はなかった。

果たして「沈黙の空間」は自分が想像しただけの勝手な妄想に過ぎなかったのか。または風景が自ら開いて見せてくれたものだったのか。それは、確かではないが見えるような気がするもの、としか言いようがない。目ではよくわからないが写真には微かに現れるような。それもよく見ないと見えないような程度のものだが。


 酒井さんの写真は、本州人によって簒奪された「北海道へのまなざし」を、奪回するための試行なのかもしれないと思うことがある。
 そのために、視線は無垢へのほうへと回帰しなくてはならないのだ。


・12日(土)午後6:30からギャラリートーク・オープニングパーティ。ゲストは、佐藤友哉道立近代美術館副館長。


(この項続く)


2009年12月5日(土)-19日(土)1:00-11:00、日曜休み
CAI02(中央区大通西5 昭和ビル地下2階 地図B)=地下鉄東西線「大通駅」の西の端

http://www.graytone.jp/

酒井広司「印画紙としての写真」展(2009年3月)
札幌の美術2004
北海道・現代写真家たちの眼2001「青」


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
上手いなあ (sue)
2009-12-13 22:56:23
撮影者による表現の恣意性を排除し、バルトの言うプンクトゥムを招き入れるために66フォーマットを採用し、カメラ水平保持に努めたそうです。さらにタイトルは地名記載によるイメージ汚染を避けるためにあのような緯度経度表示にしたものだそうです。かように配慮しているのですが、プリントが美しすぎる。
いやほんとに (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2009-12-14 21:17:39
sueさん、こんにちは。
たしかに、プリント上手すぎです。
モノクロ写真として完成されていますよね~。
地名はついていても、露口さんのように、イメージと相反しておもしろい結果になったかもしれませんが、やはり「無名」性が酒井さんの持ち味なんだろうと思います。

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