女工○史

貧乏女工ミミの、デムパでイタタでグダグダな"感性の備忘録"

晴れた日に○○が見える? : オペラ『アンドレア・シェニエ』&終辞

2006年05月04日 14時21分46秒 | 音楽鑑賞のーと

少し体調はしんどいものの、もう一夜睡眠をとれば、何とか回復しそうな状況のワスの風邪。

そんな状況なのに聴いてるのは『アンドレア・シェニエ』。更に体力を削りかねないこの曲を選んだ自分の蛮勇に乾杯。

ウンベルト・ジョルダーノ作曲。以前紹介した『道化師』と同じく、19世紀末から20世紀初頭にかけて流行した、

"ヴェリズモ・オペラ"というジャンルの傑作ですが、ワスとにかくこの作品にはガチで目が無くてねえ…

思い入れの強さではあの『椿姫』とタメ張るかも知れませんです。


革命直前のフランスのとある田舎、コワニー伯爵家の所領にある、当家の別邸のサロンから話は始まります。

サロンでのパーティーに招かれた若き詩人シェニエは、退屈していた同家の令嬢マッダレーナの、

暇つぶしついでの愛についての賭けに怒り、「貴女は愛を知らない」と風刺を織り交ぜて即興詩で彼女を諭す。

マッダレーナは感動して許しを請うが同時に同家の従僕で、アンシャン・レジーム(貴族階級中心のいわゆる‘旧体制’)

に強い不満をためていたジェラールがその詩に感化され、革命を唱えて屋敷から出て行く。

5年後のパリ。革命政府の要職についているジェラールと、今やお尋ね者となり、マッダレーナとの愛を、

危険を侵しながらの文通という形でしか確かめられないシェニエ。二人ともマッダレーナの事が忘れられない。

当の本人は革命騒ぎのなか零落して娼婦に身を堕とした侍女のベルシに匿われている。

そのベルシから尾行をまいて連絡を受けたシェニエは、ついにマッダレーナと再会!しかし程なく、

それはジェラールに見つかってしまう。短い決闘の後ジェラールは相手をシェニエと見極めると、

あのサロンでの事を思い出し、シェニエを逃がす事にする。

しかしジェラールは結局シェニエを捕らえる。マッダレーナに密かに恋心を抱いていた彼はシェニエに嫉妬していた。

令状を書きながらその事を痛感し、自嘲するジェラール。その時マッダレーナが現れてシェニエの助命嘆願。

ジェラールは彼女の体と引き換えという卑劣な条件を出す。愛するシェニエの為にとマッダレーナはそれを承諾。

愛を信じるマッダレーナの心に打たれてジェラールは助命を買って出るが、無情にもシェニエは死刑を宣告されてしまう。

獄中で辞世の詩を詠むシェニエ。その時女囚に化けたマッダレーナが他の革命犯罪人の身代わりとなって、

シェニエの死に殉じるために潜入する。夜明けとともに愛と死の永遠の誓いを高らかに歌い上げる二人。

そして手に手を取り合ってギロチンへと向かう馬車へ…


ざっと要約するとこんな話です。アタイだけかもしれませんが、あらすじを目にするだけでもこの作品の熱さが、

そこはかとなく伝わってくるような気が致しますです。所々唐突で話に破綻もあったりするんですがね…。

アタイも含めてですが、多分『ベルばら』、特にフェルゼン×アントワネットカプのお好きな方なら

(何人位いらっしゃるかは知りませぬが…)、この作品に魂抜かれそうなくらいに熱中できるんじゃないかなあ?

題材がフランス革命じゃっちゅーのは勿論やけど、それ以上にシェニエとマッダレーナのキャラ設定が、

『ベルばら』においてのフェルゼンとアントワネットのそれにソックリなんですよ。シェニエとフェルゼンには、

リリシズムを湛えた熱血漢としての共通項がありますし、それ以上にアントワネットとマッダレーナには、

愛によって目覚めた女、革命の嵐の中で心ならずも強さを身につけた女という強烈な一致点があります。

そして2人の描く愛というのは、(男の方が生き残ったか奏でないかという違いはあるものの)まさにそれこそ、

"死によって結ばれし愛"そのものだと言えるのではないでしょうか?乙女ですもの…この手の話に弱いのぅ(はあと)

あと、よくこの作品って典型的な"プリモ・ウォーモ・オペラ"(タイトルロールが男=男キャラが主役のオペラ)として、

専門の本等では取り上げられております。確かにシェニエには、全4幕どれにもアリアないしアリオーソ的な、

聴かせ所がちりばめられてますし、それが全ていかにも英雄といった風情の強い高音の求められるものなんで、

必然的にそうなるんでしょうが…でも巷間言われる程にはマッダレーナの存在感が薄いとは思えんのんすよ。

この作品ってアリアも勿論大事やけど、それ以上に偶数幕の大詰めに設けられた、

所謂"愛の二重唱"(特にオーラスの殺人的な高音続出の二重唱は凄絶!シェニエ役のテノールなんか、

ライヴだったら最後の高音は殆どの人が回避してる位やし)の方が音楽的にもドラマ的にも重要やと思うし、

何より3幕の『La mamma morta(亡くなった母を)』の存在感がとにかく大きいんですよアタイにとっては…。

もうこの曲の中にマッダレーナという女性の魅力の全てが詰まっているといっても過言ではない感動的なアリア。

まず曲の前半で革命によって全てを失い零落し、辛い境遇の中で喘ぐ姿が悲痛な語り口で浮き彫りにされたかと思うと、

突如、まるで別の人間が乗り移ったかのように歌の調子が替わり、全てを包み込むようなスケールの大きい情感と、

天にも昇るかのような高揚感でもって、まるで神の言葉を代弁する預言者の如く、愛の訪れをジェラールに語るのです!

そう、あの田舎の別邸でのシェニエの即興詩は、彼女の心にここまでの強い影響を、愛という名の下に残したのですねえ…。

この歌はそういった意味で"愛の信仰告白"以外の何者でもないです。あのシェニエとの出会いと悲惨な革命は、

彼女を愛の為に殉教する事をも厭わない、聖女の面差しをも備えた女性に変容させたのですねえ…。

そしてその愛を説く彼女の美しき歌声に、ただただ涙の体な乙女がここに1人…別にいいじゃないのよう(゜Д゜*)ゴルァ!!

今聴いてるのはGMから出てるマタチッチ指揮60年ウィーン・ライヴですが、この曲の中の一番のお気に入りのCDです。

コレッリ兄貴のシェニエ、レナータおばさんのマッダレーナ、どちらも素晴らしいの一言…。

特にレナータおばさんのマッダレーナは、アタイの理想であります。あの豊麗な美声とどこまでも広がる声の厚み、

強さを兼ね備えた優しさ、雅やかさ…この殉教者・聖女とでもいうべき女性を演じるに相応しいものです。

多分今はOpera D'oroから出てるのが某密林でも手に入ったと思うので、まだの方は是非(御馴染みの締め方)。



…さて、何故この曲を今日選んだかっつーと…

もう5月やしね、時流に合った、さわやかなお別れのできそうな曲を持ってきたかったってのがあるからなんです。

突然ですいませんが、本日を持ちましてこのブログ、ひとまず締めとさして頂けたらと思いまして…。

理由は色々あるのですが…


まず第一に、一念発起してある資格試験を受ける事を決意し、その為2,3週間程前から勉強を始めたのですが、
いざ始めてみるとそっちに手がかかりっきりになってしまい、唯でさえ非常に時間のかかるものになっている、
このブログの安定した更新が最早不可能になってきてしまっているという事。

第二に、ブログの一記事毎の慢性的な肥大化に伴い、そろそろこういったオペラやミュージカルの感想を記すには、
HPの方が相応しくなってるんじゃないかと自分自身本気で考えるに至り、一旦これでブログの更新を打ち切って、
HPへの移行に取り掛かるべきだという結論にたどり着いた事(元々このブログの記事にはそういったHP化した際の、
それぞれの作品や音盤の感想の下書き的な意味合いもあったんですよ…)。


大きな理由はこの2点ですね。その他にも色んな細かい理由を挙げたらキリないんですが(疲れた、801SS書きてえetc…)、

やっぱり同じ終わるなら発展的解消の方がええかなって気も致しますんでね。実際ブログのままやと、

思ったよりもそれぞれの感想が、その場限りの消費財(財?)的に扱われるもんやっちゅーんが分かりましたし

(その証拠に過去ログ遡ってレス書くなんてマンドクセー事、だれもしないでしょ?)。やっぱりHPの方が合ってるのかなあと。

一応資格試験が11月にありますんで、HPの方はそれから本格的に造り始めるだろうから…早くても来年1月位になりそうですが。

まあ言うだけ番長に終わりそうな気配も多少ですがありますんで、気長に待っていてくださいませ(待つ義理のある方が、

どれ位いて下さるかはともかく…)。ここは暫くの間放置しときますんで(多分暇が出来て全てのログを落としきるまで。

ここでの記事は何よりアタイにとって大切なもんです)、お暇な方がいらしたら、さわりだけでもいいんで過去ログの方も…。


それでは皆様方、8ヶ月間有難うございましたノシ





マックス=ムツゴロウさん? : 映画『プロデューサーズ』(3)

2006年05月03日 16時18分28秒 | 映画鑑賞のーと

風邪の方ですが、昨日病院に逝ってだいぶ体調は良くなりますた。

とはいえまだ咳や痰は出るんですけどね。でも鼻水は止まったし、頭の重さも大分和らぎますた。

しかしまだまだ悪いもんは悪いんですがねえ…病み上がりまであと一歩っつーか。

とりあえず今日も絶対安静かなあ…?


