グレーより薔薇色

どうやったら薔薇色の人生が描けるかな
岡山市北区在住




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日本を知るには裏社会を知る必要がある。安藤明とは何者なんだ~?

2007年07月16日 | Weblog

 

日本を知るには 裏社会を知る必要がある

 

戦後 アメリカ当局によって

右翼と その同盟者であるヤクザに与えられた

カネ優遇それと 特権を、伴う関係が

その後 何十年にも わたって続くことになり

権力腐敗構造 を作ってしまった。

政治家 とりわけ 自民党右翼政治家 は

自分の自由に 使える ヤクザ軍団を持っていることで

利益を 得たのだった。

 

カプラン&デュプロ引用

安藤明とは 何者なんだ~?

占領時代に 最も成功を収めたヤクザの親分

天皇制の地位を保証したいと思う 日本の右翼 政治家は

安藤明(大安組の組長)を使って

アメリカ軍高級将校陳情する手伝いをさせた。

安藤は 近代ヤクザの指導者の原型ともいえた

( 山口組の大親分と表記してあるものもある。)

1901年に生まれ、終戦時には44才であった。

戦後 愚連隊建設業のどっちともいえないような 組織

(大安組の組長)であった 安藤明

当時 愚連隊として組織していた安藤は

主要都市のヤミ市の親分と密接な関係にあった、

また戦時中も 国政レベルの政治家のみならず

天皇の実の弟である 高松宮とも、言葉を交わす間柄であった、

もちろんこうした引き立ては 安藤にだけ一方的に

与えられたものでも なかった。

しかしそれに 報いなければならなかった

敗戦後、

天皇制の地位を保証したいと思う 日本の右翼政治家は

安藤明(ヤクザの親分) を使って

アメリカ軍高級将校に陳情する手伝いをさせた。

この安藤は建設業「大安組の組長」であるばかりか

18店舗の系列クラブ

(実際には高級売春宿を経営していた)

その中で最も有名なのが(大安クラブ)だった。

しかし、後に占領軍GHQ/SCAPによって閉店させられてしまう。

しかし後に(若てんばクラブ)という別名で再開された。

銀座のクラブの常連客には

数人の第八軍の最高幹部が含まれていた、

マッカーサーを天皇支持の立場に変えたさせたのは、

まさに安藤明であったとされる というのも、

じつに眉唾ものではあるが

彼の働きは 少なくとも占領軍GHQにとって

妨害には ならなかったということだろう。

アメリカとの反共の契り。

現在では、それだけではなく、

日教組(日本教職員組合)などもかっこうの標的になっている。

そして アメリカの占領がヤクザ「愚連隊」

後の 暴力団右翼をこの上なく元気づけてしまったと言っても

過言ではないだろう。

1950年ばには、

じつは 安藤自信が 世に埋もれてしまった

 しかし彼は占領時代に 最も成功を収めたヤクザの親分

であったかもしれないが 最も有名と いうほどでもなかった。

名が世に知れ渡っているという名誉はおそらく

東京のテキヤの親分 尾津喜之助が受けるものだろう、

戦後(GHQ)占領軍警察には容易にはえなかったが、

新しい親分子分の組織が形成されつつあり

ヤクザ組織はすぐに

この組織をモデルとしてマネるようになった。

これが伝統的なバク徒やテキヤよりも

はるかに 残忍なヤクザ形態である 愚連隊であった。

占領軍は 政治実業界のトップ支配層を一掃することにより

ある種の権力の空白状態を作り出してしまっていた、

その結果1947年ゴードンウォーカーによって記述された

(サイエンスモニター)によれば、

(空白状態の中に カポネの時代を思い起こすような

凶悪親分組織が突然生まれ出たのである、組織化された悪漢グループの中で最大かつ最強なのは、いわゆる愚連隊である。

つまり武装した不良集団であるが、この愚連隊は またたくまに 日本中に生まれた。

復員したが職のない若者や収入のない引揚者を使い、さらに軍事的敗北から生じた廃墟とした道徳基準をたくみに利用し、愚連隊は脅迫、強奪 暴力を手段に使い

組織を運営している)と記述されている。

最も目立った愚連隊のひとりであった大安組の親分。

安藤明は 1946年2月

対敵謀報部(CIA)の調査の対象となっていた。また増賄容疑で同年6月に逮捕され軍事法廷で有罪判決を受けた。

しかしその一方で

カネや仕事、友情などをGHQ占領軍警察の高官から受け続けていた。

1941年 警視庁は

(朝鮮人労働者の後見人また朝鮮人子女の保護者)と名づけた。

これら うわべの慈善的な名称は、

安藤が戦時中の労働力不足の日本において貴重な必需品であった朝鮮人労働者を支配していた事を認識させるものであった、

組長 安藤明の

(安藤グループ)土建会社である大安組は

日本の降伏時建設事業を占領軍アメリカ側から委託された。

1945年

マッカーサーの飛来に備えて厚木飛行場の改修に従事した。

また敗戦後

日本人の多くは 非常に貧しく かろうじて生きながらえていた中

大安組の親分、安藤明は 莫大な利益を得ていたのである

 

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