あゝ友櫻の旭日に匂ふ

すめろぎのうち哭かむ世にわれ生きてただ夕やけの悲しきをおもふ

平成28年10月14日 全集讀破の志

2016-10-14 23:14:45 | 日記
三島由紀夫全集(全42卷)及び鴎外選集(全21卷)及び保田與重郞選集(全6卷)の讀破に向けて奮鬭してゐる。期閒は三年を想定してゐる。私が大學を卒業する頃に讀みおはる豫定であるが、讀み終はらないかもしれない。何といつても大事業であるから、自分を非常に弱く見積もつて計畫を立ててゐる。情熱の生じたのはジツドの「狹き門」を讀んでのちである。「狹き門より入れ」といふ言葉を本當に大事にしなければならんと思つた。だから私は大好きな芥川や埴谷雄高の全集に手を出すことは諦めて將來に見送ることとした。三人までが限界だ。興味關心が頻りに移つて視點の定まらぬ人閒になつてはならん。私は積極的に自らの可能性を狹めていかうと思ふ。(ちなみに、この三人を選んだのは、どうもこの三人が「一人の男」であるやうな氣がしてならないからである。私は「三島鴎重郎全集全69卷」を讀むつもりでゐる。)

サークルの活動や大學の勉强も本當に忙はしく、おそらく今はこれまでの人生のうちで最も物理的時閒のとれない時期であるが、假に一日中暇な日があつたとしても一日中讀書をするわけではない。そんなことはできやしない。せいぜい三、四時閒で集中力が切れるだらう。中途で虛無に陷りながらカラマーゾフの兄弟の全巻を讀了するのに十日程度をしか要しなかつたことを思へば、一週間に一卷を読まうとしても無理ではないと思ふが、自分を非常に弱く見積もつて二、三週閒に一卷くらゐを一應の目安にしておきたいと思ふ。図書館の貸出期間がそれくらゐだからそれに合はせる。まあ目安だから、嚴密に守る意志はないし、実際はそれ以上かかつてもよいと思つてゐる。時間に急き立てられる讀書は嫌だからね。

全集讀破にあたつて、氣をつけてゐることがある。それは、「積み重ねがすべてである」といふことと、「選ばない」といふことである。そもそも私のやうな劣等人種が一日や二日で大作家の靈魂に觸れられる筈がない。それには何年もの、あるひは何十年もの歲月を要する筈である。私は一應、二、三週閒に一卷を目安としてゐるが、あくまで目安であつて、時閒といふ代物が直線的硬直的のものではありえない上、また人閒の能力といふものもそのやうでありえないことぐらゐはちやんと知つてゐる。辛いのはおそらく序盤だらう。何にしろ、長く悲しい戰ひになることは覺悟しなければならないと思つてゐる。そして、もうひとつは技術的な話であるが、優れてゐるものから先に讀み進めていくと、後半になつて、無名のものばかりが殘り、やる氣の薄れていくことが容易に想像されるから、順番にはあまり拘はらないことにしようといふことである。だから私は今手當たり次第に讀み進めていつてる。

P.S この頃私は「卵」に考へさせられてゐる。三島由紀夫自身もこの小說を氣に入つてゐるやうである。卵のやうな奴が多すぎる。
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