まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

食品内、昆虫混入許容基準。FDA

2005年11月30日 | 社会的全般
簡単な記事を。

キムチの寄生虫混入に関して、喧喧諤諤、世間を騒がせているが、
多分、到底日本では受け入れられない。
そういう国である。
割り箸、食器、など、「不浄」の論理が幅をきかせていて、使い捨てで「清潔」だ。
韓国では、付け合せのキムチなど、あらかじめ、誰でも食べれるように
テーブルに備え付けである。
以前、都市伝説かもしれないが、洋食屋で提供されていた「パセリ」の使いまわし流言が
結構話題になって、いたいけな小学生をびびらせていたが、そういうもんだ。

アメリカにFDAというセクションがある。
 FDAは、1兆ドルを越す製品の規制にかかわっており,これはアメリカ国民年間消費
 額の4分の1にあたる。
 FDAは、食品、化粧品、医薬品、医療器具、放射線を発する製品、さらに動物薬,飼料
 において、それが正しく使われるよう情報を提供し、それらの安全性を確保しすること
 でアメリカ国民の健康に対し責任を負っている.

ここでガイドラインとして発表されている項目がある。
食品内、昆虫混入基準である。
アメリカでは食品昆虫混入は許されてる?
知識の泉 Haru’s トリビアさんが、翻訳されていて、資料を探していたら、
もうこのブログで充分ということでした。

カレー粉
25グラム当たり100個までの昆虫の破片。

缶詰のトマト
果実を加害するミバエの卵5個とウジ1匹、ウジだけなら2匹まで。

チョコレート
100グラムに対して60個までの昆虫の破片。

朝日新聞の最近の記事で知った知識であったんだが、昨年にすでに注目していた記事が
あって、本当に、ブログの世界には驚かされます。

FDAのHPも拝見しているのだが、とにかく、許容基準がすごい。
インセクトの単語が踊っている。
「このくらいの昆虫の混入は殺虫剤を多用すればもっと下げられるが、無害な自然物の混入を
殺虫剤の混入に置き換えることは賢明ではない」 と言う。

ただ、寄生虫は、ものすごく嫌だなぁ。
花粉症時には必ず言われる、寄生虫の効果。
抗体反応を寄生虫によって、蓋をし、治ったという事例をよく耳にする。
アレルギーなどは、「清潔好き」の日本において、寄生虫をことさら排除したからだ、
なんて記事を読んだりすると、それだけは、勘弁してという感じだ。

ナウシカのマンガの中で、清浄化された世界に降り立った人間は、
逆にそこでは異物になって、息を吸うことすらできない、という場面があった。
「適応」しすぎたボディーは、もう昔に帰れない。

準隔離飼育された日本人。猿の研究より

2005年11月29日 | 本・映画
非常に長い距離を移動した。もちろん電車で。
一日の半分を電車に揺られていたような気がする。
半分は座ることができ、半分は立っていたが、体調不良もあってか、
人と仕事の話をしても、30分で、カラータイマーが点滅し始める。

そんな中で、
「進化しすぎた日本人」 杉山幸丸著 中公新書ラクレ 刊
は、霊長類の権威として活躍されている方が出された、人類学の
エントリー本なのか、人類社会学なのか、そういうものとして、良書である。
文章がうまい。
猿の生態を通して、人類を俯瞰するという手法は、手馴れたもので、
我々も、お腹一杯な感じもあるのだが、
昔読んだ、その手の本の常識も、実は、研究されていて、異なる学説が提起されて
いるなど、好きな方には好きな本である。

昨今の、若年層の「凶悪犯罪」に関しても、「動物」としては、起こりようのあるケース
として、積極的に具体説明をされるが、結構、理解しやすい。
「人」は動物として、先天的に持っている「本能」を捨て去って、
柔軟に環境に適応をするがために、「脳」を発達させた。
簡単に言うと、生殖行動も「覚えなければ」発動すらできず、猿も、「隔離」されて
育った単体は、お見合いしても、子作りに向かわないという。
なので、動物園では人工授精が盛んになってきた。というくだり。

餌が非常に限られて、少ない場合、行動範囲は広く、特定の「巣」を持たない。
その場合、厳しい「上下関係」はそこには出現しない。

逆に「猿山」のように、狭いエリアで潤沢な餌が提供されるようになると、
突然、餌を独占し、抱え込む猿が出現し、厳しい上下関係が現れる。
「資源が集中していて取り合いの状況が厳しいほど、周りの誰よりも上に立って
 多くの資源を自分のものにしようとする傾向は」どの世界でも一緒なのだそうだ。

昔の猿の飼育、そして研究で、生れ落ちたときから他の固体と交えず、
一匹で「隔離」されて育てられた猿のことが書いてあった。
(今は、道徳上その手の研究はしていないのだが)
代理母として彼らに与えられるのは、金網で作った母。そしてタオルで作った母。
この研究の話を読んで、思わず、泣いてしまいましたよ。
なぜ、って聞かないで下さい。そんだけのことですから。よかったら、読んでね。
この研究は、社会性の獲得に関する実験として、とても有名な実験らしい。

皮膚感覚を含めた「学習」は、集団を通してこそ、学習されていくもので、
隔離された「猿」は、成長しても「社会性」は得られない。
もちろん、隔離された猿が子を出産時する時の「悲劇」は誰でも良く知る内容だ。

隔離飼育の問題点は、情緒不安定に始まり、親との関係、我が子との関係までも含む
あらゆる面での「社会性獲得不全」ということになる。

人間性の獲得とは、第一に社会性の獲得だ。社会性とは周囲の個体に気を配ることであり
それによって円滑さを維持することである。第二は「探検精神」だ。
隔離されて育った「猿」は、普通大人になると行う、遠距離移動も、探検も
まったくしないらしい。

作者は、昨今の日本の家族のあり方を、「準隔離飼育」の状態と言う。

特段、目新しい内容で無いかもしれないが、書き手のわかりやすい文章は、
馴染みのある知識をも、また、喚起、励起、させてくれる。
本当に、書き方を勉強しなくては、なりません。

 

人当たりのいい「人件費削減」。大阪市の新市長述べる。

2005年11月28日 | ニュースに絡んで
本を読む時間をとれなくなってきた。
多分、時間は作ることは可能なんであろう。活字を読みこなすことができない。
素通りしてしまう。なんてこった。それでなくとも、目に付いた本を購入する癖は治らない。
一度もちゃんとした「書評」すらしたことがないのに、でも、したいのに。
ちゃんと読み込んで、咀嚼して、お話しをしたい方もいらっしゃるのに。すごく残念。
いってないんだなぁ、そこまで。
がんばります。

さて条件反射のように、食いついてしまいました。
大阪市 給与体系を改革 関市長インタビュー

出直し大阪市長選で再選された関淳一氏(70)は、
「公務員だから勤務評価制度がなじまないというのは絶対おかしい」と述べ、
職員の給与制度改革に乗り出し、
勤務評価制度と職種別給与体系の導入を進める考えを明らかにした。

ほら、こっちに行ってしまいました。
財務内容の悪化に伴って、再建団体化寸前の大阪市。
昨今の潮流からして、人件費削減は、絶対のテーマのように喧伝されている。
でもね、「勤務評価制度と職種別給与体系の導入」と、民間のシステムを採用しようとする
試みは、多分世間にとても受けの良い話だと思いますが、
もともと公務員は、「成果」「評価」に組しない内容やら業務をこなすことが建前であり、
教師、消防、警察などの「技官」などとは異なり、一般職にもそれを当てはめて、
いったい、何が「改善される」というのだろう?

