持続可能な国づくりを考える会

経済・福祉・環境の相互促進関係を!

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当会の理念(試案)全文です。
「協力社会で8つの安心!」――民主的で自由な協力社会を謳うこの理念は、まっすぐ前を見すえバランスをとりつつ進むための目標として、ひじょうに有効かつ妥当だろうと私たちは考えています。 ぜひご一読ください。

本の紹介:『原発と権力―戦後から辿る支配者の系譜』

2012年02月20日 | 原発の持続不可能性
 運営委員長の岡野です。

 去年の原発事故以降、泥縄式に原発・放射能関係の文献を相当多数読んできた中で、なぜ日本が原発を推進してきたのかについては、吉岡斉『原子力の社会史:その日本的展開』(朝日選書、1999年)でほぼ流れがつかめたと思っていました。

 しかし、3・11からちょうど1年目の学習会に向けて、念のためにと思い、まだ読んでいなかった、山岡淳一郎『原発と権力−−戦後からたどる支配者の系譜』(ちくま新書、2011年9月刊)を読みました。

 読んでみると、『原子力の社会史』には十分書かれてなかった、「日本崩壊の黒幕!」(帯のコピー)の部分もみごとに暴かれていて、改めて事の深刻さに頭を抱える思いでした。

 著者はノンフィクション作家だとのことですが、戦後史の裏と表に関するしっかりとした資料の裏付けを持って書いていることが感じられ――個々の細部の事実については判断する力が筆者にはありませんが――全体の流れの把握に関しては信頼できると思いました。

 原発はここまで深く権力と結びついているのであり、したがってもし本当に原発を止めたいのなら、政治・権力の問題を避けて通ることができない、という当たり前のことを強く再認識させられる、本当に原発を止めたい人必読の文献であると思われました。


 以下は、カバーそでの広告文と「はじめに」の一部です(行空けは筆者)。


 原子力発電、それは戦後日本にとっては最高の電力システムだった。

 再軍備ともつながるその魅力に多くの政治家は飛びついた。

 いち早く原子力予算を成立させ、日本を原発大国にした中曽根康弘。

 CIAと結びつき、総理の座を狙うために原子力を利用した正力松太郎。

 ウランを外交戦略の要に据え、東奔西走した田中角栄。

 権力者は原子の力をわがものにし、こんにちの日本を形作った。

 戦後から連綿と続く忘れさられた歴史をいま解き明かす。(カバーそでの広告文)


 放射能に生活を破壊された福島県へ足を運ぶたびに、なぜ、制御不能の原子力発電を日本は「国策」として進めてきたのか、と幾度も自問した。避難所を訪ね、家を奪われた人びとの悲憤を受け止めるにつれて、疑問はますます大きくなった。……

「低コスト」「高い安全性」「温暖化防止」という理由づけの曖昧さは、多くの識者が指摘している。東日本大震災で安全神話は打ち砕かれ、危機管理の脆弱さだけがさらけ出された。『原子力村』の安全神話の人たちが警鐘を鳴らす人を背徳者のように敵視し、排除してきた結果である。原発推進の核心は、おためごかしの理屈のなかにはない。

「原発のための原発」が作られてきたのだ。自己目的化こそが核心であろう。その原動力は、政界、官界、財界の「鉄のトライアングル」に学会、メディアを加えた五角形の「ペンタゴン」体制、それ自身だった。組織は組織の存続と成長を自らの目的とする。そのために右肩上がりで一直線の「原子力利用五ヵ年計画」を立て続け、目標に向かって突き進んだ。国家による計画経済の図式である。合理性や経済性の追求は、ペンタゴンの装飾に使われたにすぎない。

現代の科学技術は、真理の探究というナイーブな段階を終え、巨大な産業と結びついて自己増殖していく。科学技術も資本主義の枠内で生き長らえる。政・官・財・学・報のペンタゴンは、そこに同調して利権を膨らませたともいえるだろう。

