少し体調はしんどいものの、もう一夜睡眠をとれば、何とか回復しそうな状況のワスの風邪。
そんな状況なのに聴いてるのは『アンドレア・シェニエ』。更に体力を削りかねないこの曲を選んだ自分の蛮勇に乾杯。
ウンベルト・ジョルダーノ作曲。以前紹介した『道化師』と同じく、19世紀末から20世紀初頭にかけて流行した、
"ヴェリズモ・オペラ"というジャンルの傑作ですが、ワスとにかくこの作品にはガチで目が無くてねえ…
思い入れの強さではあの『椿姫』とタメ張るかも知れませんです。
革命直前のフランスのとある田舎、コワニー伯爵家の所領にある、当家の別邸のサロンから話は始まります。
サロンでのパーティーに招かれた若き詩人シェニエは、退屈していた同家の令嬢マッダレーナの、
暇つぶしついでの愛についての賭けに怒り、「貴女は愛を知らない」と風刺を織り交ぜて即興詩で彼女を諭す。
マッダレーナは感動して許しを請うが同時に同家の従僕で、アンシャン・レジーム(貴族階級中心のいわゆる‘旧体制’)
に強い不満をためていたジェラールがその詩に感化され、革命を唱えて屋敷から出て行く。
5年後のパリ。革命政府の要職についているジェラールと、今やお尋ね者となり、マッダレーナとの愛を、
危険を侵しながらの文通という形でしか確かめられないシェニエ。二人ともマッダレーナの事が忘れられない。
当の本人は革命騒ぎのなか零落して娼婦に身を堕とした侍女のベルシに匿われている。
そのベルシから尾行をまいて連絡を受けたシェニエは、ついにマッダレーナと再会!しかし程なく、
それはジェラールに見つかってしまう。短い決闘の後ジェラールは相手をシェニエと見極めると、
あのサロンでの事を思い出し、シェニエを逃がす事にする。
しかしジェラールは結局シェニエを捕らえる。マッダレーナに密かに恋心を抱いていた彼はシェニエに嫉妬していた。
令状を書きながらその事を痛感し、自嘲するジェラール。その時マッダレーナが現れてシェニエの助命嘆願。
ジェラールは彼女の体と引き換えという卑劣な条件を出す。愛するシェニエの為にとマッダレーナはそれを承諾。
愛を信じるマッダレーナの心に打たれてジェラールは助命を買って出るが、無情にもシェニエは死刑を宣告されてしまう。
獄中で辞世の詩を詠むシェニエ。その時女囚に化けたマッダレーナが他の革命犯罪人の身代わりとなって、
シェニエの死に殉じるために潜入する。夜明けとともに愛と死の永遠の誓いを高らかに歌い上げる二人。
そして手に手を取り合ってギロチンへと向かう馬車へ…
ざっと要約するとこんな話です。アタイだけかもしれませんが、あらすじを目にするだけでもこの作品の熱さが、
そこはかとなく伝わってくるような気が致しますです。所々唐突で話に破綻もあったりするんですがね…。
アタイも含めてですが、多分『ベルばら』、特にフェルゼン×アントワネットカプのお好きな方なら
(何人位いらっしゃるかは知りませぬが…)、この作品に魂抜かれそうなくらいに熱中できるんじゃないかなあ?
題材がフランス革命じゃっちゅーのは勿論やけど、それ以上にシェニエとマッダレーナのキャラ設定が、
『ベルばら』においてのフェルゼンとアントワネットのそれにソックリなんですよ。シェニエとフェルゼンには、
リリシズムを湛えた熱血漢としての共通項がありますし、それ以上にアントワネットとマッダレーナには、
愛によって目覚めた女、革命の嵐の中で心ならずも強さを身につけた女という強烈な一致点があります。
そして2人の描く愛というのは、(男の方が生き残ったか奏でないかという違いはあるものの)まさにそれこそ、
"死によって結ばれし愛"そのものだと言えるのではないでしょうか?乙女ですもの…この手の話に弱いのぅ(はあと)
あと、よくこの作品って典型的な"プリモ・ウォーモ・オペラ"(タイトルロールが男=男キャラが主役のオペラ)として、
専門の本等では取り上げられております。確かにシェニエには、全4幕どれにもアリアないしアリオーソ的な、
聴かせ所がちりばめられてますし、それが全ていかにも英雄といった風情の強い高音の求められるものなんで、
必然的にそうなるんでしょうが…でも巷間言われる程にはマッダレーナの存在感が薄いとは思えんのんすよ。
この作品ってアリアも勿論大事やけど、それ以上に偶数幕の大詰めに設けられた、
所謂"愛の二重唱"(特にオーラスの殺人的な高音続出の二重唱は凄絶!シェニエ役のテノールなんか、
ライヴだったら最後の高音は殆どの人が回避してる位やし)の方が音楽的にもドラマ的にも重要やと思うし、
何より3幕の『La mamma morta(亡くなった母を)』の存在感がとにかく大きいんですよアタイにとっては…。
もうこの曲の中にマッダレーナという女性の魅力の全てが詰まっているといっても過言ではない感動的なアリア。
まず曲の前半で革命によって全てを失い零落し、辛い境遇の中で喘ぐ姿が悲痛な語り口で浮き彫りにされたかと思うと、
突如、まるで別の人間が乗り移ったかのように歌の調子が替わり、全てを包み込むようなスケールの大きい情感と、
天にも昇るかのような高揚感でもって、まるで神の言葉を代弁する預言者の如く、愛の訪れをジェラールに語るのです!