そんなんで暇つぶしに某おばさまから借りた『プロデューサーズ』のオリジナルの映画版を観てます。

『屋根の上のヴァイオリン弾き』のオリジナル・テヴィエにして『ローマで起こった奇妙な出来事』のオリジナル・スードラス

(映画でもこの役演ってた)でもある、BWきっての怪人俳優ゼロ・モステルがマックスを演じております。

ギョロ目と観てるこっちまで威圧してくれる大声のオーバーアクションの迫力はこの作品でも健在で、

作品のムードを牽引するまさしく"主役"の大仕事を縦横無尽に演じきっていて、ひたすら脱帽の限りなのですが、

この作品ではジーン・ ワイルダー扮するレオたん(キャラ的によりリアルなものの、今度は全然かわえくない。

ある意味褒め言葉やけど登場シーンはひたすらキモい)を初め、次から次へと現われる奇人変人方の突飛な演技のインパクトが、

それに輪をかけてディープで物凄く(カルメン姐さんのあのイカニモなヒゲと目つきがその中でも特にツボっした)、

やや一歩引いたような印象があるんですよね。どっちかっちゅーと。どう観ても主役である事には変わりないものの。

それらの奇人変人をまるで猛獣珍獣をあやすムツゴロウさんの如く、スリリングに手玉にとる様がメインなような。

ミュージカル版の『Betraved』のような単独で場をさらう見せ場のようなシーンが一つホスィかったと思うのは、

ミュージカルファン的な欲目なんでしょうか?小ネタだけでも充分面白いんですけど…。


あと何より驚いたのが、本的にはこの作品、ミュージカル版の筋立てと殆ど変わりないんですよねえ。

後半になって、『ヒトラーの春』の大ヒットに気付くタイミングがちと早かったり(ミュージカル版では事務所に戻り、

そこで漸く初日の大成功を知るのが、オリジナルでは幕間に近くのバーに集まった客の意外な後反応で、

既に感づいて恐る恐る様子を見に行くようになってる)、裁判のシーンの前に既にマックスとレオが和解していたり

(ミュージカル版では判決直前にお助けヒーローの如くリオから戻ってきて『Til Him』で和解となるわけやけど)、

そーゆー細かい違いは出てくるものの、あとはミュージカルナンバーにスムーズに移行する為のシーンの扱い方の違い位で

(フランツに脚本を依頼するシーンで彼の部屋に入るか入らないか等)、殆ど悪質なカットや場違いなエピの挿入が、

ミュージカル版には無かった事が良く判りました。やっぱり同じ人(勿論我らがメル・ブルックス御大!)が脚本なだけに、

分の本やから尊重して当たり前やろーがえと言われたらまあそれまでっちゃーそれまでなんですけんども。

だからこのオリジナル版もそのまま"ナンバーを殆ど削った形でのミュージカル版『プロデューサーズ』"と受けとる事も、

逆に考えたらできるわけで…それでもこれだけ楽しめる作品だって事は矢張り元の本の出来が卓越してたと言う事の、

証明になっているのではと思われますです。でも決してミュージカルナンバーが邪魔ってワケじゃない。

1時間半程のオリジナルにそのまんま45分程のミュージカルナンバーをはめ込んだという寸法になる訳なんですが、

映画版の印象と重ね合わせても決してそれでシナリオのテンポの良さが殺がれているわけでもないように思われましたし。

その中でもまあ流石にこれは今の時代じゃ受け入れられんだろーっちゅーもんはキレーサッパリなくなってはいましたね。

ウーラ嬢がボインをユサユサさしてゴーゴーを踊り狂ったりとか(久し振りにあんなベタなゴーゴー観たよあたしゃ…)、

あとはヒトラー役に選ばれた、パーペキフラワーチルドレンのLSD氏(オーディションの歌がまた容赦無いダメサイケ。

バンドのオネーチャン方の造形もガチハマリでサイコーw)などは存在自体無かった事にされてましたなあ…ミュージカル版では。

この辺りは時代層の問題なんでしょうね単純に。LSD氏なぞは結構お気に入りのキャラやったんで、

ミュージカル版にも登場したらおもろかったやろなとヲモたんですが(でもそうなるとロジャー姐さんの出る幕が…)。

『ヒトラーの春』も、ミュージカル版はオリジナル版のプロローグを引き伸ばした、全篇レビューのような形なんですよね

(少なくとも作中で観られる部分については)。そこだけ比べてみるとヒトラーが出るか出ないかの違いだけで、

ほぼオリジナル版はミュージカル版と同じ造りになっているのが興味深かったです。ただ大きな違いと感じたのは、

金をかけてド派手な衣裳と人海戦術でそれっぽく見せるミュージカル版に対し、オリジナルの方はとにかく、

歌やダンスのスピード感がかなりキてます。その分かなり衣裳とかはチープなんですけんどもね。残念ながら。

映画だけの感想でちょっとアレなんですが、どちらも良いけどこれについてはオリジナルの方が好きかなあ。

あんまり大掛かり過ぎると『ヒトラーの春』のB級感(これってあくまで駄作たる事を念頭に置いて作られた作品なんやし…)が、

損なわれるような気がしますしねえ…ちょっとカンチガイしてる意見かもですが…でも固まってる観客はどちらも同じとw

ところでこの『ヒトラーの春』のテーマとオーディションのシーンの『ドイツのバンドは最高さ』(落とされた歌手が歌ってるけど)が、

あとオーラス部分での『Prisoners Of Love』のテーマ(これのリハのシーンでオリジナルは終わりなんすよねえ…)が、

このオリジナル版でも使われておりますが…作曲、ちゃう人っすよね。でもミュージカル版のクレジットには御大の名前のし。

『ヒトラーの春』のテーマの方はどうやら、メル御大自身の作詞作曲らしんですが、後者2つはどうなんでしょ…。

あ、メル御大、ラスト近くで主席判事役で特出してます。昔っからあんな顔なのね…老けないっつーか昔から老けてたっつーか…。

全体的にそれでもミュージカル版より幾分か軽めの印象は受けましたが、笑いがシニカルで毒ありまくりな割には、

軽い作品として楽しめる質のええコメディーといったノリで御座います。その内きっと国内版DVD化も…ありやと思うけど…

ミュージカル版の映画のヒット状況が微妙なんでねえ…劇評も見事なまでに賛否両論で…。



明るいだけがラテンや無いとはゆーけんども… :『カルメン・ミランダ サンバの女王』

2006年05月01日 20時10分41秒 | 音楽鑑賞のーと


気がついたらほぼ2週間ぶりの更新です。これについての弁解は後日ゆっくりと…。


さて、昨日までワス、博多に遊びに逝っとりました。GW驚異の9連休の幕開けです。

主目的は、いつも下半身のお世話になってるとある萌えサイトの管理人氏に会いに行く事でしたが、

音盤の方もそれなりに買い漁…ろうと思ったんやけど…なんか去年逝った時よりも、

全体的に目ぼしいCDの数がガクッと少なくなってるような気がしてなりませぬ。これじゃああかんよ…(´・ω・`)ショボーン

天神の塔や犬なんかもう足を運ぶだけムダ、駅前の新☆堂が多少まだいくつか残ってた位でしょうか?

結局そこで買い入れた52年エレーデ指揮メトライヴの『ボエーム』と、ライス・レコードなるインディーズのレーベルが、

数年前に発売した『カルメン・ミランダ サンバの女王』なるアルバム位かなあ収穫は。まあ今の会社に勤めだして、

急にドケチになってきてるアタイの消費者意識のしわさも、このような認識をより際立たせてるんでしょうが。

しっかし博多のこっち系の飲み屋ってどこもあんな遅くまでやってんのかいなあ…?土曜って事を考え合わせても、

幾らなんでも4時(16時ではなくね)に待ち合わせて…ってムリあるんちゃう?とヲモテたら、

入ってすぐはもう閉店かなって閑散っぷりやってのに、あれよあれよという間に客が増えだして…

それから6時半位まで、前述の萌えサイトの管理人氏と飲んでました。外に出ると太陽が眩しい…orz

なんか大して長い距離移動したわけやないのに同じところをぐるぐるぐるぐるぐるぐる回ってたせいか、

物凄いお疲れチャーンな旅で御座いました。オマケに帰りの乗り継ぎのバスの路線を間違えて、

山道込みの6km程の道のりを家に向かってバターン死の行進ばりに歩かされたんもあってもう疲労困憊。

家に帰ってシャワー浴びたらもう死んだように寝てしまい、翌朝起きると喉は痛く鼻はじゅるじゅる…風邪です。

なんかちょっと、勝ち負けでゆーと負けかなってカンジの博多の旅でありました…。


そんな訳で当地で買った『カルメン・ミランダ サンバの女王』を、喉の痛さと頭の重さに悩まされつつ、

聴きながら本日の記事を書いております。すっげえグッタリしとるんやけど頑張らなねえ…。

カルメン・ミランダ―――ブラジルを代表する"サンバの女王"であり、アメリカの映画でも活躍した大姉御様であります。

『Mama Eu Quero』やら『South American Way』といった、ハリウッドで活躍してた時代の曲はそれなりに有名ではありますが、

このCDは29年から40年まで、主としてブラジル時代に録音された曲(厳密にゆーとデビューした時の録音から、

ハリウッドデビューした翌年の凱旋記念の録音まで)をピックアップして収録してあります。

実はカルメン姐さんについてはは『ザッツエンタ~』シリーズでしかお目にかかったことが無いんですが

(そもそも国内盤の映像媒体が少ないったらありゃしねえ)、ド派手な色のデコラティブなターバンに、

バイアーナス調のゴテゴテしたフリルのついたラメラメのドレスといったいでたちで、

巻き舌を強調したアクの強い歌い回しでスクリーン狭しと歌い踊る…そんな第一印象をもっておりました。

ブラジルないしサンバのステロタイプなイメージを作った人ってゆー解釈が一般的かな。

『黒いオルフェ』や『ノバ・ボサ・ノバ』の項でもちみっと書いたように、そういったステロタイプなサンバのイメージって、

個人的にはかなり肌に合うところがありましたんで、かなり前からミランダ姐さんオンリーのアルバムはホスィかったんです。

しっかし改めてこうやって手に入れて通して聴いてみると…結構クールでモダンで洗練された曲ばっかなんすよね。

これがブラジルですよーって映像を見る時、リオのカルナバルが出てくるかと思ったらサンパウロのオフィス街が出てきたような。

でも違和感ってんじゃなくて、そーゆークールで柔らかいメロディーが非常に耳に心地良く、かえって耳にもたれることなく聴けて、

何だかヘビー・ローテーションになりそな気配です。曲の並びが年代順になっているせいか、初めギターメインの伴奏の、

シンプルな土着の民謡っぽいメロディーだったのが、段々と使用楽器が増えて、刻むメロディーも本格的になっていき、

テクニカルな面白さを伺える曲にサンバそのものが変貌していく様っつーのが感じてとれるようで興味深いです。

またカルメン姐さんの歌声も素敵で…甘くて軽い、清涼感のある美声で、しかもメロディーの裁き方が絶品!

アップテンポの入りの至難な曲を涼しげかつチャーミングに歌ってのける様がとてもしゅてき。酔える!

