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江戸時代の介護 朝井まかて/銀の猫vs映画/たそがれ清兵衛

2017-12-04 09:44:38 | 映画


帯表紙/2002年公開「たそがれ清兵衛」
原作/藤沢周平 監督/山田洋次。

江戸末期のお話し。
徳川幕府の支配力が揺らぎ始め、薩摩藩や長州藩が京で不穏な動きをしていた頃。
山形の庄内地方の藩士として、僅か五十石扶持の平侍。
ボケた母と幼い子供二人を養い、
死んだ妻の薬代の借金返済のため、夜は虫篭の内職をしている。
同僚には<たそがれ清兵衛>と揶揄られ、
介護と子育てと生活の困窮に、人生を埋もれさせる日々。

それでも清兵衛は、自分がみじめだとか、辛いとは思っていなかった。
かつては剣の達人だったのだが、、


◇介護とは。。◇

それは誰もが通る道。

ようやく心持ちが安定し、
これから。。と思えた時期にやってくるのが、、介護。
徐々に天地がひっくり返り、人生のホントの機微に触れざる得なくなる。

それは6年前、突然の召集令状のように私に突き付けられたものだった。
大好きな事に費す時間も、、
ありふれた日常も、、
セピア色の出来事になり、私からバッサリ切り離された。

認知症の母にどんなことを感じ、どうやって乗り切るのか、
黒々とした冷たい海にポツンと投げだされた・・・

人生って、酷だなぁ、、と思った瞬間だった。



◇江戸時代の介護 朝井まかて/銀の猫◇


江戸時代の平均寿命は40~50歳。
今の時代から比べれば、短い生涯・・・と思ったら大間違い。

乳幼児のあっけない死は多く、その反面60歳を超えた者は身丈夫で長生き。
60、70はうじゃうじゃ。
80、90も、100歳越えもいた。。

江戸には、
経験値に長け、
その存在を必要とされ、
若いもんから頼られる居場所のある年寄りが多かった。

葛飾北斎も90歳の間際まで絵を描き続けた。
そこには
熟成した技術を尊び、大事にする考え方が根付いていた。

武士も町人も定年みたいな決まりはなく、
病気や介護がなければ70歳まではバリバリ働くのが普通。

商人で稼いだ者は早々に跡目を譲り、隠居生活。
悠々自適な<老光り>に励む。

老光リとは、
老後を優雅に旅に出たり、趣味に、俳諧に勤しんだりして豊かに気楽に過ごす。
憧れであり、これを励みに働いた。


気ままな<老光り>になれないとしたら、それは親の介護か自らの病気だった。

江戸時代の介護は、家族が主体。
他人の手を借りることは、親への孝に反する!と見られた。

しかも主に介護するのは、家を継いだ男子。
奥方と子供たちは家を守るため働く、、という構図。

何年も親の襁褓(むつき=おしめ)を取り換え、ご飯を食べさせる。
それでもこの場合は、江戸庶民の介護のまあまあ良い方。

江戸は独り者の男子が多かったため、
親を引き取り、
近所に頼ることが出来れば、それは御の字。
働きながら一人で看取ることは難しく、<共倒れ>になることも。。

江戸時代の介護は、
家族主体であったため心身共に疲れ果て、
介護する子の全ての自由と時間を奪った。
それでも親を全身全霊をかけて看取ったと認められた者には、
役人により表彰され、報奨金なるものも出た。


だとしても
働き盛りとされる50歳以上の男たちにとって、
介護は過酷で、、
外に出て稼ぐことも、遊ぶこともままならないものだった。


いつの世でも、ちゃんと隙間産業があるもので、
江戸には介護専門の斡旋屋がいた。

今でいうヘルパー産業。
そんな<おなご>を介抱人と呼んだ。

介抱人は<おなご>のみ。
その給金は、江戸の稼ぎ頭の大工並み。

それゆえ相当のお金持ちでない限り、介抱人は雇えなかった。
介護に疲れた大商人の家長が、こっそり雇うのが介抱人だった。


婚家を出て、二十代の女ひとり。
母親の借金を返すため、介抱人となったお咲。
介抱人となり、色んな家族や他人に知られたくない事情を知る。

それぞれに言えない物語があり、
複雑な想いを抱きながら介抱人お咲の視点から描かれている。



武士の場合、
絶対的に家長が看るとされる養老思想が根付いていた。
親の介護には「介護休暇」を願い出し、何年間か職務を離れることも許されていた。
なので、
介抱人の、しかも<おなご>を雇い入れるのは余程の事情。
そのため他言無用で秘密裏に雇い入れられた。

下女などを介護に就かせることもあるが、
プロの介抱人は評判も良く、引く手あまただった。

そして介護が終われば、武士の職務に復帰。
病気などの理由以外は、隠居は認められなかった。

それを表しているのが江戸城の朝の出勤風景、、
足腰が弱り、杖を突きながらヨボヨボと登城する武士たち。

主君に対する奉仕義務は、自分の意志で決めるものではなかった、、
そのためこんな光景が日常になった。
それでも武士たちにとって、
最後まで誇りをもって仕えられたのは幸せだったのではと思う。


そして
70歳定年が刻々と迫る今。
江戸時代と今の事情や組織の成り立ちが、真逆に。

ネットで繋がる若い力が重宝がられる今と、
経験値を重んじた江戸時代とでは、
70歳定年は過酷な状況を広げるだけではないのか、、と感じてしまう。




◇山田洋次監督 「たそがれ清兵衛」◇

母親の介護(認知症)と二人の子供の子育て。
虫篭作りの内職。
お城の仕事。
畑仕事
芝刈り。

一日は瞬く間に忙殺されていく。
清兵衛は薄汚れて、身なりを構うお金も余裕もない。

だが、心は優しさに満ちた侍。

子供たちの成長を歓びとし、学問をする意味を子供たちに諭す。

本家の家長が、

『女はひらがなが読めればいい!

 女が学問をすると嫁の貰い手がない。。』

清兵衛は子供たちに

「針仕事や料理と違い、役に立たないかもしれない

 だが、学問は自分で考える力をつけてくれる

 このことがきっと将来役に立つ。。」

生活に追われてるようで、実は違った。
自分の身の丈を知りつつも、娘たちの行く末を案じ見守る優しい父親。

「たそがれ清兵衛」の中で、
老いてボケた母にも嘆くこともなく、受け入れる清兵衛。

私には
色んな場面での清兵衛の言葉の一つ一つは、とても実直で風通しの良さを感じた。

出来そうで出来ない事は、自分自身の風通しの良さだと。


そして
山田洋次監督の描き方が、たまらなく嬉しかった。

深い優しさに満ち、滋味のある言葉に大事な心持ちがあり、
私にとって特別な映画の一つになった。

感謝。。。。。


**コメントありがとう!返信デス**

鉦鼓亭さんへ

 吉原の遊女たちの文は、なかなかの乙なものだったようですね。
 言葉遣いも巧く、文才と色香が漂う。

 江戸は知れば知るほど、深みにハマっていきます。

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