木っ端微塵

宗教・哲学を追求したい

神の意思とアブラハムの思想・アブラハムはなぜ神に愛されたのか?

2012-02-04 19:06:38 | Weblog

   神の意思とアブラハムの思想・
   アブラハムはなぜ神に愛されたのか?

   旧約聖書の物語の出発点、旧約・創世記・11.27−12。
     アブラハムの召命と移住。
     主はアブラハムに言われた。
     あなたはうまれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。
     わたしはあなたを大いなる国民にしあなたを祝福し、あんたの名を高める、
            祝福の源となるように。
     あなたを祝福する人をわたしは祝福しあなたを呪う者をわたしは呪う。
     地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。 

     神と聖書を語るシリーズをまともに完成させるべき意気込んだが、
    あまりにも主題が膨大で筆がすすまなかった。 

     学者気どりをやめて、自分好みに書くことにした。

        

      この神の召命は神がアブラハムを僕として選択した大事な場面である。
      私は思う、神はアブラハムを選択したのではない。
      神の限りない意思を人間に示したものだと。 

      神はアブラハムでありアブラハムは神である。 

      アブラハムの系図は神の系図である。
      アブラハム物語の登場人物の言動、登場人物の沈黙や無為はすべて神です。

        このときから、人間は神の意思の傀儡としてさまようこととなった。
      以後の旧約聖書の物語は、神の意思をイスラエルという名を与えられた、
     ユダヤの民が演じる宿命の戯曲だ。

      アブラハムがイサクを捧げる、感動の場面も神は始めから結論ありきで、
     自作自演 の物語だった。

      神の絶対的服従者のアブラハムを神は見捨てない。
      
       これは神の最大の意思で、服従すろ者は祝福され、意思に従わない者は殲滅する
     哲学の証明である。

      この完全無欠の神の意思は聖書の最終章を飾る、新約のヨハネの黙示録の
                 最後の裁で 簡潔すろ。

      「神と聖書を語るシリーズ」の最大の眼目はこの、最後の裁きに異を唱えることだ。
      長い時間とエネルギーを要することを覚悟しているが、
     このブログのライフワークでもある。
       
                神がアブラハムを演じている。 

              

                              つづく 

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現代人に暗い日曜日は存在しない・オカマを考察しながら

2012-02-01 21:17:59 | Weblog

          現代人に暗い日曜日は存在しない。

                 渋谷文化村シアターコクーン で下谷万年町物語を観劇した。

      唐十郎の戯曲を蜷川幸雄が演出する芝居だ。
        この芝居は30年も前に渋谷の西武劇場で上演され大反響をおこした。

                 

      セットの大規模と出演者の多さから再演は不可能とされていた芝居だ。

      その下谷万年町物語が初演と同じ、唐十朗と蜷川幸雄コンビで再演された。

      蜷川は度肝を抜く異色キャストで、宮沢りえを主役のキテイ瓢田に抜擢し登場させた。

      この物語は『オカマ』の物語です。

         

                        どうして、暗い日曜日とオカマの話しが関連あるのか?

      この戯曲の舞台である昭和30年頃の下谷万年町はオカマの街だった。

      私は、昭和35年ごろ、新宿三丁目のゴールデン街で息を潜めていた、
                        オカマ達を知っている。
      唐十朗は少年時代を下谷万年町で育ちこのオカマの戯曲を書いた。
      私は15歳の時にゴールデン街と縁があった。
      オカマは異色の存在で軽蔑されていた、彼らは醜悪で怠惰だった。

      オカマは男娼です。
      オカマは醜い汚れた存在でした。
      オカマたちは息をひそめて世間から隠れていた。私はそんなオカマたちを
                        よく見かけた。

                               

                          私はオカマを密かに愛し連帯感を有していた。  
      オカマは世間に媚びることなく暗い街で秘っそりと生きていた。

      オカマは化粧をして衣装をまとっていたがモノトーンだった。
      
      オカマたちと私のキーワードは『連帯を求めて孤立をおそれず』
      私の精神的バックボーンが、このキーワードだった。

            

      昭和の中期はアーウトローの時代だった。
      皆が生きることに大変で生活に余裕もなかった。 

          

      でも輝いていた。生きていればなんとかなる、走っていれば未来はある。
                         労働者も学生も希望を捨てず闘っていた。 
      オカマも反権力を貫いた。

          

