(承前)
東山魁夷は戦前、画家がパリを目指すのが主流だった時代に、あえてドイツを留学先に選んだ。
これは、彼が、日本画家であり、絵を学ぶのではなく、「西洋を見ておきたい」「西洋美術史をしっかり学んでおきたい」という動機であったためだろう。
ひとつ追記しておくと、哲学でも医学でも経済学でも、およそ最新の学問を習得しようとする者はだいたい米国を目指すのが不通だと思われるが、それはあくまで20世 . . . 本文を読む
(承前)
前の記事で、東山魁夷のどん底時代ともいえる1940年代にふれ、そこには「三つの死の影があるのではないか」という説を述べた。
もう一度簡単にまとめると
・相次ぐ肉親の死
・日本という祖国の死
・自分の死の予感
である。
自分の死の予感というのは、1945年(昭和20年)に召集令状が届き旧陸軍に入隊したことを指す。
軍隊で東山魁夷は、熊本県の海岸で、米軍上陸を迎え撃つための . . . 本文を読む
美術館多いかなあ。夏のポジティブさが好きな人には、あの陰鬱な気候は耐え難い。 @serra_nuts 胆振は美術館とか多いし、惹かれますね。霧の感じって、ぴんとこないんですよ。旭川とは逆の感じ…。@akira_yanai 胆振日高の海岸はほとんど雪積もらない。春夏は霧で、肌寒い。
posted at 00:15:28
@koba_atsu 「孤独感」というのは共有した時点で孤独感でなく . . . 本文を読む