もともとの原因は、市自ら、積極的に税収の増収を目指し、市民、企業の誘致を狙って、
第3セクターを絡んでの、大作戦が、見事に「大こけ」したのであって、
それこそ、この部分が「民間」のように、責任ある顛末をえがけず、
無責任にも「放置」したもんだから、「破綻」1歩前になったにすぎない。

また、よく言われている「ありえない手当て」に対しても、
これを立案して、立法化した市議会こそが、議員こそが「無能」なんであって、
確かに、組合などの支援なくしては、当選もままならない、そういう、無関心な
市民をバックに選挙をする議員にも同情の余地はあるものの、
一般の職員それぞれに罵倒を浴びせるのは、お門違いだと思う。

マスコミも、随分と大阪市の報道をしているものの、なぜか、人件費にかんする報道に
収斂していくのは、何が一体、原因なんであろう。
国に対する報道も、結構似たり寄ったり。
人件費の抑制が、ことさらクローズアップされますね。

情報公開を含め、一体何が「無駄遣い」なのか、会計審査がどこまで「いい加減」なのか、
自治体が行う事業プロジェクトがどう採算がとれているのか、期待される税収への効果
予測と結果はどうであったのか。外郭団体なり第3セクターへの出資と見返り利益は、
そもそもきっちり監査されていて、年度の事業予測を管理しきっているのか?
などなど、これこそ毎日でも報道して欲しい内容ではないか。
そして、新市長は、儲けを出せるのか。いやいや、赤字を削減できるのか。

それが、民間のシステムなんではないのかしら。
職員の評価?民間のシステムを採用?どうしてそっちに行ってしまうのかしら。

少子化問題。まなびの途中経過、報告。

2005年11月27日 | 教育、文化、少子化
新会社に棲息する1級建築士たち。
今回の偽造問題に、他人事では無い模様。
構造計算は、誰でもできるものではない。
ものすごい手間隙がかかる。テレビなどでマンションを購入する際には、
充分「図面」「構造図」などを必ずチェックする必要があります、のコメントに、
見ただけでわかるんだったら、こんな事件はおこなんいよ、と切れていた。
それよりも笑えたのは、関係者でも無いのに、この姉歯氏に対して、
こんな奴を生かしてはならない、と893真っ青な切れ方をしていたこと。
どうやら、構造に関しての操作は、どの建築物でも触れてはならない
公然の事実であったらしい。

「民活」になる以前は、自治体が「建築確認」をおこなっていた。
これがものすごい「ずさん」。まぁ、できる訳無い。
なにしろ、提出されてから2週間で「確認」をしなければならないと、法令で
決められている。できないから、おざなりに確認していたのが実態だと言うこと。
民間に委託されてから、厳しくなったと「嘆いて」いた。
それを「いたずらに不安を煽るような事を喋りやがって」になるらしい。
数年前は、各自治体が検査していたはず。
実態が明らかになるにつれ、自治体の責任問題も追及されるであろう。

さて、少子化問題について。
いくつか読んだことを総合して、勝手な意見を述べさせていただく。
マンション、団地などの「住居」の増加に伴って、いわゆる核家族化が進行。
永続的な「家」を中心にした、共同体は、まず、継ぐべき長男を流出させる。
これによって、擬似共同体は、企業が肩代わりすることになる。
地域共同体の、着実な弱体化が起こる。

特に1980年代からこの方、男女平等法にも促進され、
女性の流動化現象がおこる。
家を出るためには、結婚か留学しかなかった女性が、単独で住居を獲得し、
生計を自立できることが可能になった。
社会が暗に持っていた「強制的男性依存」のシステムがここに弱体化することになる。

ゆるく、頼りにもできる地域社会というクッションの無い「新天地」で
家族をつくるという事実は、この日本では、今だかってない「経験」である。
この事は、その昔においては「開拓」などという事業でしか、実践されたことが無い。
その事実を指摘した「解説に」であったことも無い。

よって、現在の子育ては、誰も経験のない史上初めての環境下で行われていることを
認識すべきだ。
その為、子育てが難事業にもなり、餌を自力で獲得できる女性の増加とも相俟って、
男性は、かってあった共同体の援護をうけることなく、庇護もなく、女性を獲得する
作業が非常に困難になってきた。
つまり、全てにおいて、なんらかの結果を求められるといったテーマが男性側に
求められることになり、ややまだいるであろう、「配偶者を求める側の女性」から
の支持が得にくくなった。

その結果、結婚をして、子をもうけるという単純なことが、単純な事実としての
社会常識にならなくなってきた。
つまり、次第に、特別な取り組みとして、認識されるようになってきた。
そして「計量化社会」。
見えないものまで、あたかも「計る」ことができるかのような社会は、
人間が行うこと全てを「割り切ることができる」かのような錯覚を与え、
人それぞれが「暮らしながら」つむぐ物語さえも、底の浅いものにしていった。

多分、事はもっと複雑かもしれないが、これが今自分のまなびの途中経過である。



保険社会がやってきた。リスク管理を学ぶ。

2005年11月26日 | 社会的全般
建築物に対して、建築確認をすることができる資格者のことを、
「建築主事」という。
建築主事の人数は全国で約1700名余にすぎず、この人数で年間約100万件以上の
建築確認申請と完了検査を処理してきた。
その行政の手詰まりから、検査、確認業務を民間に「委託」することとなった。

ところが、
偽造見過ごしのイーホームズ、担当者全員が天下り社員
これ自体、特段、問題視することではない。
ただ、もともと自治体にいて、人数不足の中、あまりにも「いい加減」な検査を
してきた人間達が、民間に移行した瞬間、毅然とした「検査」ができるか、
その精神状態なり、つながりの「連続性」も含めて、
疑問に思わざるをえない。
当たり前だが、建築主事の人数が足りず、民間の検査機関として法人を立ち上げる際、
どうしても「資格者」の引抜をしなければならない、そういった事情があったんだろう。
しかし、この人達に「検査」をやらせては、ならない、と思う。

