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目からウロコが落ちる

2017-04-20 19:57:17 | 宗教・教会

 我が家は「時代劇好き」なので、
 スカパーで”時代劇チャンネル”に入っているほどだ。

 その時代劇で、
 「いやー、まさに目からウロコが落ちるとはこのこと・・」などと、
 そういうセリフが平気で使われているけれど、
 これは時代考証がおかしいと思う。
 実は「目からウロコが落ちる」というのは新約聖書に寄っているからだ。

 「目からウロコ」の体験をしたのはサウロ。
 (後に多くの手紙を残したパウロ)
 当時、パウロはキリスト教徒ではなかった。
 むしろ逆にキリスト教を迫害する人間だった。
 パウロは熱心なユダヤ教徒で、キリスト教なんて大嫌い。
 彼にとってキリスト教徒は、まことの神を冒涜する輩だった。
 キリスト教徒を迫害すること=パウロの神に仕えること。
 そんなふうだったから、彼はクリスチャンの間でも迫害者の急先鋒に立つ人物として、
 悪い意味で有名だった。
 
 ある時、パウロがクリスチャンを迫害するために、
 ダマスコという町に向かっていた途上のこと。
 彼は超自然的な体験をする。
 キリスト者に対する敵対心に燃え一路ダマスコに向かうパウロ一行を、
 突然まばゆい光が照らした。
 その光はあまりのまばゆさに地に倒れてしまうほど強烈な光だった。
 
 すると、その光の中から声が聞こえる。
 「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」
 パウロが
 「主よ、あなたはどなたですか」
 と尋ねると答えがあった。
 「私は、あなたが迫害しているイエスである」
 その時、イエス様はすでに昇天しておられたので、
 実際のイエス様に出会ったわけではない。
 しかしパウロはその体験の中で、はっきりとイエスに出会ったのだ。
 
 その出来事の後、強烈な光を浴びたためか、
 それとも、あまりの心理的衝撃のためかパウロは目が見えなくなってしまう。
 三日間、彼は目が見えないままで食事も全く摂らなかった。
 そんなパウロのもとに神に示しを受けたアナニヤというクリスチャンが訪ねてくる。
 そして、彼がパウロに手を置くと
 「目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった」
 ということだ。

 パウロにとってはそれが文字通り「目からウロコ」の体験だった。
 スピリチュアル(霊的)な側面でも「目からウロコ」の体験だったわけで、
 それ以来、彼は熱心なユダヤ教徒から、熱心なキリスト教徒へと変貌する。
 そして、彼なくしてはキリスト教は世界宗教たりえなかったであろう、
 と言われるほどキリスト教界において、なくてはならない人物へとなっていく。

 ーーーーーーーーーーー と長くなったけれど、
 この言葉は新約聖書になくてはならない人物サウロ(パウロ)の経験から出ているので、
 江戸時代の時代劇でこのセリフを使うのは、ちょっと無理がある。
 もちろん織田信長の時代、江戸時代前にもキリシタンはいた。
 しかし、江戸の庶民が「目からウロコとは・・・」と平気で言うのは、
 ちょっと学がありすぎるというわけなのだ。

 今日のブログは「うんちく」をたれたので長くなったなーーー。

 ☆今日の聖句ぬり絵☆

 「わたしたちが愛するのは
  神がまず
   わたしたちを愛してくださったからです」
                (Ⅰヨハネ4:19)

 

 

 

 

 くぅ

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