北海道美術ネット別館

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大岡信氏を悼む

2017年04月06日 02時09分54秒 | つれづれ読書録
 ものは記憶だろうか愛だろうか
(大岡信「捧げる詩篇」より)    


 詩人の大岡信の訃報を、会社で仕事をしているときに聞いた。
 以下、思うところを簡潔に記しておきたい。


イ)折々のうた

 彼の最大の業績は、1979年から2007年まで断続的に「朝日新聞」1面に連載したコラム「折々のうた」であろう。
 計6762回。
 古今東西の詩、短歌、俳句などに通暁する、博覧強記の持ち主でなければ、このような企画は不可能であることは疑いない。
 小さな欄に、作品と鑑賞と伝記を凝縮し、古典から、最近出版された歌集や句集にまで幅広く目配りしながら、毎朝紹介するという離れ業だった。

 日々の積み重ねは、のちに計19冊の岩波新書にまとめられた。
 現在はおそらく朝日新聞社から出ている版のほうが入手しやすいだろう。


ロ)詩人として

 「折々のうた」に比べると、大岡信が詩人としてもっとも輝いていたのは、1950年代までであって、60年代以降は、頭でこしらえた詩が多くなったように筆者には感じられる。
 言い換えれば、60年代以降の詩作は、依頼を受けて、仕事としてひねり出したものであって、それが悪いと言うつもりはないのだが、やはり若いときの、泉のようにあふれ出てくる詩行の魅力には及ばないと思うのだ。

 1956年の第1詩集『記憶と現在』は、まさに、詩人の意図を超えて湧出してくる詩行にあふれていて、そのきらめきはまぶしいほどだ。

 あてどない夢の過剰が、ひとつの愛から夢をうばった。
(青春)
 

わたしは
砂をにじりながら
半球の彼方
燃えおちる雲を
みつめていた
(夢のひとに) 


 十六才の夢の中で、私はいつも感じていた、私の眼からまっすぐに伸びる春の舗道を。
(中略)
 私はすべてに「いいえ」と言った。けれどもからだは、躍りあがって「はい」と叫んだ。
(うたのように 3) 


今こそはっきり言うがいい
生きる手段を得ることだけが
ぼくらの生きる目的だったと
(人間たちと動物たちと) 


炎は苛酷な抽象だ。
(Presence)
 


 いくらでも引用を続けられるが、このあたりでやめておこう。
 これは、戦後詩の奇跡のひとつであるといってよい。


 最初に掲げた詩行は「記憶と現在」に続く時代のものである。
 この詩行ぐらい、筆者に大きな衝撃を与え、世界を認識する枠組みをつくったものはないと思う。


ハ)美術とのかかわり

 このブログの性質上、詩人と美術のかかわりにもふれておこう。
 岡田隆彦らと同様、大岡信は美術にも造詣が深かった。
 でなければ、米国の抽象表現主義の画家の名を冠した「死んでゆくアーシル・ゴーキー」などという詩は書けないだろうし、岩波新書から『抽象絵画への招待』という本を上梓できなかっただろう。

 また忘れられないのは、戦後を代表するグラフィックデザイナーである加納光於とのコラボレーションである。
 何冊もあるそうだが、「螺旋都市」の中の、あの少年は人生が砂の詰まった頭陀袋であることをまだ知らないのだろう―というような詩行(すみません、現物が手元にないので正確な引用ができない)にこめられた苦味を、いまも時折思い出す。


ニ)詩への架橋

 最後に、代々木ゼミナール札幌校の1階にかつてあった書店(いまのセイコーマートの場所)で買い求めた岩波新書『詩への架橋』について記しておこう。
 詩人の青春時代の歩みを、かつて愛唱した日本や西洋の詩とともにつづったもので、自伝であるとともにアンソロジーでもあるというユニークな一冊だ。

 プロローグに続く2章の冒頭附近で、詩人は玉音放送を聞いたときのことを、つぎのように回想している。

私には事態がよくのみこめなかった。戦争が終ったんだ、ということが実感として納得できるまでに、小半刻はかかっただろう。それからふいに、歓喜が湧いた。「すると、はたちで死ななくてもいいのか」。
 はたちという年齢は、当時の中学生にとって、予見できる最上限の年齢だったように思う。


 大岡氏はさらりと書いているが、これは大変なことだと思う。
 当時の(旧制)中学生たちは、あと数年すれば兵隊となって散る、そういう運命しか想像できなかったというのだ。

 もし彼がいま元気でいれば、ふたたび中学生が戦場へ向かうことになりかねない最近の世相を、どうみていただろう。



ホ)ぢゃ。さやうなら

 筆者が個人的に、「折々のうた」でいちばん印象に残っているのは、草野心平が盟友中原中也の死に際して詠んだ詩の一節である。

 中原よ。地球は冬で寒くて暗い。

ぢゃ。さやうなら


 少女に春の訪れを告げたくなるような陽気であるけれども、筆者も、じゃ、さよなら、と言いたくなるのだった。


 R.I.P.


(追記)この年代の詩人は、飯島耕一、茨木のり子、川崎洋、吉野弘ら、ほとんどが逝ってしまった。谷川俊太郎だけは元気だが、とにかくさびしい。
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2 コメント

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大岡信 (sum)
2017-04-06 21:38:22
わたしも大好きな詩人でした。ただ、散文となると、詩的で少し読みにくい作家でした。それでもやはり「折々の歌」はよく読んでいました。
Re:大岡信 (ねむいヤナイ@北海道美術ネット別館)
2017-04-06 22:23:47
コメントありがとうございました。
散文詩はいささか難解でしたが、評論は明晰で、頭のいい人だなと思っていました。

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