ぐるぐるねこぐるま

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親友がくれた言葉

2016-10-19 22:22:57 | 宗教・教会

 さっき、ゴスペルシンガーの向日姉と少し長い話をした。
 彼女は高校時代からの親友だ。
 いろいろと話すうちに、私の今のその気持ちをこそ、
 牧師先生に聞いてもらった方がいいと勧められたので教会にメールを出した。

 この前、2年も疎遠になっていた人に、
 やっと勇気を出して、挨拶をしにいって「おはよう」と言い合えたことで、
 私はその後の礼拝で、賛美中の歌詞が心に響き号泣した。
 その時は神さまが時を整えてくださったことを、
 素直に喜んで、2年ぶりに平安を覚えた。

 しかしその後、何日か時間が経っていくうちに、
 神さまに感謝しつつ祈る中で、
 また自分を責めることが沸き上がってきた。

 私は本当に心から友人を愛そうとして挨拶をしたのか?
 自分の保身のため、自分が楽になるため、自分がカワイイから、
 「神さま、私はこんなに心が広いんですよ、見て下さい!」
 「私はサマリヤ人とも仲良くできるのです!」
 と、思ったからなのではないのか?
 ”これは偽善だ・・・”と思えてならないのだ。

 そこから毎晩、就寝前に神さまに祈った。
 祈りは全て神さまへの感謝ではなく”問いかけ”だった。

 「私は心の底から、なんの計略もなく挨拶をしにいったのでしょうか?」

 「ただ、挨拶ができて声を交わしただけで、
  わだかまりが簡単に溶けるものなのでしょうか?」

 「私はどこまでいっても人間なので、
  正真正銘、ふた心なく彼女を愛する事ができるとは思えません?!」
 
 「神さま、教えて下さい!
  私が彼女に対して暴言を吐いたこと、彼女から暴言を吐かれたこと、
  それも含めて、私が毎日犯す罪は・・・
  すでに新生されて天にあるものとされているのに、
  どうして消えないのでしょうか?」
 
 「こんなに汚い私を、
  どうしてあなたの大切なひとり子の命で贖ってくださったのですか?」
 
 信仰の基ともなるべきことをも疑うような祈りになっていくのに、
 でも、まだ神さまからの答えはもらえない。

 向日姉は、
 「挨拶をしたことで扉が開いたんだよ・・・」
 「(私が)その扉の向こうに行ったから、今の気持ちに気付いたんだよ・・」
 「それは信仰の上で大きな気付きなんだよ」
 と言ってくれました。

 そして、
 「人が決してできないことは神さまに委ねて、
  その十字架を固く握りしめて、
  内なる聖霊さまに頼ることだよ」
 と言った。

 向日姉は電話越しで、私のために長い時間祈ってくれて、
 「くぅは少し深い信仰へ進んだんだね」
 「くぅは救われてる!救われてるんだからね!
  決してサタンに負けてはいけない」
 と言ってくれた。

 悩みが解決したわけでは決してない。
 むしろあの日以来、もっと別のことに気付いてしまった自分が汚く思える。
 人を裁き、人を赦すことは、人間である私にはできないのだ。
 向日姉は、火であり、水であり、命である聖霊さまに頼ること。
 聖霊さまが自分の中におられる事を、決して見失わないこと。
 そう言って「近いうちに会おうね」と言って電話を切った。

 向日姉の言葉は難しくて、今の私が実感するのは難しい。
 けれど今日も、問いかけるばかりの祈りをし続けて、
 私の眼が開かれる日を待っていようと思う。

 向日姉が、今の私に聖句をくれた。

  「すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、

   平和の福音の備えを足にはき、その上に、信仰のたてを手に取りなさい。

   それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。

   また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。」

                      (エペソ6:14〜17)

 

 


 くぅ

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