 では、さらに問おう。誰が、巨大なペンタゴン体制のレールを敷き、自己増殖の種をまいたのか。原発建造が壁にぶち当たると、どうして技術的にも経済的にも見通しの立たない「核燃料サイクル」に組織の延命が託されたのか。なぜ、無理を承知でプルサーマルを進めようとするのか。いま、この瞬間もたまりつづける使用済み核燃料の処理について、どうして議論が止められてしまうのか……。と、キャベツの皮をむくようにひとつ、ひとつの疑問を剥がしていくと、最後には堅くてザラザラしたものにいきつく。

 それは権力という岩盤の欠片だ。権力は原子力を好むのである。
 原子力利用と核兵器開発は、連結双生児のようにつながっている。……発電のための「ウラン濃縮」や「使用済み核燃料の再処理」によるプルトニウム抽出は、核オプションに連なる。だから権力は原子力に長い手を伸ばそうとする。

 この冷厳な事実を踏まえておかなければ、日本の原子力発電が何処から来て、どのように自己増殖し、何処へ向かおうとしているのかは、見えてこない。

 原子力は権力によって動かされる。日本政府が原子力発電に着手したのは、冷戦が、東西両陣営が核武装に狂奔している最中だった。……(「はじめに」より、1行空けは筆者)


 「この冷厳な事実を踏まえておかなければ、日本の原子力発電が何処から来て、どのように自己増殖し、何処へ向かおうとしているのかは、見えてこない」だけでなく、どうしたら原発を止められるかも、見えてこないと思われます。

 ひとりひとりの市民の手には余る、あまりにも重い冷厳な事実ですが、ひとりではできないことでもみんな=市民多数の意思によって実現できるはずなのが「民主主義社会」であり、日本は少なくとも建前的・憲法的にはまぎれもなく「民主主義社会」であるはずです。

 民主主義社会の市民のひとりとして、みなさんと一緒にどうすればいいか考えつづけていきたいと思っています。

 どうぞ学習会にお出かけ下さい。




原発と権力: 戦後から辿る支配者の系譜 (ちくま新書)
山岡 淳一郎
筑摩書房



新版 原子力の社会史 その日本的展開 (朝日選書)
吉岡 斉
朝日新聞出版


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スウェーデン特命全権大使渡邉芳樹さんの講演を聴いて

2012年01月14日 | スウェーデン
運営委員の森中定治です.

岡野先生,皆様,お元気ですか.
本年もどうぞよろしくお願いいたします.

先般 スウェーデン社会研究所が催したスウェーデン特命全権大使渡邉芳樹さんの,「強靭なスウェーデンの国家と社会」という講演をお聴きしました.
渡邉芳樹さんがスウェーデンで,最近のスウェーデンはいかがですかといろいろな人から聞かれて,これらの人は何を望んでこの質問をするのかと考えてきたが,それが自分なりに分かったということでした.一つは,社会民主党に代わって2006年から政権を取った穏健党によってなにかしら社会が変わったことが感じられるかという点,もう一つは,国を挙げてスウェーデン料理を世界に売り出しているが,それについてであるということでした(私の印象ですので,間違いがあるかもしれません).
穏健党は,保守自由主義の政党であり福祉政策は社会民主党の政策を踏襲しているものの,自由を重んじる政党,つまり具体的には種々の規制をなるべく緩和することで社会をより活性化しようという政党です.
お話の最後で,現代スウェーデンの深刻な社会問題の一つを述べられました.具体的で分かり易い事例でした.それは,スウェーデン国家の最も重要な事業の一つである介護事業に民間の団体が入ってきて,税金を払わないという問題です.どういうことかというと,国際金融資本から高利の融資を受けて,その融資で事業を行うのです.どれほど大きな利益を出しても.その利益と融資の金利支払い分を同じにする訳です.そうすると,財務上利益はないので,利益にかかる税金を払わなくて済みます.赤字なら税金は払えませんよね.いくら儲けても,それを融資の金利と相殺すればよいのです.こうしてスウェーデン国内からお金を吸い上げ,国際金融資本のものとなって,富が海外に出て行きます.金融でお金を儲けるということはこういうことなのですね.
これを防ぐのは,どうすれば良いでしょうか.
私に言わせれば,基本は単純,簡単です.高い金利を認めなければ良いのです.日本でも,サラ金の最高金利を低くして,国会で議論を呼んでいますね.穏健党では,自由(勝手)を尊ぶ,すなわち金利を規制するという政策が難しいのでしょう.このお話を聴いて,いずれ社会民主党に戻ると思いました.
次回は1月17日(火),「スウェーデンは原発なしでやっていける」です.これも参加の予定です.楽しみです.







