GSゲルマニウム原人の退屈な日々

見わたせば、気になることばかりなり・・

ブルースセッションでもどう?

言霊

2017年02月22日 00時23分04秒 | 徒然なるままに
スピリチュアルとか神霊とか「クソ」がつくくらい嫌いだけれど

「言葉」ってものには他人や自分、それ以外の色々なことを引っ張ってしまう力があることは仕方ないことだと思うわけだ

そりゃぁ「会話」の中で「コレコレコウダヨネ」って口から出たら「ソウダネ」とか「ソウカナ」とかお互いに意識するわけだから物事はそういったことに引っ張られるのは当然なのだ

だから「嫌なこと」とか「ネガティブな事」はできる限り口にしない、アホと思われてもイイから「楽し~っ!」って事だけは口に出すようにしている



ある場所に行って「去年はこうだったのにね?」「このまえはこんな事してくれたのに」とか「比較する言葉」を聞かされるのが苦手だ



そういう人は少ないのかな…どこに行っても「今」の事しか考えない…同じ場所に何度も行っても「今」の事、最新の状況だけしか興味が無い

だって昔の経験なんて死んだ記憶じゃ無い…今現在が一案若い俺なんだから

昔のことを口に出しても「楽しいことは」起きない

今が楽しいから、極端に言えばこの瞬間に死んじゃっても割と悔いはなさそうな気がする…まぁあくまで気がするだけでwマジで死んだらイヤだけど

あんまり共感されることは無いんだけれど…「ラッキーは一生続く」が座右の銘?的なものなんだ

嫌なことから逃げているだけでしょ?って言われたらそれまでかもしれないけれど、嫌なことは見たくないし聞きたくない

食べ物屋に行って「この前と味が違うね」ってことはあるけれどそれがこの店の今の味なんだからまた来るかどうかは今決めれば良いことだ

「刹那主義」って言うやつなのかね?

それがそうなら私は「刹那主義者」だな…きっと

どうやら本当はこういうことらしい

「★ お釈迦様が使ったこの刹那(せつな) というのは、
今の一瞬一瞬のこと。現代では「刹那主義」といえば
「今さえよければ後はどうなってもいいと思うこと」
との意味でとらえられますが…
本来の「刹那主義」とは「一瞬一瞬を 大事にして生きる」
ことです。
そして、今、目の前の人を抱きしめること、その人に最大限
自分の笑顔を向けること、「私の」持っている言葉と
して温かいもの、人をやさしい気持ちにするもの、
思いやりに満ちたもの、励ますもの、勇気付けるもの、
どんなにひどいことをされても、心を安らげる
言葉遣いを実践することです」
コメント
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