語り歌いっぽい歌い崩し方・アレンジの利かせ方も、全く嫌みがなくナチュラルで、颯爽としております。

こーゆー卓越した技量とキャラクテールの持ち主がジャンルの草創期に確かな足跡を刻んだからこそ、

サンバは所謂ラテン・ミュージックの中で、最もメジャーかつ王道的な位置づけに上り詰める事ができたんかなあ。

でも、その割には…アメリカの映画界に入って目覚しい活躍を遂げるカルメン姐さんに対する当時のブラジル人の目は、

非常に冷ややかなもので、「自分達の音楽を笑いものにする気か!」と、40年の凱旋公演は大変なブーイングで迎えられます。

姐さんは哀れ、レコーディング以外は逗留先のホテルに閉じこもり、程なくして逃げるようにアメリカに戻り、

そこで15年後に心臓発作で亡くなったんだそうです。それから暫くの間姐さんの存在はブラジルの音楽シーンでは、

まるで"なかったこと"のように扱われ、ずーっと下って没後40年を前後して作られたドキュメンタリー映画、

『カルメン・ミランダ バナナが商売』の公開を契機に漸く最近、再評価の動きが高まりつつあるんだそうですが…

ここまで姐さんが貶められたのは、USAのラテン・アメリカ諸国に対する"裏庭意識"への反発と、

元々このラテン・アメリカ諸国の人にDNAのレベルで深く深く刻み込まれていると言われている、

深い厭世観とルサンチマンをどこまでも逆なでする行為に、

姐さんの映画の中での振る舞いが認識された事が大きいんでしょうねえ。ぐぐって調べた事の受け売りですが。

確かに姐さんのハリウッドでの扱われ方は、カリカチュアナイズされた道化のようなコメディーリリーフないし、

ステロタイプの判で押したようなコミカルなショースターとしてのそれでした故、反発を覚えるのは当然かもですが…

それにしたって余りに酷すぎるようなカンジはせんでもありません。そしてカルメン姐さん自身もそれを大変嘆いていたようで、

この"歓迎されざる凱旋"の折に録音された曲には、そういった声に対する弁解や嘆きの声そのものといった面持ちの歌もあります。

特にこのアルバムの最後の曲、『Desseram Que Voleti Americanisada(アメリカかぶれしたと言われるけど)』などは、

まさにそれです。ややうらぶれたメロディーと少し物悲しい姐さんの歌い口が歌詞と相まって、聴いてて少し胸が痛みました。

一旗あげた事で祖国を追われ、異国の地で本当の自分・本当の自分の歌を、

見失って生き続けざるを得なかったカルメン姐さん…

ラテン・アメリカってものの根っこを考えると、こういった事象にぶち当たる事が多くて、少し鬱になります。

このアルバム自体は暫くお寝み前のヘビー・ローテーションになりそうなんですが…。



なりはガンマン心は乙女、それは何? : ミュージカル『アニーよ銃をとれ』(2)

2006年04月18日 23時16分18秒 | 映画鑑賞のーと

ああ、不動産屋にまだ電話してねえや…部屋の再契約の事について聞かんとあかんのに…。

相変わらず『戦闘の監獄』に夢中で廃人状態やもんアタイ。漸くカラムの洞窟からデュエルの洞窟に足を伸ばしたの。

エレベーター開放して(道のりが長くておばさん覚えるのむりぽ…)4Fでお稼ぎ中。なんかイマイチおいしいモンスターが判らん…。

借りた職場の同僚の話やとコモドドラゴンがええゆー事やけど…なんか出現率少なめですなあ。オマケにブレスに毒が…。

あああ…装備に毒の抵抗付いてるキャラが半分位しかいない…付け直さなあかんかなあ…(´A`)ウツダ


…あ、とっとと前回の話の続きに…入る為に今映画版を観てるんですが…

アニーたんのパーソナリティーを考えるに当たって、ここでのベティ・ハットンたんのそれのイメージが何より付いて回る所です。

唯一キチンと最初から最後まで動いて唄って踊ってるのを観た事あるアニーたんやもん仕方が無いですわいなあ。

初め実はトレーラーとか、『ザッツエンタ~』シリーズで一部ナンバー観た時のイメージやと、なんかかなりガラッパチな、

火の玉ネーチャン然とした女丈夫なんかなあとヲモタんですよねえ…声をそのままぶつけてるってカンジの、

良く言えばパンチの利いた威勢たっぷりの、悪く言えば乱暴で歌になってないともとれるような歌い方で。

だから演じ方もそうなんかなあ…と思っていざDVD手に入れて観てみると……乙女だわ、この娘…(*ノノ)キャ

確かに『気ままな暮らし(Doin' What Comes Natur'lly)』とか『朝に太陽(I Got The Sun IN The Morning)』みたいな、

元気の良さがウリなナンバーは確かにその通りのガラッパチなんですけんども、

『素敵だと皆が言う(They Say It's Wonderful)』の、あの恍惚の表情でフランクの胸に寄り添う姿や、

それをフランクに見咎められそうになってサッと身を引く、その恥じらい感の妙。

何よりフランクから帰朝(?)パーティーへの招待状を貰うシーンの『The Girl That I Marry(俺の結婚する娘)』のリプライズ。

初め無邪気にフランクの真似をして歌ってたのが段々思いが募り、歌と自分を照らし合わせて省みて、

相変わらず自分がフランクの好きなタイプの娘に成り得てないことを痛感して忍び泣く…その様にこちらまでちとホロリ。

歌の上手い下手はともかくとして、実はあのソフトトーンになった時のハスキーな囁き声での歌声が、ベティたんのアニーの好きな所です。

泣きの入り方が巧妙過ぎたり過剰過ぎたりすることが無く、かなり自然で好感が持てるのですよ。

同時に、ああ…実はアニーたんって、あんな男勝りに振舞っていても、心は誰より乙女なんだなあと気付かされるのです。

きっと田舎で"気ままな暮らし"などせず、深窓で親の手厚い保護の下で育っていたとしたら…純粋そのものの令嬢に…?

姉御肌も根っからの気性なんじゃなくて、男のように猟で生計を立てていく内に身に付かざるを得なかったものなのかも。

『あなたにできることなら(Anything You Can Do)』への導入で見せたフランクへの剥き出しの対抗心も、

プリミティブな自己顕示というよりは、そうやって小さい頃から培われていった一種の"プロ意識"への忠誠の表れととれるし。

正直、最後わざと細工された銃を使って勝ちを譲る事を選んだのも、このアニーたんなら漸く自分の無邪気な振舞いのせいで、

外されたままだった梯子を再びかけ直してもらえて、安心してフランクの一歩後ろを歩む事を選ぶ事ができたのかなあ…と、

そういう風にとれなくもないんですよ。一緒の舞台でやっていくどころか更に一歩踏み込んで家庭に入りかねない。

間違っても『An Old-Fashioned Wedding』など歌いそうにも無いアニーたんなんですよねえ。ある意味フランクより古風。

でもそういった面に忸怩たる思いもある反面、何だかこっちの方がアニーたんとして、素直に共感が持てるんですよねえ…。

前回の記事であんなにマチズモ(・A・)イクナイと、まるで落合○子や田○陽子のような事をゆーときながら

(あ、ゆーとくけどあたしゃあーゆーフェミナチ的考え方でえっきれえですから)、なんなんでしょうねえこの矛盾は。


これがもし当初の予定通り、ジュディたんのアニーたんやったらどうなっとったかなあ…って、勿論そりゃ考えますわいな。

考えますけど…正直ジュディたんがそのままやるより、ベティたんに替わって正解やったんやないかなあと思うんです。

だってジュディたん、西部劇似合わんもん。若い頃ならともかく…大人になってからのジュディたんがやるなら、

『ハーヴェイ・ガールズ』みたく都会からのニューカマー的立場じゃないと溶け込めんのんじゃないかいなあ?

歌については技量的には今更書くまでもないけど文句なし…つーか、上手すぎて却って合わんのですよ。

どんなにパンチ利かせてもシャウトしても、歌い口がこなれててスマートで、アニーたんの野性味や朴訥さが出ない。

前述のリリカルなナンバーにしたって完璧なんだろうが、少女の情感でなく大人の女の情感が伺えてしまいそう。

根っからの"ショー・スター根性"がどうアニーたんという役に作用するかも、上述の考え方から行くと賛否両論ありそうです。

余談ですがこの映画版DVDのボーナストラックでジュディたんのアニーたんのお蔵入り映像も付いてるんですが、

なんか…観てて気の毒になってくるんですよねえ…特に『気ままな暮らし』の方…なんつーか…まるでガイコツです。

頬なんかこけきって目だけがギラギラしてて、一瞬観てはならないものを観てるような気持ちになりますた(´・ω・`)ショボーン


さらにこれらを踏まえて、オリジナルのマーマンおばのアニーたんの歌を聴く…歌だけで判断しちゃダメですが、

乙女じゃあねえやな間違ってもこりゃ。大姐御もええとこです。呵呵大笑といったカンジの余裕綽々の大砲声。

並外れたスケール感の堂々とした歌で、とてもじゃないけどフランクの手に負えるような女性ではないです。

キャラクターとしては非常に魅力的なんですが、ベティたんの乙女なアニーを観た後だと印象のギャップに苦しみます。

野育ちそのままの天衣無縫さは、例え一時の気の迷いでもフランクが好きになる可能性を感じさせんのです。

その分『あなたにできることなら』での負けん気の発露や、『ショウほど素敵な商売は無い』のショウ賛美

(こちらはオリキャス盤ではなく、後の同名の題の映画を観ての印象ですが…)が、何の違和感も無く頭に叩き込まれて、

"女傑アニーの出世物語"としてのこの作品の効果を否応なく煽るんですがねえ…でここに来て、

またもやラストの男尊女卑云々の違和感が頭をもたげるんですよ。ここでは『An Old~』は絶対欲しい。


…考えてみればやっぱりこれは、人見て物言えって事なんでしょうね。これだけ何度も何度もゾンビの如く、

再演を繰り返している作品です。最早アニーたんの方とか、どのアニーがそぐわしいかそぐわしくないかとか、

そーゆー事を考える時期はとっくに過ぎたって事なんでしょうか。思い返しゃあ『An Old~』だって、

マーマンおばの為に更に新たに宛書きされたナンバーです。ムリから拘る必要は無いゆー事なんでしょう。

どっちかっつーと自分の好み的にはハナ差でベティたんの乙女アニーなんですけどねい…。

こうなったらマーティンおばとかドリス・デイとかバーナデット・ピータースとか江利チエミ姐さんとか

(この辺みんな録音ありますよね?ホリプロ系はいいや)一通り観たり聴いたりせんとあかんなあ…いずれね。


ああ、長々と語った割に大した事の無い結論…orz



なりはガンマン心は女優、それは何? : ミュージカル『アニーよ銃をとれ』(1)