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オーッ 聖夜

2011年12月22日 | 文化
運営委員の森中定治です.

たまたま青土社のHPを見たら,新刊として岡野先生の「コスモロジーの心理学」が掲載されていました.最近出版されたのですね.おめでとうございます.目次を拝見しますと生物学に関係するところが多くて面白そうですね.読み応えはありそうですが.
私も初めて一般書の原稿をまとめたのですが,なかなか出版社が決まらず苦労しています.今年は対話の集会は一度もなかったですが,来年は是非もちたいですね.

ところで,ご存知の方もいらっしゃると思いますが,クリスマスにちなんで私の大変好きな歌「O Holy Night」をご紹介します.訳せば「オーッ 聖夜」です.1800年代に作曲された祝歌(聖歌)で,クリスマスにはバチカンをはじめ,教会の聖歌隊などで広く歌われているようです.メロディーがきれいで乗り易くソプラノ,テノール,男女を問わずクラシックに限らず世界中の著名な歌手が歌っています.古いところでは,ナットキングコール,アンディウイリアムス,最近は「坂の上の雲」の主題歌で有名になったサラブライトマン,実力派のキャスリンジェンキンス,オーストラリアの歌姫ミルシア,昨年から話題のスーザンボイルも歌っています.なぜか日本では,この時期沢山のクリスマスソングが街に流れるのですが,この歌は私は聞いたことがありません.日本では知られていないのでしょうか.

参考までに2名の歌手の歌をご紹介します.まずカナダ出身のセリーヌディオンの歌です.彼女はタイタニックのテーマを歌って有名になりました.最後のノエル,ノエルと歌うところから圧巻です.比類がありません.
もう一人はノルウェイのシセールです.セリーヌディオンが何かカナダ,アメリカ,新大陸のパワー,強さを象徴しているのに対し,彼女は長い歴史ある欧州というか優しさ,暖かさを象徴しているように感じます.二人とも歌声に比類がありませんが,どちらかといえば私はシセールが好きです.ノルウェイ語では,「O Holy Night」を「オ ヘルガ ナ(ット)」というそうです.

セリーヌディオン

シセール

皆さんは,どちらがお好みですか.ちなみに私のカラオケの持ち歌になりました(笑).









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TPPについて

2011年11月12日 | 経済

 運営委員長の岡野です。以下、私見ですが、TPPについて述べておきたいと思います。


 最近、11月末に出版される予定の新著『コスモロジーの心理学−−コスモス・セラピーの理論と実践』(青土社)の執筆や校正のために目を使いすぎたせいか目の調子が悪く、しばらく集中的な読書やブログ記事の更新は控えていました。

 しかし、最近、何人もの方から「TPPについてどう考えているんですか」と聞かれるようになりました――特に昨日は野田首相が参加の交渉に入ることを表明しました――ので、専門的にではなく巨視的・総合的かつ原理的に見たときに言えると思われることをお答えしています。

 その内容を、ブログ読者にもお知らしておこうと思いました。

 言うまでもありませんが、TPPはそれだけで起こっているものではなく、新自由主義市場経済のグローバリゼーションという世界的な現象の一部として起こっている出来事です。

 そこで、TPPについて論じる場合、新自由主義市場経済、別の言葉でいえば資本主義は、資本の自己増殖つまり利潤を上げるために行われる生産の様式であることを再確認しておく必要があると思われます。

 資本は利潤を上げるために資源を使って商品を生産して販売し、販売されたものを消費者が購買し消費し、消費された商品は廃棄され、ゴミになるわけです。

 「消費」という言葉は実は事実を誤解させるもので、消費し終わった商品は費やされて消えるわけではなく、廃棄物となって環境に残されていきます。

 そして、地球上のすなわちグローバルな資源は有限であり、地球の浄化能力も有限です。
 
 資本主義はもちろん社会主義であっても、近代の資源の大量使用−大量生産−大量消費−大量廃棄という産業システムは、入り口と出口に決定的な有限性があって無限の成長を続けることは不可能であることは繰り返し述べてきたとおりです。