       下谷万年町物語はこの時代のイデオロギーの芝居だ。

       女優の出演者は宮沢りえ一人、彼女は凄かった。

       『暗い日曜日』は浅川マキが、あの時代を見事に表現した歌。

       学生運動が燃えていた。
       闘争に参加していた多くの学生は、東大の華と慕われた加藤登紀子に夢中だった。

       浅川マキはアウトローの存在だった。

       加藤登紀子を愛した闘争家はみんな転向しエリートの道を歩み以後、
      日本の支配階級に成長した。

       浅川マキを愛した闘争家は最後までイデオロギーと心中し時代から消えていった。
       私の愛した浅川マキ も消えていった。
       加藤登紀子は老いても健在だ。

       
       現代人に暗い日曜日は存在しない。

       浅川マキや下谷万年町のオカマの時代は、日本の皆が暗かった。
       でも希望に向かって進もうと強い意志がみなぎっていた。
       現代は暗黒の時代だ。
       国は破産状態、高齢者社会、原発危機、無能の政治。
       将来の年金が保証できない状況なのに若者は行動しない。
       マスコミも真剣に政治を弾劾しない。
       

       この国に明日はない。
       だれも無関心。

       オカマが日の当たる場所を闊歩している。
       テレビのバラエティー番組はオカマだらけだ。
       誰もがオカマをお笑い芸人 のごとく扱う。
       オカマが照明の中で喝采を浴びる
        
       異次元の世界と決別し、未来の子孫のことを真剣に考えよう。
       今、この国は最後の審判を受けている。

 

            
                     オカマはオカマです

       人の生き方はそれぞれ、誰がどう生きようと自由だ。
       人には人権も思想も有る、無法な侵害は許されないことも確かだ。
       
       でも
       下谷万年町物語は、こんな社会を警告している。
       
       思考が止まった社会は破滅するだけ。
       
       表の事象が表に、沈没しそうな体制を浮上させる努力を。 

                                

       
                           私は暗い日曜日を忘れない。 

       

 

 

       

              

      

   

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神・聖書・キリスト・宗教を語る 九 神の意志とアブラハムの思想。

2011-07-10 22:00:03 | Weblog

         神・聖書・キリスト・宗教を語る     
         神の意志とアブラハムの思想。     

        長い間、神・聖書・キリスト・宗教を語ることを休んでいたが再開したい。   
          前回の最後にアブラムを中途半端に語ったが、今回、アブラハムを視点を変えて追いかけたい。    
          旧約聖書・創世記は12でアブラハムは突然、登場する。    

                            
                                          主に 召命されるアブラム

          アブラムの召命と移住。    

          主はアブラムに言われた。 「あなたは生まれ故郷、父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。       
      
       わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める   
          祝福の源となるように。

          あなたを祝福する人をわたしは祝福しあなたを呪う者をわたしは呪う。    
          地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。    
       
          アブラムは、主の言葉に従い旅立った。   
         ロトも共に行った。    
          アブラムはハランを出発したとき七五歳であった。     
       
         アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、
         ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。    

                       
        

          アブラムはその地を通り、ㇱケムの聖所、モレの樫の木まで来た。    
          当時、その地方にはカナン人が住んでいた。    
       
          主はアブラムに現れて、言われた。    「あなたの子孫にこの土地を与える」    
          アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。     

       わたしは、アブラハムが主に突然、召命された物語の出発に疑問を投げかけたい。                  

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一如性を考える 人間の本質は変えられない

2011-06-03 21:34:28 | Weblog

        一如性を考える 
          人間の本質は変えられない 

                        

      管総理が鳩山さんとの、退陣約束を破り、怒った、鳩山さんは管さんは
         ペテン師だと 叫んだ。

         野党は政治的詐欺だ攻めている。
     
        マスコミや政治家は大真面目で喧々諤々とやっている。
        私は、いまさら政治家の資質を語るつもりはない。     
        未曾有の大震災と、人間の「一如性」の、かかわりが、今回の主題だ。

        その冒頭で、管総理ペテン師説を分解することで、問題の出発点にしたかった。

        「一如性」
       一如性という思想はあまりにも一般的でなく難しい。
       私が哲学や宗教に興味をもって30年以上になる。
       ある意味で、「一如性」、この思想のもつ、不可解性を問いかけた30年だ。

        大震災が発生し自己に向き合った。
         自己の本質を完結すべき作業をはじめたい。  

                              

      一如性ってなんだ?
     