そう、あの田舎の別邸でのシェニエの即興詩は、彼女の心にここまでの強い影響を、愛という名の下に残したのですねえ…。
この歌はそういった意味で"愛の信仰告白"以外の何者でもないです。あのシェニエとの出会いと悲惨な革命は、
彼女を愛の為に殉教する事をも厭わない、聖女の面差しをも備えた女性に変容させたのですねえ…。
そしてその愛を説く彼女の美しき歌声に、ただただ涙の体な乙女がここに1人…別にいいじゃないのよう(゜Д゜*)ゴルァ!!
今聴いてるのはGMから出てるマタチッチ指揮60年ウィーン・ライヴですが、この曲の中の一番のお気に入りのCDです。
コレッリ兄貴のシェニエ、レナータおばさんのマッダレーナ、どちらも素晴らしいの一言…。
特にレナータおばさんのマッダレーナは、アタイの理想であります。あの豊麗な美声とどこまでも広がる声の厚み、
強さを兼ね備えた優しさ、雅やかさ…この殉教者・聖女とでもいうべき女性を演じるに相応しいものです。
多分今はOpera D'oroから出てるのが某密林でも手に入ったと思うので、まだの方は是非(御馴染みの締め方)。
…さて、何故この曲を今日選んだかっつーと…
もう5月やしね、時流に合った、さわやかなお別れのできそうな曲を持ってきたかったってのがあるからなんです。
突然ですいませんが、本日を持ちましてこのブログ、ひとまず締めとさして頂けたらと思いまして…。
理由は色々あるのですが…
まず第一に、一念発起してある資格試験を受ける事を決意し、その為2,3週間程前から勉強を始めたのですが、
いざ始めてみるとそっちに手がかかりっきりになってしまい、唯でさえ非常に時間のかかるものになっている、
このブログの安定した更新が最早不可能になってきてしまっているという事。
第二に、ブログの一記事毎の慢性的な肥大化に伴い、そろそろこういったオペラやミュージカルの感想を記すには、
HPの方が相応しくなってるんじゃないかと自分自身本気で考えるに至り、一旦これでブログの更新を打ち切って、
HPへの移行に取り掛かるべきだという結論にたどり着いた事(元々このブログの記事にはそういったHP化した際の、
それぞれの作品や音盤の感想の下書き的な意味合いもあったんですよ…)。
大きな理由はこの2点ですね。その他にも色んな細かい理由を挙げたらキリないんですが(疲れた、801SS書きてえetc…)、
やっぱり同じ終わるなら発展的解消の方がええかなって気も致しますんでね。実際ブログのままやと、
思ったよりもそれぞれの感想が、その場限りの消費財(財?)的に扱われるもんやっちゅーんが分かりましたし
(その証拠に過去ログ遡ってレス書くなんてマンドクセー事、だれもしないでしょ?)。やっぱりHPの方が合ってるのかなあと。
一応資格試験が11月にありますんで、HPの方はそれから本格的に造り始めるだろうから…早くても来年1月位になりそうですが。
まあ言うだけ番長に終わりそうな気配も多少ですがありますんで、気長に待っていてくださいませ(待つ義理のある方が、
どれ位いて下さるかはともかく…)。ここは暫くの間放置しときますんで(多分暇が出来て全てのログを落としきるまで。
ここでの記事は何よりアタイにとって大切なもんです)、お暇な方がいらしたら、さわりだけでもいいんで過去ログの方も…。
それでは皆様方、8ヶ月間有難うございましたノシ