生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

野良犬ではなく

2017-03-01 20:28:02 | 教会
3月に入ってしまいました。年を重ねるにしたがって、時間のたつのが早く感じられると言われていますが、まさにその心境です。

この前の日曜日の礼拝ではマタイ15:21~28よりメッセージが語られました。
聖書にはイエス様がツロ、シドンの地方に行かれたとき、カナン人の女が出てきて、悪霊に憑かれている娘を治してくださいと頼む場面があります。
そのとき、イエス様はその女の人に一言もお答えになりませんでした。

愛に満ちたイエス様なのになぜこんなに冷たいのかと疑問に思っていたところでした。

イエス様はさらに「わたしはイスラエルの羊以外のところには遣わされていません」と言われます。

同胞のイスラエル人のところには遣わされているけれど、異邦人のところには遣わされていないから癒しの業は行わないということでしょうか……。


それでも女の人は必死な思いでイエス様のところに来てひれ伏し「主よ。わたしをお助けください」と言いました。

イエス様は「子どもたちのパンを取り上げて子犬に投げてやるのはよくないことです」と、また冷たいようなことばを発します。

女の人は、犬扱いされて、ひどいと思います。でもよく考えてみると、子犬と言われたのです。野良犬ではなく人に飼われ、大事にされている子犬と言われたのです。

女の人は、自分が子犬のような存在だと思いました。
そして、この方はメシア(救い主)であると確信して言いました。

「主よ。その通りです。ただ、子犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます」

それに対してイエス様は、「あなたの信仰はりっぱです」と褒めてくださいます。
そして「その願いどおりになるように」と言ったとき、女の人の娘さんが癒されたのです。

もし、わたしだったら子犬扱いにされたことに腹を立てて、「もういい!」と言って帰ってしまうかもしれません。
でも女の人は、自分が子犬のような存在だと謙遜に認めたのです。そして、イエス様のことを救い主だと信じるのです。
謙遜になること、信じて求め続けることの大切さを教えられました。




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