      哲学の核心的な存在意義。
     
      文字や言葉にすれば、やたら難解だがよく考えれば、極めて明快で当たり前のもの。

      この世に偏在するすべてのものは、出現する課程は別でも、その根底にあるものは
     同一である。
      それは人間より、動植物のほうが、より明確な意義をもっている。
      この地上に、いろいろなものが偏在してくるが、目的は自己の子孫の維持のみである。
      そのためなら他のすべてを排除して優位性な行動のみをとる。   
       植物は自己の繁殖のために植物を侵食する。
      動物は互いに争い殺しあう。
    
      これらの行為は、悪でも善でもない絶対的遺伝子思想である。

      人間の一如性も同じだ。

      ただ人間は、進化の過程で、言葉や思想を得た。
      自己弁護や保身のため、美辞麗句を並べ、自己の正当性をもちだし、
     他の動物と異なる理論武装を身につけた。
      絶対的遺伝子思想を排除して、絶対的利己思想の立場に変質した。
      突然変異的なものでなく、人間が動物の頂点に立つ過程の変化だ。 

       生物は、自己の絶対性を求めて生きる。
      
      人間は、その原理の頂点に君臨する。

      政治家の話にもどそう。
      管総理は自己保持と権力主義者である。
      他の政治家の誰でもが、管総理と同じだ。
      鳩山さんは騙されたと、管さんはペテン師だ怒ったが、政治の勝負に負けたのだ。

      
      政治家の一如性は、自分の権力基盤強化と選挙に勝ち続けていくこと。

      彼らを責める資格は誰にもない。

      人は、すべて同種同根だから。

     人は悲しい。
     東北の被災者に同情しても、その立場を絶対に共有できない。

     ボランティアもいいだろう、義援金もいいだろう。
     でも彼らの世界を共有できない。
     自己が、同じ立場で、被災をしたときに確信する。
      以前の被災者はその時、別の世界で、被災者を同情している。

                        

     人は傍観者たる何者でもない。
     
     大変なことが起こってしまった。
     まるで映画を見ているようだ。
     
         でも、自分の生活はなんら変わりない。
     情緒的に遠慮したりするが、長くは続かない。
     家族も財産もなんら、変わっていない。
     酒を飲み、家族でテレビを楽しむ。

     被災者のことを実感として捉えられない

     国会議員は高級会員クラブで酒を飲み自己の保身を考える。

     誰も家も、家族も失っていない。

     人間は生善でも生悪でもない。
     根本的自己中心主義者だけ。   
     私を誰も責められない。  
     貴方を私は責められない。

                         

      家族や家、仕事を失った被災者はどうなる。
      彼らを、どう救うのだ

      傍観者が心配してどうなる。

     仏陀は真理を説いている。
         「色即是空」
          色・  人はすべて、縁起のもとに生まれる。
              人は、生まれたとき宿命を宿っている。
              前世から約束されたもの。
              終生、自分では、変えることができない。
              その宿命を背負って生きるのが運命だ。

           空・  どうしても変えることができない、宿命を、嘆いてもなにも解決しない。
              あきらめるのではなく受け入れること。
              どうすることもできない状況を嘆き悲しんでも無意味だ。
         人は
     政治家や他人を、よりどころにいては、いけない。
     自らを島として、自らをよりどころにして、生きること。     
     
     人の宿命は変えられない、でも誰もが、明日の展開はわからない。
     
                

     そんな仏陀が死の直前

          人は美しい
          人生は甘美だ。
     と話している。

     私にとって仏陀の最後の言葉は永遠に謎だ。
                        
         

 

 


     

     

      

                                                                                                                                                                                 

              

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座禅を語る・恁麼

2011-02-13 21:07:43 | Weblog

        座禅を語る・恁麼

                座禅を始めて、かれこれ6年になる。
        師をお求めて4,5回、寺を遍歴した。
        現在はじめに巡り合った師のもとで座っている。

        老師の寺は東京、多摩のたかだいにある。
        素晴らしい座禅堂が有り、参禅者が多い。

        月2度の座禅会を開催している。
        昼と夜座である。
        昼は道元の正法眼蔵を講義してくれる。
        45分の座禅を二回行い、その間に、師との独参が連続して進行する。

        夜座は45分の座禅を三回行い、その間に師との独参が連続して
       進行する。
      
        座禅てなにだ。
        長い間、考えているが、まったくわからない。
        
        道元も私の老師様も異口同音に、恁麼、恁麼のいってんばりだ。

        自分は、何故、座る。
        自分は座禅に何にを求める。
   
                  私は以前、老師のもとに独参に通った。
        恁麼てなにか、問いをかさねた。
         今は、独参におもむかない。

        独参は無意味なのではないのか、それも分からないでいる。
        
        恁麼とは
        無上菩堤(ここに生きている真実)(そのように・このように)
        如是(かくのごとく)
        本来のこと

        本来のこ、本来の姿(恁麼)