ここまで来ると、普通の人達は、「何を信じて良いのかわからない」などと、
悠長な不安感を表現するが、もはや、国なり、検査団体が、世間に不正なり
欠陥を「公表」する世の中になったんだと、ポジティブに評価したいものだ。
今までは、単に、我々の知識不足もあって、「知らずやり過ごされた」か
「もみ潰されていた」事件群だ。

社会の構造なり、仕組みが段々わかってくると、取れる手段が明確になる。
つまり、責任の所在をはっきりさせて、責任を取る、取らさせるといった考え方を
しなければならない、世の中になった、ということだ。
怒りに任せて、地団駄をふむだけではなく、国に依存するばかりではなく、
世の中には、必ず悪意ある「案件」が転がっていることを、踏まえ、
各々リスク管理をしていかなくてはならないということだ。
こういうのを、「世知辛い世の中」と、まさに言うのであろう。

今回の事件。マンション、いわゆる共同住宅に対する保証制度は、まだまだ完備されていない。
一戸建てなどの住宅に関しては、下にあげる保証制度がかなり有効だ。
「建築主」が本人だからだ。
マンションなどは、「建築主」は普通そこに住まない。販売目的に作るわけだ。
居住者はその建築主から「購入」する訳で、言ってみれば「転売」なのである。
なかなか保証制度が追いついていかない。

こういう「金銭」にからむ件については、諸外国では、さまざまな保険制度が活用されている。
もっというと、この保険会社は、もし問題があった場合、お金を払う立場だ。
その監視、監督、調査の仕方といったら、厳しいの一言である。
国の検査機関なんて真っ青。身銭を切る連中のほうが「信用」ができると、言った所か。

余談だが、医療保険についても、これだけ盛んになっている日本。
医療過誤などの問題も、なぜ、日本の保険会社は、医療関係にもっと厳しいチェックを
しないのだろう。
掛け金を払う「顧客」に対して、保険金の不払いやっている暇があったら、
事故をおこした機関なり、個人を損害賠償で追い込んだほうが、社会的にも
貢献度が高いと思われるのだが。

保証機構なんて、本当はそんな「なまっちょろい」言い方ではなく。
保険でよいと思います。
そして、「施工」する会社の「格付け」をぜひしていただいて、
有効な「保険システム」を作り上げてください。
この保証機構は、登録業者なんて集団をつくりあげておりますが、
いってみれば、公的資格を与えた「談合」です。なんの根拠もありません。

財団法人 住宅保証機構
JIO 株式会社 日本住宅保証検査機構
JIOに登録されたビルダー様が行う、完成引渡し後の10年保証をバックアップするシステムです。
*一戸建て、共同住宅とも、3階建てまで。
ハウスプラス住宅保証株式会社
対象となる住宅 新築の一戸建て住宅

煽り記事の連発。鳥インフルエンザ

2005年11月25日 | ニュースに絡んで
今回の鳥インフルエンザは、どうやらただ事ではなそうだ。
この厄介なウイルスは、細菌とは違って、自己増殖ができない。
人や豚、鳥などの「宿主」の体を借りて、初めて増殖できる。
エイズもそうだ。

しかしなんだ、宿主を殺してしまったら、本当に意味が無いのにね。
共生できて、初めて、己のDNAを残すことが出来るわけで、母体が無くなったら
当然、そこで繁殖したウイルスも「歴史を」閉じることになる。
意味わかんないし。

よって、エイズに関しては、やがて、人間と「共生」を始めるであろう、という観測が
されている。
人間の細胞内にある、遺伝子配列を研究していると、そこかしこに、書き換えられた
遺伝情報の残滓が見られる。
簡単に言うと、そういうウイルスは、固体の「進化」というか変化をもたらすような
遠い原因とも言われている。

言ってみれば、ウイルスは、形を変えた乗っ取り屋さんである。
人間にしてみれば、ものすごい細胞をかかえる総合体であって、全部が「やつら」に
乗っ取られるわけではない。
そこで、変異を繰り返しながら、溶け込んでいくか、不活性な状態に落ち着こうとするもんだ。
今回の「変異」した鳥インフルエンザは、どうやら過渡期で、「宿主」に大ダメージを
負わせることになる、非常に厄介なやつらしい。

インフルエンザ治療薬タミフル、解熱効果に差
という記事を拝見したが、これは何を意図した発表なんであろうか。
タミフルに下熱効果に差、と言われても、こんな書き方ではわからない。
インフルエンザを死滅させるためには、抗体反応として、熱が最も効果的だ。
だから、解熱剤などをいたずらに飲むと、かえって「風邪をこじらす」もとになる。
あげく、ウイルスが熱によって弱ることなく、元気一杯になって、「脳炎」を引き起こす
原因にもなりかねない。言っている意味がわからない。

タミフルのネット輸入“過熱”価格10倍、入荷待ちも
つい最近、タミフルが「日本でタミフル服用の子ども12人死亡 米FDA報告」
と注意を喚起したばかりなのに、(結局、大きな因果関係はなさそうだ)
またこれです。
今回の鳥インフルエンザに、タミフルが効くかも知れない、と言われてはいるものの、
各自治体が備蓄するためには、それぞれ数億円の予算が必要。
そういう、インパクトのある記事を、ことさら連発して、フォローがない。
最近、マスコミさん、煽りすぎ。です。
すでに、タミフルに対して、耐性をもったウイルスも見つかっております。
ということは、使用期間、使用方法を「誤って」使った場合、タミフルなんて
効かねえよ、というウイルスを、人間達が「養殖」してしまう場合だってあるわけだ。

そういう「フォロー」が感じられる「記事」を書いていただけないと、
あのサーズの時に、全国の「マスク」が売り切れになった、そんな騒動を、また
繰り返すことになるかもしれません。

安直に「事件」を仕入れる新聞社

2005年11月24日 | ニュースに絡んで
犯罪被害者を実名で発表するか匿名で発表するかは警察がその都度判断する。
犯罪被害者のための基本計画の素案が内閣府の検討会でまとまった。