2006年04月15日 19時30分43秒 | 音楽鑑賞のーと

最近、会社の同僚から借りた『ウィザードリィ外伝 戦闘の監獄』にハマりまくってます。

いや~やっぱりWizはええわあ…ここんとこずっとこーゆーゲームやってなかったしなあ…。

とりあえずカラムの洞窟(最初のダンジョン)はクリアしたんですが、装備がまだちみっと心許ないんと、

なんかヌルゲーマーの本能としてまだレベルが足らんよな気がしたんとで、未だに最下層をさ迷ってます。

件のウサちゃん(ボーパルバニーというその筋じゃ有名なウサギ)が、油断してたらすぐ前歯でスッコーンと首落としてくれます。

でも結構敵のレベルの割にはええアイテムが手に入るような気がしますね。気のせいかもですが。

Wizって、戦闘の難易度の高さとそれに伴う緊張感とか、独特の難解な3Dマップとか、アイテムコレクションの楽しみとか、

そういった要素が人を惹きつける要因だとは思いますが、個人的には大掛かりなイベントやシナリオがない

(それ以外の面…アイテムそのものや戦闘そのものが魅力的な)分、忙しい合間にも少しの時間で気持ちを途切れさせず、

好きなようにコツコツやれる点が、会社勤めの身分となった今ではとても有難く感じられます。

…やから更新が最近週末だけってワケやないんですけどねえ…(´・ω・`)ショボーン

ちょっともうこーゆー風にここのブログの趣旨(オペラやミュージカル作品のぐだぐだした長文での語り倒し)が、

ハッキリと定まってしまうと、一つの記事を書くのに結構なエネルギーを使ってしまうよになってねえ…。

気が付いたら3、4時間もかけて一つの記事を書く(ネタの復習までやったら6時間以上もかかったりする…)始末です。

最近じゃあもうこうなったらHPに移行しよかしらん?扱った作品も結構増えてきたし…と考えてもおります。

Web小説(なあにただの801でさあ…)を書きたいなあとか思ったり、資格なんか取るための勉強しようかなあとか考えてもいますし。

GW中にちょっと真剣に検討してみましょう。色々と。


それをやりつつそんな事を考えつつのお供が、お馴染み『アニーを銃をとれ』のオリキャス盤やったわけですが、

そろそろこの作品についても腰を据えて語らなと思っていたところなんで、いっちょここは…まーそうはゆーても、

自分このオリキャス盤CDと映画版のDVDしか持ってないんで、いささか不十分なところもあるんですがね…。

とにかくよーでけたミュージカルです。ここまで全ての要素がパーフェクトに揃ったミュージカルっつーんも珍しい。

バックステージものかつボーイ・ミーツ・ガールものというミュージカルの王道二枚看板をベタにひっさげたプロット、

そこにアメリカの心の故里西部劇をエッセンスとして設け、アーヴィング・バーリンのキャッチーかつコンサバティブなナンバーで盛り上げる。

インディアン(この作品にはそぐわしくないので敢えてネイティヴ・アメリカンという言葉は使いません)の祭礼や、

スピード感溢れるガン・ショーといった派手なショーシーンもふんだんに取り入れ、これで主役であるアニーに人を得れば、

誰がどう考えてもハズレな要素なんぞどこにも無しな、天下無敵の"ミュージカル・オブ・ミュージカル"的作品。

…だからか、初演から半世紀経って21世紀を迎えても、この作品はBWを初めあっちゃこっちゃの国の劇場で、

今でも舞台にかけられております。"エバー・グリーン"なんて生易しいもんじゃない、ゾンビのような生命力(?)の作品です。

しかしこの西部劇っつージャンル、この作品の初演から更に3年遡ると、今度は『オクラホマ!』っつーもう一匹のゾンビがおりまして、

ミュージカル界ではこの2作品の圧倒的な後光の前に他の作品が形無しになっているというなんとまあ…な状況であったりします。

映画まで含めても『ハーヴェイ・ガールズ』とか『カラミティ・ジェーン』とか『デストリー・ライズ・アゲイン』とか

『ベンチャー・ワゴン』(舞台のオリジナルは名作だった…らしい)とか、色々忘れ去られるにゃ惜しい佳作もありますが、

それでも完全に食いきっているのはなしてなんでしょう?その生命力の謎をアタイは知りたい。そしたらアタイも若返…違うか。


個人的には、アニー・オークリー嬢というキャラの魅力に惹かれるところです。つーか正直アニーたん、健気杉。かわええ。

田舎で弟妹達と鳥を撃って気ままな暮らしをしていた、ボロを纏った無学でソバカスだらけのアニーたん。

BB一座の花形ガンマン、フランク・バトラーを見るなり ( ゜д゜)ポカーンと一目惚れ。デレデレ状態で話をするも、

話の中で自分がフランクのタイプの女やない事を知り(´・ω・`)ショボーン…途方に暮れつつガン撃ちの勝負に向かい、

そこでフランクとの勝負に勝って一座に誘われるアニーたん。半ば飼い殺し目的で助手にと誘うフランクに、

一緒に居れるのなら何だってやる!と誘いに飛びつく。自分にゃ見向きもしない彼の為にレモンで肌を磨いてソバカスを取り、

こざっぱりとした服を着て化粧や字を覚えようとひたむきな努力を…ええ娘やなあ…。・゜・( ノД`)・゜・。

磨かれて段々美人になっていくアニーたんに、いつしか少しづつ惹かれるフランク。ただ、そんな彼を喜ばせようと、

密かに特訓していた新技があかんやった!立ったまま馬に乗って走りながらライフルでクレーを次々に落としていく、

シルク・ドゥ・ソレイユもビクーリなその新技にフランクは嫉妬。寝首を掻かれたと思い怒ってライバルの一座に移籍。

彼が去った理由がわからず落ち込むアニーたん、こうなったら彼を見返そうと一座とヨーロッパ巡業の旅に出る。

巡業は興行的には成功したものの御前興行中心のスケジュールがたたり、BB一座は経済的に立ち行かなくなる。

そこに現われたライバル一座からの帰朝(ってアメリカの場合は言わんか)パーティーのお誘いの使者。

BBはライバル一座と合併して経営を立て直そうとするものの、そのライバル一座もまた経営が苦しい事を知る。

アニーたんは自分の勲章を提供して資金に換え、それで何とか資金繰りのメドは付けられると一同ホッとするものの…

アニーたんの事が矢張り忘れられずよりを戻そうとするフランクに、彼女は無邪気にもよりによって、

ヨーロッパで貰った勲章の数々を見せびらかすのです!これに再びプライドを刺激されたフランクと言い争いに。

2人は再度ガン撃ちの勝負を行います。このままじゃいかんからアニーたんにわざと負けさせ仲直りさそうと、

アニーたんの一座での父親代わりのインディアンの族長シッティング・ブルは彼女のガンに細工をさせます。

アニーたん、最初はそれに感づいたのかガンの調子を訝しがりますが、シッティング・ブルの忠告に最初に抱いた気持ち、

"鉄砲じゃ男は寄り付かない"と言う事を思い出し、わざとそのガンで的を外し続け、フランクに勝ちを譲ります。

かくて晴れて一座は無事合併、2人も何とか結ばれてでめたしでめたし……………………………………



納得いかんとヲモタ人、正直に手を上げて下さいノシ



…なんかさあ、男尊女卑、マチズモ的考えかたっつーのは、古今東西どこの世界でもあるもんや思いますが、

ここまでオールドファッションなものが根本的に罷り通っとる話っつーんも珍しいんじゃ?

フランクの女性に対する考え方、初めギャグの前フリかなーとも思ったんですが、それに周りが引きずられる様が甚だしく、

首を傾げざるを得ない所があります。第一さあ、フランクってこれまたこーゆーマチズモ的思想の持ち主にありがちな、

皮一枚ひっぺがせばかなり女々しい男なんですよねえ。メンタリティー的には一昔前の少女マンガのギョーカイ物に出てくる、

敵役的キャラのそれにモロ当てはまります。下心をもって先達として主人公をそのギョーカイに導いて、

自分の思い通りにその才能を利用して飼い殺しにしようとし、主人公が自分の手に余るようになると、

手のひらを返すように牙をむいて争いを始めるっつーのがよくあるパターンです。完全なミーイズムの塊。

こんな男のどこにアニーたんは…って、やっぱり歌声と顔かねえ?男に免疫がなかったんもいかんかったんかもね。

免疫がなさすぎて男の喜ぶ事をよく理解できず、肌を磨いて体の内外のオシャレを学んで文字通り垢抜けたんは正解やったけど、

ガンの腕まで磨いたんは余計やったと。でもまあ結局は"負けるが勝ち"ってな事を悟って一歩譲ったんでしょうが…

なんかそれだけやと、しおらし過ぎてなんだかなあと思ってしまうんですよ。

ここでもう一味、どっこい女の方もしたたかで…って所を見せてホスィなあってのが本音です。

そういったニーズに応えてか、舞台版の方は66年のリバイバルの為に新曲として、

『An Old-Fashioned Wedding』がフィナーレ間近に付け加わってますが、これがあるお陰でアニーたんの一枚上手な所が顕示され、

キチンとした落としどころが漸く設けられた訳です。昔ながらの素朴で貞淑な結婚式を望むフランクに、

思いっきり豪華で騒がしい結婚式がしたいとまくしたてるアニーたん。オマケに貞淑ではあるけど服従は嫌と、

ハッキリ応えてフランクをやり込めるかのようにデュエットに持ち込まれます。これは痛快!

個人的にはこれがある方がラストの印象は段違いにええ思うんですが、アニーたんの元々のパーソナリティーを考慮すると、

なかなかこれがまた一筋縄では行かん所もあり…う~ん…以下次回かねえ…。



♪おぷにん な~~~い♪ : 映画『プロデューサーズ』(2)

2006年04月09日 18時49分26秒 | 映画鑑賞のーと

昨日はかなり疲れてたんでしょうなあ…3時前に寝て起きたら1時半やった…。

一応目覚ましは9時位にセットしてたんやけど、鳴った所で停めてそのまんま力尽きて二度寝しとりますた。

何でそんなに疲れとったかって…だってレイトショーで映画観てその帰りにスパ銭行ってサウナに篭りたいだけ篭って、

悪いもんみんな流して2時半頃帰ってきたから…シャワーで外の汚れを落としきってからもうそのまま布団に直行よう…。

んでそのレイトショーで観た映画ゆーんが、その日初日やった『プロデューサーズ』なわけで。


やっぱねえ…実際スクリーンで観る映画はええね。楽しい。つーか正直2時間20分の間ず~っと、

マシュー・ブロデリックたん扮するレオたんに(;´Д`)ハアハアしとったんですけどねえアタイ…。

だって…何から何まで萌えるんだもんチキショーかわえ過ぎなんじゃあああヽ(`Д´)ノウワアアン!!