 つまり、端的に言えば資本主義すなわち新自由主義的市場経済のグローバリゼーションは、地球環境に対しては適応的ではない、と筆者は考えているのです。

 したがって、筆者たちのようなエコロジカルに持続可能な世界を求める立場からすれば、自由主義的市場経済のグローバリゼーションの暴走的拡大にはまったく同意することができません。

 市場の暴走を制御する機関のないまま自由主義市場が無限定に拡大することには賛成できないのです。

 (もしそういう国際機関ができれば、市場が経済システムとして持っている一定の有効性・効率性を生かすことには反対ではありませんが。)

 特に多くの農業関係者が危惧しているとおり、農産物の関税撤廃によって日本の農業が壊滅的な影響を受けることはほぼ明らかだと思われます。

そして、基本的に自由貿易協定であるTPPに参加しながら、農産物の関税撤廃だけは受け入れないということはほとんど不可能でしょう。

 すでに、木材については1961年に始まり64年に完全自由化され大量の安い木材が輸入されたために日本の林業が壊滅状態に追いやられ、その結果、いまや日本の山林の荒廃すなわち国土の荒廃が恐るべきスピードで進んでいることは、現場を知っている人にはきわめて明らかなことです。

 このままいけば、おそらくまちがいなく農業についても同じことが起こり、林業に続く農業の衰退は、日本の国土全体の取り返しがつかない荒廃を招くことになるのではないでしょうか。

そういうわけで、理念と戦略なき安易なTPP交渉への参加は賛成できません。

 しかし、世界経済の現段階では当面、市場経済のグローバリゼーションが続くことは避けられませんから、日本経済もグローバリゼーションをまったく拒否して「鎖国」的経済に向かうことは不可能でしょう。

 だとすれば、「エコロジカルに持続可能な国家へ」という理念およびそこに向かうビジョンと戦略を明快に持った政府が、固い意志と巧妙な外交交渉能力を持って戦略的にTPP交渉に向かい、ゆずれるところはゆずりながら、ゆずれないところは徹底的に押し通すというあり方が望ましいと思われるのですが、はなはだ残念ながら現状の政府にはそうした理念、ビジョ、戦略、意思、交渉能力を欠いているようですから、これでは日本は先行きどういうことになってしまうのかと大変心配しています。

 読者のみなさんは、TPPについて、さらには新自由主義市場経済をどう考え、どうすればいいと考えておられるのでしょうか?


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タイの記録的豪雨と日系企業の被害について

2011年10月24日 | 経済

 運営委員長の岡野です。

 タイの記録的豪雨で日系企業の工場が大きな被害を受けているというニュースが流れています。

 これは、要するに人件費を節約すること、つまり短期の経済的効率を考えて、工場の海外移転をした結果、異常気象の影響で大きな経済的損失をこうむったということです。

 気候変動・異常気象のことを計算に入れない損得計算は、実は中長期的に見ると経済的合理性をもたないということの明らかな実例だ、と筆者には思われます。

 言い方を変えれば、地球全体の近未来を計算に入れると、エコロジカルな持続性を無視した企業活動は――だけでなく社会活動全般も――持続不可能だということです。

 持続可能な国づくりの会の『理念とビジョン』で、次のように述べました。

 「重要なポイントは、経済そのものの点から見ても、生態系の劣化(今回は記録的豪雨)は企業の生産条件の劣化(工場の水浸し)を招き、経済活動を持続不可能にしていく(操業停止)ということです。環境とトレード・オフの関係にあるような経済システムをそのままにしておけば、やがてその経済システムそのものも機能しなくなることは、シミュレーションをすれば火を見るよりも明らかだというべきでしょう。」(18頁)

 今回の出来事は、そうした中長期的傾向の一つの現われにすぎないと思われます。

 もし、経済人や政治家や市民が、本格的な取り組みをしないままでいるならば――きわめて残念ながらしないままだと思われます――危機はまちがいなくさらに進行・深刻化する、とシミュレーションされます。