実名・匿名 警察の判断でいいのか
本日の朝日新聞の「社説」である。

前から、昨今のマスコミにおける「事件報道」について、疑問を呈してきたが、
簡単に言うと、これはこれで「良いのではないか」と考える。
まず1に、もともと情報を排他的に「仕入れる」記者クラブという制度がある以上、
安い「仕入」ができなくなり、これからは、情報を「仕入れる時に」は手間がかかりますよ、
になったに過ぎない。
そして2に、今回社説で取り上げた、埼玉県の桶川ストーカー殺人事件。
この件でしつこく、情報調査や聞き込みをして「頑張った」のは、
新聞ではない。
彼らが、「ゴミのように見下す」週刊誌の取材だ。
そして3に、ここで問題になっているのは、「犯罪被害者」。
もっと具体的に言うと、「報道被害者」のことである。
つい先日も、確か広島でおこった幼女殺人・遺棄事件。
ご遺族の手紙が公開されたが、そこに書いてあったのは、関係者へのお礼と、
遺族関係者への取材の自粛、お断りを願じたものであった。
要するに、「事件や事故は、みんなの関心事だ。伝える報道機関が事件の全体像を知るには
被害者側からも話を聞く必要がある。」
なんてことを、当事者たる「被害者」にとっては、何のかかわりも無いことなんである。

「心身ともに傷ついているとき殺到する取材を受けたり、実名報道で好奇の目にさらされたりした
 犯罪被害者が少なくないことを、私たちは肝に銘じなくてはならない。
 つらい体験から、警察の匿名発表を当然だと考える人もいるだろう。」

反省も何も全く感じられない言い方ではないか。

「それでも、私たちは報道の自律によって問題を引き受けたいと願っている。」

タリウムの事件の時でもそうだ。
いくら被害者の家族からの「告発」であろうが、当事者が「告発」していない以上、
「事件性」のままであれほどの報道をした「新聞マスコミ」だ。
おまけにNHKの職員と言うことで、一社員の犯罪を、まるで組織に問題があるかのような
報道をしかけた「新聞マスコミ」だ。

どこに「自律」が見受けられるのであろうか。
こういうのをナンセンスと呼んでいいのではないか。

被害者が、警察の捜査に疑問をもつようであれば、その意見を聞くことが出来る
窓口を空けておくほうが、より具体的なシステムにもなろう。
そういうことを、週刊誌がわに「任せておいて」、新聞が安易に情報を仕入れようとしているから
自律どころか、安易な報道に終始するのではないか。

被害者も、犯罪被害者のための基本計画の成立によって、
「どの新聞社に相談すれば、真剣に相談に乗ってくれ、真の報道をしてくれるか」
が問われることにもなり、仕事として、会社の意義が問われることになる。

警察、やってくれ。

とてもホラーな中古マンションの話

2005年11月23日 | 社会的全般
うろ覚えで、申し訳ないが、
最近100年コンクリートといったマンションが売りに出されている。
この日本において、100年経過した建築物が無いのにもかかわらずだ。
つまり、結果は、誰にもわからない、ということである。

ひねくれた事を言うつもりは無いが、
そもそもコンクリートは、何年でも論理的には持つのである。
ただ、設備が、やられてしまうので、その判断として建て替え、取り壊し
といった顛末となる。

高度経済成長時代に建てられたマンション群は、通常言われている耐久期間を
超えようとしている。
40年も経過すれば、事業用建築物などは、あらゆるところで、破綻が目立つ。
そもそも電話回線が、1事務所、2回線分しかなかったり(これは、電話線の管の
太さを、そこまでいるかい、と初期の建築物は小さく、今や改造もできない)
水道下水の管の劣化。貯水槽からの水圧。空調の未熟さ。
どれもこれも、設備に関することで、昨日の記事にも書いたが、
もちろん社団法人か財団法人かわからないが、この部分を司る機関はごろごろある。

住居用マンションで問題になっているのは、もちろん中古。
バブル崩壊で、管理費を扱っていた会社が倒産して、修繕費など、虎の子が
消失してしまったマンションもある。
また、居住者が、月々払う、管理費、修繕積立金などを払えず、滞納していた場合、
訴えることでしか、「督促」をかけれない。

仮に、水道電気などを、「区分所有者」で連帯して払っていた場合、
滞納者の「ただ利用」に怒って、水道、電気などを「止めて」しまった場合、
なんと、裁判では「滞納者」が勝つ。
しかも、損害賠償を逆に払うことにもなりかねない。

あげく、その者が、破産してしまった場合、滞納していた管理費、積立金は
彼から、金輪際とれません。

ここで気をつけなければならないのは、そういう「中古マンション」を
もし購入することになったら。
その部屋が、そういう訳有りで「破産者」などの理由で、安く売り出されていても
調べたほうが良いです。
長いこと「滞納していた管理費、積立金は」、新しくその部屋を購入した人間が、
その者に成り代わって、さかのぼり、支払う「義務」が発生します。

知っていました?

だから、中古マンションは、世間で「ババ抜き」と呼ばれるわけです。
老朽化したマンション。建て替えに対して、費用の問題。
反対した住居者の分の、「所有区分の買い取り」など、
または、諸々の滞納金の処理の問題。
一人では、「改修できない」設備の問題。

問題が解決しない場合、次の購入者が決まるまで、
あなた、延々と、様々な諸費用を払っていかなければなりません。
たとえ、そのマンションが住めなくなってもです。
あなた、一人の問題ではないのです。

全部調べたら、ものすごく大変なことになるだろうな。

2005年11月22日 | ニュースに絡んで
手抜き工事ではなく、手抜き設計があったんだ。
なんとなくの不安を感じていた「建築物」に対して、今回の事件ほどショッキングな
事件はないであろう。
以前、台湾地震で、ビルの倒壊写真を見た事があるが、柱の補強に、「赤ちゃんのコナミルク缶」が
使用されていて驚いたことがある。
鉄筋でなく、コナミルク缶をコンクリで固めた柱である。
無論、ポッキリ折れ曲がった。

昨年5月、改正された「建築基準法」が施行され、民間会社が「建築確認」が出来るようになった。
耐震設計偽造 国交省、月内にも刑事告発 姉歯建築士と6設計業者
の記事にも書かれているが、この建築士が計算した計算書を審査したのが、
現在、ホームページがパンク状態のイーホームズ。
姉歯氏がもともと頼んでいたのは、日本ERI。この検査が厳しいとのことで、
イーホームズに審査を頼んだと言うこと。

日本ERIは株を上げたんじゃないのかな。
この民間に審査を委託することは、「民活」の一環でもあるのだが、
アメリカでは、建築には行政の許可が必要だが、建築中に10回以上も行われる検査には
「インスペクター」と呼ばれる行政と契約した民間人に委託されている。
また、イギリスでは、建築確認の約半分は民間機関が行っている。
日本ERIのホームページに詳しい。