        恁麼なる言葉の意味は仏教用語をひもとけば無限にでてくる。
        
        老師の講義の根幹にいつも恁麼が繰り返し、繰り返し、登場する。
        老師の恁麼は
        仏教書のそれより、はるかに迫力があり説得力がある。
        でも理解できない。納得できない。
        老師は今日も、座禅は恁麼だと説く。
        座禅て何だ。
                             

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国家と暴力装置

2011-01-11 11:10:45 | Weblog

     論説     
           日本沈没はとめられるか     
           国家と暴力装置          
 
          そもそも暴力装置の定義はどこからきたのか。      
          仙石官房長官は左翼の学生運動家の経歴がある。     
          彼の青春時代は多くの学生が、左翼主義,学生運動に憧れた。     
         
     孤立を恐れて連帯を求めず。
     
          機動隊や大学との抗争に官能的な刺激を求めていた。
     真の思想をもった活動家なんて特殊なセクトに落ち込んだ者達だけ、
       大多数の活動家は体制側にもどりエリートの道を歩んだ。    

                 
                             機動隊との対立は楽しい遊戯だった
         
     暴力装置     
        

      警察と自衛隊のを指した左翼の定義語     
          左翼が政府を転覆させるために、障害となりえる装置が、
   国家の権力装置である警察と自衛隊を敵と定義した。     
          警察と自衛隊が革命に同調するのか、静観か、鎮圧にまわるのかが
   最大の問題。
        彼らは暴力装置という言葉に酔っていた。     
        
    現在も、「敵のでかた論」は健在だ。  

                       
                                   彼らは革命の幻影に酔った

                       
        
         暴力装置の定義語が忘れられず発言した仙石官房長官。
    権力の中枢にいて、暴力装置から守護されるべき立場の人間として
   お粗末すぎる。
    それともいまだに心の底に国家感の本質が異次元の世界にあるのか。

    国家を維持していくため、暴力装置は安全装置であることの認識がない。
    中国や北朝鮮問題も国家を人質にしていることさえも気づいていない。

    これが彼ら民主党の国家戦略。

    日本が沈没していく。

    

   

                             

 

 

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政治家の言葉の軽さ

2011-01-10 17:53:42 | Weblog

    論説 
         日本沈没はとめられるか    
    政治家の言葉の軽さ

    菅総理が鬼の首を取ったがごとく発言する。
    「不条理を正す」

    小沢元代表を攻撃した言葉だ。
    管総理の言葉は常に軽く政治をお笑い以下にした。

    「不条理をただす」
    これには呆れた。
    言葉の軽さとは無縁のものだ。
    総理大臣は、教養を身につけていなければ、国の品格が保てない。

    「不条理」
    哲学用語で、高度な意味をもち通常ではなかなか使われない。  

    理論的考察は筋が見えず。
    理由の分からないこと。
    神の存在が不可能であるがゆえに信じる。
    
    解釈をすれば
    神の意思に反し、救われることができないこと。
    すべての人が否定すべき行い。

    ナチスのユダヤ人迫害
    黒人の人種差別

    不条理の意味は地球ほど重い。

    小沢氏の問題なんて低俗な次元でない。

    管総理以外の閣僚や民主党議員の言葉は軽い。

    哲学や思想がなく思いつきの低次元の発想による言葉。

    この国は確実に沈没に向け進んでいる。

       

     民主党の議員は国民から付託された言葉を共通語として、ケンケン
       ガクガク言いたい放題
     神の意思に反し自らの立場を固めるため強大な塔を
    建てようとしている。

     民主党は党綱領すらもっていない。
     理念をもたず権力維持のための共通語は、千石官房長官の暴力装置。

     この塔 {党}を壊さないと、日本は沈没する。
    

      

    

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日本沈没は止められるか?

2010-12-31 23:05:25 | Weblog

    論説    
   日本沈没は止められるか?     
   2011年の年頭にあたり問う。     
       この国の現状を、政治は政治家の玩具となり、政府は機能していない。   
      民主党という政党は最低最悪で論評にあたいしない。    
       彼らには思想哲学など微塵もない。    
       夢や希望さえもない。    
       醜くどろどろした欲望のみだ。    
       彼らが無能な偽善者であることは誰もが承知している。    
       この状況に絶望感さえも生じない。    

     権力という美酒を口にしたとき、離すことができなく、己自身の愚かさも
  見つめることさえ出来ない。     
   権力は国民に委譲されたもの、無能な人や、無能の政党に、幻想を抱いた
  国民の責任であることは明白である。    
   この国の沈没は止めることができるのか?    
   国家という体裁が機能していない現状を救うことができるのか?    
      戦犯は明らかだか、卑しく愚かな彼らに問うべき意味があるのか?     
      正月は、この悲劇を真剣に考えたい。   

      

    人々は沈没が現実になった時に己の愚かさにきずく。
    この国でノアになりうる者達はいるのか。

     

                 

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神はイタリアに存在するのか・ミラノにキリストの影が?

