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長谷川洋行さん死去の記事が北海道新聞2016年12月14日夕刊文化面に載っていた

2016年12月20日 23時18分04秒 | 新聞などのニュースから
 北海道新聞2016年12月14日付夕刊の文化面に載った記事の書き出しは以下の通りです。

 小樽の「森ヒロコ・スタシス美術館」の館長で、東欧の美術や文化の魅力を日本で紹介してきた長谷川洋行なだゆきさんが11月、交通事故で急逝した。80歳だった。近年はスロバキアからオペラ歌手を招き、低料金で本場の歌声を聞かせる独自のオペラ上演活動を道内外で展開。オペラファンの裾野を広げてきただけに、惜しむ声が上がっている。

 長谷川さんは、11月9日夜に小樽市緑の自宅美術館前で車を運転中、別の車と衝突。大きな外傷はなく、その日は帰宅したが、2日後に容体が急変し、13日に脳出血で死去した。葬儀は家族だけで行った。

 横浜市出身で、東北大を卒業後、札幌市中央区でNDA画廊を開設。1993年に妻の版画家、森ヒロコさんと小樽で古い蔵を改装した私設美術館を開き、東欧の版画や絵本の原画なども常設展示した。(以下略)

 筆者はご本人にお会いしたことがなく、名前を「なだゆき」とよむこともこの記事を読んで初めて知ったほどです。
 また、NDA画廊が道特会館(北2西2の、ギャラリーたぴおが入っているビル)にあった時代のこともリアルタイムでは知らないし、オペラにもまったく興味がありません。

 そういう事情につき、追悼記事を書く資格はまったくないので、もう1本道新の記事を引用するにとどめておきたいと思います。

 夕刊に昔から断続的に連載されているコーナー「私のなかの歴史」で、阿部典英さんが登場したうちの7回目の一部分です。
 2011年5月16日の掲載です。文章は、典英さんの一人称スタイルになっています。

 (前略)「グループ<組織>」の話です。62年の暮れ、僕は手稲町(現札幌市手稲区)富丘の町営住宅に住んでいましたが、3人の大男が突然訪ねて来ました。米谷雄平(故人)、田村宏(同)、長谷川洋行で、いずれも初対面です。3人は「新しい美術を目指してグループを結成したい。ぜひ参加してほしい」というのです。熱いものを感じて、仲間に入れてもらうことにしました。うれしくて僕を加えた4人、日本酒で乾杯しましたが、4合瓶1本しかなくてあっという間に飲み干してしまいました。

 「グループ<組織>」は公募展とは違う前衛美術のグループです。信念を定めて北海道の美術界を変えようと考えていました。結成時のメンバーは僕ら4人のほかに高橋昭一(故人)、豊島輝彦、野本醇を加えた7人です。(引用終わり)


 長谷川洋行さんはその後、美術評論家の吉田豪介さんが組織した「EXHIBITION '70 HOKKAIDO」(70年、旭川)にも参加しています。
 1960~70年代の道内の前衛運動に深くかかわった人であることがわかります。

 報道が遅れたのは密葬だったこと、新聞の「おくやみ」欄にも載らなかったことが理由にあったようです。

 ご冥福をお祈りします。
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