日本では、建設省以来、地震大国といった現状を踏まえ、建物つくるのが、何より
大好きな国民性、政治性だ。1つの問題がおきると、雨後の竹の子のように政府関係機関が増える。
国土交通省関係公益法人という一覧があるが、その住宅局。
いわゆる財団法人、社団法人で70以上もの団体がある。

例えば「財団法人 建築行政情報化センター」
  建築行政の高度情報化に関する調査研究を行うとともに、建築確認支援システムの
  普及等に関する事業を行い、もって建築活動の円滑な実施に寄与する。

「社団法人 日本建築構造技術者協会」
  建築構造の設計、工事監理等に関する学術・技術の発展を図ることにより、建築物
  の質の向上に貢献し、もって社会公共の福祉増進に寄与することを目的とする。

「社団法人 日本建築家協会」
  建築家の職能理念に基づいて、建築家の資質の向上及びその業務の進歩改善を図る
  ことにより、建築物の質の向上及び建築文化の創造・発展に貢献し、もって公共の
  福祉の増進に寄与する。

「財団法人 建築技術教育普及センター」
  建築設計・工事監理業務に関する試験の実施、設計・工事監理業務に携わる建築技術
  者の啓発及び資質の向上並びにこれらに係わる調査研究を行うこと。

「社団法人 日本建築積算協会」
  建築積算業務の改善と建築積算技術者の技術的水準及び社会的地位の向上を図り、
  以てわが国建築生産の発展に寄与すること。

まだまだあるぞ。
それらに、免許試験など、委託しつつ、言ってみれば育成、管理、指導、監督をも
行わせている。そしてさらに、建築確認については、民間に委託する。
何重構造になってんだろうか?ていうか、何をやってんだ、この団体群は。
責任の所在が、本当に見えてこないシステムは、日本の行政の特徴ともいえるが、
民法でも、「請負」に関する、特に建築の場合、建てちゃったものには、
なかなか悪意が無ければ、罰せられない、そんなシステムになっている。
だって、何かあったら、双方、飛びますから。
こういう大型の「事件」。いくつかが倒産して、なんの処理もされずに、また廃墟が
出現するんであろう。
もう、「国に」いくら訴えても、多分無理であろう。

サミー、ハクション大魔王。1000ゲーム時短機発表。

2005年11月21日 | ギャンブル?
パチンコ関係のネタなんですが、
サミーとフィールズの蜜月関係は、もう、終わってしまったのでしょうか。
サミーは、ロディオブランド、そして、銀座といったメーカーを傘下に入れ、
開発に関しては、もう、自信一杯です。
その昔、保通協のいい加減な審査と、その後のホールの「改造」問題等あって、
「保険」をかける意味で、販売会社を隠れ蓑にした「開発」が盛んでした。

フィールズはそれを担保にして、サミーの台の独占販売権を握りつつ、
売れるか売れないかの微妙な台をロディオとして「売らせて」いた気がしていたんだが。
そのロディオ。サンキョウビスティーと組んだりして、その販売力を盾にして、
今や、飛ぶ鳥を落とす勢いです。
けんか、したんでしょうか?
何か大人の解決が、あったんでしょうか?

それはともかく、あれほど、煩かったパチスロ5号機。
どんどん、出始めております。
エバンゲリオンという、1発目。お店側は、余りにも泣けてくるような収入に、
5号機の時代を目前に、パチスロコーナーをパチンココーナーに改装するべく、
資金をかき集めたと言われておりました。

昨年、パチンコも「新要件」という新基準のパチンコ台でにぎわいました。
その世界はパチスロの「ミリオンゴッド」とともいわれ、今や、「MAX機」とすら
言われている、「ヤマト」「スターウオーズ」の例の機種です。
1000円で20回まわるのをボーダーと呼んでいる、パチンコ。
ということは、スロットだと、約25回くらい。まだ、スロの方がお徳。
ところが、パチンコのMAX機。初当たり確立が500分の1。
スロットには、そんな「下品」な機械、ありません。
だいたい、行っても、400くらいです。
ええ、客がMAXで、討ち死にした台でした。

体力が無い店が、思いっきり客を飛ばし、なんとか、別の機種、ええ、海物語なんぞで
ようやく一息をついたこの時期に、今度は、スロットが困ったチャンになってきました。

今度は、スロットがパチンコににじり寄ってきています。
パチンコ台は、大当たりを引くと、大概、100回転まで、玉が減らない「時短」という
特殊モードに突入します。大当たり抽選確立もUPするので、ドキドキタイムです。
これを、思いっきり取り込んでいます。
そもそも、一晩で、30万だ、40万だと、そういう稼ぎができること自体、
パチスロは常軌を逸しています。その「爆裂」状態に歯止め、どころか、「逆噴射」
状態のスペックにしたのが、5号機。

勝っても、2万円から、3万円だよ。
ものすごく勝っても、10万円いくかなぁ。
そのかわり、1000円で50回もまわっちゃう。のんびり、だらだら。
レギュラーという当たりの後の「時短」だと、1000円で120回もまわっちゃう。

ところが、サミー。「ハクション大魔王」で、逆手に取りました。
レギュラーという、スロッターにとって、忌み嫌われる当たりにスペシャル投下。
確立は、なんと約1万分の1。1ヶ月で、ぶんぶん回していて、10回みれるかどうか。
なんと、1000ゲーム「時短」です。
この間、多分、「じわりじわり」とコイン微増します。
感覚として、2~3時間、次の当たりを引くまで、続きます。
時間つぶしのサラリーマン、もう、打てませんねぇ。

昔、山佐さん、メフィストという変な台を出しました。
ツインビッグ方式でしたが、自分は、こよなく好きでした。
これもあのレギュラーボーナスを引くと、あっという間に天国モード。
10万くらい、稼げてしまう、恐ろしい台でした。
今まで、爆裂機の名の元、演出だけに命を投げ出してきたかのような、各メーカー。
「法規」の穴を狙って、どういう面白い「ゲーム性」を発送できるか、
今回は、またサミーが、北斗の拳に次ぐ、面白い展開を見せそうです。




ハンター×ハンター、別格の冨樫さん。

2005年11月20日 | ニュースに絡んで
熱心なファンを抱えている、漫画家 冨樫義博。
かくいう自分も、幽遊白書、レベルEなど、全巻揃えている身としても、昨今巷を賑わせている、
ハンター×ハンターの終了話は、聞き捨てならない。

冨樫イズムと呼ばせるほど、休載を認めず、続くと業界的に抹殺されてしまう業界に、
休載を認めさせ、週刊でありながら、結果的に隔週刊のような掲載状態。
幽遊白書の時に、最も高い人気を誇りながら、集英社との確執によって、強引な終了となり、
いくつもの噂を呼んだ。
アシスタントを使わず、あくまでもスクリーントーンをも排し、自筆にこだわる。
もっとも、信じられないくらいの世間知らずとも言われ、集英社から派遣されたり、紹介された
アシスタントと、よく大揉めしたのも有名な事実。以来、ほとんどを自分の手で描いている。

