わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

【残りの人生を捧げる】 ~命の授業から命の桜前線へ~

2016年05月11日 | 泰阜村のソコヂカラ
5年ぶりに、東日本大震災で出会った方と再会した。


東松島市野蒜地区。

東松島市のなかでも多くの犠牲者を出したところだ。

ここに成瀬第二中学校があった。

午前中に卒業式が終わり、卒業生は隣の施設で謝恩会を行っていた。

地震の後、3階に避難した。

在校生の半分以上は帰宅していた時刻だった。

バキバキという松の折れる音と共に、普段は松原によって見えない海が視界に広がり、あっという間に津波は、中学校と隣の施設を飲み込み、校舎をつきぬける。

3階ではだめだと屋上に逃げ、隣の中学校を見れば皆一番高い場所に避難しる様子がうかがえた。

津波が校舎を突き抜けるという光景に泣くというより泣き叫んでパニックになる生徒が続出し、その日はその場所で夜を明かした。

こう語ってくれたのは、当時成瀬第二中の教員だった制野俊弘先生。

私の知り合いの教員である。


▼成瀬第二中。SOSの文字



▼卒業式直後の体育館を津波が襲った



▼津波が突き抜けた校舎。時計がその時刻で止まっている



▼校舎



▼一階の廊下





鳴瀬ニ中の生徒3人が犠牲になった。

祖父母の介護をしていた子、逃げるのが遅れる祖母と一緒にいた子、小さい兄弟と一緒にいた子(兄弟が固まって見つかったそうだ)・・・。

地区に目を移せば、家族でたった一人だけ助かった子もいるそうだ。

制野先生は野球部の顧問だったが、帰宅してた部員は津波に飲まれ、泳ぎきって命からがら助かった子も多くいたということ。



その後、制野先生は、「命の授業」を行い続け、その様子はNHKスペシャルなどでもとりあげられたという。

今年の4月から、縁あって東京の和光大学に赴任してきた。

5年ぶりに酒を酌み交わし、お互いの5年と今後の生き方について語り合った。

再開する前に、彼が私にくれたメールを、そのまま転記する。


 実は私も辻さんと連絡を取りたいと思っていました。宮城を離れるのは本当に辛かったのですが,次にやることを見定めてこちらにやってきました。
 実は,子どもたちと命の授業をしながら,「二度と同じような思いをする子どもをつくってはいけない」と本気で思うようになりました。そこで来るべき東南海の大地震・大津波に備えて,何かできないかと考えるようになりました。それは被害が想定される所,特に津波が浸水する地域とそうでない所の境目・境界に桜を植えて,「命の桜前線」として太平洋岸一体をつなぎたいと考えています。なぜ桜なのかというと,①桜は開花する時期に必ずニュースになり,一年に一度は話題になる,②女川中学校で進めている石碑はわざわざそこに行かなければわかりませんが,桜は満開になれば自然に人々の目に入る,③毎年,「命の桜前線」と喧伝してもらえばいざという時にそこを目指して人々が逃げようとするなどの理由からです。
 東日本大震災の最大の教訓として「想定外を想定する」ということを考えると,政府や自治体の予想浸水区域よりも1ないし2km内陸部に「命の桜前線」を作りたいと思っています。ぜひ辻さんの知り合いでそんな「夢」に賛同していただける方や自治体関係者がいればお教えください。すぐに話をしに行きます。東南海の震災は30年以内に60%,50年以内に90%の確率でやってきます。もう目前と言っていいでしょう。 
 私が和光に来たのは残された人生をそれに捧げようと考えたからです。亡くなった教え子たちの「声無き声」を届けるのが私の死ぬまでの仕事だと思っています。こんな馬鹿げた「夢」にお付き合いしていただけそうな方,耳を傾けていただけそうな方がいればお教えください。



5年前のあの混乱の最中、制野先生は初めて会う私に「辻君、夕食を食べてけ、泊まってけ」と声をかけてくれた。

そう、被災した方の家に転がり込んだのである。

あの時の、大家族で難局を乗り切ろうとしている制野一家の姿を忘れられない。


▼泊めていただいた制野先生の家。こどもの安否を確認するためにどんな動きをしたかを語ってくれた





残された人生を命の桜前線に捧げる。

足元の東北を離れてまでも、その想いをカタチにしていこうとしている。

私もまたこの一年が、自分にとって重要な一年になるのではないかと感じているが、制野先生の想いの強さに励まされる。

私にできることは微々たるものだが、命の授業を続けてきた制野先生のこれからの夢を、周囲に広めること、伝えること。

それが私がまずできることだ。

そして、二度と同じような想いをする子どもを作らないためにも、制野先生とも力を合わせて、やはり「ひとづくり」を地道に行っていきたい。

それが、私が一生をかけて取り組むことである。


代表 辻だいち