裏甘×辛 ドラマ、映画の感想

最近は映画の感想が多いです。
あとYouTubeの宣伝とか。

忘れてないか? 甘×辛のことだ

2007-01-05 20:05:48 | つぶやき
おいおいおいおい、全然○○放送への期待が寄せられてないんじゃないか?!
ちっとも聞こえてこないぞっ!!

あーもうやる気になってたのによぉー

とりあえず来週の収録しにいってから考えるか。
いざとなったらそれを30分後に放送してやる。

(笑)

新年からぼやいても仕方が無いか。
みんなボードに行ったり新年会で温泉に行ってるだろうしな。
グロッタでグダグダして、日曜はサックリとスタジオinしてくるか。
まああれだ、1人くらいは聞いてるだろ。

さよならの季節

2007-01-05 12:12:47 | つぶやき
私の名はメガネ。

かつては友引高校に通う平凡な一高校生であり、退屈な日常と戦い続ける下駄履きの生活者であった。
だが、あの夜、ハリアーのコックピットから目撃した衝撃の光景が私の運命を大きく変えてしまった。
ハリアーであたるの家に強行着陸したその翌日から、世界はまるで開き直ったかのごとくその装いを変えてしまったのだ。

いつもと同じ町、いつもと同じ角店、いつもと同じ公園。

だが、なにかが違う。
路上からは行き来する車の影が消え、建売住宅の庭先にピアノの音もとだえ、牛丼屋のカウンターであわただしく食事を取る人の姿もない。
この町に、いやこの世界に我々だけを残し、あの懐かしい人々は突然姿を消してしまったのだ。
数日を経ずして荒廃という名のときが駆け抜けていった。
かくも静かな、かくもあっけない終末をいったい誰が予想したであろう。
人類が過去数千年にわたり営々として築いた文明とともに、西暦は終わった。
しかし、残された我々にとって終末は新たなるはじまりにすぎない。
世界が終わりを告げたその日から、我々の生き延びるための戦いの日々が始まったのである。

奇妙なことに、あたるの家近くのコンビニエンスストアは、押し寄せる荒廃をものともせず、その勇姿をとどめ、食料品、日用雑貨等の豊富なストックを誇っていた。
そして更に奇妙なことに、あたるの家には電気も瓦斯も水道も依然として供給され続け、驚くべきことに新聞すら配達されてくるのである。
当然我々は、人類の存続という大義名分のもとにあたるの家をその生活の拠点と定めた。
しかし何故かサクラ先生は早々と牛丼屋はらたまをオープン、自活を宣言。
続いて竜之介親子、学校跡に浜茶屋をオープン。
そして面堂は、日がな一日戦車を乗り回し、おそらく欲求不満の解消であろう、ときおり発砲を繰り返している。
何が不満なのか知らんが実に可愛くない。

あの運命の夜からどれ程の歳月が流れたのか。

しかし、今我々の築きつつあるこの世界に時計もカレンダーも無用だ。
我々は、衣食住の保証されたサバイバルを生き抜き、かつて今までいかなる先達たちも実現し得なかった地上の楽園を、あの永遠のシャングリラを実現するだろう。ああ、選ばれし者の恍惚と不安、共に我にあり。
人類の未来がひとえに我々の双肩にかかっていることを認識するとともに眩暈にも似た感動を禁じ得ない。

メガネ著 友引前史第1巻 終末を越えて 序説第3章より抜粋

トゥギャザーしようぜ(笑)キャッチキャッチキャッチ!

2007-01-05 02:20:12 | つぶやき
最近「ルー大柴」のブログが好きなんだが。
いろんな文章を「ルー風」に変換してくれる「ルー語変換」というサイトが登場した。
これがもう笑えるのだ。

ちなみに俺のブログでも「難解過ぎる」と言われた文章「今年も半分が終わります」を変換するとこうだ。

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タイムは「あっ!」とセイする間に過ぎ去っていきます。ぼやぼやしてると、色んなことがどんどん過去に追いやられてしまうのです。

タイムの矢は過去・ナウ・未来という時空連続体の中を、エントロピーの増大方向に秒速30万キロで走り続けています。

アインシュタインのおじさんがセイするには、過去・ナウ・未来は同時に存在していて、俺達は次の一秒に向かって常に30万キロをリムーバルしているわけ。ちょっと気を抜いたら、何百万キロ進んでるか解らないんだ。だから気をつけたほうがいい。

でも過去はアンダスタンドゥするけど未来が決まっているのはインディヴィジュアル的に納得できない。だってトゥデイバイするロト6が最初から外れることが決まっているのに200円ペイする馬鹿はいない。

俺の人生がパラパラコミックみたいにオチに向かってめくられているとスィンクするとゾッとする。だれが面白くもない未来を決めているんだろう?きっとクソッタレの神ってやつかな?あいつはだいたいロクなことをしない。だから念写かなんかで、30万キロ、いや、もっと先の未来を書き換えたり、ちょっと上のほうのいいコマに念力かなんかで軌道修正する手もある。いずれにしても「念じる」ことがインディスペンサブルだ。

ユリゲラーだって念力でスプーンを曲げていた。きっと俺達にだって出来るはず。

フランスのフィロソフィー者、バシューラルは「タイムフェノメノンはモーメントゥの連続体」だと言った。俺達のタイムフェノメノンは常に「ナウ」、言い換えれば「モーメントゥ」のパイル。メモリーにある「モーメントゥ」とナウの「モーメントゥ」をコンパリズンすることでタイム概念が生まれるわけ。だからナウの「モーメントゥ」をインポータントゥに、ハイトゥに向かって生きていくことに、より良い未来の「モーメントゥ」があるのだ。

俺が常に生き急ぎ、走り続けようとするのは、きっと秒速30万キロを超えようとする衝動だろう。だがこの世界がインフィニットゥではなく閉じられているとしたら、その行為はマイセルフのテイルを追い続ける犬と同じくらい無様で危険だ(笑)だからやっぱり、この世界はインフィニットゥで、未来はいつもマイセルフが念じた通りに変わっていくと信じたいのです。

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なんて軟らかく人懐っこい文章なんだ!(笑)
今度からこれで全部変換してから載せようかな。