そうはいえ、ものすごい数のサイト、スレッドが、この件で立つほど今ホットな話題ではあるが、
思うに、今回のハンターハンターは、休載が多すぎる。
一時、他の週刊少年雑誌が束になっても敵わなかった少年ジャンプも、昨今、部数を減じ、
ようやく、ワンピース、ナルト、デスノートとそしてハンターハンターと強力連載によって、
復活感を漂わせてきた。
その中で、強固なファンを持つ冨樫義博。

ストーリーがゲーム性を、濃く持っているために、読者は、その世界の参加者になったかのような
読み方をしている。
そのため、笑えるのだが、冨樫氏が休載を「果たすと」、先読みをする読者が多くのスレッドをたて、
次のストーリーを予測し始める現象が起こった。
何しろ、面白いように休載をするもんだから、その間、待たされる読者は、どんどん、あらぬ
ストーリーを膨らませ、かえって、「これ、結構、いけてる内容じゃん?」など評価される「予想」さえ
出現し始める、といった顛末になっている。

一方では、充分な時間がある彼らのこと。作者のミスなり、勘違いを「鋭く」指摘する連中も出始め、
あげく、集英社に「ご丁寧にも」進言する人達もではじめる。
それでも、なかなかに「天才的なストーリーテラー」である冨樫氏は、そういう彼らですら、
熱心な信者で居続けさせる「技術」を持っている。
その中で、今回、立て続けにおこった休載をきっかけに、一部「暴徒」と化したファンが編集部に「電突」を
おこなった、という情報が流れ、編集部もいい加減に「信用問題」をもとに、
冨樫氏との過去の、一連の心情的ないきさつもあって、打ち切り、いや、放棄、といった伝え方が
大きな波紋を呼んでいる。

しかしながら、自分の中では「天才作家」と読んでいる冨樫氏。
多分、これからも、この先も、連載に馴染む人ではない。
そうとはいえ、どこにいってしまったんだ、バスタードのように、どっかで、いきなり1話が掲載されるような
事態には、ついていけない。ましてや、月刊ジャンプなどに月一連載など、目も当てられない。
こうなったら、いっそのこと、もう、単行本作家として、1年に1回、13話ないし15話をまとめ、
書き下ろしと称して、世に出すというのはどうだろう。
もう自分の中では「バスタード」。2年に1回の、単行本作家としての認識しかありません。
あの天才を活かす方法は、もはやこういう、マンガ界の常識を覆す方法しかないのでは?

タミフルをどう見るか。どう付き合うか。

2005年11月19日 | ニュースに絡んで
世界で使用されている総量の中で、日本がその8割弱を消費している、
「タミフル」。
インフルエンザ薬:タミフルで異常行動死 少年2人

注意を喚起されたのは、「NPO法人医薬ビジランスセンター 浜六郎氏」。
同一人物かどうか、忘れてしまったのだが、以前少年マガジンという誌上で、
昨年であったろうか、インフルエンザに関して警鐘をならす特集が組まれた。
要約すると、インフルエンザに過度な薬は不必要。
そして、ワクチンの注射予防は、その在庫一層を促進するために、官民が一体となって
鳥インフルエンザなどの脅威を殊更に「報告」する傾向がある。
発熱はウイルスを弱体化させる、人間の持つ抗体反応であるから、むやみに解熱を
した場合、重篤な脳障害を引き起こしかねない。

といったものであった。
ネットで調べると、確かに2003年にそういう報告がされている。
発熱に非ステロイド解熱剤は使用しないで
自分の経験から、どうしてもはずせない仕事の用事の時以外は、なんとか解熱剤を
使用せずに「自然治癒」をさせていた。体力が、多分あるほうなので、
それでなんとか済んでいた、という考え方もある。
最悪のときは、病院に行くなり、炎症を抑える薬を中心に、たまに点滴などを
処方してもらったりしていた。
もちろん予防接種はしたことがない。

しかしながら、子供を抱える親御さんにとって、昨今の小児科の減少に伴って、
不安は現実的なものだ。
インフルエンザ、たかだか風邪とはいっても、子供においては、致命的なダメージになる。
このタミフルは諸外国では、特効薬と言っても、日本のように「保険適用」のような
制度がなく、処方はえらく高額だ。よって、日本が安価に大量処方の恩恵を受けている。
世界では特効薬と言われている以上、特に決まった型のインフルエンザに効果を
期待されている。しかしながら、つきものの、副作用も当然ある。
それが特効薬と言うものである。
医者も、薬も、万能では無い以上、先の報告にもあったように、
マスコミ、市民、そして医療関係者は、いたずらに流布される「脅威を」騒ぎ立てては
いけないと考える。

インフルエンザによる、高熱によって、処置を間違えると、インフルエンザ脳症に
陥り、それは報道にもあったが、錯乱など、最悪死亡するといった顛末をおこす。
乗り越えたとしても、脳に障害を残すといった結果にもなり、親としては
大きな不安材料になる。

NPO法人医薬ビジランスセンターは、新しい特効薬が出るたびに、
その副作用から、現実になった症例をもとに広く告知をしていく団体である。
実は、日本の多くの製薬会社、病院、薬剤に携わる関係者に言わせると、
「また、あそこだ」と必ず話題になる機関である。
確かに、その指摘は世間の注意を喚起し、安易に処方する「医療関係者」に
注意を呼びかけ、一定の効果を挙げているのも事実。

しかしながら、この「タミフル」日本の使用量は1500万人分。
風邪の大流行がささやかれると、行政の立ち遅れを一斉に非難する
多くのマスコミ。行政としては、専門家ですら理解できていない、
インフルエンザの「型」を巡って、どういう風に行動をおこすべきが指針がでない。
その中での、「タミフル」であった。
もちろん、本年、大流行の兆しがみえる鳥にからむインフルエンザはH型。
タミフルはAとB型にしか用いてはならない。
この行政の薬の「備蓄」は言ってみれば、現在とることができる最大の努力である。
ギャンブルに近いものがある。
そして、副作用を指摘する「声」。
にしても、投薬量からみれば、コンマ000いくつに近いパーセンテージ。
理学の世界からすれば、当然、許容の範囲だ。
まずは、我々自身、踊らされない、冷静な目を持ちながら、「風邪」と付き合うしかない。

デルさん。保守期間が過ぎた顧客の扱いはNO1?

