Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#34 ドラフト改正案

2009年06月01日 | 1978 年 
'77年のドラフトで江川投手がクラウンを拒否して、アメリカで浪人することになった事で球界内に
ドラフト改正の動きが出始めました。当時のドラフトは現在とは形式が違っていて、まず予備抽選を
して本抽選の順番を決めます。つまり2回クジを引いて指名順が確定します。前年の江川の場合は
クラウンが1番目、巨人が2番目でした。

指名順が確定してから指名するまでには、間に昼休みがあって各球団はその間に指名の戦略を
練ります。巨人はクラウンに会談を求めて江川を指名しないようにとの要請をしました。 その際に
巨人はクラウンに対してレギュラークラスの選手を無償でトレードするとの約束をしたようでしたが
クラウンはこれを断り、江川を指名しました。一説には、この時すでに西武への身売りを交渉中で
江川の交渉権を付加する事で球団譲渡額の増加を狙っていたと言われています。

江川のプロ入り拒否がきっかけで設けられたドラフト制度審議委員会で検討が重ねられて、幾つかの
案が示されました。そのひとつが「リエントリー制度」で、選手に拒否権を与えて拒否された球団を除く
11球団で1ヶ月後に再びドラフトを行なうというものでした。さらに「リエントリー + トレード制度」という
ものも示されました。2度のドラフトでも合意できない場合は6ヶ月後にトレードできるというものでした。
こうした案を叩き台にして選手に球団を選べるようにするなどの最終案を提示しました。 …つづく

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