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新刊紹介:『チェルノブイリの今 フクシマへの教訓』

2011年10月03日 | 原発の持続不可能性

 サングラハ教育・心理研究所、持続可能な国づくり会の会員でジャーナリストの高世仁氏のチェルノブイリ取材が一部がユーチューブで公開されていましたが、今回、60分のDVDが出版されました。

 あまり見たくないが見なければならない現実だと思います。ぜひ、ご覧ください。







DVD BOOK チェルノブイリの今 〜フクシマへの教訓 (旬報社DVD BOOK)
クリエーター情報なし
旬報社


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新刊紹介:小出裕章『原発の真実』

2011年09月23日 | 原発の持続不可能性

 運営委員長の岡野です。


 頭に「知りたくないけれど、知っておかなければならない」というサブタイトルのついた『原発の真実』を、読みたくないけれど、読みました。

 3月以降、原発と放射能に関する本をかなりの数集中的に読んできました。

 その結果、もうまったく疑問の余地がないところまで、原発の危険性・持続不可能性がわかったという気がしていました。

 知ってみると、「地震列島に54基の原発」というのは他のどんなメリット(例えば経済的な利益)も引換えにできないくらい致命的に危険なことです。

 「脱原発依存」とか「卒原発」などというゆるいことを言っていないで、できるだけ早く「脱原発」する必要があると思います。

 しかし、日本国民全体の雰囲気を見ていると、政府とメディアの報道の範囲で考えていて、いまだに首相から始まって「原子力の平和利用」「原発とうまく共存すること」が可能であるかのような錯覚を持ち続けている人も多数いるようです(特に政治的、経済的リーダーのみなさん)。

 そういう方たちは、私の読んだような本は読んでいないのでしょうか。読んでも、理解できない・理解しないのでしょうか。半ば無意識的に読みたくないので読まないのでしょうか。

 反対派の専門家がいくら本を書いても、そういう方たちのところには知識・認識が届かないのだとすれば、素人の私がブログで少々発言しても届かないのは、当たり前といえば当たり前のことかもしれません。

 自分が納得するためにはもう充分に読んだ。私がいくら読んでも、書いても、知ってほしい方々には届かない。

 それならば、これ以上私が時間とお金を使って読んでも、知っても、あまり有効性がないかな、原発関係の本を読みあさる必要はないかな、と思っていました。

 それでも状況は気になるので、小出氏などの発言はある程度追いかけていました。

 そういうなかで、もちろん小出氏の新著の刊行のことも知っていましたが、買って読むのをためらっていました。

 しかしやっぱり気になるので、あまり読みたくもないけど読まなければならないかなと、アマゾンで注文し昨日1日大学への往復電車の中で一気に読みました。

 知識としては一応知っていることがほとんどでしたが、改めて心に甚(いた)く・痛く響くことがいくつもありました。

 特に以下に引用したところ、「3月11日を境に私たちの世界自体が全く変わってしまった」という言葉がきつく心に刺さりました。

 もうかなりの程度悪い方向に変わってしまった世界と日本をこれ以上悪くしないで、なんとか次の世代に残していきたい、そのために今後もできることをやっていこう、と改めて当たり前のような決心を堅くしています。


Q:佐賀県にある松の葉からセシウムが検出された、というニュースに驚きました。福島からおよそ1100キロも離れた場所で、なぜ検出されたのでしょうか。 6月14日

A:研究者である私から見れば、当たり前のことです。1100キロなど大した距離ではありません。米国にも福島第一原子力発電所の放射能が届いていますし、ヨーロッパにも届いています。
 今回の事故の放射性物質は、残念ながらもう全地球を汚染しているというほどに広がってしまっています。
 そういうなかで私たちが生きざるを得ない、生きのびていかなくてはならないというところまで、追い込まれてしまっているのです。3月11日を境に私たちの世界自体が全く変わってしまった、ということみなさんによくよく知ってもらわなければならないのです。
 福島県のもちろん、もはや日本は同じ日本ではなく、地球は同じ地球ではありません。
 1986年にチェルノブイリで事故が起きたときも、8200キロ離れた日本にも、もちろん放射能は飛んできました。そのときも、全地球に放射能汚染が広がっています。