2005年11月18日 | 自分の仕事に絡めて
パソコンの初期の頃から、機械をそれこそ数十台、使っていた。
そのくせどこまで詳しいかと言うと、そんなことはなく、素人である。
一太郎のバージョン2、桐という表計算ソフトと、懐かしいあの時代から。
もちろんOSはMSDOSのコマンドを打ち込んでいた頃からだ。

デルのコンピューターが壊れた。
ソニーのバイオは、結構、ハードディスクやら、周辺機器の不具合で発狂寸前にはなるが、
今回は、マザーボードだ。生まれて初めての経験だ。かなり慌てた。
かなり信用をしていたメーカーだったので、ショックは隠し切れない。
オリックスのリースを利用していたこともあり、すんなり、新品と交換化と思ったら、
時代が違った。昔は、簡単に交換してくれた。が、最近のリースは、ローンと変わらない。
いや、オリックスが、これは、リースといっていますが、ローンです。と言っていたから、
確かなんだろう。
さあ、ここから、顧客サポートNO1を自負するデルとの戦い?というか不毛な会話が始まった。

別にクレイマーになるつもりもなかったのだが、こちらは初めての経験だ。
彼らが考える常識がわかっていない。
「リース」なんで、物の所有権がオリックスにある以上、壊れた機械の問い合わせは
どちらにしたらいいんですか?というこちらの問いに、
間髪いれずにデルは、オリックスに問合せしてくれ、との返答であった。

さてオリックスに電話する。
こちらも間髪いれずに言ってきた。「壊れた件は、デルの問題でしょう」
「えっつ。」
ここで、リースとローンの考えを聞けたわけで、一応勉強にはなった。
納得できればそれはそれ、考えを改めればいい話だ。
結局、オリックスがデルに話をつけてくれ、デルの営業部から電話をいただいた。
内容は、保守期間を過ぎたものは有償修理になります。デルでお預かりして、部品の交換など、
有償で直します。の至極まっとうな内容であった。
ここで、「オペレーターが的確な案内をせず、お手間を取らして申し訳ございません」
と、丁寧なお詫びをいただいたが、ここまでは問題が無い。

笑えるのは次からだ。サポートセンターに再度修理の依頼をする。
話としては、壊れたと想定される部所の簡単な見積もりと、検査費用などの金額を書き込んだ
依頼書をFAXで送信する。それにサインを頂いて、FAXで送ってください。とのこと。
提携先の佐川急便が取りに伺います。
こちらが聞く。検査した後、具体的な症状と、修理費用については?
デルが答える。発生した症状の理由はお伝えできません。
こちら。購入者が不具合の原因と理由を聞くことは、許されないのか?
デル。どのメーカーも、不具合の理由については(特にマザーボード)お答えしておりません。
こちら。(そうなんだ、知りませんでした。ごめんなさい。勉強不足でした)
    で、あまりにも見積もりが高かったら、キャンセルしてもいいんですか?
デル。はい、見積もり発信後、2週間、お預かりした機械について、返答がなければ自動的に
   キャンセル扱いとなって、機械はお戻しされます。
こちら。へー、じゃぁ、送料など、どうなんですか。
デル。無料です。
こちら。(さすが、顧客サポートNO1だ。後で聞くと、ソニーは送料、無料です。)
    それでは、依頼書を送ってください。

ただし、検査をして、その不具合が再現できない場合、壊れていることを確認できない場合、
5000円の手数料が発生しますとの事。
こちらも、大した会社で無いので、その機械にとある作業を一任していたので、中断は致命的だ。
早速、腹を決めて、依頼書を待つ。
届いた。そこには。

「検査料、手数料、送料として5000円かかります。」の文言が。「えっつ?」
当然、デルに聞くわけである。
デル。はい、5000円は、必ずかかります。
こちら。だって、(すでにデルには通信記録が残っているので、楽です)昨日の方は、
    無料だって言ってましたが。
デル。間違いです。

おいおい、どうなってんだ、この会社。

デル。不具合があろうが、無かろうが、送料として5000円かかります。
こちら。高い送料ですね。持ち込みはできるんですか?
デル。できません。
こちら。(そうすると、不具合があっても、キャンセルした場合、さらに料金がかかるのか    
    と思って、この5000円。内訳はなんですか、という疑問を質した)
デル。全て、送料です。
こちら。それでは、ここに書いてある、検査料、手数料、送料は5000円となっているが、
    これは、何?

      中断(保留中です)

デル。すいません。間違いです。検査料込みの値段です。

おいおい、デルさん、どうなってんでしょうか?
こちら。というと、昨日の方が、不具合が無い場合、検査料が5000円かかるといった
    アナウンスは、どうなるの。これ、何?
デル。えーと。間違いです。

話になんないよぉ。
こちら。オペレーターさんには悪いけど、上の人出してくださらない?こうも、ころころかわって、
    あげく、間違いでした、が何度も続くと、決裁者なり責任者に確認とらないと
    心配だよ。
デル。私がお答えいたします。
(お前も間違ったろう。なのに、なんで、そう自信一杯にそう答えるんだ。など、10数分のやりとり)
デル。上司の者から、後ほど連絡をさせます。

デル上司。まことにすいません。

結局、とても的確で、親切な説明を受けました。この説明を最初から聞けば、何の問題も無かったのに。
それくらい、完璧でした。先ほどのオペレーターが、盛んに、お客様の質問は、私の説明で
ご満足いただけましたでしょうか?というフレーズを何度も繰り返していたが、
他の質問が怖くてできないから、上司の方に代わってくれ、と何度も説得をした。
そのことも「デルの上司」に説明をした。
というのは、この先、ローン(リースなんだけど)が3年残っています。いくら修理をしたから
といっても、この先不安が残るので、追加で保守契約を結べるのか。という質問をしたかった訳だ。
これは、営業マターなので、明日営業から連絡をさせます、とのこと。

ああ、すごかったです。細かく聞いていくと、オペレーターさん、どんどん、ボロが
出てくる感じで、本当に、デルの顧客満足度は、NO1なんでしょうか?
どこが調べているんでしょうか。
多分、無料保守期間を過ぎて、トラブルを抱えたお客様を対象とした調査では、
ダントツで、最下位に転落すんじゃないかと思っています。
まだ、ソニーの対応のほうが、クールですが、良かったです。(悪いと言われながら)
3年、4年の保守を繰り返しアピールして、セールの時にさんざん勧めるのは、
訳があったんですね。勉強不足でした。
おそらく、ちゃんと、この保守に入っていたユーザーは、間違いなく、サポートの迅速さに、
満足度NO1の評価を下したと思います。電話がつながるの速いですし、対応は良いですよ。
ただし、想定内の質問に対してだけなんですけど。