これが総ナメにした2001年度のトニー賞の中継番組を改めて観た時から、あの完璧なトッツァンボーヤ的風貌に、

密かに惹かれるものはあったんですが…ぎゃーじんさんであんな非の打ち所の無いトッツァンボーヤは初めて見たよ…。

出のシーンの『ピーナッツ』のライナス張りの安心毛布への執着振りとヒステリーの様で一瞬で落ちたわ…。

そっからはもう…フランツのホップ・クロップ攻撃に口を尖らせて恨みがましい目を向けるレオたんに萌え、

ウーラ嬢の腰振りにあわせて視線を動かすレオたんに萌え…中でも一番萌えたんは、『Where Did We Go Right?』の後、

半泣き顔でマックスに「帳簿をよこせこのデブチンヽ(>Д <)ノウワアアン!!」と掴みかかってマウントにとるレオたん…。

ガチで幼児退行してるんだもんあの顔で…ズル杉よう…。どこまで母性本能くすぐりゃあ気が済むの…。

その後の裁判のシーンでもいきなりリオから颯爽と帰ってきたと思ったらその格好がどー見ても、

ラテン・ラバーの出来損ないかジェームス・ボンドのダメコスプレってカンジでまた萌えだったし、

ポケットチーフが件の安心毛布やったのにもこれまた萌え。結局こんな調子で殆どレオたんしか目に入らん、

他の人の事知らん…状態やったんですが、それでも頑張って理性を保って真面目に楽しく観させて頂きました。


全篇これ小ネタとパロディ・シーンの応酬で、シネ・ミュージカルビギナーの方からマニアの方まで、

どなた様でも余すところ無くお楽しみ頂けますという造りなのがえがっだですのう。

特にパロディの方は気合が入っとりました。『Keep It Gay』の終わりに『ドゥ・ラ・ザ・コンガ』が挟まってたり、

『That Face』のダンスの箸休めに出てくるソファーの陰から物を投げたり顔を出したり引っ込めたりして、

なんかドタバタやってる(バア様まで…)のを表現するのは、『雨に唄えば』の『Make 'Em Laugh』のそれやし、

オーディションのシーンに出てくる伴奏のおばちゃんは『キャバレー』のキット・カット・クラブの、

オーケストラのおばちゃんを意識したような格好やったし、『ヒトラーの春』の大詰めが鉤十字の俯瞰マスゲームやったっつーのは、

やっぱりバズビー・バークレーのアレ以外のなにものでもないでしょうしねえ…特にアタイがウケたのは、

その『ヒトラーの春』の中で、ヒトラーが幕の下りた舞台の前に足を崩して座って、感無量の態で昔語りをしだすってアレ…。

完全に『スタ誕』の『Born In A Trunk』です。有難う御座いました。

オマケにロジャーヒトラー、耳の横で両手を広げるジュディたんのお馴染みのポーズまでやってのけとるし。

思わず声を上げて笑ってしもたがな。でも笑ってたんがアタイだけやったのがちょっと寂しかった…(´・ω・`)ショボーン

こーゆーパロディーって、元の舞台版でも余すところ無く採り上げられてたのかすぃらん?

小ネタはいちいち挙げていけばキリがないけんども、特に『Til Him』、唯一と言ってもいいこの作品のお涙頂戴ナンバーですが、

バア様方のコーラスをマックスが「やり過ぎだから…」と制したり、感動的に聴かせてケムに巻いて逃げようとしたら、

窓の外にも警察屋がいて拳銃突きつけられて歌いながら戻ってきたりと、単なるお涙頂戴に終わらん所がステキ。

エンドロールの後にもお楽しみが…ってのは(ここからまだご覧になってない方の為に白字反転)

多分『Goodbye!』のことやろーゆーんは、元の舞台、各種サントラの内のどれかに既に接していた方か、

そうでなくてもプログラムを熟読してた方なら、容易に予想は付いたんじゃないかな…と思うんですが…

よもやメル・ブルックス御大ご本人に最後のキメ台詞「早よ出てけや!」を言って貰えるとは…ちょっと嬉しかった。

あと、エンドロールの挿入歌に、モロバラード調の『Der Guten Tag Hop-Clop』が挟まってましたが、

その後奏に『我が闘争』のCMが入ってたのも個人的にはツボですたね。やり過ぎよおw。

近くの本屋に無かったらAmazon.comでも売ってるって…売る気満々やねえ…。ホントに検索したら当たり前やけどあるし。


映画ならではのナンバーの処理っつー点では、満足半分不満半分ってカンジですかね。

えらいド派手にショウ・アップされた『I Wanna Be A Producer』(いかにもレオたんに「あんたはダメ」と言われる用に仕込んだっぽい、

ステップのなっちゃいねえクセに顔のキメっぷりだけは相当なオバハンの踊り子さんがワロスですた)も映画ならではやし、

『Along Came Bialy』なんかはパーペキ人海戦術の勝利でしょう。まさに101人バアちゃん大行進!

舞台版より格段にスケールアップした人数で繰り広げられる歩行器ロケット、圧巻でした。最後の将棋倒しの長蛇の列も…。

不満やったっつーのは、カットされたナンバーについてですかねえ。まずあのオーソドックスで出来のええOvertureを、

なしてカットしたんかなあと。この間に先に主だったキャストとスタッフのロールを流すのが時代遅れやと言うんなら、

『シカゴ』みたく、シューバート劇場に集うパーティールックの紳士淑女の群れの様子やら、マックスや受付嬢の表情やらを、

マイムで追わせてみても良かったんじゃないかなと。少しオケが鳴ってすぐに「おぷにんな~~い♪」やと、

どうも導入の部分での気合の入り方が不完全になるかと…。それ以上におや~?と思ったのは、

『The King Of Broadway』の完全削除と、

『Along Came Bialy』の後に続くアンサンブル・フィナーレのカットです。

前者はマックスの人となりを端的に説明するいかにもな主役紹介の基本ナンバーである上に、

オマージュ・ミュージカルとしてのこの作品の肝でもある超重要ナンバーだし、後者は映画的な脚色の最も生かし易い、

ショウ・アップの効かせ所的ナンバー(てっきりここで『WSS』の『トゥナイト』のリプライズの真似とかすんじゃねえかなと、

予想まで立ててワクテカしてたのにい…)だし…それ以前にこの作品の中でも特に出色の出来のナンバーなのにねえ…。

『シカゴ』の映画版でも『My Own Best Friend』のカットなどっつー愚挙がありましたが、それにも等しいかもねえ。

共通するところとしては映画のテンポの緩除化防止って事なんでしょうか?とにかく映画全体のテンポを上げて、

『ヒトラーの春』等の少数の例外を除き、とにかく客に飽きさせる事無く一気に観せきるようにすると…。

その為にリプライズないしそれに順ずるナンバーを切ったり(『The King Of Broadway』と『Betraved』を秤にかけて後者をとったり…

勿論『Betraved』も大好きなナンバーやけど)、シーンの分割にも繋がるような過度のショウ・アップの多用をある部分では避けたり

(『Along Came Bialy』は元の舞台での1幕の締めのナンバーです)、そういう風に持っていったのかなあ…?

その割には『I Wanna Be A Producer』のリプライズは多用されてたから、マックスとレオたんとの役のバランスの補正の意味もあったんかも。

どっちにせよ、できればナンバーノーカットでお願いしたかったんだけどさあ…。そりゃこの調子で全部ナンバー入れたら、

確実に2時間30分は超えてそろそろトイレの気になりだす長尺映画への道を辿るのは確実でしょうが、

テンポの良さで一気に観せて聴かせて…って作品やから、そんな気にならんとも思うんやけどねえ。

ナンバー配分もバランス取れてるし、これ以上テンポアップさす意味などあったんかどうか…?


あ、役者について語ってなかった…。マックス役のネイサン・レインとレオたん役のマシュー・ブロデリックたん、

どっちも文句なしです。下手な言葉を尽くすよりもとにかく観てくれってカンジ。

ネイサンは『Betraved』のキレっぷりだけでももうお腹いっぱいになれるし、

マシューたんの地味にタップの上手いトコとか(『That Face』でステップの踏み方は…不問に処しましょ)、歌声の甘さなども良。

歌い崩し多めの変化球派のネイサンと歌い上げメインの直球派のマシューたんのコンビっちゅーカンジか。

勿論『Til Him』に例を引くまでもなく、ネイサンも歌い上げても相当に聴かせてくれるのは間違いないですが…。

ゲイリー・ビーチのロジャーとロジャー・バートのカルメンのコンビもええです。あのカマにありがちなオサレぶった隠喩を散りばめた会話やら、

キメ顔で女子の運動系の部活ノリの傷の舐めあいする様やら、わかってる人が演ってるカマのカリカチュアっぷりがアゲ。

ノンケさんでも女芸人の楽屋オチ系ネタが好きな人なら確実に笑いを持っていける所ですなあ。美味しい美味しい。

ただ1人、馬・サーマン嬢の演じるウーラ嬢…結構不満。なんか骨ばっててせくすぃーじゃないしぃー、

何より歌、どんだけボイトレしたってリズムの取り方がもっさりしてるし、ハスキー過ぎて役に合った声質とも思えん。

なしてオリキャスのキャディ・ハフマン嬢辺りを投入せんやったんかのう…?あっちの方がぜってー美人やし、

歌も比べ物にならん位上手いのにい…。やっぱネームバリュー?それとも二コールやったらもっと良かったん?


何はともあれ、一度は観ておいて損はない作品やと思いますです。ハイ。

アタイだってもっとゼゼコと時間に余裕がありゃ通うんやけど…あ、DVDは出たら絶対買います。

最後に一言…『ヒトラーの春』、あれじゃあフツーに出来のええミュージカルやんけ。最悪目指したんじゃないのんけ?

つーかSAのリード・テノールのあんちゃん、カッコえ過ぎなんじゃあ!萌えなんじゃあ(゜Д゜#)ゴルァ!!



I Wanna Be A…??????? : 映画『プロデューサーズ』(1)

2006年04月03日 23時02分22秒 | 音楽鑑賞のーと

職場の後輩の1人が退職するそうです。まだ入って半年も経ってないのに…。

なんか今年に入って遅刻が多くなったり、突然病気(?)で2日も3日も休んだりってのが続いたりしてたんですが…。

勤務態度の方も何だか著しく精彩を欠いていたようだし、休憩中とかの口数も思いっきり少なくなって。

後輩とはいっても自分よりも歳は6つか7つ位上の人だったんですけどね…

直接の原因は今回の雇用契約関係の変更がどうしても受け入れられなかった事だとなってますが、

ひょっとして鬱病やったんじゃないんかなあと、何となく振り返って考えてみるアタイ。

職場は一緒でもあんまり話する機会とかも無かったしねえ。こういう事って非常に難しい問題やし。

ただ、今回の事でまた身の回りが少し騒がしくなってるのも事実。当たり前のことかも知れませんが。

正直、ここの会社に未来が見出せんって言う意見も多く聞かれたりします。愚痴や与太話の類ですが。

でもそうは言っても、自分の身の回りの事を考えてみると…心配ですね。ガチで。

去年の上期の終わりをもって、ウチの職場、分社化されたんですよね。それでもって今までの殿様商売的雰囲気が、

どんどん職場の中から失せていっているようで…。よっぽど会社にとって必要な人間でないと、

今の職場では芽の出ない状態と言いますか。てゆーか芽が出るってゆーても果たしてどこまで出世できるものか…?