2010-12-30 20:23:47 | Weblog

    神はイタリアに存在するのか    
         ミラノにキリストの影が?     

        イタリアの旅も最終章を迎えた。    
        ヴェネツィアを発ちミラノ中央駅に午前10時ごろ到着した。

               
               ミラノ駅のホームは、40年前にから4度目だが、変わっていない

              
                      石造のミラノ駅は世界でもっとも魅力的な駅だ

    ミラノ駅でハプニングが発生した、トランクを預ける構内の荷物預かり所が
   調べておいた場所になかった。
    駅構内の工事で場所が変更されていた、あちこち飛び回り見つけてトランクを
   預けた。
    
    今回のミラノは,旅の重要目的の地であった。
       この旅のハイライトは、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会で
   ダビンチの最後の晩餐を鑑賞することだ。
    このチケットの入手が困難であった。
    映画ダビンチコードの影響で入場希望者が極端に増え、チケットが、どこの
   サイトでもクローズされていた。
    一般的に国内の旅行社の販売する現地ツアーに参加し入場することが確実
   な方法であったが、これでは料金が高く必要ない場所まで案内され時間が
   無駄であり問題外であった。、
    諦めないで探し、見つけた。
    イタリアの観光社でなんとか、手配をするも、ミラノの滞在日と時間が決定して
      いたので、何度もメールで泣きついてチケットを手にいれた。
          苦労して入手したチケットを確認して、地下鉄に乗り込んだ。

     入館までに、時間があったので、ドゥオモに向かった。

       

       

       

       
         昼食に、すこし早かったが、ミラノ名物のカツレツを食べた。

       
             マックもさすがミラノ店、風格がちがう

       
        ミラノに来たときは、スカラ座の演目ポスターを必ず写真におとす

     ミラノのドゥオモ周辺は、あまり変化がなく代わり映えしなかった。

     いよいよ旅の最終章。
     最後の晩餐との対面だ。

     サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会までは大事をとって、タクシーで
    移動した。

       
                   入り口は狭かった

       
          手配したチケットを提出すると、入場時間が知らされた

       
      

      

           食堂の正面に描かれた、最後の晩餐。
     ダビンチの凄さに圧倒された。
     息ができないほどの臨場感が、かえって絶望感となった。
     キリストがそこに居た。

     キリスト、キリストこれ以上のキリストは見たことがない。

     神を求めてイタリアの旅をして考えた。
     カトリックは神を変革させた。
    
     ニーチェが叫んだ、神は死んだ。

     カトリックの頂点にバチカンがあり、バチカンの権威の象徴がキリスト。
     結局この構図を確認する旅だった。

     イタリアに神は存在しなかった。

         

        

     

      

      
    

 

          

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神はイタリアに存在するのか・ヴェネツィア・ゴンドラと夜景

2010-10-13 21:30:35 | Weblog

       神はイタリアに存在するのか
       ヴェネツィア・ゴンドラと夜景

         

        ヴェネツィアの代名詞はゴンドラだ。
       チケットは日本で手配しておいた。
               乗り場に、サンマルコ広場から、迷路を歩いて到着した。

         
                  迷路のような運河

         

         

         

       一時間のゴンドラの水上旅は、素敵な新婚さんと一緒だった。
       新婚さんの笑顔が印象的だった、彼らが幸福な人生をおくれるよう
      いのった。

       食事をして午後9時ごろ、水上バスでホテルに戻る。
       この時間になると観光客は誰も乗っていなかった。
       夜のヴェネツィアは幻想的だ。

         
       

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

                  

                  

                この時期の夜の水上バスはほとんど観光客が乗っていなかった。
       すこし寒かったが、夜の運河を堪能できた。
       ヴェネツィアを訪れてこの感動が旅の素晴らしさを実感させる。

       ヴェネツィアのもう一つの魅力はヴェネツィアグラスだ。
       ガラスがウインドで踊っていた。

                 
              彼女が弾くヴァイオリンに心が癒される

              

               

              

               

              

              

              
                   妖精が微笑む

          この街はイタリアの象徴都市だった。
         
          さらばヴェネツィア。
     僕は、必ずこの街に戻るでしょう。
     

                  

                                    
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