物語を否定する「計量化社会」

2005年11月17日 | 社会的全般
情報を身にまとって生きてゆく、まぁ、なんてことを書きましたが、
具体的に言うと、この社会、完全に「計量化社会」になってきております。

マスコミやその他が、どういう方針で記事を書こうが、そこに「恣意的な編集方針」が
厳然とあるわけですが、返す刀で、読者のニーズに合わせました、と言われれば、
そこまでなんである。

美容院に賠償命令
よく読ませて頂いているブログでは、「余裕がなくなっている社会」について、
とても上手い文章で書かれておりました。
勝手に言わせてもらいますと、もう、人間関係に、それぞれの物語を斟酌できる時代では
なくなった、感じがいたします。

「計量」。何が対価であるかと言えば、それぞれの事象にまつわる双方の関係性は、
たいがい「金にて」計算が可能になった、という感じでしょうか。
東武東上線における、車掌が子供を1駅区間、運転室に入れそうこうした件で、懲戒解雇
になった「事件」。この「厳しい対処」に対して、3000通もの投書が電鉄に
送られたと聞くが、もはや、経営側と、社員側が、コンプライアンスをめぐる中で、
「公平」な計量化を目指して、あいまいさを排除する結果を取ったことは、
先にあげた美容院とも、ほぼ同レベルに違いないと考えるわけです。

これは、教育の現場においても、教師と生徒を巡る指導についても、ことあらば、
しかるべき手段を講じて、「訴える」風潮が目立ってきております。
何かを解決するという「努力」なりは、耐えがたい時間と経費の「無駄」でもあり、
ちゃっちゃっと、潰してしまう方法を取れる世の中になったっことも一因です。
例の苫小牧高校での「暴力不祥事事件」なども、蓋を開けてみれば、
息子の処遇に関して、親の関与を巡る中で、公開処刑にあったようなもんです。

必要以上にこの「情報」が「情報化」されていく流れの中で、
上手く渡っていくことが出来る奴と、そうでない奴が、その対処の仕方さえも、
「情報化」され受け手に渡っていく。
浴びつづけていけば、どおかしら、本来、自分の生きていく中で、身に付けていくべき
経験を、こーんなに簡単に手に入れることができて、「検証」する必要すらない。
取扱さえ「覚えてしまえばいい」なんて姿。

こういう「人間」は、概して、直接降りかかった「クライシス」に、どういう反応
することになるのでしょうか。
声のでかい「シグナル」に、レミングのようについていってしまう、可能性が
あるのではないでしょうか。

ひどく稚拙な 物語

2005年11月16日 | 雑感(日記)
小学校5年の頃まで過ごした「あの街」は、考えてみるととても住み心地がよかった。
住宅街ではあったが、ほとんどが狭い1戸建ての家で、貸家か自前かはわからないが、
人々は「水平的な」その世界を共有していた。

子供の移動距離などたかが知れている。
自分の世界に登場する人物達は、かわらず、いつもそこにいた。
たまに「電車」を使うことによって、ひどく遠方の「町」に出かけることもあったが、
「目的」が果たされると、早足で帰ることが常であった。

隣には「熱帯魚屋」さんがあった。
確か以前は、自転車屋さんだった。オートバイを颯爽と駆る、きさくで、いつも髪を
オールバックにまとめ、洒落た感じの方であった。
そこには同い年の女の子が住んでいた。裏の縁側伝いに2軒、3軒と裸足で「おじゃま」
できる、そういう空間。
今考えると、どうやって食べていたんだか、果たして熱帯魚をこの界隈の住民が買ったのだろうか?
需要はあったんだろうか、など止め処もなく疑問が湧いてくるが、
そのような、個人経営、家の軒先を少し改造した程度の、「店」が
その「街」のいたるところにあったような気がする。

ひどく、のんびりとした時間が漂っていた。
狭い道が、その両脇に家々をしたがえて、いくつもの迷路をつくりだし、
屋根は低く、空は、あくまでも大きく広がっていた。
遠くに見える鉄塔や銭湯の煙突が、道に迷わない、数少ない目印だった。
同じ時間と、同じ空間を共有する人々は、大きな出入りも無く、
たまに訪れる「異邦人」は、リヤカーで行商する「さお竹」「やきいも」「とうふ」売りだった。

蒸し暑い夏の昼下がりには、縁側で老婆が、上半身裸でうちわを振っていた。
夏の夜は夜で、電信柱に「くくりつけた」ような街灯の弱々しい光を縫うように、
白い肌着、ステテコ姿の「おやじ」連中が、涼をとっていた。
ありのままに、全てが、そこに存在していた。
触れることもでき、感じることができ、子供達が騒ぎ、かきまわすことで、
深くもなく、浅くもない住人達のつながりが、ささやかに「更新」されていった。

次に移った「街」は、すでに建物の「高層化」が進み、もはや、「水平的」な人々の
往来もなく、空間を過ごすあり方も、ひどく断片的になっていった。
私鉄の沿線沿いであったこともあり、人の移動距離は格段に広がって、
店は店として、商売圏に存在し、働く人間がその時間だけ出入りする、
それが当たり前の世界であった。
次第に、人のあり方は、情報を身にまとい、「何をしているかわからない人」での
存在は許されないかのようであった。

そうやって、次第に月日の経過は、人に、いくつもの簡単な「言葉による情報」を
発信してゆくことを強いて、交わることも無く、「情報」をさも着替えていくように、
いくつもの「役を演じる」ことが、普通になっていった。
もはや、主婦であったり、父であったり、八百屋のおやじであったり、熱帯魚屋の
主人であったり、が、次第にその人となりを「理解する情報ではなくなり」
次第に、「何を着ているか」「何を着て歩きたいか」「何を着て歩いていれば安心か」
を、その時々の、しがなくも断片化された、全ての人たちに行き渡った「テレビ」という
「情報箱」から取り出しては、今の自分と照らし合わせていった。

身近でなくとも、身近であっても、もはやそこには生活圏のリアリズムは消えうせ、
知ることの出来る範囲は、とうに、極限まで広がっていった。
そこには、手で触れて、感じることは「ひどく遅れていて」、
何の頼りにもならないかもしれない「情報」こそが、不思議な連帯「意識」だけを生み、
しかも、その目に見えないつながりが、普通の関係であるかのように、存在し。
どんどん、どんどん、人は、実体は、ばらけていく。

そして、人はついに「スペック」で語られ始め、異なるOSでは、共有できる物語も無い。
ハイエンドがスタンダードか、そして、CPUは。
責任は、その物語の中にあるのではなくて、もともとのマシンの性能が全てに取って代わり、
持つもの、持たざるもの、それが「責任」の所在になり始めている。