最近「
ルー大柴」のブログが好きなんだが。
いろんな文章を「ルー風」に変換してくれる「
ルー語変換」というサイトが登場した。
これがもう笑えるのだ。
ちなみに俺のブログでも「難解過ぎる」と言われた文章「
今年も半分が終わります」を変換するとこうだ。
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タイムは「あっ!」とセイする間に過ぎ去っていきます。ぼやぼやしてると、色んなことがどんどん過去に追いやられてしまうのです。
タイムの矢は過去・ナウ・未来という時空連続体の中を、エントロピーの増大方向に秒速30万キロで走り続けています。
アインシュタインのおじさんがセイするには、過去・ナウ・未来は同時に存在していて、俺達は次の一秒に向かって常に30万キロをリムーバルしているわけ。ちょっと気を抜いたら、何百万キロ進んでるか解らないんだ。だから気をつけたほうがいい。
でも過去はアンダスタンドゥするけど未来が決まっているのはインディヴィジュアル的に納得できない。だってトゥデイバイするロト6が最初から外れることが決まっているのに200円ペイする馬鹿はいない。
俺の人生がパラパラコミックみたいにオチに向かってめくられているとスィンクするとゾッとする。だれが面白くもない未来を決めているんだろう?きっとクソッタレの神ってやつかな?あいつはだいたいロクなことをしない。だから念写かなんかで、30万キロ、いや、もっと先の未来を書き換えたり、ちょっと上のほうのいいコマに念力かなんかで軌道修正する手もある。いずれにしても「念じる」ことがインディスペンサブルだ。
ユリゲラーだって念力でスプーンを曲げていた。きっと俺達にだって出来るはず。
フランスのフィロソフィー者、バシューラルは「タイムフェノメノンはモーメントゥの連続体」だと言った。俺達のタイムフェノメノンは常に「ナウ」、言い換えれば「モーメントゥ」のパイル。メモリーにある「モーメントゥ」とナウの「モーメントゥ」をコンパリズンすることでタイム概念が生まれるわけ。だからナウの「モーメントゥ」をインポータントゥに、ハイトゥに向かって生きていくことに、より良い未来の「モーメントゥ」があるのだ。
俺が常に生き急ぎ、走り続けようとするのは、きっと秒速30万キロを超えようとする衝動だろう。だがこの世界がインフィニットゥではなく閉じられているとしたら、その行為はマイセルフのテイルを追い続ける犬と同じくらい無様で危険だ(笑)だからやっぱり、この世界はインフィニットゥで、未来はいつもマイセルフが念じた通りに変わっていくと信じたいのです。
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なんて軟らかく人懐っこい文章なんだ!(笑)
今度からこれで全部変換してから載せようかな。