知りたくないけれど、知っておかねばならない 原発の真実
小出 裕章
幻冬舎


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民主党−野田政権は原発を再稼動する

2011年09月22日 | 原発の持続不可能性

 雲影委員長の岡野です。


 下記のニュース(ウォール・ストリート・ジャーナル日本版)によれば、野田首相は、前日に3万人規模の反原発デモがあったにもかかわらず、来年夏までに原発に再稼動すると国際的な場で発言しています。

 「地震列島に54基の原発」という現実の意味を理解した上での発言とは思えません。

 これはつまり、民主党―野田内閣に国政を任せているかぎり、原発は再稼動する、つまり早期の脱原発はできない、ということです。

 こういう状況の中で、一日も早く原発を止めたい私たちには、何ができるのでしょう? どうすればいいのでしょう?

 みなさんは、どうお考えですか。私の考えは、何度も書いているとおりですが。


 【東京】野田佳彦首相は20日、ウォール・ストリート・ジャーナル/ダウ・ジョーンズ経済通信とのインタビューで、現在停止中の原子力発電所を来年夏までに再稼動していく考えを示した。国民の間では反原発の機運が高まっているが、原発を再稼動しないことや、すぐに原発を廃止することは 「あり得ない」と述べた。
 首相は原発政策について、「例えばゼロにするとすれば、他の代替エネルギーの開発が相当進んでいなければいけない。そこまで行けるかどうかも含め、いま予断をもって言える段階ではない」と答えた。
 3月の福島第1原発事故以来、かつては広く原発を支持していた国民の間で反原発の声が高まっている。こうした現状を踏まえ、脱原発をどこまで、また、どれだけ早く進めるかが野田新政権にとって最も困難で意見の分かれる問題となっている。
 インタビュー前日には、警察推計で約3万人の国民が集まって反原発集会が行われた。これは原発事故以来最大級の集会で、政治問題に対するデモとしても長年例のなかった規模だ。
 原発事故以降、定期点検のため停止中の原発の再稼働が国内各地で拒否されている。現在稼働している原子炉は国内にある全54基中、10基程度に過ぎない。政府が原発再開に向けて地元自治体を説得できなければ来年には全国すべての原子炉の稼働が停止し、事実上の脱原発となる。
 野田首相は、「再稼動できるものは再稼動していかないと、 まさに電力不足になった場合には、日本経済の足を引っ張るということになる」と述べた。
 しかし反原発派は、今年夏のピーク時にも、いくつかの原発停止にもかかわらず大きな電力不足がなかったことを指摘し、停止中の原発を再稼動しなくても来年の夏も乗り切ることができるのではないかとみている。これに対し、野田首相は、「そういういうことはあり得ない」として、原発なしには来年の夏は電力不足に陥るとの見方を示した。
 少なくとも当面は原発を維持するという野田首相の姿勢は、菅直人前首相とは対照的だ。前首相はかつて原発を強く推進していたが、福島第1原発事故後は反原発に方向転換した。前首相は、原発事故対応を誤ったとみなされたことも一因となり、約1年で首相の座を去った。

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鉢呂経済産業大臣の辞任

2011年09月20日 | 社会問題
運営委員の森中定治です.

岡野委員長の記事,西岡秀三先生の書籍のご紹介にありましたが,私も一度考える場をもつことに賛成です.西岡先生は,人間が処理できない廃棄物を産み出す現在の原発も一定程度は必要だとおっしゃっていたように記憶しています.福島第一原発の事故以降,お考えが変わったのかどうか,西岡先生をお呼びして学習会を開いてもよいのではないかと思います.直接の関係のない一般人ではなく,国政につながる専門家がどのように考えるのか,大変興味があります.

鉢呂経産大臣はたったの9日間の大臣でしたが,辞任の直前にどのような仕事をしようとしていたのか,ご存知の方もいらっしゃると思いますが,マスコミがあまり報道しないので,情報としてご案内します.