まあ出世がどうこう以前に(そんな言うほど興味もないし)、足場がこれだけ安定しないと、

安心して働けません。賃金的にも今はハッキリ言って質素な暮らしをしてるからそれなりに余裕はあるつもり

(でもこれも今度の変更事項によっちゃ…)だけど、将来ずっとこれで…なんて死んでもゴメンな状況ですし。

最悪の場合そんな事も充分に考えられるような、先の見えない状況なんですよねえ。今のアタイ。

やっぱり、ある程度今の状況をほり捨てる位の事を考えんといかんのかなあと、思ったりもします。


でも…何すんの?何ができんの?今のアータに。ここ辞めて…


そう問い詰められると何の答えも用意できない情けない自分もいます。大学時代の度を越した放蕩生活のせいで、

数え切れない位色んな物を失って、未だそれを取り戻す事も出来ず、半ば諦めの態のアタイ。

その事を後悔する気は毛頭無いけど、時々もしも10年前に、今よりもう少し道を誤ってなかったら…とかって、

厭な事を考えたりはします。そしてしばらくぶつくさ言っては溜息。やっぱり後悔してるね…(´A`)

そんな状況だから、当然やりたい事とかって考えても、ネガティブに諦めの気持ちが先立つばかり。

夢は叶えるもの…じゃなくて、とっくの昔に耽溺するためだけのものに成り下がってしまってる。

ただ、このままじゃいけないって気持ちだけは持っている。あと3ヶ月で戸籍の上では28歳になる身。

色んな意味で"身を立てる"為にはこれから30歳位までの間の人生設計が大きくものをいうとか、

そういう事をあっちゃこっちゃから吹き込まれます。身の回りに自分より1回り、2回り、3回り…年上の、

色んなタイプのうだつの上がらん人が跋扈している職場なんで、そういう人たちを見るにつれ、

ああはなりたくないと我が身を思う毎日。人のことは全然言えんのやけど…。

こうなったら、"やりたいこと"をあれこれ探す前に、先ずは"できそうなこと"をあれこれ模索して、

その為に自分を向上させていくのも一つの手かなと。お陰様で1年働いて、何とか食うだけは困らん位の環境は、

整うようにはなったし、大幅に切り崩したとはいえ貯金も少しは出来るようになってはいます。

RPGなんかと同じですわいなあ。オゼゼ貯めてレベル上げてスキル身に付けてシナリオを進めていく。

ただ自分の場合はどこまでもマイナスからのスタートで、漸くゼロ、本当のスタートラインにたどり着けたっつーだけの事。

そう思えば少しは気も楽になってくるってもんです。とりあえずはこのGWまでに、計画を練りませう。

何とかダイエットの方も順調にいっておりますし、今度こそ生まれ変わってやるわチキショーヽ(`Д´)ノ!!


…以上、今週末の映画版公開にあわせて予習の為に買った『プロデューサーズ』のオリキャス盤CDを聴きつつ、

頭の中に去来した事で御座います。ポジティブなんかネガティブなんかよーわーらんけど、こんなカンジ。

多分レオたんも、こんな気持ちで毎日過ごしとったんやろうなあ…それがちょっとしたキッカケで、

あの山師根性の塊のようなマックスに誘われるがままに、心の中にずっと秘めていた夢を呼び起こされて、

目が回るような波乱万丈の物語の末、"身を立てる"事に成功する訳で…。この作品全体を通せば、

どう考えてもマックス視点なんやろうけど、レオたんのおかしなおかしなシンデレラ・ストーリーという見方も、

勿論出来ないわけじゃない。映画版はそういったレオたん寄りの視点をより強調しているようなんで、

それを考えるとより映画版の公開が楽しみになって参ります。こーゆー考え方は邪道臭くてすげえ嫌なんやけど、

何だか元気を貰えそうで…いや、そーゆー毛色の作品やない臭い事は百も承知なんやけどさあ。

ああ…でもこうやって聴いてるだけでも、アタイ的にはかなりジャストフィットな作品やと思われますなあ。

耳に据わりがすげえええんですよ。ええ意味でオールドファッションな曲調のナンバーばっかで。

Overtureからして、古い時代のBWミュージカルの文法に忠実やし、『Opening Night』のいかにもな、

2拍子のリズムの刻み方。続きましての『The King Of Broadway』の、聴いた瞬間思わずおや?と思わされる、

何だかまるで元ネタの作品のマックス役のゼロ・モステルへのオマージュかすぃらん?ってカンジの、

『屋根の上のヴァイオリン弾き』風のメロディー(テヴィエはモステルの最大の当たり役ですのよ)。

他にもレヴュー・ナンバー調の『I Wanna Be A Producer』やら、一幕ラスの思いっきりショウ・アップされた

アンサンヴル・フィナーレの『Along Came Bialy』やら…中でも拘置所のシーンでマックスが歌う、

『Betrayed』の凄まじさときたひにゃ…恐らく通常だったら何人もの人間でコンチェルタート風に裁いていくだろう、

様々なモティーフのリプライズを、まるで何かへのあてつけみたいに(何とは申しませんが…)

物凄い早口で捲し立てていく様は聴いてるだけでも鬼気迫ります。ああ、こんな事がでける人がこの役を演じたから、

あれだけの賞賛を得るだけの舞台になったのねえ…と1人で納得。このテの超人が今のBWでも居るのねえ…。

21世紀にもなってこんだけオールド・ファッションなナンバーのミュージカルが、あれだけウケたっつーのも、

素晴らしい事やと思うんですよねえ。これも所謂"お上りさん効果"のお陰なんれしょーか?

でもそれを差し引いてもこれってやっぱり、まだまだ自分みたいな耳の古い人間でもBWの新作に、

全面的に期待が持てるって事の一種の証明なのかも知れませんし。BWのリアルなムードなんて、

知る由も無い境遇のアタイなんで、完全に憶測で書いておりますが…フォローおながいします。誰とは言わんけど。



安上がりな便乗商法はいけません。 : 映画『Till The Clouds Roll By』

2006年04月01日 19時15分38秒 | 映画鑑賞のーと

棚卸しとか雇用契約関係の事とかで忙殺されとる間に、いつの間にか一週間経ってたんすね…_| ̄|○

その間ずっとブログ放置プレイ状態で、ご覧の皆様相済みませんです。

つーかネット自体繋ぐ気力と時間が殆ど無かったしなあ…ちみっと気分転換にゲームやる位で。

それもピンボールとかフリーセルとか、そーゆー単純なヤツに限り。時間かかる事はでけんし。

転居もせなヲモて色々あたってみたんやけど、結局家賃よりも利便性を選んで動かずにいるだろうなあ。

あれだけひっこーし!って騒いでみても、物には歴然とした"相場"っちゅーもんがあるわけやしなあ。

それに家電類も案外安い値段で手に入りそうやし、動かんでもえっかって結論が導き出されそう。

所詮、そんなもんです。

散財はそれなりにしてますが、それも2万円台で小さく纏まる予定。後一週間で公開の『プロデューサーズ』の予習の為、

オリキャス盤(対訳付いてるそうなんで結局こっちにしましたー)を買い、ヅカのサイトからリンク辿って、

何故かウィーン版の『エリザ』のDVDが売りに出てたんでソッコー申し込み、今結構ワクテカもんです。

…ってこんなんの手続きしたんももう4日も5日も前の話なんよなあ…(´・ω・`)ショボーン


んで今、『Till The Clouds Roll By』を観てました。邦題は色々あるんでどれが正しいのかワケワカメなんで省略。

言わずと知れたアメリカン・クラシックポップの4大巨匠の1人(ワスが勝手に決めたのですが…)にして、

BWミュージカルを音楽的に大成させた人物である、ジェローム・カーンの伝記ミュージカルです。

カーンの成功譚を軸に、編曲家ジム・へスラーとその娘サリーとの友情をメインプロットとして、

話は進んでいくわけですが…なんっつーかなあ…えらいガチャついた造りなんですよねえ。

主役のジェリーとジムが歌わない役だからでしょうか、『巨星ジーグフェルド』と同じくドラマと楽曲が乖離してる。

MGMの作るこのテの作品で、ドラマと楽曲が密接に結びついたものを探せというのがムリな話かもですが、

それならそれでもっとショー・シークエンスの造りをキッチリ豪華にしてホスィかったなあと思うのですが…

この作品自体がカーンの追悼作(製作年の前年死去)という意味合いのあるもののせいもあってか、

これがまたとにかく沢山カーンの曲を詰め込みたかったんでしょうねえ、確かに色々盛り沢山に、

カーンの名作は耳目にできるのですが、そのとばっちりを受けてショー・シークエンスの出来のムラが激しく、

えらい扱いの軽いシークエンスや楽曲が散見されるんですよねえ。例えば『ロバータ』の『煙が目にしみる』。

『オール・マン・リヴァー』にも匹敵するカーンの代表曲なのに、ワンコーラスすら歌わない、

踊りはあるもののダイジェスト臭い。しかも踊ってるのはガワー様とチャリシー姐さん!

当時まだ互いに売り出し中やから仕方が無いにしても何やあの扱いは!どこの予告編かヲモタわヽ(`Д´)ノ!!

