ゆれる

「ゆれる」

 監督・脚本:西川美和
 出演:オダギリジョー、香川照之、伊武雅刀、蟹江敬三、新井浩文、真木よう子
 2006年 日本

 表現というのは、何もかもを描こうとしないことも大切なのだなと思った。

 昨年、上映を心待ちにしていながら見に行けず、上映が終了してしまった。好評だったようで、ありがたいことに年末から年始にかけて再び上映されていたので、映画館で見ることができた。
 タイトルのように、心ゆらされる映画だった。揺すぶられるのとは違う、ゆらされる作品だった。
 いい映画だった。

 兄弟、それぞれが持つ想いが痛いほどわかるような気がする。私自身、あるいは多くの人が持っている想いは、兄の部分弟の部分、それぞれ持ち合わせているだろう。だから、見ている側もゆれる。
 私は女で、兄にも弟にもなれない。もちろん、姉妹であれば全然異なる作品になっただろう。私は分かっていないのかもしれない。

 自分の中の確信すらなんだか信じられなくなるような、信じてみたくなるような。複雑な気持ちになった。

 この映画、2度目を見ると、全然違う作品に映るかもしれない。
 だけど、最後の猛(オダギリジョー)が思い起こしたシーンは本当なのか、7年経って記憶が創り出したものなのか。
 疑って信じないというのと、信じて疑わないというのはもしかして同じなのかな。
 信じている、疑っているで、見えている世界も変わってしまうし、自分の中の世界(記憶)も変わってしまうのかもしれない。そもそもなぜ信じるのか、なぜ疑うのか、そこからすでに真実は誤差を生じる。真実というのは本当にひとつなのだろうか。


 私には兄がいる。同じ血が流れているのを感じるけれど、性格も性質も正反対だ。決して仲良しの兄妹ではない。中学を卒業してから、彼と会った場所は、家の中か墓参り、親戚の冠婚葬祭場くらいかもしれない。近づけないのだ。子どもの頃も、遊びの中には入れてもらえなかったし、近くに寄るのをあきらめていた。だけど、私は知っている。私は兄のことが好きなのだ。そして、兄の中に私はいないと。
 弟の猛は、結局兄からなにもかも奪って...という、けっこう嫌な奴なのかもしれないが、私には、彼が兄のことが好きで、兄の持つまじめでやさしい性質に添えない自分から逃げていたのではないかと思えていとおしくなった。
 これは、私の心のゆがみがそう思わせるだけで、兄は兄であるだけなのだろう。兄には兄のなにかがあるのだろうけど。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 死体置場(モ... 空飛ぶ寄生虫 »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。
 
この記事のトラックバック Ping-URL
 
 
・送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。