神の意思とアブラハムの思想・
アブラハムはなぜ神に愛されたのか?
旧約聖書の物語の出発点、旧約・創世記・11.27−12。
アブラハムの召命と移住。
主はアブラハムに言われた。
あなたはうまれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。
わたしはあなたを大いなる国民にしあなたを祝福し、あんたの名を高める、
祝福の源となるように。
あなたを祝福する人をわたしは祝福しあなたを呪う者をわたしは呪う。
地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。
神と聖書を語るシリーズをまともに完成させるべき意気込んだが、
あまりにも主題が膨大で筆がすすまなかった。
学者気どりをやめて、自分好みに書くことにした。

この神の召命は神がアブラハムを僕として選択した大事な場面である。
私は思う、神はアブラハムを選択したのではない。
神の限りない意思を人間に示したものだと。
神はアブラハムでありアブラハムは神である。
アブラハムの系図は神の系図である。
アブラハム物語の登場人物の言動、登場人物の沈黙や無為はすべて神です。
このときから、人間は神の意思の傀儡としてさまようこととなった。
以後の旧約聖書の物語は、神の意思をイスラエルという名を与えられた、
ユダヤの民が演じる宿命の戯曲だ。
アブラハムがイサクを捧げる、感動の場面も神は始めから結論ありきで、
自作自演 の物語だった。
神の絶対的服従者のアブラハムを神は見捨てない。
これは神の最大の意思で、服従すろ者は祝福され、意思に従わない者は殲滅する
哲学の証明である。
この完全無欠の神の意思は聖書の最終章を飾る、新約のヨハネの黙示録の
最後の裁で 簡潔すろ。
「神と聖書を語るシリーズ」の最大の眼目はこの、最後の裁きに異を唱えることだ。
長い時間とエネルギーを要することを覚悟しているが、
このブログのライフワークでもある。
神がアブラハムを演じている。

つづく

































































