大沼をあとにして、岩見沢という街に来た。
この街には、私の学生時代の恩師が住んでいる。
進藤省次郎先生。
出会いは20歳の時、大学2年の秋。
もともとは社会教育を専門にしようかと思っていたのだが、この先生の研究との出会いをきかっけに、私は体育を専門とすることになった。
人生、わからないものだ。
「体育嫌いのこどもがなぜたくさんいるのか?」
その問いから始まる研究は、スポーツ至上主義とは決別した「身体を通した本質的な教育」を私にたたきこんでくれた。
「より速く、より高く、より遠く」が評価になる体育、つまり「できたかどうか」が評価される体育では、体育嫌いが増えてしまうのも無理はない。
そうではなく、身体を動かす楽しさやその運動種目の持つ「本質的な楽しさを得たかどうか」で評価する体育。
「できる子ども」を「よりできるようにする」体育ではなく、「できない子ども」もその「楽しさを得る」体育。
中学、高校、そして大学と、競技スポーツに打ち込んできた私の価値観は、粉々に吹き飛んだ。
体育って何なんだ?
教育って何なんだ?
あらゆる視点からそれらを見つめ、仲間と議論する時間。
その時間を経て、私の価値観はじんわりと再構築された。
眠っていた大学のゼミ資料を引っ張り出した。
まだそのころは手書きの討論資料である。
びっしりと赤字で修正してある資料を見ると、今こうやってパソコンで文字を入力している自分はあの時のテマヒマかけた学びが削ぎ落とされているのではないかと感じる。
運動や体育、スポーツ、身体のことを、今思えばけっこう勉強してたのかなあ。
体育会の活動ばかりでほとんど教室にいなかった。
でもゼミだけはサボれないのでがんばっていたんだと想う。
そんないい加減な私を、最後まであきらめずに指導いただいた。
大学教員としては評価されない活動も積極的に手を出す先生だった。
事実、体育会の学生からは高い評価を得ている。
話すのがとにかく好きな先生で、飲み会では9割以上、彼がしゃべっていた。
「口から生まれた男」とも言われていた。
今回は先生の家に泊まらせていただき、お酒を飲みながら語り合った。
しかし、歳はとってもあの頃のまま。
相変わらずしゃべりまくっていた。
いつも想うことだが「お願いだから俺にもしゃべらせろ」である(笑)
進藤先生の奥さま:貴美子先生も大学教員。
こちらは身体と暮らしをつなげる踊りが専門。
彼女もまた伝説の教員であり、大好きな先生でもある。
NPOグリーンウッドにも講師で来てもらったことがあるほどだ。
夫婦そろって素敵な体育教員だが、ここ最近この二人にも転機が訪れている。
貴美子先生が奄美大島に転居し、島の集落住民に完全になり切っているとのことだ。
省次郎先生も、足しげく通って、島の暮らしを楽しんでいる。
「卒婚」ということらしいが、要は二地域居住ということだろう。
ちょうど貴美子先生が、奄美から岩見沢に数日間、帰ってきた日に、私は泊まらせていただいた。
運がよかった、ということになる。
島の暮らしを生き生きと語る貴美子先生は、とても70歳を迎えたとは思えない。
さらにパワフルになった貴美子先生に会いに、いつか奄美に行こう。
それにしても、である。
出会ったころのご夫妻の年齢が、ちょうど今の私の年齢なんだな。
そう想えば想うほど、今の自分の来し方行く末を考える。
やはり今年は転機の時なのかもしれない。
この街には、私の学生時代の恩師が住んでいる。
進藤省次郎先生。
出会いは20歳の時、大学2年の秋。
もともとは社会教育を専門にしようかと思っていたのだが、この先生の研究との出会いをきかっけに、私は体育を専門とすることになった。
人生、わからないものだ。
「体育嫌いのこどもがなぜたくさんいるのか?」
その問いから始まる研究は、スポーツ至上主義とは決別した「身体を通した本質的な教育」を私にたたきこんでくれた。
「より速く、より高く、より遠く」が評価になる体育、つまり「できたかどうか」が評価される体育では、体育嫌いが増えてしまうのも無理はない。
そうではなく、身体を動かす楽しさやその運動種目の持つ「本質的な楽しさを得たかどうか」で評価する体育。
「できる子ども」を「よりできるようにする」体育ではなく、「できない子ども」もその「楽しさを得る」体育。
中学、高校、そして大学と、競技スポーツに打ち込んできた私の価値観は、粉々に吹き飛んだ。
体育って何なんだ?
教育って何なんだ?
あらゆる視点からそれらを見つめ、仲間と議論する時間。
その時間を経て、私の価値観はじんわりと再構築された。
眠っていた大学のゼミ資料を引っ張り出した。
まだそのころは手書きの討論資料である。
びっしりと赤字で修正してある資料を見ると、今こうやってパソコンで文字を入力している自分はあの時のテマヒマかけた学びが削ぎ落とされているのではないかと感じる。
運動や体育、スポーツ、身体のことを、今思えばけっこう勉強してたのかなあ。
体育会の活動ばかりでほとんど教室にいなかった。
でもゼミだけはサボれないのでがんばっていたんだと想う。
そんないい加減な私を、最後まであきらめずに指導いただいた。
大学教員としては評価されない活動も積極的に手を出す先生だった。
事実、体育会の学生からは高い評価を得ている。
話すのがとにかく好きな先生で、飲み会では9割以上、彼がしゃべっていた。
「口から生まれた男」とも言われていた。
今回は先生の家に泊まらせていただき、お酒を飲みながら語り合った。
しかし、歳はとってもあの頃のまま。
相変わらずしゃべりまくっていた。
いつも想うことだが「お願いだから俺にもしゃべらせろ」である(笑)
進藤先生の奥さま:貴美子先生も大学教員。
こちらは身体と暮らしをつなげる踊りが専門。
彼女もまた伝説の教員であり、大好きな先生でもある。
NPOグリーンウッドにも講師で来てもらったことがあるほどだ。
夫婦そろって素敵な体育教員だが、ここ最近この二人にも転機が訪れている。
貴美子先生が奄美大島に転居し、島の集落住民に完全になり切っているとのことだ。
省次郎先生も、足しげく通って、島の暮らしを楽しんでいる。
「卒婚」ということらしいが、要は二地域居住ということだろう。
ちょうど貴美子先生が、奄美から岩見沢に数日間、帰ってきた日に、私は泊まらせていただいた。
運がよかった、ということになる。
島の暮らしを生き生きと語る貴美子先生は、とても70歳を迎えたとは思えない。
さらにパワフルになった貴美子先生に会いに、いつか奄美に行こう。
それにしても、である。
出会ったころのご夫妻の年齢が、ちょうど今の私の年齢なんだな。
そう想えば想うほど、今の自分の来し方行く末を考える。
やはり今年は転機の時なのかもしれない。
代表 辻だいち