鉢呂大臣は,今後の国のエネルギー政策を決める「総合資源エネルギー調査会」のメンバーが,経産省事務方の提案では脱原発派3人・原発推進派12人という人選であったので,これを問題視して、脱原発の人を9人追加しようとしていました.

もし私が,脱原発派としてこの3人の1人として出ろと言われたら,いやですね.言っても言っても賽の河原のごとく徒労に終わるだろうから,自分自身を損ねてしまうでしょう.病気になるかもしれません.以前,九大副学長の吉岡斉氏がこんなようなことを仰っていたことを思い出しました.

大臣や国会議員は,それぞれの専門の役所の人が公式に調査会を設け,賛成反対両方を交えて真面目な討議を経て,結論を出せばそれを自分の一存でひっくり返すのは容易なことではないそうです.それはそうでしょう.

それゆえ,鉢呂大臣は賛否の人数を概ね半分ずつにして徹底して真剣な議論をし,その結果平行線となれば,脱原発のメリットとデメリット,原発維持のメリットとデメリット,両論を併記して報告書として提出することを考えていたようです.これだと,大臣も判断できる余地が生じるし,大臣や国会が生きてきますね.

こういうことを考えていたようです.これをこのまま枝野大臣が引き継いでいるようです.どうなるでしょうか.
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新刊紹介:『低炭素社会のデザイン』

2011年09月13日 | 社会問題
低炭素社会のデザイン――ゼロ排出は可能か (岩波新書)
クリエーター情報なし
岩波書店



 運営委員長の岡野です。

 「持続可能な国づくりの会」の賛同者のお一人の西岡秀三先生から新著を送っていただきました。

 読むと、低炭素社会そして持続可能な社会が、ただの綺麗事・現実性のない理想論・実現不可能な夢物語ではなく、しっかりデザインできシナリオが書けるもの――したがってやればできること――であることが明快に理解できます。

 率直なところ、たくさんのテーマについて数字の裏づけをしながら広く見渡しているという感じの本で、そういう意味では「面白い本」ではありません。読むこと、理解することに一定の努力が必要です。

 しかし、その努力は、しっかりとした数字と理論に裏づけられた希望――例えば「原発に頼らなくても低炭素化は可能だ」――が見えるという意味で、必ず報いられる本でもあります。

 
 以下、「はじめに」を引用・紹介しておきます。

 一緒に読んで、一緒に考える機会があるといいですね。

                    *


 はじめに

 東日本大震災では、地震や津波という自然の働きについてわれわれはなんと無知であったかを思い知った。引き続いて起こった原子力発電所事故では、自然の中では封じ込まれていた核反応を人問が操作することの限界を目のあたりにした。しかし同じ自然を相手にするのでも、じわじわ忍び寄る気候変動に対しては、自然からの警告を肌で感じながらも、それを無視するかのように、ものやエネルギーを大量に消費する生活を拡大し続けている。人間は自然への畏敬の念を忘れてはならない。自然の存在を忘れ、身の丈以上に高望みすると、自然は自然の論理で対応するからだ。
 「安定な気候」は生態系を維持し、食料を生みだし、人々の日常を守る、すべての命の源である。あまりにも普通すぎてその存在さえ忘れられている。失われてみてはじめてその価値に気が付くものの一つであろう。いま地球規模での急激な温度上昇が観測されている。そしてその原因が、人間活動から排出される二酸化炭素など温室効果ガスの増加にあることが確認されつつある。一瞬にして起こる地震と違って、世界全体に広く不可逆的で甚大な影響がゆっくりと進む。さらに、南極の巨大棚氷の崩壊のように、一挙に数メートルの海水面上昇を世界にもたらす突発的で重大な変化も懸念されている。
 世界の気候安定化への取り組みは、一九八○年代から始まった。「気候変勤に関する政府間パネル(IPCC)によりなされた科学的な認識をもとに、気候変動枠組条約(UNFCCC)での国際的な合意にもとづき、いまでは先進国・途上国とも「低炭素社会」に向けて大きく舵を切り始めた。