あー勿体無い勿体無い。アタイが監督ならあそこもっとフィーチャーして、5,6分位の纏まったナンバーにするがな。

流石にジューン・アリスンたんの『Cleopatterer』とか、ジュディたんの『Who?』なんかは、

キチンといかにもなMGMらしいレヴュー的シークエンスとして完成された、ええ出来のもんやったんすが…。

前者ではジューンたんの独特のアヒル声が堪能できます。しっかしあの純粋培養的ベビーフェイスキャラで、

あのフガフガのアヒル声…あれでキャラが成り立ってるのが冷静に考えると不思議なのですが、

妙に合ってるんですよねえ。しっかしこのシークエンス、男のワンサが全体的にキモい…顔も踊りもコスも(´A`)

後者は最早余裕綽々の態のジュディたんです。この当時MGM側の戦略として、結婚出産を機に仕事のセーブと並行して、

こうしたオールキャスト映画でのワンポイントリリーフ的な役どころで"脱ドロシー"、即ち子役からの脱皮を図ろうと、

あれこれ悪戦苦闘していたみたいなのですが…個人的には『若草の頃』でそれは既に問題なく完遂されていたと考えてたので、

そこまでMGM側がイメージ戦略に慎重になる理由がよく判らなかったのですが…もっとよ~~く休養をとらせて、

『ハーヴェイ・ガールズ』や『イースター・パレード』のような彼女にあった作品を厳選(『踊る海賊』とかを避けてさあ)して、

量よりも質を充実させた仕事をさせてあげるべきじゃなかったんかなあと思うんですがねえ。

あとロンドンでの修行時代のショーシーンで、あのアンジェラ・ランズベリーおばがブランコに乗って『How'd You Like To Spoon With Me?』などを、

セクシーに歌ってらしたのには少々ビクーリ致しました。案外猫撫で系のお声で、後年のロヴェットやらジェシカおばやらの面影は…

これがまた無いわけじゃないのが面白いですねえ。舌っ足らず加減とか、ジミに想像の余地はあります。

…あんまり想像したくはないんですけどねえ…。


と、この様にカーンの作品の再現といった形でショーシーンがドラマと並行して繰り広げられるのですが、

一番大きいのは最初の『ショウ・ボート』のダイジェストでしょう。15分以上に渡り、主要な6曲が、

当時の実際の上演に即した形で採り上げられてます。中でも白眉は何と言ってもリナ・ホーン姐さんがジュリーに扮して歌う、

『Can't Help Lovin' Dat Man』でしょうな!あの物憂げな雰囲気を背負った深い呼吸での歌唱のドラマティックさ!

目の配り方がまたアンニュイでセクシーだし。歌い上げる部分で独特の強そうな見得切りはあるけど、

それを差し引いてもまるで実際の舞台から切り取ったかのようにそこだけ場の説得力が段違いなんですよ。

恐らくMGM側もまだ、この頃はいずれ『ショウ・ボート』をウチで映画化するとしたら、ジュリーは彼女にと、

青写真を描いてたんだろうなあ(ここでのマグノリア役に早々とグレイスンを起用してるように)…。

それがなしてお流れになったのか…責任者出て来いや(゜Д゜#)ゴルァ!!

でもこうしてこの場面観ておりますと、幾ら『ショウ・ボート』が、BWのエポックメイキング的作品、

これまでのオペレッタ的なミュージカルの流れを断ち切った作品であるとあちこちで語られてはいても、

どうもまだまだ…と思わせられる所が多いですねえ。場面転換は少ない(と言うよりも無い?)し、

群舞も類型的で動きが少なく、衣裳の豪華さで誤魔化している部分が多く、ミュージカルと言うよりはレヴュー、

もっと言うと歌謡ショーの如き風情のシンプル過ぎる位シンプルな場の構成になっております。

やから却って現代においても再演とかが容易なんかなあとも考えてみたり。だってこれだけベースがシンプルやと、

幾らでもいじれるやん。基本的なシナリオやプロット、そして楽曲さえ活きてたら何しても良さげじゃね?…不遜かなあ?


フィナーレは、"カーン、ハリウッドに進出"と銘打って(?)、巨大なセットの中でのスターのメドレーとなっております。

思いっきり今までのドラマの流れをうっちゃって、唐突にこのシーンが挟まるので何だか(゜Д゜)ハア?ってカンジです。

シナリオ、オチてねえし。それとも何か?今まで学校辞めて女優になるとか言ってカーンを困らせたり、

突然行方不明になってメンフィスの場末のクラブで歌手やったりしてた親不孝者のサリー(ルシル・ブレマーだったり。

恐らく製作フリードやし、レコとしてのナニがものをゆーたんか?まあメンフィスのクラブのシーンで、

ヴァン・ジョンソンと『I Won't Dance』を洒落っ気たっぷりに歌って踊ってみせてるんで文句は無いけど)が、

漸く新進スターとして自分の力でカーンと同じ舞台に立ててよかったねおめでとう…ってのがオチなん?

思いっきりドラマの終結部分がショーの中に埋没してるんですけど…こんなんでええのんか?ホントに?

んでそのフィナーレ自身もなあ…まず折角ええカンジにデカいセット組んでやっとんのに、カメラワークが悪いせいか

(最後に思いっきりひいて全景映して観客を圧倒…ってゆー常套手段は踏んでるけど)、あんまり大きさ・豪華さが感じられんのと、

トリのシナトラ兄やんがなあ…選曲が悪い。あの若さと歌のスタイルで『オール・マン・リヴァー』はねえべさ。

黒人以外歌っちゃダメーとまでは言わんけど、楽曲に比べて声が軽いんで(必死にアレンジで誤魔化そうとはしてたようやけど)、

どこまでも歌が上っすべりになってるのがイタい。『マイ・ウェイ』とか歌ってる頃とかならまだ、

幾らでも間の持つ歌になったんだろうけどねえ。背伸びしてもまだ足りないって感じですなあ。

ここで『煙が目にしみる』登板させときゃ、エレガントなムードで過不足無く幕…ってカンジで良かったかも。


全体的に作りの粗とやっつけ仕事感が思いっきり目に付く作品でした。金返せとまでは言わんけど…

所詮一枚500円の廉価版DVDだしい…。



「(この騒音は)ケンカの音で、私のわがままの音ではない。私の泣き声、悲鳴。」 : オペラ『愛の妙薬』

2006年03月25日 14時54分32秒 | 音楽鑑賞のーと

非常に困った事になりました…。

4月20日を以て会社内でのアタイの身分が変わり(別に出世したとかそーゆー事やなく)、

色々と身辺に大きな変化がこれから起こる事になりそうです。待遇面とか福利厚生の面とか…

なり"そうです"っつーのは、要するに"身分が変わる"って事だけの簡単な説明が会社側からあり、

具体的なことが殆ど決まってないからなんですよねえ。これから社員1人1人と面談を行って、

そういった事を摺り合わせていくやうですが…お願いします早くしてくだちゃい。

ただ、ハッキリ判ってるのは…今住んでる所のこと。

今住んでる所は身分が変わる前の会社からの紹介で入居してる訳で、これが一旦、解約となるそうです。

そうなるとどうなるか…継続して住むなら、もう一度敷金・礼金を払い直して、てめえの契約で更新せなならない。

一応住宅補助は継続されるそうなんですが、それでも今住んでるところの場合、敷金2・礼金1と、

あと一か月分の家賃が前払いで必要なんで、合計16万円を自腹で払わんといかんのやそうです。

あのボロアパートにそんなに高い金が払えるか(゜Д゜#)ゴルァ!!

…そんなら…



   ∩ _ _   ≡=-
   ミ(゜∀゜ ) ≡=-ひっこーしー ひっこーしー
    ミ⊃ ⊃    ≡=-
     (⌒ __)っ   ≡=-
     し'´≡=-
  -=≡    _ _ ∩
 -=≡   ( ゜∀゜)彡  さっさーと ひっこーしー
-=≡   ⊂  ⊂彡
 -=≡   ( ⌒)
  -=≡  c し'



…ええ、しますともさ。このGWに。仕方がないから。

まあ同じ市内での移動、せいぜい隣の市に引っ越す位の事じゃああるんすけどね。勤め先は同じやし。

オマケに家電の一部がリースで会社持ちやったから、そーゆーのも全部自腹で買いなおさんとあかんし…。

ああ…オゼゼ幾らあったら足りるんやろ…(´A`)ウツダ

折角このGWは大阪行こうとヲモタんに、どうやら金銭面と時間面、両方の意味でムリになりそうです。

これから手続きとか物件探りとかで更に更新頻度が落ちそうやし…唯でさえ最近更新でけてねえのに…(´・ω・`)

とりあえずこの次の通院日に定期解約してえ…あ~あ…。

こうなったらもう、ちょっと浪費しちゃおっかなあ…。どーせ1,2マソ位ならたかが知れてるし…。


なんか悲しくなってきたので、ほっこりする音楽を聴きたくなってきました。

選んだのは『愛の妙薬』。ドニゼッティの傑作ブッファであると同時に、18世紀前半のペルゴレージ作『奥様女中』以降、

100年にわたって続いたオペラ・ブッファの名作群の一番最後に名を連ねるべき作品であります。

舞台は曲の制作年代と同時代のスペイン・バスクの小さな村。ちょっとオツムのゆるい村の農夫ネモリーノは、

頭が良くてキレイな地主の娘アディーナが好きだけど言い出せない。村に駐屯してきた兵団の軍曹ベルコーレの、

傍若無人なアディーナへの求婚にも、指をくわえて見ているのみ。何とかしなきゃと縋ったのが、

同じ頃村にやってきたインチキ薬売りのドゥルカマーラ。ネモリーノはアディーナが読んでいた、

『トリスタンとイゾルデ』の話にヒントを得て、高い金を出して彼に惚れ薬(と偽った単なる安ワイン)

