名古屋の白ウサギ

1964年生。
自称・宗教家
宗教家とは「 私の生き方 」
肩書や職業ではありません
職業・自営業個人事業主

科学的迷信

2017-05-17 | 思う事

フロイトの「 花瓶を割った医者の話 」は、
人間には、自覚のない「 無意識の領域 」
が存在している事を説明する上で、
ひじょうに興味深い話であると思いますが、

フロイトの説明では広い意味での人間心理、人間の本質を
語り尽くす事はできていないと感じます。

フロイトはあくまで精神医学者としての立場で、
人間の心の生態を追求したひとです。

フロイトも、ユングも、最終的にはオカルト的な
世界に足を突っ込んでしまいました。

これは、非常に危険なことだと思います。

これは、私の持論ですが、
科学者・医学者は、その立場を越えてはいけないと思うのです。

医学を研究する者が、その一線を越えてしまうと、
限りなくカルト宗教になってしまうと思うのです。

以前「 脳ナイ革命 」とかいう疑似科学本が
ベストセラーになった事があります。

船〇〇〇氏のバックアップで世に出て来た、
東大出の医者が書いた本ですが、
医学・・・ 科学的 と言いつつも、
その内容は、「 結論先にありき 」で、
それに無理矢理都合の良いデーターのみを張り付けた、
眉唾モノで、高校生レベルの教養があれば、
????と思えてしまうような単純な本でした。

本の分類分類としては
「 講談 」「 メルヘンの世界 」 「 宗教 」です。

初めから、「これはお伽話です 」と断れば、罪はありませんが、
「 科学です 」と言ってしまったら、
ペテンではないでしょうか?

ひとことに「 医学 」と言っても、医学には、

疫学 ・ 病理学 ・ 臨床医学

との分類があります。
私は専門家ではありませんので、
聴きカジリの、雑学程度のことしか解かりませんが、

このなかの、「 疫学 」というのは、
平たく言えば、 「 統計  」の事らしいです。

多く人間の持つ、さまざまな要素と、病気の因果関係を
統計的に分類して、そこから仮説をたて、

疫学 → 病理学 → 臨床医学 

と発展させて、治療方法を確立するみたいです。

この、「 疫学 」とは、ある意味、
観察者の主観が入りやすい部分だそうです。

例えば、研究者が、「 タバコは絶対悪だ 」 
という主観をもって、疫学( 統計 )の手法で検証したなら、

必ず、 「 タバコは絶対悪だ 」という統計的結論を出す事ができる。

逆に、 「 タバコは必ずしも、絶対悪ではない 」
という主観をもって、検証したら、

必ず 「 必ずしも絶対悪ではない 」
という結論を導き出す事ができる。

要するに、
何をサンプルにするかで、導き出される結果は、
180度、変わってしまうと言うことなのです。

かつて日本は世界一の喫煙率でした。

しかし、その当時の統計では、
肺ガンの発生率は世界的に見て極めて低かった。
その反面、胃ガンの発生率は、世界のトップだった。

日本と比べて、はるかに喫煙率が低いドイツのほうが、
肺ガンの発生率は、桁違いに発生率が高かった。

最近はあまり見かけなくなりましたが、
「 タバコを吸ってた人の、肺の写真 」
真っ黒な状態で、それを見た人は恐怖心を持ちます。

その写真の横には、
「 タバコを吸っていなかった人の肺の写真 」
綺麗な色をしています。

この写真のアピールは、
「 非科学的な幼稚な行為 」です。

身元不明の変死者の遺体を解剖する、
解剖医の書いた著書に興味深いことが書いてありました。

「 身元不明の変死体を解剖した時、
その遺体の肺を観察しても、
その人が、タバコを吸っていたいた人なの
かどうかは、判別不能。
喫煙者か、非喫煙者かの判別は、‘ 歯 ‘を観察する。 」

とのこと・・・

この解剖医の話を聞く限り、
「 肺の色 」、と「 喫煙 」
の絶対的因果関係はないのです。

肺の状態は、居住地域の環境的要素、
個別の身体的要素に寄るもので、
喫煙とは無関係との意味と思われます。

あの恐ろしい写真は、
意図的に、「 真っ黒な肺 」の写真を探してきて、
「 普通の肺 」を並べただけの 
「 おとぎ話 」 なのです。

こんな事をしていたら、
大量の写真のなかから、目的に沿った写真だけを
作為的に選び出した、
「 水の結晶の写真 」 
( 厳密には氷が解ける時の過程をを映した写真 )
と同じです。

科学的と断言して、
モットもらしい解説を加え、
「水は語る・・」などと意味不明の商売をしている、
疑似科学の達人 〇〇 〇氏と同列になってしう。
( 〇〇 〇氏も船〇〇〇氏の後押しで世に出て来た人です)

こういうのを、「 ガマの油売り 」
と呼ぶのではないでしょうか?

・・・・・話を戻します・・・
だからといって、タバコの害は無いと
結論付ける事は出来ません。

「有害な場合もあるが、無害な場合もある 」
というのが答かも知れないし、

「個体差で左右される」が答であることもあり得る。

「トータルで見てやはり100害あって一利なし」

が真相かも知れない。

しかしながら、
何故こういう「 公正ではない非科学的広告 」
が公然と行われているのか?

なぜ、そんな方法を取らなければならないのか???

これは、「 脳ナイ革命 」を「 科学的・医学的 」と唄う、
手法と同じ組み立てではないでしょうか?

要は、「決定的根拠」が無いということではないでしょうか?

タバコは吸わないに越した事はありません。

タバコについては、私なりに思うことがありますが・・・

それを言うと現在、一般常識となっている、
「 科学的???な理論 」
の逆鱗にふれてしまうので、
気の弱い私は、
恐くて申し上げることはできません。

とはいえ・・・

東大名誉教授の、養老猛氏など、
飛びぬけた大物学者は、煙草に関して、主観を捨てた科学的論法で
ホンネを語っています。

これほどの大物になると、
袋叩きにされる心配がないので、
まったく臆することなく、
堂々と自分の見解を表明しています。

元慶応大学教授・三石巌氏も、
堂々と、公正な立場で、科学者のプライドを持って、
客観的な煙草に関する「科学的主張」を記しています。

皮肉な事に、三石氏の著書の裏表紙には、
国立がんセンターの部長・永田親義氏の
推薦文が記載されています。

永田氏も、表立っては言えないだけで、
本音では・・・・と考えているのでしょう。

大物でない一般の学者は、
思うことがあっても、ヘタな事を言って
干されてしまってはおしまいだと思い、
とりあえず歩調を合わせているだけなのかもしれません。

「 科学の迷信 」の創作は、
研究者が、必ずしも作為をもってやっているとも限りません。

「 自分の望む答 」「 望まれる答 」を出す為に、
「 無意識 」
が関与している事も多くあるはずです。

これと同じように、
科学や、医学に、垣根をなくした状態で、
宗教が入り込んでしうと、
その主観的要素が、かえって科学の進歩の
邪魔になると思えるのです。

科学と宗教を融合させないことは、
もったいないような気がすることも確かですが、
リスクが高すぎる。

垣根をなくしてしまうと、そのことによる害悪が
間違いなく発生すると思います。

これは、「 宗教 」が、
多くの対立と戦争を誘発したという、
歴史的事実と同じような関係性があると思うのです。


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