 一九八○年代に成熟期に入った日本は、挑戦という言葉を忘れたかのように守りに入った。それ以来、将来を語らず、世界の動きを先取りすることもなくなった。築き上げた体制に安住し、改革に目を背けてきた。気侯の安定化に向けて産業社会を変えてゆこうとする世界の大きな流れを目の前にしても、将来ビジョンを語ることなく、目先の経済運営に終始している。変化に背を向ける人たちの、地球温暖化は嘘だ、二酸化炭素の排出削減はできない、やると損する、という大合唱が挑戦の足を引っ張ってきた。
 しかし、もはや低炭素時代の到来は必至である。ならば、覚悟を決めてそこに乗り込んで行き、新たな時代の産業で国を興すしかない。日本は高齢化・人口減の国として世界の先頭を切っている。成長期で必要とされた、経済や産業における供給力主体の運営から、成熟期に入って、真の豊かさ、安全安心を保障する社会へと、生活者主体の運営に変わらなければならない時期にある。二一世紀の新しいモデルとして、自信と誇りをもって国を運営してゆくありさまを世界に示す絶好の機会でもある。
 「低炭素社会」は日本が世界に発信した概念で、広く社会や個人の行動や考えの変革までを含めている。日本とイギリスの共同研究で提案されていた「低炭素経済」という表現では、この変革の意味を十分に表わせないのではないかということで、「低炭素社会」と言ったのである。
 「低炭素」という言い方は物理的に響く。また「持続可能社会」や「グリーン成長」とどう違うのだという批判もある。しかし、気候の安定化を目指す仕会の目標は、やはり二酸化炭素を主とする温室効果ガスを排出しない世界を作るところにある。そこから目をそらせないためにも「低炭素」という言葉が欠かせない。気候を安定化せずに社会は持続可能ではないし、グリーン成長の中核は低炭素化にある。
この言葉は幸いにして多くの人たちの引用で世界に浸透し、いまや世界中で使われるまでにいたっている。

 本書は、低炭素社会の具体的なビジョンとそこへの到達手順を示し、日本社会が大きくその方向に一歩を進める道筋を示したものである。
 第1章では、科学的知見と世界政策の両面から、世界が低炭素社会へ向かう必然性を示した。その直こうには、さらに大きな挑戦となる持続可能な「ゼロ排出」の世界が待ち受けている。
 第2章では、二〇五〇年までに二酸化炭素の排出を七〇%削減するという目標を達成するシナリオを描いている。このシナリオは、エネルギー需要はおよそ半分程度に削減可能だという見通しと、エネルギー供給側の大幅な低炭素化とによって実現可能になる。
 エネルギー供給システムは、福島原発事故によって国民的議論の的になった。本書に関連したポイントは二つある。一つは、原発に頼らなくても低炭素化は可能だということ(第3章)。もう一つは、安全で安定したエネルギー供給システムの選択肢はさまざまにあるということである(第4章)。国民がその選択の貢任を負っている。
第3章では、省エネルギー・低炭素化に向けて、生活や生産の場でどのような技術が有望かを示している。低炭素社会への転換は、自然資源をより効率的に利用するよう知恵を絞ることでしか達成できない。
 第4章では、低炭素社会に向けて企業や社会がどう変わらなければならないかを考える。低炭素社会は、人任せではできない改革である。すべての構成員がそれぞれの持ち場でなすべきことがあり、互いに働きかけて大きな流れを作らないとそこへは到達できない。
 第5章では、そうした動きを推進するための政策の基本と、各国の戦略について述べる。気候の安定化がどのような形で可能になるのかには多くの論議があり、万能薬はない。個人の行動がものと時間の消費を通じて産業を変え、政治を動かし、インフラを新たにする。時間がかかる仕事である。だから長期目標を共有し、確かな道筋を見極め、徐々にそして確実に変えてゆく辛抱強さが必要である。

 本書の内容は、二〇〇四年から二〇〇九年にかけて、環境省地球環境研究総合推進費による六〇名の研究者が参加した「二〇五〇日本低炭素社会シナリオ」チームの研究成果にもとづいている。本書の二酸化炭素削減シナリオは、国立環境研究所・京都大学・みずほ情報総研が開発した、気候変動政策のためのアジア太平洋気候続合評価モデル(AIM)によって裏打ちされているものである。(後略)

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