を売って貰います。そして自信満々にそれをアディーナの前でグイグイやるものの、アディーナから見たら、

当然単に自分をほっといてええ心持ちになってるようにしか見えない。ついに業を煮やして、

ベルコーレとの結婚を宣言するアディーナ。惚れ薬の効き目がまだ現われてないと思ったネモリーノは、

量を足そうとドゥルカマーラに頼むものの、ブツは高価で金は無く、さてどうするか…続きは聴いてのお楽しみ。


…って勿体ぶらんでもあらすじはネット上にゴロゴロしてるんすけどね…。


さて、モーツァルトやロッシーニの時代をある種頂点にして盛り上がりを見せてきたこのブッファというジャンルが、

何故廃れてきたかというのには色々と理由があるのですが、文化的潮流としての"ロマン主義"の台頭が、

最も大きな理由の一を占めるのだろうと思われます。フランス革命の全ヨーロッパ的波及をを一つのバックボーンとして、

このブッファというジャンルを定着させてきた"人間性の自由"というものと、それを喧伝するための、

才気走ったアイロニーやカリカチュア…これらのものはしかし、ナポレオンの失脚と新たにしかれた『会議は踊る』…

ウィーン体制による王政復古の波により瞬く間に消えうせ、ハイ・ウエストで古典的な軽みのあるエンパイア・スタイルのドレスが、

鳥籠のような形状にスカートを膨らませ、腰を思いっきり締め付けるクリノリン・スタイルのドレスに取って代わるのと同じくして、

文学や音楽の潮流も、情熱・感動・陶酔のロマン派一色に塗り替えられていく事になります。

最早コロラトゥーラは才長けた女中や箱入り娘が自分の赤裸々な気持ちを早口で表現するための物ではなく、

理不尽な運命に翻弄される姫君が悲劇の余りに発狂する、その叫喚の様を表す為の手段となり、

同時にテノールという音域が、情熱的な英雄・王子様として、これまで以上にクローズアップされ、

陶酔的なアリアをもってそれら姫君の心を愛の名のもとに陥落させるようになるのです。

このような潮流の中ではブッファの出る幕などなくなるのは時間の問題。そしてそういったものの只中に産まれたこの作品は、

この矛盾する2つのキーワード、"ロマン派"と"ブッファ"という要素を併せ持つ、ウルトラC的な奇跡の作品だったりもするのです。

その為主役2人、ネモリーノとアディーナに要求される声の要素は多岐に渡り、最早ブッファの類型の枠を逸脱しております。

ネモリーノにはロマン派テノールのスタイルとしての端正さと情熱性、役のイメージとしてのナイーヴさ、

そしてブッファのテノールとしての明るいイタリアチックな声の力を高水準で兼ね備える事を必要とされ、

対するアディーナもスーブレット(コロラトゥーラの技巧を必要とする軽い女中役)の硬質な才気と、

ロマン派的かつ女性的なリリカルさ、まろやかな響きを同時に追い求めないといけなくなるのです。

更に与えられるアリアもブッファをベースにロマン派志向の物が入り混じります。特に有名な2幕の『人知れぬ涙』は、

どことなく哀切で幻想的なメロディーの、これまでのブッファでは明らかに見られなかった曲です。

どことなくベッリーニの『夢遊病の女』などにも繋がるような、農村を舞台にした牧歌劇仕立てのシナリオも、

18世紀的な都市生活や、宮廷・貴族社会を主に舞台にしてきたこれまでのブッファとは一線を画すもので、

ここにはさらに"アルカディアの希求"といった、別のロマン派ならではのキーワードが出てきます。

もうここまで来ると、一概にブッファと言い切れなくなる位、定型の破壊は進んでしまっていますが、

だからかなあ、フツーのブッファよりもこっちの方が数段耳に馴染みやすく、面白いと感じてしまうんですよねえ。

特にネモリーノが大好きで、実はオペラのテノールのロールの中で一番萌えるんですこの子が!!!

あーゆーオツムゆるゆるで純粋そうなヘタレ君って、かわえくないっすか?

自ジャンルのカプの攻の子が調度こーゆー性格で…ってそれはさておき…でも(;´Д`)ハアハア

他の萌えキャラ、トリスタンやシェニエも確かにステキなんやけど、こーゆーカンジの萌えとはまた違うんよなあ…。


今聴いてるのはNAXOSから出てるアントニチェッリ指揮の49年メトライヴです。手元のディスコグラフィーでは、

この作品の一番古い全曲録音となっております(こればっかりやアタイのCD棚。所詮ヒスヲタ)。

が、ここでのタリアヴィーニのネモリーノとバッカローニのドゥルカマーラが素晴らしい!

前者の、前述の3つの要素を完璧に満たした、ネモリーノそのものといった風情の歌い口、

後者のやりたい放題自由自在の語り歌いの巧みさ・快活さは空前絶後クラスです。

やや類型的に過ぎ、古色蒼然と言った感の否めない所が物足りないサヤンのアディーナや、

歌いまわしの鈍重さが鼻につき、伊達男の端麗さが歌から現われてこないヴァルデンゴのベルコーレと、

失点はあるのですが、それを補って余りある前者2人の大活躍!言う事ないです。これだけで。


…さて、一段落付いたしお掃除でもしよ…。



『ベルばら』に関することども(ごちり風味)(2) : 宝塚『ベルサイユのばら』(2)

2006年03月22日 22時04分12秒 | 観劇のーと

明菜様、7年ぶりに連ドラ復帰なんですってね。久々に点けたテレビで番宣やってて今頃になって知ったよ。

『プリマダム』!?…う~む…バレエねえ…主役がモストおばで明菜様はトメですかい…。

なんか色んな意味で舞台裏が気になりますが…怖いもの見たさで見たいかも。

いやー、偶にはテレビも見んといかんね。今年に入って急に見る気せんくなって、

点けない日の方が多くなってたもんでねえ…。


あ、そうそう前回の続き。テレビの画面は雪初演版です。ジュンコ(汀夏子)さんのオスカル、ガサツやけどこれはこれで良し。

場面が進むに連れて加速度的に女っぽくなっていくなあ。同年のオトミ(安奈淳)さんのあくまでクールなオスカルとは、

またちみっと違った味わいがありますです。どっちが良いとか悪いとかじゃなくてねえ…そりゃあ勿論。

そーいえば『ベルばら』…初めて観たのはまだ小4の頃、腎炎で入院してその病床で暇つぶしにつけたテレビで、

丁度一番最初の月の初演をやってたんですよねえ。ヅカ自体それが初体験で…ハマって…

それから中学入るまでの間に、平成最初の再演まで一周ぐるりと観て…すっかりヅカファンになりましたしねえ。

それから高校入って漸く原作を通しで読む機会に恵まれて、これまたもうサルのように読みふけりましたし。

ヅカの方が先で原作が後やったんよねえ。文庫版が出るまで手に入らんかったから。田舎やったし。


少数派かも知れませんが、アタイはオスカル・アンドレカプより、フェルゼン・アントワネットカプの方が、

断然思い入れが強いんですよ。図式がねえ…どうしても『トリスタン』とか、そういった私的ツボ作品と、

重なるものがあるんですよねえ。どちらも確かに"許されざる愛"なんやろーけど、負の感覚と背徳感、

そして何よりその愛の"出口の無さ"がより際立ってますからねえ。実在の人物であるっつーリアル感も、

それに一味加えてますし。特に好きなエピソードとして、ヴァレンヌ逃亡を前後して交わされる指輪の話があるんですが…

一度ヅカのヤツでもそれやってホスィんやけどねえ…。ラストもただ単にフェルゼンの消息だけなのですが、

何となくその描かれ方にも、"死によって結ばれた愛"のにほひを感じ取ってみるアタイ。

アントワネットの死後10数年もの間、憎悪と死の希求の中で地獄の日々を過ごしていたのだなあと妄想など…。

メロドラマ的っちゃあメロドラマ的なんやけど…結局こーゆーノリが好きなのよねえ。

それにどうもなあ…オスカル、今原作紐解いて読んでみると、確かに魅力的やけど、

どうにも言動や考え方が青臭くて困るのですよう。感情移入がしにくくてやれませぬ。

あと革命の描き方にしても然り。そこに至るまでのパワーゲームのような物まで見えてこないのがチョト。

まあ最もこれらの事については、少女マンガで出来る事と出来ない事、その限界っつーのが、

どこまでも付きまとっていたから仕方が無いってのが一番の理由なんでしょうねえ。

あと細かい事なんですが、衣裳や調度の描かれ方のチャチさも、今になってみれば気になります。

一度外伝(『黒衣の伯爵夫人』じゃない方)の絵面で本編書き直してホスィなあと思うアタイ…。


余談ですがそんなこんなもあって、理代子センセの作品だったら『ベルばら』よりも実は『オルフェウスの窓』の方が、

より好きだったりします。前半のレーゲンスブルクの音楽学校やウィーンが舞台の頃の話は、

フツーに面白いだけってカンジなんですけど…舞台がロシアに移ってからはもう話の厚みとダイナミックさが、

段違いに増していって…。理代子センセもきっと、『ベルばら』では描ききる事の出来なかった

(掲載誌的に限界があった)革命というものについての考え方や捉え方を、漸くこの作品の中において、

過不足なく描きあげる事ができたんじゃないかなあと思う訳です。また特にこの作品では、

群像劇という形で革命という物を描きあげる形になっているのですが、ユリウスやクラウスだけやなくて、

出てくるキャラ出てくるキャラみんな個性的で一クセあって、それだけに舞台立てのリアルさがより強く感じられるわけです。

またユリウスがねえ…かわええんよお…(;´Д`)ハアハア…同じ男装の麗人でもアタイはオスカルよりもユリウス派。

純粋まっすぐな完璧超人のオスカル様も前述の通りそれはそれでステキなんやけどねえ、

どうしてもユリウスの小犬のようなナイーヴさにひたすら弱いのです。男装に込められた不吉な影の部分もアゲ。

カプはクラウスとよりも、レオニード(妹のヴェーラ様共々、この2人がロシア編の陰の主役と言えましょうなあ)との方がより萌え。

女性の読者、特に直撃世代の方なんかだとユリウスっつーのは思いっきり人気がなかったりもするんですが…


…横道に走りすぎました…_| ̄|○


だからどうしても、ヅカの『ベルばら』においても、『オスカル・アンドレ編』系の作品よりも、

『フェルゼン・アントワネット編』系の作品の方が好きなんですよねえ。特に平成最初の再演の月や、

今回の雪での上演のようなフェルゼン・アントワネットカプの出ない『ベルばら』、、正直やめてホスィ。

だってシナリオや舞台立てが地味だし、"民衆編"っつーアダ名の通り、トーンが泥臭く、暗い。華が無い。

王家を中心とした支配者側と、衛兵隊の面々を中心とした被支配者側にそれぞれスポットを当てて、

初めて『ベルばら』って成り立つんだし、クローズアップの分量を小さくするならともかく、全く採り上げないというのは…

幾ら"始めにエピソードの取捨選択ありき、全編さらいたきゃ他Ver.も観てちょ"な、

ビギナー狙いの(劇団フロント的)キラーコンテンツの割には余りにも非オーディエンスフレンドリーな本作でも、

いささか乱暴過ぎなようなカンジがせんでもないです。第一さあ、今のヅカの観客が求めてるヒロイン像って、

どう考えてもオスカルよりもアントワネットの方やと思うんやけどねえ。女としての苦悩と死という部分で、

よりメンタル的にオスカルのそれよりも共感でけると思うんやけど。ハプスブルク王家の血と身分、

それによって与えられたバックボーンを除けば、どこまでも等身大の平凡な女性だった人。

それが革命という運命の渦に飲み込まれて、苦悩の中で変容し成長し、処刑という形で、

王妃としての責務を全うする、その姿。『エリザ』を経た今のヅカの観客には、こっちの方がよりしっくりくるのでは?

東宝だってそーゆー観客ニーズの延長線上でこんなん舞台にかけるんやろし。まあこんなんってゆっても、

個人的にはちみっとは期待してるんですけどねえ…ただこれ、ちょっとアントワネットの革命の中での位置づけが、

どうも自分の思い浮かべてるものとは違うような気が致します。できれば、マクロ的な視点の中での、

スケープゴートとして打ち立てられるアントワネットというものを始めに強く提示した上で、

等身大の女性としての彼女を精緻に描写して頂きたいのですがねえ…( ´_ゝ`)

いっその事、ヅカの『ベルばら』も、フェルゼンとアントワネットのしでやってみたらとも思うのですが…

オスカル・アンドレカプがいてこその『ベルばら』やしねえ。つーか『ベルばら』やなくてももうええんかなあ?

思い切ってツヴァイクの小説から親引きして一本立ての大作を新たに作ってみたら?イケコ演出で。


…それってもう『ベルばら』には期待せんっちゅー事かね?